六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

いくつになっても「これでいいのだ」

2016-11-14 23:45:24 | Oyage Cruise~“道”との遭遇
農村景観日本一の冨田地区~岩村城(717m)~阿木川ダム
(岐阜県恵那市) 
   

昔から「三大」何とかや「日本一」と聞くと、
ついどれどれと、もう無視はできない。

また昔から、山他アウトドアは好きだが
「歴史」も“大好物”。
以前、世界遺産のお城のある姫路にも住んでいた
ことがある影響か、特に城郭に関する情報に接すると
ぜひ拝見にとなる性分だ。

さらに昔から、きっかけはスナック菓子のおまけだったか、
これまでに色々なジャンルの「写真カード」を収集してきた。
ただ、長続きしないのが玉にキズではあるが。

さて今回、でかけたのは
この3つの「昔から」がある場所だった。

岐阜県は恵那市。ローカル線の明知鉄道に
しばらく揺られて降りた所は
「日本一の農村景観」の地。

   

超デラックスな火の見やぐらという感じの
展望台に登れば、眼下には
確かに子ども時代の記憶にある懐かしい
日本の姿が広がっていた。

景観を拝んだら、今度は景観のなかを歩く番だ。
めざすは「日本三大山城」のひとつ。
2017年の大河ドラマの主人公とは異なるが
こちらも女性の城主、おつやの方のお話が残る
標高717mにある「岩村城」だ。

最初は、田んぼの間に延びる道を
ぶらぶら。お城の入口あたりからは
山城らしく、しばらく続く急坂をゼイゼイと進む。

     

今は石垣を残すだけだが、見応えは充分。
たまたま立ち話をする機会のあった地元の方が
「もしも建物が残っていたら、さぞや」と
残念がっていたが、それも理解できる。



築城は鎌倉中期で、廃城となったのは明治。
まさに日本に、ちょんまげのサムライが
闊歩していた時代は、ほぼ現役として
活用されていたお城だ。

そして女性の城主のお話は、戦国の世のこと。
群雄割拠、下克上のこの時代、岐阜は
上洛し天下人を夢みる者にしてみれば、
橋頭堡となる土地。きっと当時は岩村城でも、
連日さまざまなドラマがあったに違いない。

     

本丸跡で、大休止を兼ねてしばし
ひとり想像を巡らせる。

現実の世界に戻ったら、再び前進だ。
今度は、ご近所のダム「阿木川ダム」へ。

オール徒歩の予定だったが、
少しだけ楽をと、岩村駅から2駅分だけ列車を
利用して、お城の石垣にも似た
岩を積み上げたような外観のダムを訪れた。



ここでの目的は1枚。最近、ファンが増えているという
「ダムカード」なる写真カードの入手だ。

カードは片面がダムの写真、そしてもう片面には
ダムのスペックが載っている。全国各地のダムで
配布されているそうなので、2枚目以降は
また登山にでも出かけた際に、ご縁があれば
集めましょうか。少々、心もとないがそう決めた。

加えて、最近のダムには人気の1杯もある。
それが「ダムカレー」と称されるメニュー。
ダムをご飯、ダムに貯まる水をカレーのルーで
表現したジオラマ風の一皿だ。

阿木川ダムでは「ダム湖カレー」が提供されている。
カレーはお約束のビジュアル、また地元産のカボチャや
梨もセットとなっており、カレーにしては
不思議な組み合わせだが、なかなか旨い。

1枚に1杯、そしてダム見学が終了すれば、
あとは恵那の駅まで、再びウォーキングだ。

歩きながら、ふと思った。今回の一件も含め、
行動の原点はいまもって
悪くいえばミーハー。学生時代と寸分変わらず。

もっと年相応な渋さや重厚感も必要かな。
いやまあ人は人。これでいいのだ。

あっさり結論は出たが、恵那の駅には到着せず。
すると、突然もうひとつ
今度も、これでいいのかという
問題が頭をよぎる。

若い頃、高名な占いの先生に
将来についてを見てもらう機会があった。

先生曰く「あなたは典型的な大器晩成タイプ。
人生の後半戦は、日の出の勢いですよ」。

おかしい、現状のままでは
下流老人ワールドにウェルカムで
勢いなど微塵もない。

やはり当たるも、当たらぬも八卦か。
いやまだまだ、これから、これから。
いまはまだ黎明の時。
間もなく夜も明け、朝が来る。

そう信じて、
はい、頑張ってまいりましょうや。

もうゆりかごより、棺桶の方が近い
年齢だというのに
このあたりの楽観主義も「昔から」だ。

   

