山の別荘地に行くのは四半世紀ぶりだった。
電車で空港とは逆方面へ行くのも遠い昔以来だった。
小樽駅から倶知安方面へ2両しかない電車は、低速でガタゴト走る。北風まじりの小雨は冷たくて紅葉の先端をロマンチックに光らせた。薄く黄砂がへばりついた車窓外側には、大きくふくらんだ雨粒と内側には、結露粒。ガラスを挟んで同じリズムで揺れたり垂れ落ちたりしている。
林檎や葡萄で有名なフルーツ街道は仁木まで続くね。1世紀以上前から続いている果樹園が線路直近まで営まれていて、その頃の原風景からそれずにいるのだろうか。明治16年開拓使から配布されたりんごの苗木は1817年にアメリカで発見された古い品種だと言う。ホームに横倒しに曲がった林檎の木が見えた。姫林檎と紅玉の間くらいの 粉を吹いた赤いあかい丸いまるい林檎。細い枝先にしがみついたり、落ちるというよりこぼれたイメージで幹の殆どが林檎で埋まってるんだ。一本だけの駅の林檎の木。寒色系の赤が幻のように可愛くて、冷たいんだ。開かずの車窓から、あの清潔で美しい林檎の芳香をくっきりと思い浮かべる。15分間隔くらいでこの電車が往来するのなら、降りたかったねぇ。
車外は一年で最も寒い。ぱらぱらと降り続く雨が多湿を呼んで踵や耳が冷え切る。風邪をひいたらつまらないから、私は内側から開かずの車窓にへばりつく。
向こうの向こうの山の手前まで黄色茶色赤黒緑・・・時折それに小さな四角い青のトタン屋根が混じる。荒々しい無垢の自然美よりも「秋」だ。小さな駅にも電車は止まる。ぁぁ、駅の電信柱は「木」だった。一車両に6つある扉は前方車両1箇所だけの開閉だった。
仁木町を過ぎると何駅か後、鉄道林の中を電車は走った。くねった川や濡れた落ち葉溜まり、真っ赤に紅葉した蔓草に先端まで絡まれたドイツトウヒの一軍が飾り立てのクリスマスツリーみたいだった。この蔓草は風に乗ってターゲットに触手のような先っぽを絡めることから確か「泥棒」って言ってた。鮮やかな赤なのよ。どうしてそんな色になる必要があるのだろうか?
所々に群生する白樺の肌が光沢を帯びて妖艶に見えるし、スギは最も向こう側に堂々とまっすぐ高くたかく等間隔に居る。関東のクレスト系の街路樹がお行儀のいい羊だとすると、ここのスギは立派な角を持つエゾシカの群れだ。鉄道林は絶妙に間引かれて丸太が黒く四角く積み上げられているの。晩秋に全力で花をつける野草越しに見えて、数える間もなく見えなくなる。それほど近い交々。(おお、この雨がもし雪だったら、私の電車はここで止まってしまうかもしれないや)
飛び込んでくる一瞬の北の秋を手繰りきれず、目が回ってきた。
しばし目を閉じて鉄道のガタゴト音にドキドキを合わせる。内には、出面さんの打ち合わせをしているお婆さん二人、学生風二人、新幹線がらみの地質調査員風一人、暖かな毛糸の帽子を被ったお爺さんの単体が三。少し劣化したビニールと塩素が混じった匂いがした。
きっと窓の向こうは、発酵した針葉や冬眠するのをやめたエゾリス君たちが集めたドングリや松毬や 来春に芽を出してみたいからたっぷりの落葉に紛れた鬼胡桃のあの青臭くてオイリーな香・・・そして何十年も食べていない落葉キノコのお味噌汁の大根おろしをお箸で崩して啜る時の・・・ほのほのと遠い遠い漆の匂い・・・穏やかなふっくらとした山の山の小川と森と鉄道と・・・
目を開いたら、貸切電車になっていた。。。
車外風景からも(人)の気配が消えて、靄かかる森に殆ど飲み込まれたような不安を覚える。トンネルは狭い穴だった。
・・・終着駅のアナウンスが流れ、ポロンポロンと建物が見えた。停車と同時に私は電車扉の開閉ボタンを押して、ホームに飛び出た。久しぶりに、ボタンを押してご機嫌さ。ホーム階段に書かれた矢印は、とても大きく愉快なペンキ描き。私は、その矢印を踏みながら階段を登り階段を降りた。マスクを二重にしていても、スッーと息がし易くて肺が軽くなっていく。
(キツネとネコのような)僕らは、会うことできた。
ふたつとして無い秋の木曜日。
電車で空港とは逆方面へ行くのも遠い昔以来だった。
