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text:Clara Yoshiko Y.1987年 りつ子の「思い出ノート」から
-おにさん だいすき-
お母さんが、今日の郵便や、新聞を整理していました。
「りこちゃん、お願いね」
「はいはい!」
りつ子は、時折間違って配達される、上の道路のもっと上の佐川さんのお手紙を、届けてあげる役目もしていました。上の佐川さんでは、可愛い男の子がお手紙を持って来てくれていました。
佐川さんの小路を出ると向かいが高沢さんの家です。黒いがっしりした塀に囲まれた少し古い感じの家で、門から玄関までの間は、四角い石が形よく並べられており、片側に立派な松の木があって、いつも青々と手入れが行き届き、きれいでした。
佐川さんに手紙を届けたりつ子は、シーンと静まり返っている高沢さんの家の前を通ると、去年のことを思い出しました。
……………
雪のすっかり融けた五月の日曜日、ポカポカと気持ちよい日差しにさそわれて家から飛び出した子供達は、いつの間にか、あちこちで縄跳びや、石けり、かくれんぼなどをしておりました。
りつ子は、上のお姉さんにもらった大きな石筆で、何とかベッティさん(*1)の顔をうまく書こうと頑張っていました。目もいいし、顔の形もいいのだけれど、髪の形がうまく描けません。三つも四つも描いて、それでもうまくゆかず、ため息をついていたら、坂の下から角帽に詰襟の学生服を着た、背の高い素敵なお兄さんが上がって来ました。にこにこしながら、りつ子に近づいて、黙ってりつ子の石筆をとり、するすると、たちまち完全だと思われる様なベッティさんを描いてしまったのです。目も生き生きしています。髪など、風に吹かれているみたいに形がいいのです。
びっくりしているりつ子の手に、大学生のお兄さんは、やさしく石筆を返しながら
「りつ子ちゃんも、うまいよ」
と、言って大股に坂を上って行きました。
固く引きしまった黒い土の道路に、くっきりと描かれたお兄さんのベッティさんは、いたずらっぽく、とても可愛い。そして何か上品な雰囲気がありました。
このお兄さんが、高沢さんの家の人でした。
りつ子は、走って家に帰り、二番目のお姉さんに知らせ、年がすぐ上のミキちゃんを呼び、三人で、
「すごい、すごい!」
と、言いながら、ベッティさんを眺めました。
絵の上手な二番目のお姉さんは、黙ってしゃがんだかと思うと、りつ子の石筆で、そのベッティさんの隣にう、もう一人のベッティさんを描きました。横向きです。まるでお兄さんのベッティさんとお話をしている様な楽しいお顔です。ポチッとつけた鼻が、ふっくらしているほっぺたを目立たせ、何とも言えない可愛らしさです。ベッティさんの横向きは見た事がないから、お姉さんが考え出した描き方です。正面しか見ていないのに、横向きが描けるお姉さんは、何てすばらしいのでしょう。りつ子は、すっかり感心してしまいました。〈わたしも女学校に入ったら上手になるかしら〉と胸が熱くなりました。
いつの間にか三人は、りつ子の石筆を割って描きはじめ、かなり広い道路を、すっかりベッティさんだらけにしてしまいました。けれど、やはり高沢さんのお兄さんの描いたベッティさんは最高でした。
りつ子は、お姉さん達に、あのお兄さんがりつ子の名前を知っていた事は言いませんでした。静かにしていると、
「りつ子ちゃんもうまいよ」
と、言ってくれたお兄さんの顔が見え、声が聞こえてきます。その度にりつ子は、うれしくて心がはずみました。そして、お母さんがよく言っている〈素直な子〉っていうのは、いつもこんな気分の子供なのではないかと思いました。何でも
「いや」と、言いたくないのです。
