六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

隣では野生の鹿もお食事中

2024-10-14 14:27:07 | Hungry?~喰らわねば帰れん
ミカドも愛した国民食のひとつを味わいに
ヤビツ峠で、馬鹿に旨いカレーを
      
【ヤビツ峠~護摩屋敷の水・ピストン~蓑毛(神奈川県)】

バスは定刻通りに出発した。

車内は平日の朝らしく、通学客で混んでいる。
やがて学校のある停留所に着き、
学生たちが降りてゆく。

車内は誰もが座った状態となり
立っている人はいない。

そんな残った乗客を、あらためて見渡してみると‥。

あれま年寄り、失礼、年配の登山者ばっかりだ。
おっと忘れていた、俺も立派なじぃさんか。

乗っているのは、小田急線「秦野」駅を
8時25分に出発して、ヤビツ峠へと向かうバスだ。

学生たちの降りた後の車内は、
はたから見れば皆シルバー登山者だが、
唯一、ひとりだけ除外される。

それが、かくゆう私め。

足の指が壊れて以来、
屋外行動には、歩行時間3時間までの
“リミッター”がついてしまった。

3時間を超過すると、とにかく痛い。

加えて、下りはまだ我慢ができるがアップ、
登りは痛む度合いも急上昇するので
極力控えてと、我ながら情けない状況である。

だったら視点を変えて
ここはひとつ、山登りではなく山下りにでも
挑戦してみますかと思い立った。

しかしそんな都合の良い場所はないか、
いやあった、しかも近場だ。
では早速ということで、バスの乗っている。

なお今回の主な目的は、登山ではなく食事。
きっかけは、ある新聞の記事だった。

記事によると丹沢のヤビツ峠には、
今上天皇が若かりし頃に訪れた際に振る舞われ、
絶賛したカレーを今に再現、
メニューにしているお店があるという。

ヤビツ峠なら、往路はバスでいける。
これなら登りはなし。

さっそく行動計画を練ってみた。
バスは8時を逃すと、平日は14時台までない。
したがって選択肢なし。

8時25分発のバスは、ヤビツ峠に9時を
少し回ったあたりに着く。
この時間ではお目当てのお店は
まだ閉まっている。

よって今回の登山、いや下山行動計画は
バスでヤビツ峠、降りたら近隣の名水「護摩屋敷の水」で
お水をいただき、それからカレーを、
朝昼兼用のブランチとして楽しむ。
そして食後はブラブラ徒歩にて蓑毛までとしてみた。

当日は予定通り、水場で憩い、周囲を散策後、
カレーのお店へと足を運ぶ。

直ちに入店し注文、もちろん決まり文句、
「あっ、すいません、ご飯大盛りで」も
しっかりと伝える。

いよいよカレーがやってきた。
では、いただきます。
 
しばらく味わっていたら、お店の方が
「最近、よく現れるんですよ」と
庭先を指さす。庭に目をやると、野生の鹿が
葉っぱむしゃむしゃ、鹿もブランチタイムを
満喫しているようだ。

こっちは旨いカレーを食し、お隣では鹿が
無心に食事中。ここで、いきなりダジャレが
頭に浮かぶ。

「鹿」といえば、暴言でお馴染みの
あの二文字に登場する漢字のひとつ。
それから「旨い」を「馬い」に変換して。

そうだ「並外れている」といった
意味を表現する際には
「馬」に「鹿」の漢字を使うこともありましたっけか。

よぉし、ならばこのカレー、正式メニュー名は置いといて
勝手に命名・馬鹿に旨い、
「馬鹿旨カレー」とさせていただこう。

カレーも完食。腹も満ちたし、へんてこりんで
お店の方には失礼となるような
ダジャレ・メニュー名もこさえた。
これにてヤビツ峠でのミッション、無事完了。
            
それでは蓑毛まで2時間ばかりの下山登山行動、
出発進行、のんびりと歩いてまいりましょうか。
   

~下山は山道もあるが山ビル天国。
  山ビルの餌食はご免と車道を歩く~

~ブログへのアップは10月だが、
 歩いたのは2024(令和6)年7月19日(金)~
          

メス入れて、歩行難儀の解消だ。痛そう〜

2024-10-08 15:44:31 | Graffiti~チョイとひと言
そろそろ交換、いやいやそいつは無理な注文
足の指が“壊れ”た   
  

心持ちは若かりし
自称“紅顔の美青年”状態から
変わらずで、いまだに
いい歳こいての“どたわけ”だが、
身体は実年齢相応、極めて順調に劣化し、
じぃさん化している。

