六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

ポケモンはゲットしないで

2017-12-06 01:25:54 | Oyage Cruise~“道”との遭遇
気賀~引佐峠~三ヶ日~本坂峠~豊橋
 (本坂通・姫街道/静岡県、愛知県)


若い頃は話を聞いてますか、歳を重ねてくると
おいおい大丈夫かと、人にいわれることも度々あるが
妄想、いや空想とか思いにふけることは結構好きだ。

最近は拡張現実
(AR=Augmented Reality/アグメンティッド・リアリティ)
なる恰好のよい言葉もあるので、道具いらずで楽しめる
ひとり“AR”とうそぶき、
日常はもちろんアウトドアでも遊んでいる。

秋も、ちょっと江戸の旅人になってきた。
場所は、名称にひかれて訪れた姫街道。

姫街道とは東海道の脇道で、静岡県の磐田市から
浜名湖の北側を通り、愛知県の豊川市を結ぶ道。
名称は長らくは本坂通、江戸末期からは由来は諸説あるが
姫街道と呼ばれるようになったそうだ。

今回は、この姫街道の代表的な部分をつまみ食いと
気賀から引佐(いなさ)、本坂と2つの峠を越えて
嵩山宿のある豊橋まで、
道中何度もARタイムを挟みつつのウォークと相成った。

朝6時半を少々回った頃「気賀」駅を出立する。
まずは車道脇の歩道歩きとなるので、行き交う車に注意し、
こまめに現在地の確認をしつつ歩く、
平成のウォーカーである。
そして車道をはずれたら、いよいよ江戸モードへ。

前からは江戸へと向かう人々が近づいてくる。
おや姫のご一行の姿も。ここは脇に控えてと
歩く速度をゆるめたら、後ろにいた何やら訳あり、
国元へと先を急ぐお武家様が抜いていった。

実際は、全く誰にも会っておらずの一人だが
頭の中は江戸の世なら、こんな感じかなと
勝手に想像する場面の中を歩いている。

引佐峠で一服。
耳を澄ますと動物の雄叫びが聞こえる。

 
           
 

進む方角、三ヶ日方面を見やれば
将軍献上の象を連れた一団だ。
この登りは、距離はわずかだが傾斜は急。
象が悲鳴を上げるのも無理はない。

象は登るが、こちらは逆。引佐峠を
一気に駆け下り、まずは三ヶ日の町へ。

     

その前に、いったん現実に戻る。

 
姫街道が東名高速道路で分断されるためで、
東名高速道路を最初くぐって、もう1度くぐり、
締めに渡ってとしばらくは、読図をしながら
ルートを確認。いつものロード歩きスタイルだ。

東名高速道路を離れ、三ヶ日の町を過ぎると
再び江戸気分。めざすはラストの難所、本坂峠である。

    

おっとここで再度現実の世界へと。
ただいま時間は、午前11時過ぎ。
今度は“しゃりバテ”腹減っただ。
本坂峠にてランチタイム。きっと昔の旅人も
弁当を広げたのでは、当時の人は
おむすびでもほおばったのかと、
思いはあらためて江戸模様。

本坂峠を下れば、嵩山宿は目と鼻の先。
ブラブラと歩いているうちに
嵩山宿を過ぎ和田辻に着く。

姫街道は真っ直ぐ、豊川へと続くが、
予定はここまで。
本日は和田辻で姫街道と別れ、豊橋へと向かう。

さて和田辻からは文明の利器を乗り継ぐので
頭を切り替えて、拡張も仮想もない
現実の世界に即した行動だ。

スマートフォンのアプリを使って
歩きながらさまざまなポケモンを見つける
のも楽しいが、
こんなARテイストの野山歩きも、また楽しだ。

姫街道AR歩きの続きは、東京に戻る新幹線の車内あたりで
また楽しみますか。ただし列車の揺れは“睡眠薬”。
今度はぐっすり夢の中。ヨダレに注意ですかな。

         
  
               

〜2017年10月、安全と思えばぼんやりと、AR歩行の弊害で、
  ルート上にあるクモの巣にやたらとひっかかり突破。
    クモにとっては迷惑千万な通行人と化して行動する〜

