津市分部、津市櫛形出張所から西へ300mほど西へ行ったところにある、
平泉神社です。
津市内で戦国武将を祭神として祀る神社は4社あります。
高山神社と津八幡宮が藤堂高虎、市杵島姫神社が徳川家康、
そしてこちらの平泉神社が加藤清正を祀っています。
高山神社(津警察署の北)、津八幡宮(結城神社の南)、市杵島姫神社(エンマ堂の隣)の3社は、
津市民にもよく知られていますが、
こちらの平泉神社を知る人は少ないでしょう。
しかも、豊臣秀吉の家臣で熊本城を築いた加藤清正を祀っている神社が、
津市内にあったとは驚きます。
余談ですが、加藤清正も築城の名手で、名古屋城は加藤清正の手によります。
名古屋に近い津の藤堂高虎が、名古屋城に関わっていないのは、そういう理由だったのです。
神社の階段を登ると「二の鳥居」があり、
その脇に「造営記念碑」と刻まれた石碑があります。
裏には「昭和十二年八月 氏子一同」と刻まれています。
「二の鳥居」の奥に、また階段があり、
階段の上には広々とした境内があります。
境内の隅には、「神宮 宮城 遥拝所」の石碑があります。
戦前から戦時中にかけて、集落の人々がこの境内に集まり、
明治神宮と皇居の方角に向かって拝礼をしていたのです。
石碑の裏には「奉献 昭和十一年十月 津市時計商 誰々」と刻まれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/13/1a2b5770f0fe70bccc5a5fba8249f3c4.jpg)
(拝殿)
拝殿の裏にある社殿は、意外なことに瓦葺きの「地蔵堂」のような建物でした。
というわけで、こちらが加藤清正公を祀っている神社であることは、
とても興味深いことなのですが、入口にも境内にも案内板が無いため、
訪れた人がそれを知る術がありません。
いったい、どのような理由で加藤清正公を祭神としたのか、
戦国時代から江戸時代初期にかけて、この地とどのような関係があったのか、
興味ありますねえ。
宇気比神社(津市小舟)