しばらくして、佐川さんのお手紙を届ける用事が出来ました。りつ子は、その帰りに、高沢さんの門の前のコンクリートに、
おにいさん だいすき
と、石筆で小さく書きました。
書いたら、急に恥ずかしくなって逃げたけれど、〈お兄さんが、きっと見てくれる。〉と、それだけを考えようと思いました。
次の日の午後は雨。外に出られないので、海の見える縁側で、ミキちゃんと、縄跳びやゴムとびをして遊んでいました。
「あのね、ミキちゃん、わたし高沢さんのお兄さんと結婚…」
りつ子の言葉が終わらない内に、縄跳びの数も終わらないのに、ミキちゃんは、パシッと音を立てて止めて、
「リコ、今、なんて言ったの」
と大真面目になりました。りつ子は、
「わたしね、高沢さんのお兄さんと結婚するから。大好きなの」
と、言いました。
「えーっ、わたしが結婚するのに。わたしは、お兄さんと仲良しなの。算数教えてもらったり、この間なんか、五目並べしてきたの。リコちゃんは、高沢さんの家に入った事ないでしょ?結婚するのは、わたしなの!」
「わたしが結婚するの!」
「りつ子のバカ、わたしが結婚するんだ!」
とうとう二人は、すごい喧嘩になりました。ミキちゃんは叩こうとしたりつ子の手を払って突き飛ばしました。よろけたりつ子は、足も滑って、縁側の敷居に頭をぶつけて、
「ワァーン!ワァーン!。」
くやしさも手伝って、大声で泣きました。りつ子の声があまり大きいので、お母さんが、
「大丈夫?」
と茶の間から、急いで来ました。
「だって、ミキちゃんが、高沢さんのお兄さんと結婚するって言うんだもの」
「あんたはダメ、わたしなの!」
ミキちゃんは、すごい顔をして立っています。お母さんは、そんなことどうでも良いみたいに、りつ子の髪を手でかき分けて、血が出ていないか、痛いところは、どの辺りかを確かめました。
「喧嘩は、もうやめなさい。外は雨だし、仲良くしなさい。二人でお嫁さんに行くって?困ったねえ、お兄さんは一人たしね!」
お母さんは、ケロッとして、こんな事を言います。りつ子は、お母さんが、--じゃんけんやしなさい--と言ったら、絶対いやだと言おうと思いました。お母さんは、フフ…と笑いながら、
「二人とも、きれいなお姉さんになった頃、お兄さんは、おじさんになっているのよ。子供は、一生懸命、子供をやりなさい。それが一番!」
お母さんの言葉は、決して味方ではありませんでした。--子供をやりなさいって--って?…、りつ子とミキちゃんは、思わず顔を見合わせそうになり、あわてて目を外らしました。
その週の土曜日、りつ子はう、やっと走りながらの縄跳びが出来るようになったので、高沢さんの家の前を通り、三角山の入口で引き返しました。だんだん足の運びと縄跳びが上手く合うようになって、うれしくてなりません。縄跳びをあやつりながら船見坂を下りて行くと、高沢さんのお兄さんが、鉄道橋を渡って上がって来ました。
一人ではありませんでした。
ふわふわのピンクのショールを肩にかけ、黒い髪を後ろで束ねた美しい人と一緒でした。二人は、言葉少なに話しながら、しかし、とても楽しそうです。
「高沢さんのお兄さん!」と、声を掛けようとしたけれど、声にならなかったし、まわりに何があっても気付かない様子なのでやめました。
りつ子の前を通り、後ろも振り返らずに、ゆっくりゆっくり
上がって行ったお兄さんは、丸井さん*2のショーウインドーに飾られているマネキンの様に、違った感じでした。
---お兄さんは、あの人と結婚する---]
誰も教えてくれたわけではないのに、りつ子には解りました。
ミキちゃんがおばあさんと市場から帰ってきたので教えてあげたら、あまりびっくりもせず、
「そうなの」
