六根清浄、お山は晴天。 登って下って、どっこいしょ。

たまに書く、時々入力、気が向いたら、したためる。駄文満載、阪神裕平ことおやじぃ雅のアウトドア雑記帳。

メス入れて、歩行難儀の解消だ。痛そう〜

2024-10-08 15:44:31 | Graffiti~チョイとひと言
そろそろ交換、いやいやそいつは無理な注文
足の指が“壊れ”た   
  

心持ちは若かりし
自称“紅顔の美青年”状態から
変わらずで、いまだに
いい歳こいての“どたわけ”だが、
身体は実年齢相応、極めて順調に劣化し、
じぃさん化している。

これも、そのひとつか。
この夏、左足の指が悲鳴を上げた。

足の親指は内側に曲がり、
その上に外側に曲がった中指が乗っかると
いわゆる外反母趾の最終ステージというのか、
見るも無惨な状態である。

このため登山靴はおろか、所有する靴は
ほとんどが履けず、履けても歩けば
中指と靴の摩擦で、とにかく痛い。

さすがに痛み耐えられず、病院へ。

受付、検査と進み、その後は待合室にて
診察の順番を待つ。

それにしてもマイ足の指は、
どうしてこんな状態になったのか。
あらためて考えてみる。

確かに以前から、少しだけ
左足の親指は内向きだった。
でも、よく見なければ、わからない程度だ。
第一、歩行にも支障はなかった。

ひどくなり出したのは、ちょうど1年前あたり。

普段は、仕事も遊びも
服装はデニムにTシャツ&スニーカーが
基本だったが、得意先で人と会うことが
増えた。しかも相手はスーツ姿である。

そこでラフ過ぎるのもいかがなものかと、
少々スタイル変更とばかりに、
上はシャツ姿、履くのは革靴という
格好の日々が続いた。

上はともかく、下は慣れぬせいか
窮屈さは感じたが、ここは我慢だな。

これがいけなかったようだ。

しかし、そもそも、どうして
昔から足の指の向きが変形していたのか。

診察の順番はまだ来ないか。

ではもう一考と、
久方ぶりに脳みそをフル稼働させていたら、
そういえばと随分と昔の山行中に
某山小屋で出会った方との会話を思い出した。

その方は、歳の頃なら多分50代、いやそれ以上だったかも。
雰囲気は、町には住めないオールド山男然としていた。
たまたま就寝前に少しだけ話をする機会があり、
経緯は忘れたが、足の故障が話題になった。

てっきり膝か何かの話かなと思いきや、
その方の口から出た単語は、
えっ、あっと驚く外反母趾。
当時、外反母趾とは
イコール女性特有と思っていたのと、
話す方のイメージとのギャップというか
その意外性で記憶に残っていたようだ。