これも、そのひとつか。
この夏、左足の指が悲鳴を上げた。

足の親指は内側に曲がり、
その上に外側に曲がった中指が乗っかると
いわゆる外反母趾の最終ステージというのか、
見るも無惨な状態である。

このため登山靴はおろか、所有する靴は
ほとんどが履けず、履けても歩けば
中指と靴の摩擦で、とにかく痛い。

さすがに痛み耐えられず、病院へ。

受付、検査と進み、その後は待合室にて
診察の順番を待つ。

それにしてもマイ足の指は、
どうしてこんな状態になったのか。
あらためて考えてみる。

確かに以前から、少しだけ
左足の親指は内向きだった。
でも、よく見なければ、わからない程度だ。
第一、歩行にも支障はなかった。

ひどくなり出したのは、ちょうど1年前あたり。

普段は、仕事も遊びも
服装はデニムにTシャツ&スニーカーが
基本だったが、得意先で人と会うことが
増えた。しかも相手はスーツ姿である。

そこでラフ過ぎるのもいかがなものかと、
少々スタイル変更とばかりに、
上はシャツ姿、履くのは革靴という
格好の日々が続いた。

上はともかく、下は慣れぬせいか
窮屈さは感じたが、ここは我慢だな。

これがいけなかったようだ。

しかし、そもそも、どうして
昔から足の指の向きが変形していたのか。

診察の順番はまだ来ないか。

ではもう一考と、
久方ぶりに脳みそをフル稼働させていたら、
そういえばと随分と昔の山行中に
某山小屋で出会った方との会話を思い出した。

その方は、歳の頃なら多分50代、いやそれ以上だったかも。
雰囲気は、町には住めないオールド山男然としていた。
たまたま就寝前に少しだけ話をする機会があり、
経緯は忘れたが、足の故障が話題になった。

てっきり膝か何かの話かなと思いきや、
その方の口から出た単語は、
えっ、あっと驚く外反母趾。
当時、外反母趾とは
イコール女性特有と思っていたのと、
話す方のイメージとのギャップというか
その意外性で記憶に残っていたようだ。