と、あっさりしていましたが、---そのお姉さんを見に行く---と言って、おばあさんに叱られました。
夕ご飯の時、お母さんが、
「高沢さんのお兄さんは、こちらで結婚式を挙げたら、神戸ですって。仕事も決まったそうよ」と、お父さんに話しました。又
「素敵な人だったから、がっかりする人がたくさんいるでしょうね」
お母さんは、チラチラ子供達に目を移しながら言いました。ミキちゃんは、りつ子をにらみました。りつ子は、ミキちゃんが少しかわいそうになりました。ミキちゃんは、
「お兄さんが大好きだった小さい子供もいるよ。高沢さんの門の前に、'おにさん
だいすき'って書いてあったの。あれはきっと、''おにいさん だいすき''って書いたつもりじゃないかな…」
「えっ、''おにさん だいすき''だった?」
びっくりしてあわてたりつ子は、思わず声に出してしまいました。ミキちゃんは、
「ひゃっ、やっぱりリコちゃんかぁ!何よ、1年生のくせに、あんな間違いして…」
夕ご飯のテーブルは、皆、口々に
「おにさん だいすき」
「おにさん だいすき」
と、言って笑い、すっかりさわがしくなってしまいました。今度は、りつ子がミキちゃんをにらみました。
それにしても、何という失敗でしょう。くやしいのと恥ずかしいのとで、顔が真っ赤になりどうして良いか分からないのに、なぜかおかしくて、笑いがこみ上げて来るのです。
とうとうふたりは、バクハツしました。お茶碗もお箸もテーブルに置いて、涙が出るほど笑いました。''おにさん だいすき''だって。
桜も散り、花々が次々と夏に向かう頃、二番目のお姉さんが時々じっとしているのに気がつきました。
机の上に広げてられているスケッチブックには、ヴィーナスにまじって、顔のない角帽の大学生が描いてありました。別のページには、ベッティさんの落書きもあり、その中に、やはり横向きのがありました。
りつ子は、二番目のお姉さんが描いた横向きのベッティの意味が解りました。
ミキちゃんにも言わない、お母さんにも言わない。ひみつのひみつ。二番目のお姉さんは、高沢さんのお兄さんを好きだったのです。
''おにさん だいすき''を、高沢さんのお兄さんが見て、--りつ子ちゃんだな--、と思ってくれた方が良かったか、思わないでくれた方が良かったか、今のりつ子には、わからなくなっています。でも神戸にいるお兄さんが、お父さんやお母さんのいる北海道を思った時、小樽を思った時、その心の絵の中に、〈わたしがどんなに小さくてもいいから描かれていればいいな!〉と思いながら、りつ子は帰り道を急ぎました。
-おにさん だいすき-
お母さんが、今日の郵便や、新聞を整理していました。
「りこちゃん、お願いね」
「はいはい!」
りつ子は、時折間違って配達される、上の道路のもっと上の佐川さんのお手紙を、届けてあげる役目もしていました。上の佐川さんでは、可愛い男の子がお手紙を持って来てくれていました。
佐川さんの小路を出ると向かいが高沢さんの家です。黒いがっしりした塀に囲まれた少し古い感じの家で、門から玄関までの間は、四角い石が形よく並べられており、片側に立派な松の木があって、いつも青々と手入れが行き届き、きれいでした。
佐川さんに手紙を届けたりつ子は、シーンと静まり返っている高沢さんの家の前を通ると、去年のことを思い出しました。
……………
雪のすっかり融けた五月の日曜日、ポカポカと気持ちよい日差しにさそわれて家から飛び出した子供達は、いつの間にか、あちこちで縄跳びや、石けり、かくれんぼなどをしておりました。
