振り出しは山登り、上りはひとっぷろ(弐)
まだ「非常事態宣言」が
発せられる前に
発せられる前に
入生田(いりうだ)~石垣山城~小田原城~中嶋湯【神奈川県小田原市】
仕事の大失敗から立ち直れそうかなと思った矢先に
後ろからガツンとCOVID-19(新型コロナウイルス)
パンチをくらってダウン寸前。
昔からかなり楽天的な性格であるが、
さすがに今回はどうしたもんだかと、
ぼんやり感じていたある日、
駅のトイレで知らぬ同士が横並び、
山用語なら“小キジ”の最中に、
突然ある言葉が頭に浮かんだ。
言葉とは「関東の連れ小便」と「小田原評定」。
ルーツは確か戦国の世、豊臣VS北条の一戦。
先の言葉は勝者である秀吉が徳川家康と
北条攻めの前線基地で、眼下の小田原城に向かい
二人並んでだったかと。
一方、後の言葉は敗れた北条氏。
結論は出ず、ただ時間だけが過ぎてゆくと、
あまり好ましくない状況を表している。
どうにも敗者は、言葉も分が悪いようだ。
出してスッキリ、片や出ずに悶々。
妙に気になってきた。おまけの言葉の生まれた
小田原市内に銭湯はオンリー一軒。
こちらもお湯だけに興味もわいてきた。
ならば仕事での努力は引き続きだが、
結果は神のみぞ知る、いやゆだねて。
以前に岐阜で歩いた「銭湯」登山の
第2弾として訪ねてみることにする。
まずはスッキリの場所である石垣山城へ。
最寄駅「入生田(いりうだ)」に降り立つ。
新型ウイルスの影響で閉館中の駅前施設の脇を通り、
山道へ。今年は本のタイトルではないが沈黙の春。
天気が良いだけに、人気なしの静けさは
余計に異常な雰囲気がする。
黙々と歩を進めると、ようやく人の気配、
その先に石垣山城の入口があった。
展望スペースに立つ。静かな海が広がっていた。
9年前は大地震で海の、津波の恐ろしさを
思い知らされたのも3月。しばし黙祷である。
そして秀吉になった気分で市内に目をやると、
小田原城は、もう目と鼻の先。
勝利も時間の問題と、秀吉&家康の小キジタイムは、
さぞや爽快だったことだろう。では私もと、
もちろん“エア”、ポーズだけ取ってみる。
続いては悶々の場所へ。
石垣山城を後にスタコラ、小田原城へと歩く。
到着後、さっそく天守閣へ登って、
ルック石垣山城方面。現存する小田原城の天守閣は、
当時とは場所も形も異なるようだが、
それにしても至近距離だ。
おまけに石垣山城は、関東では初の石垣プラス天守台と
立派なお城。さらに別名「一夜城」と、あっという間に
築城されというから、北条方にとってはまさに忽然と
現れた敵方のお城。さぞや肝を潰したことだろう。
同時に時代の潮流というのか、
勢いを目のあたりにして、
もはやこれまでかとなりそうだ。
もし、もっと開戦初期に石垣山城が登場していれば、
小田原評定なる言葉も生まれず、あっさり白旗と
なっていたのかもしれない。
これでスッキリ&悶々の地を訪ねる目的は
果たした。残すはゴールとなる“ポツンと一軒家”
市内に残るラスト銭湯「中嶋湯」だ。
こちらも時代という荒波にもまれて
孤軍奮闘である。しかし波とは、無理に抗えば
溺れるが、上手に利用すればサーフィンのごとく
楽しむこともできる。
中嶋湯も、うまく波に乗ることを願いつつ、
今回の旅のフィナーレ、それでは
お風呂をいただきますだ。
急逝した大物コメディアンの後釜を狙うのは
永田町の皆様か。そんな悪態もつきたくなるような
「今回の疫病対策に和牛や魚の商品券配布」と
唖然のち苦笑の報道も耳にする春の1日、
あえて名づけるなら「勝ちはスッキリ、負けは悶々、
そして締めはお湯につかってさっぱり」コース、
無事に完歩し帰途につく。
〜2020(令和2)年
COVID-19もそろそろ終息かなと
気の緩んだ3月のある晴れた日に歩く~