“東京”下暗し

2017-05-11 17:41:36 | Oyage Cruise~“道”との遭遇
白丸ダム~奥多摩むかし道~小河内ダム(東京都)
  

私、白丸ダムの「魚道」です。
魚道とは、ダムでせき止められた川を遡上する
魚のための迂回路。しかも私、規模は日本最大級なんです。

 
場所が東京だけに見学者も、そこそこ。
おや今日も、ザックをかついだ白髪頭のオッサンの姿が。


はい到着。どれどれ魚の姿は。魚だけに“ギョウ”サン
見えるかな。あれ、全然いない、わからない。
仕方ない、記念の1枚でも撮って先を急ぐか。

出たぁ~オヤジギャグ。発した後は、地図の確認ですか。
ちょっと拝見。ふ~ん、魚の次は人の道と、ここからは小河内ダムまで、
奥多摩むかし道を歩くんですな。では気をつけて。


ダム工事に使われた鉄道跡に岩肌ギリギリに建つ神社などなど、
結構ビューポイントも多いし、自然も豊か。のんびりと山里歩き、
東京とは思えない雰囲気だな。おっと、あれが弁慶の腕ぬき岩か。
       
 


オレ様は弁慶の腕ぬき岩。と、いってもあの勧進帳の弁慶とは
縁もゆかりもないが、腕がすっぽりと納まる穴があるため、
いつの間にやら、そんな名前に。おっ、オッサンが接近中だ。
どこかお調子者の雰囲気がある。きっとあれをやるな。

 

これがウワサの穴か。では腕を突っ込み、はいポーズ。
     

やっぱり、やりおったか。まあよかろう。
多分このオッサン、先の吊橋でも写真を撮りまくるな。
ベストショットが撮れるといいがな。
       

そうそう吊橋を過ぎると、少々山道っぽくなるから足元注意で。
といっても聞こえないか。


ここを登って少し進めばダム。ゴールは間もなく。それファイト!


あっしはカモシカ。ただいま人通りもない山道をぶらり散策中。
ん、前方からオッサン1名。ちょっくら驚かしてみるか。

        

うわわわ、前から黒い影が。よもやまさかの熊か。まさに万事休す、
南無三、もはやこれまで、お陀仏か。

あれ、目の前を横切った姿をよく見ると、よかったカモシカだ。
やれやれひと安心。それでは再び、行動開始。

かなりビビっていたな。東京の自然もそこは自然。
なめてかかると一大事。肝に銘じておくようにだな。

それはさておき、もうしばらくで小河内ダムに奥多摩湖。
はいはい、本日はお疲れさま。



〜もしも道中のものいわぬあれこれが人の言葉を喋ったら。
  こんな発言があったかもしれない〜


突然、明日の予定が延期になった。そこで仕事は臨時休業。
かわりに立川から電車に乗って、半日かけてのウォーキング。

長年住んでいながら、案外知らない東京の一面を見ることができ、
楽しく充実した時間を過ごすことができた。サンキュー奥多摩。

たまには近場へも、出かけてみるべしである。

  



〜2016年・11月、久方ぶりに東京の山・奥多摩訪問。
 ラストで少々肝を冷やしたものの、ダムからダムへ、ブラブラ歩く〜


いくつになっても「これでいいのだ」

2016-11-14 23:45:24 | Oyage Cruise~“道”との遭遇
農村景観日本一の冨田地区~岩村城(717m)~阿木川ダム
(岐阜県恵那市) 
   

昔から「三大」何とかや「日本一」と聞くと、
ついどれどれと、もう無視はできない。

また昔から、山他アウトドアは好きだが
「歴史」も“大好物”。
以前、世界遺産のお城のある姫路にも住んでいた
ことがある影響か、特に城郭に関する情報に接すると
ぜひ拝見にとなる性分だ。