りつ子は、上のお姉さんにもらった大きな石筆で、何とかベッティさん(*1)の顔をうまく書こうと頑張っていました。目もいいし、顔の形もいいのだけれど、髪の形がうまく描けません。三つも四つも描いて、それでもうまくゆかず、ため息をついていたら、坂の下から角帽に詰襟の学生服を着た、背の高い素敵なお兄さんが上がって来ました。にこにこしながら、りつ子に近づいて、黙ってりつ子の石筆をとり、するすると、たちまち完全だと思われる様なベッティさんを描いてしまったのです。目も生き生きしています。髪など、風に吹かれているみたいに形がいいのです。
びっくりしているりつ子の手に、大学生のお兄さんは、やさしく石筆を返しながら
「りつ子ちゃんも、うまいよ」
と、言って大股に坂を上って行きました。
固く引きしまった黒い土の道路に、くっきりと描かれたお兄さんのベッティさんは、いたずらっぽく、とても可愛い。そして何か上品な雰囲気がありました。
このお兄さんが、高沢さんの家の人でした。
りつ子は、走って家に帰り、二番目のお姉さんに知らせ、年がすぐ上のミキちゃんを呼び、三人で、
「すごい、すごい!」
と、言いながら、ベッティさんを眺めました。
絵の上手な二番目のお姉さんは、黙ってしゃがんだかと思うと、りつ子の石筆で、そのベッティさんの隣にう、もう一人のベッティさんを描きました。横向きです。まるでお兄さんのベッティさんとお話をしている様な楽しいお顔です。ポチッとつけた鼻が、ふっくらしているほっぺたを目立たせ、何とも言えない可愛らしさです。ベッティさんの横向きは見た事がないから、お姉さんが考え出した描き方です。正面しか見ていないのに、横向きが描けるお姉さんは、何てすばらしいのでしょう。りつ子は、すっかり感心してしまいました。〈わたしも女学校に入ったら上手になるかしら〉と胸が熱くなりました。
いつの間にか三人は、りつ子の石筆を割って描きはじめ、かなり広い道路を、すっかりベッティさんだらけにしてしまいました。けれど、やはり高沢さんのお兄さんの描いたベッティさんは最高でした。
りつ子は、お姉さん達に、あのお兄さんがりつ子の名前を知っていた事は言いませんでした。静かにしていると、
「りつ子ちゃんもうまいよ」
と、言ってくれたお兄さんの顔が見え、声が聞こえてきます。その度にりつ子は、うれしくて心がはずみました。そして、お母さんがよく言っている〈素直な子〉っていうのは、いつもこんな気分の子供なのではないかと思いました。何でも
「いや」と、言いたくないのです。
しばらくして、佐川さんのお手紙を届ける用事が出来ました。りつ子は、その帰りに、高沢さんの門の前のコンクリートに、
おにいさん だいすき
と、石筆で小さく書きました。
書いたら、急に恥ずかしくなって逃げたけれど、〈お兄さんが、きっと見てくれる。〉と、それだけを考えようと思いました。
次の日の午後は雨。外に出られないので、海の見える縁側で、ミキちゃんと、縄跳びやゴムとびをして遊んでいました。
「あのね、ミキちゃん、わたし高沢さんのお兄さんと結婚…」
りつ子の言葉が終わらない内に、縄跳びの数も終わらないのに、ミキちゃんは、パシッと音を立てて止めて、
「リコ、今、なんて言ったの」
と大真面目になりました。りつ子は、
「わたしね、高沢さんのお兄さんと結婚するから。大好きなの」
と、言いました。
「えーっ、わたしが結婚するのに。わたしは、お兄さんと仲良しなの。算数教えてもらったり、この間なんか、五目並べしてきたの。リコちゃんは、高沢さんの家に入った事ないでしょ?結婚するのは、わたしなの!」
「わたしが結婚するの!」
「りつ子のバカ、わたしが結婚するんだ!」
とうとう二人は、すごい喧嘩になりました。ミキちゃんは叩こうとしたりつ子の手を払って突き飛ばしました。よろけたりつ子は、足も滑って、縁側の敷居に頭をぶつけて、
「ワァーン!ワァーン!。」