原因については、
確か山で重い荷物を背負う際などに
踏ん張ったからだと話をしておられたっけ。

「診察室へお入りください」。
ナースが私を呼んでいる。

いきなりだが、ここで考えタイムは
強制終了としますか。

診察室でドクターは
先の検査で撮ったレントゲンをチラ見しながら
足を触り、問診も少々。出た結論は
「これは外科的、手術で治しましょう」だった。

続いてドクター、手術に関する説明を始めた。
「手術ですが、手術当日は入院となるので、
1泊2日となり、方法は‥」。

ただ聞こえてはいるが、上の空。
気になることは、手術の内容もさることながら、
やはり外反母趾の根本的な原因だ。

そこで待合室で浮かんだ外反母趾の話を
ドクターにぶつけてみた。

「先生、ひとつ質問があります。
私、山歩きが趣味なんですが、行動中に荷物を背負うなど
踏ん張る動作が外反母趾になる原因となることは?」

ドクター、しばらく考えてから
真顔で静かにひと言。
「わかりませんね」。

おっといきなり肩透かし、
コントなら皆が一斉にこける場面だ。

ひと呼吸おいて、再びドクター喋り出す。
よかった、まだ続きがあったかである。

「靴などを履き、地面と接する部分の足の形で
理想は土踏まずがクッキリのアーチ状とされます」。

「しかしあなたの足の場合は、アーチも何もなし。
地面にべったり、甲高、幅広の扁平足」。

「この足で、長年
踏ん張る際に変な力配分で、
足に負荷をかければ、
可能性はあるかもしれませんね」。

そうですか、では私めの外反母趾の原因は、
山での行動中の無理な動作が、
積もり積もって歳とって、
じぃさんになった証拠としておこうである。

そしてドクターの話の締めは、
費用と手術の日についてだった。

手術に関する話を聞き終わり、
今度はこちらが声を発する番だ。

で、口から出たのは以下の通り。

「手術代は結構高額ですね。ただ場所が場所だけに、
今“はお足”がない状態。お金ができたら、
即きった、はったの手術をお願いします」。

我ながら上出来な切り返し。
きっと、どなたか笑うはずと
周囲の反応をうかがう。

ん、何ら変化なし。

これまた足だけに
スベってしまったようである。              

〜2024(令和6)年10月現在、まだ手術代が捻出できず。
   もっと働け、さらにがんばれじぃさんと、自らを
     鼓舞する意味も込めて一筆〜


ランラン、ゼイゼイ、うつらうつら、のちパクパク

2024-10-04 11:05:49 | Graffiti~チョイとひと言
のんびり、ぶらぶら、歩いてのはずが、嗚呼~
“アディショナルタイム”は
約100分
    

居酒屋で、つまみを注文しているのではない。
また、ここが出題されなかったら白紙かなと
試験前日の一か八かの心境でもない。

今、正真正銘、新潟にて山を駆けている。

といっても、
トレイルランに興じているわけでもない。

実は、帰りに乗る予定の
列車の時刻を勘違い。
慌てふためき、間に合うか、間に合えよと
祈る思いで駅へと一目散、急いでいる。

気がついたのが、これがまた
何とも微妙なタイミングだった。

今回の行動はピストン山行だったので、
帰り道は勝手知ったる歩いてきた道。

そのため、ここまで歩けば
駅はもう少しの距離となったところで、
まだ時間には余裕があるぞと大休止。
だあれもいない、通らない
林道の脇で、ぼんやりと過ごしていた。

たっぷり過ぎるほど休んで、腰を上げる前に、
念のためと事前に作成したコースタイムと
携帯電話の時刻と交互に見ていると、
あれれである。

いかん、しまった、これは大失態、
列車の時間を間違えていたことに気がついた。

これが大幅になら、あきらめもつく。

ところが、さっきも書いたが
現在の居場所から駅までは、
走ればもしかすると間に合いそうな微妙な距離。

列車の到着時間が、予定より少し遅れることだってある。
ここは走るかと、息せききって
予定外のダッシュとなってしまった。

しかし結果は無念、駅到着は
発車時刻を過ぎていた。当たり前だが駅に列車の姿なし。
さすがは日本の鉄道、時間には正確ですなと
感心しつつ、ここは観念で次を待つしかない。