さらに昔から、きっかけはスナック菓子のおまけだったか、
これまでに色々なジャンルの「写真カード」を収集してきた。
ただ、長続きしないのが玉にキズではあるが。

さて今回、でかけたのは
この3つの「昔から」がある場所だった。

岐阜県は恵那市。ローカル線の明知鉄道に
しばらく揺られて降りた所は
「日本一の農村景観」の地。

   

超デラックスな火の見やぐらという感じの
展望台に登れば、眼下には
確かに子ども時代の記憶にある懐かしい
日本の姿が広がっていた。

景観を拝んだら、今度は景観のなかを歩く番だ。
めざすは「日本三大山城」のひとつ。
2017年の大河ドラマの主人公とは異なるが
こちらも女性の城主、おつやの方のお話が残る
標高717mにある「岩村城」だ。

最初は、田んぼの間に延びる道を
ぶらぶら。お城の入口あたりからは
山城らしく、しばらく続く急坂をゼイゼイと進む。

     

今は石垣を残すだけだが、見応えは充分。
たまたま立ち話をする機会のあった地元の方が
「もしも建物が残っていたら、さぞや」と
残念がっていたが、それも理解できる。



築城は鎌倉中期で、廃城となったのは明治。
まさに日本に、ちょんまげのサムライが
闊歩していた時代は、ほぼ現役として
活用されていたお城だ。

そして女性の城主のお話は、戦国の世のこと。
群雄割拠、下克上のこの時代、岐阜は
上洛し天下人を夢みる者にしてみれば、
橋頭堡となる土地。きっと当時は岩村城でも、
連日さまざまなドラマがあったに違いない。

     

本丸跡で、大休止を兼ねてしばし
ひとり想像を巡らせる。

現実の世界に戻ったら、再び前進だ。
今度は、ご近所のダム「阿木川ダム」へ。

オール徒歩の予定だったが、
少しだけ楽をと、岩村駅から2駅分だけ列車を
利用して、お城の石垣にも似た
岩を積み上げたような外観のダムを訪れた。



ここでの目的は1枚。最近、ファンが増えているという
「ダムカード」なる写真カードの入手だ。

カードは片面がダムの写真、そしてもう片面には
ダムのスペックが載っている。全国各地のダムで
配布されているそうなので、2枚目以降は
また登山にでも出かけた際に、ご縁があれば
集めましょうか。少々、心もとないがそう決めた。

加えて、最近のダムには人気の1杯もある。
それが「ダムカレー」と称されるメニュー。
ダムをご飯、ダムに貯まる水をカレーのルーで
表現したジオラマ風の一皿だ。

阿木川ダムでは「ダム湖カレー」が提供されている。
カレーはお約束のビジュアル、また地元産のカボチャや
梨もセットとなっており、カレーにしては
不思議な組み合わせだが、なかなか旨い。

1枚に1杯、そしてダム見学が終了すれば、
あとは恵那の駅まで、再びウォーキングだ。

歩きながら、ふと思った。今回の一件も含め、
行動の原点はいまもって
悪くいえばミーハー。学生時代と寸分変わらず。

もっと年相応な渋さや重厚感も必要かな。
いやまあ人は人。これでいいのだ。

あっさり結論は出たが、恵那の駅には到着せず。
すると、突然もうひとつ
今度も、これでいいのかという
問題が頭をよぎる。

若い頃、高名な占いの先生に
将来についてを見てもらう機会があった。

先生曰く「あなたは典型的な大器晩成タイプ。
人生の後半戦は、日の出の勢いですよ」。

おかしい、現状のままでは
下流老人ワールドにウェルカムで
勢いなど微塵もない。

やはり当たるも、当たらぬも八卦か。
いやまだまだ、これから、これから。
いまはまだ黎明の時。
間もなく夜も明け、朝が来る。

そう信じて、
はい、頑張ってまいりましょうや。

もうゆりかごより、棺桶の方が近い
年齢だというのに
このあたりの楽観主義も「昔から」だ。

   

〜2016(平成28)年10月4日(火)「これでいいのだ」。
   まるで“バカボンのパパ”の口癖だなと思いつつ歩く〜


Escape from Galapagos 何度目かの「今度こそ」

2015-12-23 23:34:43 | Oyage Cruise~“道”との遭遇
~熊野古道(2)
熊野那智大社、青岸渡寺を出て、
大雲取越(おおぐもとりごえ)で小口まで~

