津市乙部、フェニックス通りの交差点の角にある、上宮寺(じょうぐうじ)というお寺です。
推古天皇の時代に朝廷の許しを得て創建され、
聖徳太子が紫雲寺と命名、後に舒明天皇から上宮寺の号を賜ったという伝承があります。
これが本当なら、東大寺や唐招提寺なんかよりもっと古い、
飛鳥時代からあったお寺ということで、「津市最古のお寺」とされています。
津市最古というほかに、津市民にもあまり知られていないのが、
「毎年8月の阿漕平治の法要をこちらのお寺が行っている」ことと、
「江戸初期の僧・清韓のお墓がある」こと。
「阿漕平治」の伝承については、津市民には有名なのでここでは書きませんが、
「禁漁区の阿漕浦で漁をしたため、平治は死罪になった」には
話の続きがあります。
病気の母親を残して死んだ平治の霊は、成仏することができず、
毎夜、阿漕の海からは、平治の泣き声や網を打つ音が聞こえてきた。
ある日、上宮寺(この当時は乙部ではなく阿漕に寺があったらしい)の西信律師の夢の中に平治が現れ、
自分は成仏できずに海をさまよっている、自分の家の仏像を寄進するので、
どうか自分を成仏させてほしい、と言った。
西信律師はお経を書いた石を海に沈めて、平治の霊を成仏させ、
塚(阿漕塚)を築いて、平治を弔った、と言う。
現在も、毎年8月16日に阿漕塚で平治の法要が営まれ、
上宮寺のお坊さんがお参りしている、とのこと。
「江戸初期の僧・清韓のお墓がある」こと、
については、別の項で紹介します。
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津にも関係のあった、方広寺鐘銘事件