miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

とても難しい?こと

2022-07-21 16:21:59 | エッセイ
色々説明すると物凄く長くなり、それをすることが私個人の精神衛生上よいとは思えない。
けれど…書かずにはいられないことがある。
どんなに説明不足でも 希望が見えなくても…

………………………

カトリックと死者とか・・・

そもそもは、カトリックのドクマ(教理)においては、本来は死者は神に委ねられている。これは1962年〜の第二バチカン公会議でも確かめられたことである。生者の「天国に行きますように・或いは一刻も早く煉獄の苦しみから救って下さい。生者の祈りを聴きたまえ・・・」という土着?の信仰から「墓」があり、主にドイツのしきたりから普遍的信仰?の元に各国各地の土着信仰に基づいて解放されている箇所だと、私は理解していた。(ちなみに、ドイツでは未だ政府管轄のキリスト教税が、クリスチャンによって納税されている。聖職者による長年の性的虐待について聖座がモニャモニャしているうちに、特に子どもを育てている世代の信者が教会籍を抜いているそうだ。)

さて、日本において超高齢化と司祭職の不足によりカトリック各小教区における「墓地委員会」の活動が詰まって来た感じがしたのは、10年以上前からだ。鎌倉の『雪の下』には、信者から土地を寄付された素晴らしいカトリック墓地があるが、それは札幌教区管轄の墓地の歴史には及ばない。カトリック墓地は、私にとって第三の家のようなものだ。安らぎの根底には、墓石に表される名前があり、10基に一つは、私と同じテレジアかテレサが彫られているの。それがここ5年くらいの間に弄るしく荒れてきた。超高齢者か、墓参マナーがわからない人なのか、お花を回収しない(カトリック的に献花といえるのか、私には解らない)花台には腐った花が臭いを発し、雨水がトロッと粘度をまし・・・北海道のように雪の降らない墓地は、枯葉や蜜柑のクズや伸びすぎた竹や諸々の汚れでいっぱいだ。5段くらいに整備されている頂上には、マリア像があり昔の「めでたし聖籠満ち見てる・・・」から始まる文語体の聖母マリアへの祷碑文があり、像の足元には泉(ちょっとルルドを模して)っぽい池を作り、水を溜めていた。その池はボコボコと汚い雑巾のような臭いをして緑に濁り15㎝から18㎝ほどのオレンジと白が混じったような溶岩っぽい石が一個も見えない状態だったけれど、墓守が居た。多分60歳を超えている、悲しげな目のハーフ(アジアン×コーソカイド)のおじさんが掃いたり拭いたり、とてもマメに働いてくれていたんだ。
彼は、死んでしまったのか? 彼が居なくなってから、草木のゴミは何袋も溜まり,墓石の花は黴が生えドロトロに腐る。母の住所にも、何度か悲鳴をあげた墓地委員会から手紙が来ていた。

慈しめない墓地に、お墓を建てるべきではない。

娘は、雨の中墓石を掃除して祖父の名前を腐ったタワシでこする。
蒸した墓地に、スコールが降る。
こすった名前が、白くくっきりと浮かんだ。
彼女は、祖父の名前だけをこすって・・・終わった。

日本の墓地のいわゆるマナーを・・・守ってほしい。
「墓地」を建てたなら、雪の下教会からは車で5分のこの墓地を・・・きれいに清潔にしてほしい。全てを覆う「雪」が降らない土地なのだから。そして、墓地を持ってる誰もから羨ましがられる立地なのだから・・・ねぇ。

コロナ元年から、小樽の家の近所の仏教墓地や神社の 清潔を保つ祷に魅せられる。こんな年こそ日本人は祈り、鳥居の塗り替えをし、花を育てる。そんな中、粗末にされた日本の一等地が悲しく侘しかった。

そして、日常のルーティンを全てこなす母は・・・昔の昔からお墓参りに興味がなく・・・私は、まるごと、本当に諦めるしかないのだろう。。。

「永久にしろしめしたもう、全能の天主
数々のおんめぐみを感謝したてまつる
願わくば、死せる信者の霊魂
天主の御あわれみにより
安らかに憩わんことを アーメン」

小樽に居ると、近道に仏教のお墓の中を歩くことがある。その時に必ず、なんとなく口ずさむ祈りがある。

これは、食後の古いお祈りだ。

お祈りの言葉(ラテン語をやめたカトリックは、文語だったり口語だったり、果ては翻訳を変えたりさ💦)は、母の子供④にも孫にも引き継がれず、引き継ぎようがない。でも、私は、好きな祈りなんだ。

慈しめない墓地に、今お墓を建てるべきではない。

充分な年金を貰って今回の選挙に投票した母達(家の仏教から改宗した一世)は、祈る以上に考える責任があると思う。

日本で酷い暗殺が起こった。犯人は、母親を信じたい2世だった。はっきり言って、2世には信仰の自由はない。信じ方の自由もない。
カトリックにも、カルトがあり、全財産寄付するネオカテクメナートも認められている。そして、ネオは青年の集い(カトリックユースデー)を取り仕切り、そのカルトで集団見合いを決行し、●一協会のように叙階なしで家族宣教をしている。グアムの日系のホテルは、彼らが買い上げて拠点の一つにしている。買い上げられるだけの予算は、全財産を寄付する新参信者の姿勢があるからだ。

残念なことに・・・寄付額は数字として、評価され、ごく一部の上納金のようなものは、貧しい人々に振り分けられている・・・と、せめて信じたい。

バチカン銀行が執行停止に陥ったのは、マネーロンダリングに加担していたからだ。それ以外にもクレージーだったのだろうけど。改革を仰せつかった司教様は、改革途上で本人の希望を無視してアメリカに飛ばされそこから司祭の性的虐待裁判のスッタモンダの渦中に投入されて、諸諸についてパパ様に抗議文を送っている。辛かっただろう、辛いだろうと、感じる。

遠い遠い距離の話は・・・私にはとても近いことだけれど、考えないように決めなきゃならない。
せめて・・・彼らが「寄付」によって確保した墓地が・・・大切にされているように見せてほしい。安らかなることとは、そういう事だと思うんだ。

そして、それだっけを守れば・・・戦争が70年以上ない日本なら続くような気がする。
雰囲気のことだけれどね・・・

頂上のマリア像は、黴と苔に覆われて、彫り込まれた瞼は陰を増しギクっとするほどウツロだ
足元の池に水は無く、ゴロゴロと選ばれし石に雨がはねる
束子で洗おうにも 黒雲濃くなり山の豪雨が来た
何段の墓地の頂上から ずぶ濡れになりながら門付近まで降りる
門付近には、納骨堂と言われている空かずの倉庫がある
朽ちた隙間から覗くと…なにひとつ装飾なく名前もなく壁一面に蓋つきの納骨棚が見えた
その建物を作った時、100は確実に数えられる棚がすぐに埋まったという………
扉を挟んで、少なくとも屋内には
枯葉も黴も見当たらなかった
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