山中でバッタリ、出会った相手は
野生の熊ならぬ人、インバウンドの皆様。
しかし熊との遭遇と同様に、まずいぞ言葉が通じない。

世界遺産を肌で感じようと訪れた和歌山県の熊野古道も
いよいよメイン、第2日目となる本日は大雲取越だ。

       


ただメジャーなルートではあるが今日は平日。
道中で人と出会うことも、あまりなさそうである。

ペースは速からず、遅からず。またルート上にはアップダウンもあるが、
それも行動には適度なアクセントとなり、さほど苦にはならない。

急ぐ旅でもなく、事前に計画したコースタイムも、
かなりゆとりを持たせているので、
のんびりと昔の旅人になった気分で進む。

時間は、間もなくお昼となるが、
朝から出会ったのは、道路などの工事関係の方々で
熊野古道ウォーカーとは全くなし。やはり今回は
それこそ“無言の行“となりそうだ。

 

そんな矢先に、前方から声がする。
少し進むと、外国人の二人連れがやって来る。とっさに出たのが
「こんにちは」である。相手も日本語で挨拶を返してくれ、
お互いニヤリと笑顔で、すれ違う。

ここで気のきいたひと言でも発すれば、さすがは
おもてなしの国と、日本の印象もよくなるはずだが、
ダメである。口から出るのは日本語のみ。
いまや国際語である英語が全く出てこない。

英語は中学、高校、そして大学で学んだ。
だが授業中は「もしも日本が英国だったら、
あの世界的な政治家も、企業のCEOやアーティストだって、
皆日本語を使っていたはず。実に残念である」。

そんなことしか考えていないのだから、上達するはずもない。
学校を出れば、仕事で横文字の単語は使っても、
読み、書き、喋りもオール日本語生活であり、現時点の英語のレベルは
限りなくゼロに近い、いやマイナスだろう。

最近は、山でも海外の方々と出会うことが
本当に多くなった。そしてカタコトの日本語を交えての
英語で話かけられる機会も増えた。

しかし返せない、相手のいいたいことは
何となく理解できるのだが、英語が口から出てこない。

頭は柄にもなく、高速回転で言葉を考えている。
英単語も浮かんでくるが、声に出すことはできずだ。

そうこうしているうちに、かなりの消化不良状態で、
コミュニケーションはそれこそ強制終了となる。

熊野古道でも、出会ってしまった。
そして英語も、案の定出てこなかった。これは、
勉強せねば、真剣に思った。が、そう思ったことは
過去に一体何度あっただろうか。

当然、熊野古道においても
こんな三日坊主らしい発想も浮かんだ。
もし次に会う人が日本人以外なら本気でやるぞ。

そう何度も外国人だけということもなかろう。
これでは、勉強は多分やらないぞと
暗に宣言しているようなものだが。

その後は立て続けに人に会った、
その中に日本人は皆無。オール外国の方だった。

 

         

途中、急降下となる難所もクリアして
小口へ無事到着した。
ここからはバスで新宮へ出る。

ポツンとバス停が立っていた。誰もいない
ベンチにどっかと腰をおろす。

しばらくしてバスがやって来た。
途中で出会った外国の方々も、そろそろ
熊野那智大社、青岸渡寺に着いたかなと
ぼんやり思いつつ、乗客らしき人影はなしの
バスに乗ろうとした。

その瞬間、後ろでバタバタ、ドヤドヤと人の気配だ。
振り向くとバスに向かって、
こちらも外国人の一団が接近中である。

とどめを刺されたようだ。
これは、もう絶対に英語の勉強をやらねば。

世界で、もまれた言語・英語を、島国で
やたらと語彙が豊富となるなど独自の進化を遂げた
ガラパゴス言語・日本語を使う輩は
はたしてマスターすることができるのか。

実はバスの車中では、こうも思った。
う~ん英語の勉強は、切りよく新しい年、
来年2016年からでもいいかな。

すでに前途には、暗雲が立ちこめている。

 