駅に掲示された、ほぼ空白の時刻表をチェックしてみると
次の列車まで、待ち時間は約100分である。

時間つぶしに駅の近くを散策でもと考えたが、
駅の周囲はオンリー道路で、ほかには何もない。

仕方がないので、人の気配は全くなしの
駅のホームでザックを枕に大の字となり、
遅いが夜ではないので昼寝タイムかなと目を閉じてみる。

目を開くと列車がやって来るまで、あと60分。
30分くらい寝ていたようだ。

ちょいと小腹も空いてきた。

そうだ確かザックになかには
入山前、別件の用事後に予備食にでもと
購入した「サンドパン」が
残っていたことを思い出した。

昼寝に続き、今度もまた少し遅めだが、
3時のおやつ、モグモグタイムとまいりましょうか。

サンドパンとは、コッペパンにバタークリームが詰まった
やわらかい食感と甘さが特徴となる菓子パンで、
新潟のご当地パンでもある。

そんな一品を口にしながら、ふと思った。

周囲は自然がたっぷりで、
時間もどこかのんびりと進んでいるような。
おまけに静かで、変な雑音もない。

コスパ、タイパと大忙しで騒がしい都会とは、
まさに真逆の世界である。
それに太陽の光や、風の匂いや音など、
五感で感じる自然も、どこか心地よしだ。

やはり人も動物。期せずして、
自然に囲まれたローカル線の無人駅で、
都会生活で不足気味な
ビタミンN(ネイチャー)を補給できた気がする。

う~ん、この列車を待つ間は、
食べているのパンの名称はサンドではあるが、
決して「砂をかむ思い」ではない
貴重なひと時になったのかもしれないな。
 
自らのミスの招いた状況を棚に上げ、
都合のよい解釈をしながら
列車の到着を待つ。

それにしても時間がたたんな。

おいおい、つい今しがた
のんびりは素敵だてなことを
ほざいた舌の根の乾かぬうちに‥。

いやはや人の心は二転三転、
実にわがまま、困ったものである。

  

〜出かけたのは確か6月だったか。
       そんな古い話を今頃記すのだ〜

性懲りもなく、今年もこさえてみた

2024-01-01 03:46:03 | Graffiti~チョイとひと言
2024・令和6年は、この一文を胸に
“辰”人大観で、吉辰・嘉辰。
ご機嫌なる毎日を
       
それはいつのことだったか。

ある年の年末に富士山をバックに
ふと浮かんだ言葉を、よしこいつを
来る新年のモットーというか、
スローガンにしてみるかと思って以来、
この作業は不思議なことにずっと続いている。

2024(令和6)年バージョンも、山梨県で
硬めの麺で噛み応えありの
名物「吉田うどん」を食べた際の刺激が
脳に伝わったお陰で、
堂々完成、できあがった。

それが
「“辰”人大観で、吉辰・嘉辰。
 ご機嫌なる毎日を」。

「ご機嫌なる毎日を」はさておき、
他の言葉の意味はといえば
出だしの「“辰”人大観」は
「達人大観」のもじり。

意味は本来の達人大観と同様に
「道理を極めた人生の達人は、
小さなことには動じない。したがって物ごと
大局的に捉えられ、間違いなし」というもの。

自身を人生の達人と称する点は、
おこがましいというのか、身のほど知らずではあるが、
まあお許しをである。

そして吉辰・嘉辰は、
「きっしん」「かしん」と読み、
ともに「めでたい、吉日」ということ。
こちら2つは、よく結婚式のスピーチにも
使われる定番の言葉だ。

つまり
「“辰”人大観で、吉辰・嘉辰。
 ご機嫌なる毎日を」とは、
大きく俯瞰的な視点から何ごとにも対処する私は、
間違いがない、いや少ないとしましょうか。

そのため1年365日オールいい日となり、
いつでも心晴れやか、笑顔も絶えずといった
感じになるかと。

なお「ご機嫌」は、
歳を重ねてじぃさんになると、
どういうわけだか表情は
いつもしかめっつらになりがちなことへの
戒めとしても用いてみた。
                             
せっかくできたので、
最初は、思いっきり褒めちぎってみる。
ブラボー、いいねえ、素晴らしい文章など、
もちろん自分で自分をなのだが、
それでも叱られるよりは
ずっと気分はよいものだ。
   
さあて2024(令和6)年、
冷静に我が身を考えると、
気分はいくつになっても20代、
昭和時代に培われた
気合いや根性は当時のままだが
それも、年々空回り気味。

肉体も、それこそ順調に衰えている。

若かりしころのアウトドア活動では
不足気味の技術を体力でカバーしていたが
それもはるか昔のお話。

今は心身ともに
すっかりへなちょこ
じぃさんだ。

まあそれもいいでしょう。

時間に逆戻りなし、前進あるのみだ。
変にあらがってみたところで、
これは無駄であり、悪あがき。
       
ここは現実をしっかりと受け止め、
じぃさんの身体に合ったトレーニングや、
最新テクノロジーのお世話になるほか、
対処の方法を、あれやらこれこれやらと
探して、試して
会得することが大切だろう。

それでは苦心惨憺で作ったスローガンのもと、
達人、ではなかった自称達人で辰人は、
へなちょこなりにひと踏ん張り、
気になる野に山に里に、
ふらりと出かけて
はしゃいでみるとしますかなである。
     

