六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

ドカンと降って、さっさと消えるは、越後の当世雪事情、とか

2023-06-28 15:27:05 | om nom nom~ご当地パンをパクつきつつ、しばし黙考
残念、休みか。
だったらオリジナルと、作って、食べて
            
“似非”サンドパン~六日町(新潟県)

登った、歩いたと、アウトドア遊びの帰り道にガブリ。
口にするのは、地元で愛される食のひとつ「ご当地パン」。

そんな旨いをほおばりながら、
ぼんやり、よしなしごとを考える。

今日のいただきましたは、
予定では新潟県民のソウルパン「サンドパン」。
ところが、お目当ての品を売るお店はお休み。
そこで急遽、お手製で。


新潟での所要を済ませ、
まっすぐ帰京するはずだったがスケジュール変更、
上越線は「六日町」の駅に降り立つ。

めざすは駅前商店街にあるパン屋さん。
目的は、このお店の自慢商品のひとつで
新潟県民がこよなく愛するパン「サンドパン」だ。

出先で「ご当地パン」なるワードを耳にすれば
とにかく食べてみたくなる性分。
偶然にも六日町の情報を入手したお陰で、
遠回りして帰ろうかとなった次第だ。

ちなみにサンドパンとは、
コッペパンに基本はバタークリームを
はさんだ一品。名前の由来は一説によると食感。
発売当初にはさまれたクリームは
砂糖の粒感があり、
これがまるで砂みたいだったからとか。

一般的に日本でパンの名称に
「何とかサンド」とあれば「何かをはさむ」パン。
つまりサンドとは
「はさむ」を表現している。
が、しかし英単語のサンドとは「砂」のこと。
はさむなる意味はない。

この点から、先の一説を信じるならば、
新潟のサンドパンとは、正当な理由からの
ネーミングなのかと変に納得。

でも普通は、食べ物で
いくら何でも砂は連想しても
商品名にはしないなわぁなどとも考えたり、
今回は味わう以前に頭のなかが忙しい。

駅から期待に胸膨らませ、想像を巡らせ歩くこと少々、
おっ、目的の店舗を発見。やっ、本日はお休みとな。
まあ、しょうがないかである。

肩透かしの格好となり、
時間はたっぷりと余ってしまった。
ここでひらめいた。

じゃあ作るか。サンドの意味を日本風に解釈して
何かをはさんでのサンドパンでも。

具材は、そうだ今朝頂戴した山菜として、
春の名残、名残の旬を楽しむ一品でも
こさえてみますかである。

さっそくコンビニエンストアで、
コッペが見つからないので食パン、
それからマヨネーズを購入。
                     

  
六日町のシンボル的存在である坂戸山にも近い
川原で、食パンにマヨネーズを塗り、山菜合わせて、
できました、名づけて
「本家はお預け、今日は我慢サンドパン」。

口にしなら、ぼんやりしていたら、
新潟で地元の方に伺った雪の話を思い出した。

今年も大雪、新潟に生まれ育った人間にとっても、
びっくり仰天、驚きの量。
一方で、とけるのも超スピーディー。
春の兆しがと思えば、
あれよあれよという間に消えてしまった。