本日は、いき当りばったり

2015-12-01 00:01:18 | Oyage Cruise~“道”との遭遇
~R252/只見線に沿って、大白川から小出へ~


帰りは列車を乗り継いで。
出かける前は、そんなシンプルな計画だった。

それが、なぜだか
ちょっと歩いてみようか、よし決めた、
少しだけ歩こうとなり。

しかし結果は、
ちょっとでも少しでもなく。

きっかけは1枚の駅貼りポスターだった。

ポスターを見たのは11月の連休、
学生の頃に所属していたクラブの持つ山小屋へ、
冬支度の手伝いにと出かけた際、
ところは新潟県は魚沼市、
JR只見線の大白川という駅である。

大白川は、とにかく雪が降る。
冬ともなれば、山小屋も玄関は
1階から建物の2階部分へ移動だ。

そして解けない。ひとたび積もれば、
雪が山小屋の周囲から完全に消えるのは
梅雨入りあたりとなる。

そんな厳しい自然環境にある山小屋の
最寄駅が、いわゆるローカル鉄道のひとつ
小出と会津若松を結ぶJR只見線の大白川だ。

JR只見線は、ローカル鉄道ゆえに、
常に廃線とのウワサが絶えない。ましてや
現在は、かつての集中豪雨で被った被害の
復旧のメドもたたず、途中でバスに乗換える
必要もあるなど、かなり問題も多い。
したがって存続か否かも、
極めて不透明なものとなっている。

ポスターは列車に「手をふろう」と
いうもので、只見線を応援しようなる趣旨だった。

それなら、私も微力ながらと考えた。
しかし駅のホームからでは、ポスターの構図と同じ。
これでは芸がない。
ならば、よし帰りに、沿線から手をふってみるか。

早速、調べてみた。結果、朝一番に只見から小出に
向かう列車に手をふってみることにする。
その後、バスを使って小出へと。そんな算段である。

当日は予定通りに歩く。天気も予報とは異なり
秋晴れだ。列車もやって来たが、タイミングが悪かった。
小腹が空いたので、朝ご飯の残りでつくってもらった
新米コシヒカリのおむすびを、旨いとほおばっている最中。

列車はあっという間に、通り過ぎていった。
食欲にうつつを抜かし、手はふらずじまい。
では仕方ない、帰りますか。

今度はバス停まで歩いているうちに、ふと思った。
せっかくの機会だから、小出までいってみようか。
そうしようと計画を変更。いざウォーキングである。



沿線では、車のタイヤ交換に野菜を干したりと
どこの家庭も冬の準備に大忙しだ。そして目が合うと、
かなり場違いな雰囲気で歩く姿に
皆様ニッコリ笑顔で「こんにちは」他、声をかけてくれた。

そんな笑顔とひと声に励まされたり、
途中の昔の庄屋様がお住まいだった大豪邸に
まあご立派と驚きつつ、晩秋というか初冬の
越後路を歩く。

大白川を出て6時間、15時を少し回って
小出駅に到着。駅舎の看板を見ると
作者は地元出身の大物俳優の謙さんだった。





しげしげと眺めていたら、背後から突然
「彼は小出高校出身で、私の後輩」の声。
振り返ると、いつの間にか
犬の散歩途中の方がおり、看板について
しばし説明を受けることに。

たどり着いた小出の駅からは、歩くのはおしまい。
さすがに、ここからは列車である。

今の時間なら越後湯沢あたりで温泉にでもと考えたが
聞けば小出の駅から徒歩で20分くらいの
場所にもあるという。

だったらそちらへ、いってみますか。
では前言撤回、再び歩いてまいりましょう。

それにしても今日は、いつもの山登りではあり得ない
計画性ゼロで、思いつくままに
突然&突発+予定外の動きばかりだった。

結局、行動距離は大白川から小出まで、
JR只見線の営業キロ数に合わせれば26キロ。
これに大白川から山小屋間の4キロを加え、
都合30キロ。我ながら、よく歩きましただ。

ところで温泉は、いずこに。