原因については、
確か山で重い荷物を背負う際などに
踏ん張ったからだと話をしておられたっけ。

「診察室へお入りください」。
ナースが私を呼んでいる。

いきなりだが、ここで考えタイムは
強制終了としますか。

診察室でドクターは
先の検査で撮ったレントゲンをチラ見しながら
足を触り、問診も少々。出た結論は
「これは外科的、手術で治しましょう」だった。

続いてドクター、手術に関する説明を始めた。
「手術ですが、手術当日は入院となるので、
1泊2日となり、方法は‥」。

ただ聞こえてはいるが、上の空。
気になることは、手術の内容もさることながら、
やはり外反母趾の根本的な原因だ。

そこで待合室で浮かんだ外反母趾の話を
ドクターにぶつけてみた。

「先生、ひとつ質問があります。
私、山歩きが趣味なんですが、行動中に荷物を背負うなど
踏ん張る動作が外反母趾になる原因となることは?」

ドクター、しばらく考えてから
真顔で静かにひと言。
「わかりませんね」。

おっといきなり肩透かし、
コントなら皆が一斉にこける場面だ。

ひと呼吸おいて、再びドクター喋り出す。
よかった、まだ続きがあったかである。

「靴などを履き、地面と接する部分の足の形で
理想は土踏まずがクッキリのアーチ状とされます」。

「しかしあなたの足の場合は、アーチも何もなし。
地面にべったり、甲高、幅広の扁平足」。

「この足で、長年
踏ん張る際に変な力配分で、
足に負荷をかければ、
可能性はあるかもしれませんね」。

そうですか、では私めの外反母趾の原因は、
山での行動中の無理な動作が、
積もり積もって歳とって、
じぃさんになった証拠としておこうである。

そしてドクターの話の締めは、
費用と手術の日についてだった。

手術に関する話を聞き終わり、
今度はこちらが声を発する番だ。

で、口から出たのは以下の通り。

「手術代は結構高額ですね。ただ場所が場所だけに、
今“はお足”がない状態。お金ができたら、
即きった、はったの手術をお願いします」。

我ながら上出来な切り返し。
きっと、どなたか笑うはずと
周囲の反応をうかがう。

ん、何ら変化なし。

これまた足だけに
スベってしまったようである。              

〜2024(令和6)年10月現在、まだ手術代が捻出できず。
   もっと働け、さらにがんばれじぃさんと、自らを
     鼓舞する意味も込めて一筆〜


ランラン、ゼイゼイ、うつらうつら、のちパクパク

2024-10-04 11:05:49 | Graffiti~チョイとひと言
のんびり、ぶらぶら、歩いてのはずが、嗚呼~
“アディショナルタイム”は
約100分
    

居酒屋で、つまみを注文しているのではない。
また、ここが出題されなかったら白紙かなと
試験前日の一か八かの心境でもない。

今、正真正銘、新潟にて山を駆けている。

といっても、
トレイルランに興じているわけでもない。

実は、帰りに乗る予定の
列車の時刻を勘違い。
慌てふためき、間に合うか、間に合えよと
祈る思いで駅へと一目散、急いでいる。

気がついたのが、これがまた
何とも微妙なタイミングだった。

今回の行動はピストン山行だったので、
帰り道は勝手知ったる歩いてきた道。

そのため、ここまで歩けば
駅はもう少しの距離となったところで、
まだ時間には余裕があるぞと大休止。
だあれもいない、通らない
林道の脇で、ぼんやりと過ごしていた。

たっぷり過ぎるほど休んで、腰を上げる前に、
念のためと事前に作成したコースタイムと
携帯電話の時刻と交互に見ていると、
あれれである。

いかん、しまった、これは大失態、
列車の時間を間違えていたことに気がついた。

これが大幅になら、あきらめもつく。

ところが、さっきも書いたが
現在の居場所から駅までは、
走ればもしかすると間に合いそうな微妙な距離。

列車の到着時間が、予定より少し遅れることだってある。
ここは走るかと、息せききって
予定外のダッシュとなってしまった。

しかし結果は無念、駅到着は
発車時刻を過ぎていた。当たり前だが駅に列車の姿なし。
さすがは日本の鉄道、時間には正確ですなと
感心しつつ、ここは観念で次を待つしかない。

駅に掲示された、ほぼ空白の時刻表をチェックしてみると
次の列車まで、待ち時間は約100分である。

時間つぶしに駅の近くを散策でもと考えたが、
駅の周囲はオンリー道路で、ほかには何もない。

仕方がないので、人の気配は全くなしの
駅のホームでザックを枕に大の字となり、
遅いが夜ではないので昼寝タイムかなと目を閉じてみる。

目を開くと列車がやって来るまで、あと60分。
30分くらい寝ていたようだ。

ちょいと小腹も空いてきた。

そうだ確かザックになかには
入山前、別件の用事後に予備食にでもと
購入した「サンドパン」が
残っていたことを思い出した。

昼寝に続き、今度もまた少し遅めだが、
3時のおやつ、モグモグタイムとまいりましょうか。

サンドパンとは、コッペパンにバタークリームが詰まった
やわらかい食感と甘さが特徴となる菓子パンで、
新潟のご当地パンでもある。

そんな一品を口にしながら、ふと思った。

周囲は自然がたっぷりで、
時間もどこかのんびりと進んでいるような。
おまけに静かで、変な雑音もない。

コスパ、タイパと大忙しで騒がしい都会とは、
まさに真逆の世界である。
それに太陽の光や、風の匂いや音など、
五感で感じる自然も、どこか心地よしだ。

やはり人も動物。期せずして、
自然に囲まれたローカル線の無人駅で、
都会生活で不足気味な
ビタミンN(ネイチャー)を補給できた気がする。

う~ん、この列車を待つ間は、
食べているのパンの名称はサンドではあるが、
決して「砂をかむ思い」ではない
貴重なひと時になったのかもしれないな。
 
自らのミスの招いた状況を棚に上げ、
都合のよい解釈をしながら
列車の到着を待つ。

それにしても時間がたたんな。

おいおい、つい今しがた
のんびりは素敵だてなことを
ほざいた舌の根の乾かぬうちに‥。

いやはや人の心は二転三転、
実にわがまま、困ったものである。

  

〜出かけたのは確か6月だったか。
       そんな古い話を今頃記すのだ〜