師走のある日、 縁起もよさそうな名前の山へ

2023-01-01 01:19:48 | Graffiti~チョイとひと言
2023年は「七転」‥続くは「八起」か、まさかの「八倒」か。
漂えど沈まず。常に気分は
兎の登り坂 
       
【大曲茶屋~伽藍山~達磨山~戸田峠~
金冠山~だるま山高原レストハウス/静岡県】

ここは静岡、修善寺の奥に位置する達磨山周辺。
今日は年末恒例、富士山を拝みつつ
来る年のモットーを考えるか山行でお邪魔している。

歩けば開運、出世など幸にばったりと出会いそうな山名、
加えてルートは富士山に向かって歩くので、
ゆくてには終始海を隔てて富士山のお姿あり。

また登山道と車道が、ほぼ並行して走っており、
少々考えごとをしながら、ぼんやり行動していても
安心度は高し。

そんな理由から選んだ次第だ。

修善寺の駅からバスに揺られ、
スタート地点である大曲茶屋にて下車、
見上げればお空は晴天、雨具の出番はまずないだろう。
風も心地よい微風といきたいところだが、実際は強過ぎで、
どえらく寒く感じるが、季節は冬であるのだから
当然といえば当然か。

ただ風が強いお陰で、富士を隠す雲はなし、
あってもすぐに通り過ぎる。よし目的の1つである
富士山ウォッチングに関してはノープロブレムだ。

では歩いて、休んで、2つ目の目的である
来年2023・卯の年のモットーでも捻り出すかである。

行動はすこぶる順調で伽藍山、古稀山といいペースで
頂を越えてゆく。もちろん途中では、景色を眺めつつも、
風を避けられる場所を選んでは大休止。
モットーのネタ探しも欠かさない。
   
しかしグッドなフレーズが、電池残量を気にしながら
愛用のタブレットでインターネットを検索しても
見つからないし、よく歩いているとナイスな
ひらめきがあるともいわれるが、それも全くなし。

そうこうしている間に達磨山まで来てしまった。
こうなったら、風の影響も少ないであろう
くだった先の戸田峠で大大、大休止。
頭をフル回転して考えてみることにする。

戸田峠に到着後、ザックを下ろして
いざ言葉探し。まずはインターネットで、
2023年の干支の卯、兎の字が
用いられている言葉を探してみる。
         
おっ、これはどうだ、さっそく見つけた言葉は
「守株待兎(しゅしゅたいと)」。
ところで意味は、いわゆる棚ボタを期待することですか。
こりゃあかん、残念ながらパスですな。

その後も、最近はつと見聞きしなくなった言葉だが
“ネットサーフィン”をしていると、
ひっかかったのは「兎の登り坂」という文句。

兎は後足が長いので坂を登るのは得意、
転じて持ち前の力を発揮できて、ものごとが
順調に進むなる意味とあった。
よしこれ、いただきである。

しかし、兎の登り坂だけでは少々寂しい。

引き続き、あれこれ言葉を探していると
出くわしたのが「漂えど沈まず」。

こちらはおフランスはパリ市の標語で、
元々はセーヌ川の船乗り組合のものだったらしい。
意味は読んでの通り。

これも悪くない。しからば、こいつを加えて。
山で川がルーツの標語というのも何だが、
まあいいでしょう。

その後も一考、再考の末にできた言葉が
「漂えど沈まず。常に気分は兎の登り坂」。

2022(令和4)年は、毎日が崖っぷち、
土俵際、タイトロープといった形容が
似合うことの連続。まさに1年という時間の中を
さまよい、漂った。が、どうにか沈むことは免れ、
今日も山を歩いている。

そして迎える2023(令和5)卯の1年、
さあ今度は兎の登り坂モードだ。

ちょいと自らを振り返ることや、
へこたれるな、前を向いて、元気を出してと
自らを鼓舞する感じもあり、
はいモットーは、これに決まり。

かなり時間を費やしたかいあって、
出来もまずまず、としておこう。

これにて2つめの目的も完了である。

だったら締めは、年賀の1枚でも。
実はザックの中には、兎の耳の形をした
被り物も忍ばせてある。
それでは富士山バックに撮影でもして
帰りましょうか。

よっこいしょういち、昭和のギャグも軽やかに
ようやく腰を上げ行動再開、
じぃさん山の頂をめざして歩き出す。
             
【ここでお詫び】
その後、金冠山頂にて撮影にと
装着した兎の被り物は、
着けたと同時に強風にあおられ、
どこぞやへ。探してはみたものの
発見にはいたらず。よって回収はできずで、
山にゴミを放置してしまうことに。

