~日本コバ(934m)~
声がした。最初のイメージは痛飲した帰りの電車で「終点ですよ」と起こ
される、あの感じの声だ。確かに寝ていた。が、決定的に違うのは今は山登
りの途中であり、第一お酒も飲んではいない。では何だ、誰の声だ。
目を開けてみる。そこには、ヘルメット姿の人がいた。一層、頭の中が混
乱する。どうした、そして、あなたは誰だ? である。
ある日、日本コバという名の山を見つけた。場所は滋賀県にある。いつか
機会があれば登ってみるかと思っていたが、そういう“いつか”は、なかなか
巡ってこないもの。そこで、えぃやぁ!と準備して出かけてみた。
根っからの小心者なので、山へ行く前の“儀式”は入念だ。登山計画書を作
成し、参考資料や地図は、それこそ穴があくほど見る。その一方で、宿泊に
関しては、かなりアバウトで無頓着だ。山の場合、基本はテント、もしくは
ビバーク、つまり野宿しか考えない。したがって今回も、初日は途中の道の
どこかで寝る、以上で終わりである。
東京を発ち、電車とバスを乗り継ぎ、現地には夕方に着いた。ここからは、
寝る場所を探しつつの歩きとなる。そんな矢先に雨が降ってきた。雨か、屋
根のあるところがあればと思っていたら、トンネルの出現である。しかも幅
の広い歩道つき。これは天の助け、今夜はここだ。ただちに就寝の準備とな
る。愛用のブルーのシュラフに入れば、寝つきのよさは取り柄なので、また
たく間にグッドナイトで爆睡だ。そして何時間後には起床となるはずだった。
周囲はやけに明るく、また何かが点滅している。再びヘルメット姿の人が
声を発した。「大丈夫ですか。トンネル内に、青い行き倒れありと通報があ
り急行しましたが」。ようやく状況が理解できた。明るく点滅しているのは、
パトカーと救急車の回転灯で、声の主であるヘルメット姿の人は救急隊員。
周囲を見渡せば、警察、消防署の関係者など、人、人、人である。
ここからは七重の膝を八重に折り、ひたすらお詫びである。その後、道を
走る車からは見えない場所へ移動をとの指示にしたがい、パッキングのち少
し歩く。ほどなくバス停の待合所に出くわした。ここなら雨をしのげ、横に
なれば道からは死角で大丈夫だ。では、あらためまして。おやすみなさい。
そして、もうひと言。警察に消防署の救急の皆様、そしてご親切にも通報
してくださった方、今回は大変ご迷惑をおかけいたしました。以後、気をつ
けますので、何卒お許しの程を。
●コースタイム(カッコ内の左・到着、右・出発時間)
《第1日目》
近江鉄道「八日市」駅
(18:40)
↓↓↓↓
永源寺車庫→→→→→→トンネル(相谷第一トンネル)→→→→「佐目」バス停
(19:15/19:20) (19:45)
※
東京から名古屋までは新幹線、以降は東海道本線で米原、米原で近江鉄道に
乗換え八日市、締めくくりはバス乗って、降りたところは永源寺車庫。ここ
から、車道(R421・八風街道)を歩く。ここまでは予定通りだったが、問
題はこのあと。誤算が2つ生じる。ひとつ目は天候。急に雨が降ってきた。
そこへ立派なトンネルが出現となる。そしてもう1つ、最大の誤算は交通量。
夜ともなれば車も減って、トンネルで寝ても誰も気がつかないはずと思って
いたが。甘かった、この道、車の往来は24時間、頻繁でございました。
※
青い行き倒れ事件後は、場所を少し移動。新しい“お宿”は「佐目」のバス
停脇にある待ち合いスペース。今度は、しっかりと身を隠して眠る。
《第2日目》
佐目バス停→→→→→2.5万図・397の対岸付近→→→→登山道出合→→→
(4:00/5:00) (5:52/6:00) (6:10/6:15)
※
4時起床。まずは昨夜のハプニングのお詫びをば。関係者の皆様、ごめん
なさい。さあ行動開始だ。道は本日も朝から車がひっきりなし、登山口ま
での歩きはポジショニング、道のはしっこをキープを心がけてである。天
気は、昨夜からの雨降り続く。
※
登山道の入口には道標あり。また少し進めば登山届提出用のポストも設置
されている。持参した登山計画書を中に入れて身繕い。いざ出発。おっ、
雨はやんだようだ。ちなみにポスト内に用意されている専用の登山届けの
用紙は“品切れ”状態なり。
※
またピークまでは、200mごとに位置情報が記載された道標が続く。
450m付近(2.5万図の藤川谷の「藤」部分)→→→岩屋→→→→→→→→
(6:45/6:55) (7:47/8:00)
※
最初、道は滑りやすく、異常に細い。おまけに進行方向左は崖。要注意で
ある。その後、足場はしっかりとはしているが渡渉もあり。今回は4ヵ所。
※
450m付近の休憩ポイントから岩屋間は、どこもかしこも道のような広い