ひと言に要約すれば、こんな内容だった。

原因は地球環境の悪化、
いわゆる異常気象の影響か。

確かに最近の自然界は、
量とか、時間の経過というものに
許容範囲というものがなくなり
極端になってきた感がある。

天気予報も、かつてない最大級、
これまでに経験したことなしとか、
おどろおどろしい単語が目立つ。

少々過剰、大袈裟、オーバーな
気がしないでもないが、結構そうでもない。

その上、こう頻繁に起これば、
異常が普通、
日常的になってしまいそうだ。

でもそんな異常気象とも
仲良くとはいわないが
とりあえずは共存しなければ。
今のところ人間は、
地球以外に住む場所はなし。

ならば人にするなら自然にだって、
それこそ、これまで以上の
“忖度”も不可欠かなである。

では今、自分に何ができるのか。
さしあったては、食後に山の鉄則
「訪れた時より美しく」でも
実践してみますか。

それではご馳走様、
パッキングが終わったら、
周囲のゴミでも拾って。

では次回は、正真正銘のサンドパンを
いただきにと参上いたしますが、
本日これにて「ジ・エンド」。

いやいや、ここは
ご当地パンを食べ損ねたんですから
「ジ・サンド」としておきましょうかね。
           

冒頭の文句だけは知っている、 あの恋愛小説の舞台にて

2023-06-16 23:59:41 | Quiet~いぶし銀、渋めの山
ちょっと道草、回り道。寄り道をして山歩き
たかを括って
国境の長いトンネルを抜けると 
                         
【大峯百番観音・越後湯沢駅~山の湯~
    湯沢高原スキー場~NASPスキーガーデン~
     秋葉山~越後湯沢駅/新潟県】

G.Wに新潟へと出かける用事ができた。
だったら用事の前にひと登り、
途中下車して、以前から気になっていた
山道を歩くことにした。

山道の名は「大峯百番観音」。
場所は新幹線・上越線の「越後湯沢」駅を
囲む感じ、列車の進行方向でいえば、
新潟方面に向かって左半分となる部分で、
道中には西国、秩父、坂東の観音様のオンパレード。
拝んで歩けば、さぞやご利益も
あるのではと思わせる、ありがたきルートである。

さらに
この大峯百番観音には
ある恋愛小説の生まれるきっかけとなったという
エピソードもある。

何でも大峯百番観音が完成したのが昭和9年。
完成当時はお祝いの大宴会が催され、
周囲の芸妓は皆宴会の席に出勤中。

そんな折、宿のお客のひとりが芸妓を所望した。
さあ困った、仕方がないので見習い・半玉で対応したところ、
これが大正解。お客はことのほか喜び、
この半玉をモデルに小説を書き上げた。

この客こそ、後にノーベル賞も受賞した
あの文豪。そして書き上げた小説が
「国境の長い~」と、
誰もがご存じのフレーズで始まる
「雪国」だった。

へぇ、そうなのでのある。
ただ、ここで心に引っかかったのは、
信心でも、文豪、半玉でも、雪国という作品でもなく
大峯百番観音のこと。

つまり街をあげて、そこまで盛大な祝いをした割には
知名度低しという点だった。

これまで越後湯沢には、かなりの頻度でお邪魔をしてはいるが、
大峯百番観音の名を聞いた記憶はない。

果たして今は、どうなっているのかと好奇心がわいて、
いつか出かけてみようかなと思っていた次第である。

調べてみると、やはり歩く人はごく僅か。
時代の流れの中で、
人々の記憶からも消えかけていた存在だったらしいが、
近年再整備がなされたという。

地図を見ると等高線の間隔は密。これは意外と大変かも、
いやいや急登、急降下のようだが、こちらは巡礼の道でもある。
きっと道は迂回やらあれこれ、楽に歩ける工夫があるのではと、
楽観視、希望的観測を抱いていた。

ところがどっこいである。現実は甘くないのである。
登りは地図の示す通り急であり、
しかも途中にあるのがスキー場。
               

                                   

           
特に今年は疫病による自粛もなく、
人、ひと、人の大賑わいである。

登り口から息を切らし、観音様を拝みつつ
無心で静かに歩いてきたものの、
日頃は煩悩まみれの身。
このにぎわいは見過ごせない。

さっそく出店ウォッチングほかで、
事前に計画したコースタイム無視の
大休止となる。

いかん、今日は巡礼チックな山の旅。
まだ先も長いぞと、心を鬼にというのか、
後ろ髪を引かれつつが適切か、
とにかく前へ、再び歩き出す。

が、おっとルートを誤った、
大峰をめざすはずが、
少しオフコースしてしまった。

であるが、進むべき方角は
間違ってはいないので、
そのまま進み、後半戦へ。
           
まだ冬の雪対策の名残りか、
黒い覆いのある観音様も
いらっしゃるが、出会えば合掌、
あらためて無言の行ではないが、
口を結んで沈黙の山歩き、
アゲインである。

今度は下り、こちらも急降下。
観音様の前ではとにかくストップ、
立ち止まり、
この先、転けませんようにと
お願いする始末だ。

そうこうしているうちに
またしてもスキー場に出くわす。
こちらも家族連れなどで
大盛況である。

今度は小休止、そそくさと後にして、
最後の登り、秋葉山をめざす。
                   
その後も合掌、プラス唱える定番の文句、
ひと言を存じ上げないので黙礼を
繰り返しつつ、再び越後湯沢に駅へ。

朝、7時半過ぎに出発して、現在12時30分。
途中で大・大休止や、ショットカットはあったものの、
舐めてかかるとしっぺ返しありの
大峯百番観音は無事に、ほぼ完歩と相なった。

ようし、とりあえず気になっていた
山道は歩いた。

ならば、せっかくなので
ついでに「国境の長いトンネル」の続きも。
東京に戻ったら、今度は活字の海で、
泳いでみるとしますかな。
                       

〜2023(令和5)年5月4日(木)にトボトボ。
  ん、そういえば、道中は誰にも会わなかった。
    アップダウンは大変だが、駅前ながら静かな歩きを楽し‥、
      いや苦しむか、とにかく歩く〜