今後、山へ出かけた際は、
訪れた時より美しくと、ちょびっとだけ
ゴミ拾いもルーチンワークとして
加えますので、どうか山の神様、ご勘弁を。

【さらに蛇足の追伸】
それでも撮影は、被り物のパッケージにあった
イラスト他でつつがなく。ハイポーズで
どうにか撮ることができました。
   


さぁて新年も、カラ元気全開。ひと暴れとまいりますか

2022-01-01 00:23:30 | Graffiti~チョイとひと言
しぶとく、くじけず、へこたれず、じぃさんパワー炸裂。
虎口しのぎて、千里往還


「うちは貧しいから、サンタさんは来ないのよ」と
子どもには禁句的な軽口も
じぃさんになら問題なしかな。

何とも自嘲気味なひと言も頭に浮かぶ
クリスマスイブを控えた12月23日に
ちょいと山へと出かけてみた。

目的は2つで、一番は気分転換。
そしてもうひとつは最近ご無沙汰だった
自身用・新年のスローガンを山に登って
ああでもなく、こうでもないと捻り出すことである。

仕事に関しては、
引き続きのやれやれ状態ではあるが
原因となった疫病ショックも、
次なる2022年で3年目。

過去の事例を紐解けば、疫病ショックが
収束&終息となるまでに
要する時間は3年とされている。

だったら、そろそろお開きの時。
来年はと期待をしつつ、
富嶽をバックにしばし沈思黙考だ。

しかし今回も、毎度のことながら
何も出てこない。

それでも、乾いた雑巾をしぼるがごとく
さらに考えてみる。

それでもだめ、頭がフリーズしそうだ。
そんなギブアップ寸前状態に
突然今年何度となく使ったフレーズを
思い出した。

それが今年の暮らしぶりはと
問われた際に決まって口にしていた
「糊口をしのぐ」。

ん、この糊口の「糊」の読みは、
干支のでもある寅「虎」と同じ「こ」。

しからば、これを使って「虎口」。

ところで虎口何ぞという言葉はあるのかと
愛用のタブレットを使って調べてみると。

あるじゃないですか、
意味は「危険な場所や状態」。
ではそんな場所・状況を乗り越えて進めで、
「虎口をしのぎて」。おっ、いいじゃありませんか。

でもこれだけでは寂しいので、ちょい足しといきたい。
再び、今度もタブレットのご厄介になり
虎に関する言葉を探してみると、グッドな文句を発見した。

それが「虎は千里行って千里帰る」。

意味は虎は1日千里を往復する。転じて勢いが盛んの意。
よしこれをくっつけて、
「虎口しのぎて、千里往還」
おうおう出来た、堂々の完成である。

  

ということで
来たる2022・寅年は
しゃしゃりでること、しがみつくことは
持ってほかで、謙虚さを忘れずに。

かといって、決して足踏み、後退状態ではなく
常に新しいことには否定も、無視も知ったかぶりも厳禁。
興味あること、気になることは
ダメでもともとと挑んでみて、
自分なりの手応えをつかんでみる。

という年となるように、
仕事ほかあれこれ、さまざまな分野で
頑張ってみましょかね。

よし、そうしよう。などと来たる年への
思いにひったておりましたら、
あらまあ、えらいこっちゃ、こんな時間と
予定外、どえらく長い大休止となってしまった。

大慌てで、そこらじゅうに広げた装備を
ザックに詰め込み、パッキング終了。

でもまあ大丈夫か、ゴールは千里の先ではなく
せいぜい二里。何とかなる行程だ。

では来年のスローガンの前哨戦とばかりに、
ガォ~と元気よく、予定の下山コースを
少々バタバタ加減で下りましょうか。