沢状の地形の中を進む。が、ここが一番歩きやすそうと思える部分が正し
い道。そして、そこには赤テープもあり。
※
岩屋の手前にはロープ付きの登りあり。しかし少々大げさ。三点確保など
慎重に行動すればノープロブレム。
分岐(政所道分岐)→→日本コバ(934m)→→分岐(政所道分岐)→→
(8:08/8:08) (8:35/9:00) (9:20/9:26)
※
このお山、名前同様、地形も不思議。ピークのすぐ下まで水の流れる沢
あり。そのため周囲の木々と相まって、森を彷徨うような幻想的な雰囲
気に包まれつつ前進となる。もっとも、今回歩いているのはおっさん。
絵にはならない点は残念である。ただし歩行中にぼんやりし過ぎは厳禁。
周囲をよく確認して歩いていないと、あれ? という所も少なからずだ。
ロスタイムが生じぬように、要注意。
※
日本コバのピークは広場のような場所だった。どういうわけか、山頂名
を記した道標がやたらと立っている。
衣掛山(・870)→→政所→→→→→→越渓橋(2.5万図・273手前)→
(9:40/9:42) (10:30/10:35) (11:12/11:24)
※
下山路は、登りより道自体ははっきりとしている。しかし歩きにくい。
なぜなら
1)トラバース部分は、道幅はひたすら細く、傾斜も急。
2)倒木など、道をふさぐ障害物も多し。
3)ラストは、これは急過ぎ、落下するような感じ。
という理由からだ。したがって下山は慎重に。またこの道を登りに使
うのは…。ちょっと、ためらいそうだ。
永源寺ダム→→→→→永源寺(正しくは瑞石山 永源寺)
(12:10/12:15) (12:43/13:55)
↓↓↓↓
近江鉄道「八日市」駅
(14:30)
※
政所からは、再び朝来た道を引き返す。道は相変わらずバイクから、
大型トラックまで途切れなしである。途中で永源寺ダムをチラ見し
ていたら「ダムカード、あります」とあったので、記念にと1枚い
ただく。そして名刹である永源寺にもお邪魔して、しばしのんびり。
そうこうしているうちに、そろそろバスがやってくる時間。日本コ
バ登山も無事終了である。1000mにも満たない山ではあったが、
日本らしい自然のよさ、里山の美しさを実感できる、なかなか趣の
ある場所だった。
《2014(平成26)年10月1日に歩く》
声がした。最初のイメージは痛飲した帰りの電車で「終点ですよ」と起こ
される、あの感じの声だ。確かに寝ていた。が、決定的に違うのは今は山登
りの途中であり、第一お酒も飲んではいない。では何だ、誰の声だ。
目を開けてみる。そこには、ヘルメット姿の人がいた。一層、頭の中が混
乱する。どうした、そして、あなたは誰だ? である。
ある日、日本コバという名の山を見つけた。場所は滋賀県にある。いつか
機会があれば登ってみるかと思っていたが、そういう“いつか”は、なかなか
巡ってこないもの。そこで、えぃやぁ!と準備して出かけてみた。
根っからの小心者なので、山へ行く前の“儀式”は入念だ。登山計画書を作
成し、参考資料や地図は、それこそ穴があくほど見る。その一方で、宿泊に
関しては、かなりアバウトで無頓着だ。山の場合、基本はテント、もしくは
ビバーク、つまり野宿しか考えない。したがって今回も、初日は途中の道の
どこかで寝る、以上で終わりである。
東京を発ち、電車とバスを乗り継ぎ、現地には夕方に着いた。ここからは、
寝る場所を探しつつの歩きとなる。そんな矢先に雨が降ってきた。雨か、屋
根のあるところがあればと思っていたら、トンネルの出現である。しかも幅
の広い歩道つき。これは天の助け、今夜はここだ。ただちに就寝の準備とな
る。愛用のブルーのシュラフに入れば、寝つきのよさは取り柄なので、また
たく間にグッドナイトで爆睡だ。そして何時間後には起床となるはずだった。
周囲はやけに明るく、また何かが点滅している。再びヘルメット姿の人が
声を発した。「大丈夫ですか。トンネル内に、青い行き倒れありと通報があ
り急行しましたが」。ようやく状況が理解できた。明るく点滅しているのは、
パトカーと救急車の回転灯で、声の主であるヘルメット姿の人は救急隊員。
周囲を見渡せば、警察、消防署の関係者など、人、人、人である。
ここからは七重の膝を八重に折り、ひたすらお詫びである。その後、道を
走る車からは見えない場所へ移動をとの指示にしたがい、パッキングのち少
し歩く。ほどなくバス停の待合所に出くわした。ここなら雨をしのげ、横に
なれば道からは死角で大丈夫だ。では、あらためまして。おやすみなさい。
そして、もうひと言。警察に消防署の救急の皆様、そしてご親切にも通報
