~海から峠経由で“収容所”へ(国道11号、徳島県道・香川県道1号徳島引田線、他)~
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バスは定刻より少し遅れてやって来た。乗り込むのは、どう見ても地
元の人ばかり。そのなかに混じり、周囲にそぐわぬ登山ルックでザック
をかつぎ乗車する。ここは、四国は徳島。渦潮で有名な鳴門市の駅前だ。
そしてバスにゆられること約40分、瀬戸内に面した「折野」に到着する。
折野は、今から95年前の1919年4月に開催されたあるスポーツ大会の
スタート地点だ。大会の名称は「板東俘虜収容所 競歩大会」といい、大
会には“彼”も参加している。彼とはカール・フィッシャー。私が山を歩く
きっかけとなった大学時代のクラブであるワンダーフォーゲル活動、通称
ワンゲルの普及に尽力したドイツのご仁だ。
彼は第一次大戦時にドイツ軍の捕虜として、日本で収容所暮らしを余儀
なくされた。当然彼にとって日本は、自らの意思で訪れた場所ではない。
しかし収容所の競歩イベントは、この機会に極東の地を歩いてみるかと、
彼のゲルマンならぬワンゲル魂に火をつけたのかもしれない。ではどんな
ルートだったのか。
ルートは「折野」から、途中で大坂峠を経由して収容所のあった「板東」
となる。しかし実は資料の収集不足で、詳細については不明ではある。が、
当たらずといえども遠からず。大体こんな感じだろうと、見切り発車では
あるがレッツ・ウォークと相成った。
折野から最初は海岸線沿いに西へ、香川方面へと進む。海を眺めつつ、
のんびり歩いて1時間強で、香川と徳島の県境となる「大坂峠」への分岐が
現れる。ここで少し回り道。四国に2つある日本一の山のひとつ「御山(み
やま)」を訪ねてみた(日本一の低山2つについての詳細は別項にあり)。
分岐近くにある「讃岐相生」駅より、行きは鉄路で帰りは歩く。よって初
日は大坂峠の分岐にて“シーサイドビバーク”となる。
明けて2日目は大坂峠越え。天気は雨。ここは車道とお遍路さん向けの道
があるが、景色のよさでは車道に軍配が上がる。よって天気回復を祈りつつ、
車道を歩く。カーブは多いが勾配が急ではないこともあり、さほど苦労は感
じない。だが雨のやむ気配なし。瀬戸内の眺めはチラリとも見えず。
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あっけなく大坂峠に着いた。せっかくなので展望台へとピストンしてみる。
展望台には「絶景広がる」との説明文もあったが、本日は雨天なり。周囲は
白いベールで覆われていた。大坂峠を過ぎ、あとはダラダラと下り道。皮肉
にも今頃になって天候も回復してきた。途中の「阿波大宮」駅で大休止。雨
具もお役ご免となる。再び歩き出し、板野町に入った。
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ここで東へと向きを変えて進めば収容所のある板東だ。板野町からは、白
装束のお遍路さんの姿が増えてきた。やはりここでも、登山ルックにザック
の私、かなり“浮いた”存在である。10時50分、板東俘虜収容所跡の公園に
無事到着。やや、また雨が降ってきた。慌てて雨具を取り出し身につける。
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カールが日本に残したワンゲル活動の足跡、それは海に峠ありと、実に
変化に富む場所で実施されたものだった。彼の目には、一体どう写ったの
だろうか。いや、資料によるとかなり“個性的”な性格らしい彼のこと、そ
んな感傷にふけることもなく、ゴール目指して脇目も振らずに一目散だっ
たのかもしれないが。
ちなみに実際の大会コースの距離は21キロ。カールの記録は2時間38分
だったという。
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●コースタイム(カッコ内の左・到着、右・出発時間)
《第1日目》
「鳴門」駅
(11:12)
↓↓↓↓
折野→→→→→→→→大坂峠入口(分岐)→→→→→讃岐相生駅~(鉄道利用)~
(11:51/11:55) (13:00/13:25) (13:30/14:04)
讃岐白鳥→→→→→白鳥神社→→→→→→大川橋→→→→→→→大坂峠入口(分岐)
(14:15/14:20) (14:35/15:10) (16:13/16:30) (17:00)
《第2日目》
大坂峠入口(分岐)→→→→大坂峠休憩所(展望台)→→→→→阿波大宮駅前→→→
(3:15/4:15) (5:50/6:15) (7:15/7:40)
高松自動車道・高架下→→→→板野駅前→→→→→極楽寺(お遍路さん2番目のお寺)
(8:15/8:25) (9:05/9:30) (10:17/10:32)
↓↓↓↓
ドイツ公園(板東俘虜収容所跡)
(10:50)
《コース概況》
全行程が自動車道である。ただし折野~大坂峠も、バリエーションで歩いた讃岐白鳥
~大坂峠、板野~板東間も歩道は完備。唯一、大坂峠~板野までは歩道は皆無だが、
通行車両は少なめ。今回も平日の早朝だったこともあるが、行動中に出会った車は皆
無。ただしぼんやりは厳禁、後ろも前も、車には要注意である。
大坂峠~板野間は除くと注釈はつくが、沿道にコンビニエンスストアは結構あり。し
たがって、ちょっと買物には電子マネーも使えて便利。なお今年3月に四国・初上陸
のはずのセブンイレブンもかなりの数あった。ドミナント戦略の雄、恐るべしである。
板野から板東までは、逆にはなるがお遍路さんの順番で5番目となる地蔵寺から、1番
目の霊山寺まで点在している。四国の旅ならではと、立ち寄ってみるのも一興。拝ん
でみれば、素敵な思い出、プラスもしかしたらご利益というおまけがあるかも。