小樽駅から倶知安方面へ2両しかない電車は、低速でガタゴト走る。北風まじりの小雨は冷たくて紅葉の先端をロマンチックに光らせた。薄く黄砂がへばりついた車窓外側には、大きくふくらんだ雨粒と内側には、結露粒。ガラスを挟んで同じリズムで揺れたり垂れ落ちたりしている。
林檎や葡萄で有名なフルーツ街道は仁木まで続くね。1世紀以上前から続いている果樹園が線路直近まで営まれていて、その頃の原風景からそれずにいるのだろうか。明治16年開拓使から配布されたりんごの苗木は1817年にアメリカで発見された古い品種だと言う。ホームに横倒しに曲がった林檎の木が見えた。姫林檎と紅玉の間くらいの 粉を吹いた赤いあかい丸いまるい林檎。細い枝先にしがみついたり、落ちるというよりこぼれたイメージで幹の殆どが林檎で埋まってるんだ。一本だけの駅の林檎の木。寒色系の赤が幻のように可愛くて、冷たいんだ。開かずの車窓から、あの清潔で美しい林檎の芳香をくっきりと思い浮かべる。15分間隔くらいでこの電車が往来するのなら、降りたかったねぇ。
車外は一年で最も寒い。ぱらぱらと降り続く雨が多湿を呼んで踵や耳が冷え切る。風邪をひいたらつまらないから、私は内側から開かずの車窓にへばりつく。
向こうの向こうの山の手前まで黄色茶色赤黒緑・・・時折それに小さな四角い青のトタン屋根が混じる。荒々しい無垢の自然美よりも「秋」だ。小さな駅にも電車は止まる。ぁぁ、駅の電信柱は「木」だった。一車両に6つある扉は前方車両1箇所だけの開閉だった。
仁木町を過ぎると何駅か後、鉄道林の中を電車は走った。くねった川や濡れた落ち葉溜まり、真っ赤に紅葉した蔓草に先端まで絡まれたドイツトウヒの一軍が飾り立てのクリスマスツリーみたいだった。この蔓草は風に乗ってターゲットに触手のような先っぽを絡めることから確か「泥棒」って言ってた。鮮やかな赤なのよ。どうしてそんな色になる必要があるのだろうか?
所々に群生する白樺の肌が光沢を帯びて妖艶に見えるし、スギは最も向こう側に堂々とまっすぐ高くたかく等間隔に居る。関東のクレスト系の街路樹がお行儀のいい羊だとすると、ここのスギは立派な角を持つエゾシカの群れだ。鉄道林は絶妙に間引かれて丸太が黒く四角く積み上げられているの。晩秋に全力で花をつける野草越しに見えて、数える間もなく見えなくなる。それほど近い交々。(おお、この雨がもし雪だったら、私の電車はここで止まってしまうかもしれないや)
飛び込んでくる一瞬の北の秋を手繰りきれず、目が回ってきた。
しばし目を閉じて鉄道のガタゴト音にドキドキを合わせる。内には、出面さんの打ち合わせをしているお婆さん二人、学生風二人、新幹線がらみの地質調査員風一人、暖かな毛糸の帽子を被ったお爺さんの単体が三。少し劣化したビニールと塩素が混じった匂いがした。
きっと窓の向こうは、発酵した針葉や冬眠するのをやめたエゾリス君たちが集めたドングリや松毬や 来春に芽を出してみたいからたっぷりの落葉に紛れた鬼胡桃のあの青臭くてオイリーな香・・・そして何十年も食べていない落葉キノコのお味噌汁の大根おろしをお箸で崩して啜る時の・・・ほのほのと遠い遠い漆の匂い・・・穏やかなふっくらとした山の山の小川と森と鉄道と・・・
目を開いたら、貸切電車になっていた。。。
車外風景からも(人)の気配が消えて、靄かかる森に殆ど飲み込まれたような不安を覚える。トンネルは狭い穴だった。
・・・終着駅のアナウンスが流れ、ポロンポロンと建物が見えた。停車と同時に私は電車扉の開閉ボタンを押して、ホームに飛び出た。久しぶりに、ボタンを押してご機嫌さ。ホーム階段に書かれた矢印は、とても大きく愉快なペンキ描き。私は、その矢印を踏みながら階段を登り階段を降りた。マスクを二重にしていても、スッーと息がし易くて肺が軽くなっていく。
(キツネとネコのような)僕らは、会うことできた。
ふたつとして無い秋の木曜日。
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