してくださった方、今回は大変ご迷惑をおかけいたしました。以後、気をつ
けますので、何卒お許しの程を。
●コースタイム(カッコ内の左・到着、右・出発時間)
《第1日目》
近江鉄道「八日市」駅
(18:40)
↓↓↓↓
永源寺車庫→→→→→→トンネル(相谷第一トンネル)→→→→「佐目」バス停
(19:15/19:20) (19:45)
※
東京から名古屋までは新幹線、以降は東海道本線で米原、米原で近江鉄道に
乗換え八日市、締めくくりはバス乗って、降りたところは永源寺車庫。ここ
から、車道(R421・八風街道)を歩く。ここまでは予定通りだったが、問
題はこのあと。誤算が2つ生じる。ひとつ目は天候。急に雨が降ってきた。
そこへ立派なトンネルが出現となる。そしてもう1つ、最大の誤算は交通量。
夜ともなれば車も減って、トンネルで寝ても誰も気がつかないはずと思って
いたが。甘かった、この道、車の往来は24時間、頻繁でございました。
※
青い行き倒れ事件後は、場所を少し移動。新しい“お宿”は「佐目」のバス
停脇にある待ち合いスペース。今度は、しっかりと身を隠して眠る。
《第2日目》
佐目バス停→→→→→2.5万図・397の対岸付近→→→→登山道出合→→→
(4:00/5:00) (5:52/6:00) (6:10/6:15)
※
4時起床。まずは昨夜のハプニングのお詫びをば。関係者の皆様、ごめん
なさい。さあ行動開始だ。道は本日も朝から車がひっきりなし、登山口ま
での歩きはポジショニング、道のはしっこをキープを心がけてである。天
気は、昨夜からの雨降り続く。
※
登山道の入口には道標あり。また少し進めば登山届提出用のポストも設置
されている。持参した登山計画書を中に入れて身繕い。いざ出発。おっ、
雨はやんだようだ。ちなみにポスト内に用意されている専用の登山届けの
用紙は“品切れ”状態なり。
※
またピークまでは、200mごとに位置情報が記載された道標が続く。
450m付近(2.5万図の藤川谷の「藤」部分)→→→岩屋→→→→→→→→
(6:45/6:55) (7:47/8:00)
※
最初、道は滑りやすく、異常に細い。おまけに進行方向左は崖。要注意で
ある。その後、足場はしっかりとはしているが渡渉もあり。今回は4ヵ所。
※
450m付近の休憩ポイントから岩屋間は、どこもかしこも道のような広い
沢状の地形の中を進む。が、ここが一番歩きやすそうと思える部分が正し
い道。そして、そこには赤テープもあり。
※
岩屋の手前にはロープ付きの登りあり。しかし少々大げさ。三点確保など
慎重に行動すればノープロブレム。
分岐(政所道分岐)→→日本コバ(934m)→→分岐(政所道分岐)→→
(8:08/8:08) (8:35/9:00) (9:20/9:26)
※
このお山、名前同様、地形も不思議。ピークのすぐ下まで水の流れる沢
あり。そのため周囲の木々と相まって、森を彷徨うような幻想的な雰囲
気に包まれつつ前進となる。もっとも、今回歩いているのはおっさん。
絵にはならない点は残念である。ただし歩行中にぼんやりし過ぎは厳禁。
周囲をよく確認して歩いていないと、あれ? という所も少なからずだ。
ロスタイムが生じぬように、要注意。
※
日本コバのピークは広場のような場所だった。どういうわけか、山頂名
を記した道標がやたらと立っている。
衣掛山(・870)→→政所→→→→→→越渓橋(2.5万図・273手前)→
(9:40/9:42) (10:30/10:35) (11:12/11:24)
※
下山路は、登りより道自体ははっきりとしている。しかし歩きにくい。
なぜなら
1)トラバース部分は、道幅はひたすら細く、傾斜も急。
2)倒木など、道をふさぐ障害物も多し。
3)ラストは、これは急過ぎ、落下するような感じ。
という理由からだ。したがって下山は慎重に。またこの道を登りに使
うのは…。ちょっと、ためらいそうだ。
永源寺ダム→→→→→永源寺(正しくは瑞石山 永源寺)
(12:10/12:15) (12:43/13:55)
↓↓↓↓
近江鉄道「八日市」駅
(14:30)
※
政所からは、再び朝来た道を引き返す。道は相変わらずバイクから、
大型トラックまで途切れなしである。途中で永源寺ダムをチラ見し
ていたら「ダムカード、あります」とあったので、記念にと1枚い
ただく。そして名刹である永源寺にもお邪魔して、しばしのんびり。
そうこうしているうちに、そろそろバスがやってくる時間。日本コ
バ登山も無事終了である。1000mにも満たない山ではあったが、
日本らしい自然のよさ、里山の美しさを実感できる、なかなか趣の
ある場所だった。
《2014(平成26)年10月1日に歩く》