《2014(平成26)年6月17、18日に歩く》
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バスは定刻より少し遅れてやって来た。乗り込むのは、どう見ても地
元の人ばかり。そのなかに混じり、周囲にそぐわぬ登山ルックでザック
をかつぎ乗車する。ここは、四国は徳島。渦潮で有名な鳴門市の駅前だ。
そしてバスにゆられること約40分、瀬戸内に面した「折野」に到着する。
折野は、今から95年前の1919年4月に開催されたあるスポーツ大会の
スタート地点だ。大会の名称は「板東俘虜収容所 競歩大会」といい、大
会には“彼”も参加している。彼とはカール・フィッシャー。私が山を歩く
きっかけとなった大学時代のクラブであるワンダーフォーゲル活動、通称
ワンゲルの普及に尽力したドイツのご仁だ。
彼は第一次大戦時にドイツ軍の捕虜として、日本で収容所暮らしを余儀
なくされた。当然彼にとって日本は、自らの意思で訪れた場所ではない。
しかし収容所の競歩イベントは、この機会に極東の地を歩いてみるかと、
彼のゲルマンならぬワンゲル魂に火をつけたのかもしれない。ではどんな
ルートだったのか。
ルートは「折野」から、途中で大坂峠を経由して収容所のあった「板東」
となる。しかし実は資料の収集不足で、詳細については不明ではある。が、
当たらずといえども遠からず。大体こんな感じだろうと、見切り発車では
あるがレッツ・ウォークと相成った。
折野から最初は海岸線沿いに西へ、香川方面へと進む。海を眺めつつ、
のんびり歩いて1時間強で、香川と徳島の県境となる「大坂峠」への分岐が
現れる。ここで少し回り道。四国に2つある日本一の山のひとつ「御山(み
やま)」を訪ねてみた(日本一の低山2つについての詳細は別項にあり)。
分岐近くにある「讃岐相生」駅より、行きは鉄路で帰りは歩く。よって初
日は大坂峠の分岐にて“シーサイドビバーク”となる。
明けて2日目は大坂峠越え。天気は雨。ここは車道とお遍路さん向けの道
があるが、景色のよさでは車道に軍配が上がる。よって天気回復を祈りつつ、
車道を歩く。カーブは多いが勾配が急ではないこともあり、さほど苦労は感
じない。だが雨のやむ気配なし。瀬戸内の眺めはチラリとも見えず。
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あっけなく大坂峠に着いた。せっかくなので展望台へとピストンしてみる。
展望台には「絶景広がる」との説明文もあったが、本日は雨天なり。周囲は
白いベールで覆われていた。大坂峠を過ぎ、あとはダラダラと下り道。皮肉
にも今頃になって天候も回復してきた。途中の「阿波大宮」駅で大休止。雨
具もお役ご免となる。再び歩き出し、板野町に入った。
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ここで東へと向きを変えて進めば収容所のある板東だ。板野町からは、白
装束のお遍路さんの姿が増えてきた。やはりここでも、登山ルックにザック
の私、かなり“浮いた”存在である。10時50分、板東俘虜収容所跡の公園に
無事到着。やや、また雨が降ってきた。慌てて雨具を取り出し身につける。
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カールが日本に残したワンゲル活動の足跡、それは海に峠ありと、実に
変化に富む場所で実施されたものだった。彼の目には、一体どう写ったの
だろうか。いや、資料によるとかなり“個性的”な性格らしい彼のこと、そ
んな感傷にふけることもなく、ゴール目指して脇目も振らずに一目散だっ
たのかもしれないが。
ちなみに実際の大会コースの距離は21キロ。カールの記録は2時間38分
だったという。
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●コースタイム(カッコ内の左・到着、右・出発時間)
《第1日目》
「鳴門」駅
(11:12)
↓↓↓↓
折野→→→→→→→→大坂峠入口(分岐)→→→→→讃岐相生駅~(鉄道利用)~
(11:51/11:55) (13:00/13:25) (13:30/14:04)
讃岐白鳥→→→→→白鳥神社→→→→→→大川橋→→→→→→→大坂峠入口(分岐)
(14:15/14:20) (14:35/15:10) (16:13/16:30) (17:00)
《第2日目》
大坂峠入口(分岐)→→→→大坂峠休憩所(展望台)→→→→→阿波大宮駅前→→→
(3:15/4:15) (5:50/6:15) (7:15/7:40)
高松自動車道・高架下→→→→板野駅前→→→→→極楽寺(お遍路さん2番目のお寺)
(8:15/8:25) (9:05/9:30) (10:17/10:32)
↓↓↓↓
ドイツ公園(板東俘虜収容所跡)
(10:50)
《コース概況》
全行程が自動車道である。ただし折野~大坂峠も、バリエーションで歩いた讃岐白鳥
~大坂峠、板野~板東間も歩道は完備。唯一、大坂峠~板野までは歩道は皆無だが、
通行車両は少なめ。今回も平日の早朝だったこともあるが、行動中に出会った車は皆
無。ただしぼんやりは厳禁、後ろも前も、車には要注意である。
大坂峠~板野間は除くと注釈はつくが、沿道にコンビニエンスストアは結構あり。し
たがって、ちょっと買物には電子マネーも使えて便利。なお今年3月に四国・初上陸
のはずのセブンイレブンもかなりの数あった。ドミナント戦略の雄、恐るべしである。
板野から板東までは、逆にはなるがお遍路さんの順番で5番目となる地蔵寺から、1番
目の霊山寺まで点在している。四国の旅ならではと、立ち寄ってみるのも一興。拝ん
でみれば、素敵な思い出、プラスもしかしたらご利益というおまけがあるかも。
《2014(平成26)年6月17、18日に歩く》