〜2016(平成28)年10月4日(火)「これでいいのだ」。
   まるで“バカボンのパパ”の口癖だなと思いつつ歩く〜


行きは大きな、帰りは小さな列車に乗って

2016-11-01 22:38:01 | Lively~話題&人気の山
藤原岳(1140m/聖宝寺道〜藤原岳〜大貝戸道〜阿下喜) 


台風が接近している。
だが天気予報を確認すると、
午前中一杯は持ちそうだ。
よし速攻、電撃登山と出かけてみるか。

めざすお山は、中部地方は
鈴鹿山脈の1峰である藤原岳。

きっかけは、たまたまインターネットで
見た情報だった。情報は鉄道に関するもので、
藤原岳へのアプローチ手段となる
鉄道には2つの異なるレールの幅が
あるというもの。そのためレールの上を
走る列車のサイズも違うという。

特に鉄道ファンという訳ではないが
登山と列車、そのどっちも面白そう。
“百聞は一見にしかず”と訪れた次第だ。

まずは“大きな”列車に乗る。
といっても、こちらは誰もが
通勤・通学他で利用している
一般的なサイズ。

乗り込んだ車内の風景も、いたって普通。
朝だけあって通学の皆さんで込んでいた。
ただ学校のある途中の下車駅で
全員が下車。ポツンとひとり残された。

終点は「西藤原」駅。現時点では
疑似好天というべきか
空には青い部分もチラホラ。
よし今のうちにと、急いで出発だ。

登りは「裏登山道/聖宝寺道」を歩く。
いつもながら朝はしんどいわなと
息を切らせながら足を進める。

天気は悪いながらも小康状態。
そんなラッキーにも助けられ、
事前にたてたコースタイムより
少々早めに「表登山道/大貝戸道」との
合流点に到着した。



よし、ここまではまずまず。
では引き続き。休憩もそこそこに
先を急ぐ。

高度を上げるにつれ、ガスが立ちこめ
足元以外は、ほとんど見えない。

ほぼピークとなる藤原山荘前では、
視界は限りなくゼロに近い。
おまけに風も強くなってきた。
予定では「展望台」なる場所へ
足を運ぶつもりだったが、
この状態で無理は禁物、長居は無用。
ではまた今度と回れ右、下山することに。

下山コースに選んだ「表登山道」は、
表というだけあり
立派過ぎる程の道が続いている。

五合目まで降りて、ひと休み。
まだ雨は降っていない。



雨が降り出し、あっという間に
雨脚も強くなったのは
麓にある休憩施設に到着後だった。

さて今度は“小さな”電車と、
ご対面だ。乗車するのは朝とは別で、
「阿下喜」の駅。少し離れている。

距離は車なら10分らしいが
手段はいつもながら人力、歩いて移動だ。

歩き出してから1時間強で、
阿下喜の駅に着く。ホームには既に
小さな列車が停車している。
東京を走る地下鉄大江戸線の車両を、
さらにぐっと縮小したイメージで確かに小さい。



発車時間となり、列車は動き出した。
乗客は数える程度。だが途中駅で、
クラブ活動帰りとおぼしき男子生徒の一団が
ドヤドヤと乗り込んで来た。

彼らが対面式の座席に陣取ると、
もう間に立ってつり革につかまるのは
かなり窮屈そうで、その小ぶり感が
一層よくわかる。

乗り馴れている人には、当たり前の
光景だが、初めて見る者にとっては
インパクトがあり、目が釘づけ。

そうこうしているうちに
終点となる「西桑名」の駅だ。

さっさと降りる乗客を尻目に、
しばらくコンパクトさの
余韻にひたっていたら、
行きの大きな列車の時と同様に、
また車内でひとりぼっちになってしまった。

西桑名駅から、少し歩いて「桑名」の駅へ。
ここから再び大きな列車に乗る。

桑名の駅は、あの中原中也が
駅をテーマに詩を残しており、
駅構内には歌碑もある。

せっかくなのでちょっと寄り道。

では帰りましょうか。
乗るべき列車が来るには、
まだ少々時間があった。
そこでホームでぼんやり、
時間をつぶす。

藤原岳の最高点は踏めなかったが
それ以外は、悪天候の行動にしては
まあよしとしますか。それにしても。

さっきの中原中也の詩の一節ではないが、
駅はまだしも、駅の周囲は何だか暗い。

このところ、やれインバウンドだ、
五輪の準備だと、東京が妙に元気な分、
活気のなさが気にかかる。
  

〜2016(平成28)年10月5日(水)
山では風ストロング、ロードでは雨パワフル。
     でもまあ台風だからなとつぶやきつつ歩く〜