~熊野古道(1)下里に寄り道後、熊野那智大社、青岸渡寺へ~
このところ、まさに雨後の竹の子のごとく、
あちこちに誕生する「世界遺産」。
ではひとつ訪ねてみるかと、
先達て「世界遺産・文化遺産における
遺跡および文化的景観」である
熊野古道を歩いてみた。
日程は1泊2日。ルートはやや変則で
スタートは、全長は歩けば15か16歩、
日本一短い二級河川「ぶつぶつ川」の流れる
下里から熊野那智大社、青岸渡寺経由、
大雲取越(おおぐもとりごえ)で小口まで。
初日は後半、予想外のお疲れに
見舞われた1日となった。
よし16歩、日本一の短さを完歩したぞ。
プチ達成感で気分も上々と、
ぶつぶつ川のある下里をあとにR42を歩き出し、
クジラで揺れる太地町を経て那智駅前に到着。
途中、秋の海水浴場でぼんやり、コンビニなどで
休憩を交えつつ、のんびりと進んだせいで、
コースタイムは、予定より遅れ気味だ。
少し先を急ごう。しかし古道とはいっても、
那智駅からも舗装道路である車道の脇の歩道。
沿道には土産物屋他、気になるお店も点在。
よって、ちょっとだけウィンドショッピングと
相変わらず道草ばかりで、ペースは変わらず。
そろそろ車道の歩道歩きにも退屈してきた頃、
大門坂の入口が見えてきた。
大門坂からは、苔むした石段が続く。
ようやく古道らしくなってきたが、
長い石段を見ると、決まって最初に
頭に浮かぶのが「うさぎ跳び」である。
これは子供の時分に流行った
スポ根物の影響だ。
百害あって一利もなしと、いまや喫煙と同様の扱いである
うさぎ跳びも、当時のスポ根物では
主人公のルーティンワーク。
神社の石段などで、よく跳んでいた。
自分自身も中学時代のクラブ活動では
うさぎ跳びはトレーニングの定番メニューであり、
いかにサボるかを考え、よく怒られた
懐かしく苦しい思い出もある。
感傷にひたりながら、さすがに跳びはしないが
石段を1歩、また1歩と前へ、上へ。
毎度ながら胴長短足の悲哀で
段の長さと歩幅が合わず、たちまち息切れだ。
ところが休むかと立ち止まろうとすると、
どういうわけか石段を降りて来る人、
しかも集団に出くわす。
苦しい顔をして立ち止まっている姿を見せれば
せっかくの古道気分もぶちこわしかもしれない。
そこで見栄をはって、笑顔で挨拶を交わし、
カラ元気を出してノンストップ。
かつてのうさぎ跳びの記憶と相まって、
これまでのゆったりお気楽ムードな行動は一転、
ファイトに気合いに根性のハードな様相となる。
ようやく大門坂が終わった。だが石段は途切れない。
今度は熊野那智大社、青岸渡寺へと延びている。
ここから先は3歩で1休、大門坂以前の“牛歩”ペースでと
考えていたら、また一難。
すれ違う参拝、観光客の一団から
「強力さんですね、ご苦労様です」と
声がかかる。どうやらこちらの
ザックに地下足袋の出で立ちを見て、
思い違いをされたようだ。
すぐに否定はしたが多勢に無勢。
ご苦労様の声が広がってゆく。
まさか、この雰囲気の中で休むわけにもいかず。
早めに視界から消えねば。足がつりそうだが、
涼しい顔をつくって、上を目指す。
そんなバタバタの末、本日の宿にたどり着き、
初日の予定は、これにておしまいとなる。
ハイお疲れさま。では風呂、飯、寝るだ。
しかし、宿に着く前に下見した
明日のルートである大雲取越の入口も石段だった。
のっけから石段か。やれやれである。
このところ、まさに雨後の竹の子のごとく、
あちこちに誕生する「世界遺産」。
ではひとつ訪ねてみるかと、
先達て「世界遺産・文化遺産における
遺跡および文化的景観」である
熊野古道を歩いてみた。
日程は1泊2日。ルートはやや変則で
スタートは、全長は歩けば15か16歩、
日本一短い二級河川「ぶつぶつ川」の流れる
下里から熊野那智大社、青岸渡寺経由、
大雲取越(おおぐもとりごえ)で小口まで。
初日は後半、予想外のお疲れに
見舞われた1日となった。
よし16歩、日本一の短さを完歩したぞ。
プチ達成感で気分も上々と、
ぶつぶつ川のある下里をあとにR42を歩き出し、
クジラで揺れる太地町を経て那智駅前に到着。
途中、秋の海水浴場でぼんやり、コンビニなどで
休憩を交えつつ、のんびりと進んだせいで、
コースタイムは、予定より遅れ気味だ。
少し先を急ごう。しかし古道とはいっても、
那智駅からも舗装道路である車道の脇の歩道。
沿道には土産物屋他、気になるお店も点在。
よって、ちょっとだけウィンドショッピングと
相変わらず道草ばかりで、ペースは変わらず。
そろそろ車道の歩道歩きにも退屈してきた頃、
大門坂の入口が見えてきた。
大門坂からは、苔むした石段が続く。
ようやく古道らしくなってきたが、
長い石段を見ると、決まって最初に
頭に浮かぶのが「うさぎ跳び」である。
これは子供の時分に流行った
スポ根物の影響だ。
百害あって一利もなしと、いまや喫煙と同様の扱いである
うさぎ跳びも、当時のスポ根物では
主人公のルーティンワーク。
神社の石段などで、よく跳んでいた。
自分自身も中学時代のクラブ活動では
うさぎ跳びはトレーニングの定番メニューであり、
いかにサボるかを考え、よく怒られた
懐かしく苦しい思い出もある。
感傷にひたりながら、さすがに跳びはしないが
石段を1歩、また1歩と前へ、上へ。
毎度ながら胴長短足の悲哀で
段の長さと歩幅が合わず、たちまち息切れだ。
ところが休むかと立ち止まろうとすると、
どういうわけか石段を降りて来る人、
しかも集団に出くわす。
苦しい顔をして立ち止まっている姿を見せれば
せっかくの古道気分もぶちこわしかもしれない。
そこで見栄をはって、笑顔で挨拶を交わし、
カラ元気を出してノンストップ。
かつてのうさぎ跳びの記憶と相まって、
これまでのゆったりお気楽ムードな行動は一転、
ファイトに気合いに根性のハードな様相となる。
ようやく大門坂が終わった。だが石段は途切れない。
今度は熊野那智大社、青岸渡寺へと延びている。
ここから先は3歩で1休、大門坂以前の“牛歩”ペースでと
考えていたら、また一難。
すれ違う参拝、観光客の一団から
「強力さんですね、ご苦労様です」と
声がかかる。どうやらこちらの
ザックに地下足袋の出で立ちを見て、
思い違いをされたようだ。
すぐに否定はしたが多勢に無勢。
ご苦労様の声が広がってゆく。
まさか、この雰囲気の中で休むわけにもいかず。
早めに視界から消えねば。足がつりそうだが、
涼しい顔をつくって、上を目指す。
そんなバタバタの末、本日の宿にたどり着き、
初日の予定は、これにておしまいとなる。
ハイお疲れさま。では風呂、飯、寝るだ。
しかし、宿に着く前に下見した
明日のルートである大雲取越の入口も石段だった。
のっけから石段か。やれやれである。