くやしさも手伝って、大声で泣きました。りつ子の声があまり大きいので、お母さんが、
「大丈夫?」
と茶の間から、急いで来ました。
「だって、ミキちゃんが、高沢さんのお兄さんと結婚するって言うんだもの」
「あんたはダメ、わたしなの!」
ミキちゃんは、すごい顔をして立っています。お母さんは、そんなことどうでも良いみたいに、りつ子の髪を手でかき分けて、血が出ていないか、痛いところは、どの辺りかを確かめました。
「喧嘩は、もうやめなさい。外は雨だし、仲良くしなさい。二人でお嫁さんに行くって?困ったねえ、お兄さんは一人たしね!」
お母さんは、ケロッとして、こんな事を言います。りつ子は、お母さんが、--じゃんけんやしなさい--と言ったら、絶対いやだと言おうと思いました。お母さんは、フフ…と笑いながら、
「二人とも、きれいなお姉さんになった頃、お兄さんは、おじさんになっているのよ。子供は、一生懸命、子供をやりなさい。それが一番!」
お母さんの言葉は、決して味方ではありませんでした。--子供をやりなさいって--って?…、りつ子とミキちゃんは、思わず顔を見合わせそうになり、あわてて目を外らしました。
その週の土曜日、りつ子はう、やっと走りながらの縄跳びが出来るようになったので、高沢さんの家の前を通り、三角山の入口で引き返しました。だんだん足の運びと縄跳びが上手く合うようになって、うれしくてなりません。縄跳びをあやつりながら船見坂を下りて行くと、高沢さんのお兄さんが、鉄道橋を渡って上がって来ました。
一人ではありませんでした。
ふわふわのピンクのショールを肩にかけ、黒い髪を後ろで束ねた美しい人と一緒でした。二人は、言葉少なに話しながら、しかし、とても楽しそうです。
「高沢さんのお兄さん!」と、声を掛けようとしたけれど、声にならなかったし、まわりに何があっても気付かない様子なのでやめました。
りつ子の前を通り、後ろも振り返らずに、ゆっくりゆっくり
上がって行ったお兄さんは、丸井さん*2のショーウインドーに飾られているマネキンの様に、違った感じでした。
---お兄さんは、あの人と結婚する---]
誰も教えてくれたわけではないのに、りつ子には解りました。
ミキちゃんがおばあさんと市場から帰ってきたので教えてあげたら、あまりびっくりもせず、
「そうなの」
と、あっさりしていましたが、---そのお姉さんを見に行く---と言って、おばあさんに叱られました。
夕ご飯の時、お母さんが、
「高沢さんのお兄さんは、こちらで結婚式を挙げたら、神戸ですって。仕事も決まったそうよ」と、お父さんに話しました。又
「素敵な人だったから、がっかりする人がたくさんいるでしょうね」
お母さんは、チラチラ子供達に目を移しながら言いました。ミキちゃんは、りつ子をにらみました。りつ子は、ミキちゃんが少しかわいそうになりました。ミキちゃんは、
「お兄さんが大好きだった小さい子供もいるよ。高沢さんの門の前に、'おにさん
だいすき'って書いてあったの。あれはきっと、''おにいさん だいすき''って書いたつもりじゃないかな…」
「えっ、''おにさん だいすき''だった?」
びっくりしてあわてたりつ子は、思わず声に出してしまいました。ミキちゃんは、
「ひゃっ、やっぱりリコちゃんかぁ!何よ、1年生のくせに、あんな間違いして…」
夕ご飯のテーブルは、皆、口々に
「おにさん だいすき」
「おにさん だいすき」
と、言って笑い、すっかりさわがしくなってしまいました。今度は、りつ子がミキちゃんをにらみました。
それにしても、何という失敗でしょう。くやしいのと恥ずかしいのとで、顔が真っ赤になりどうして良いか分からないのに、なぜかおかしくて、笑いがこみ上げて来るのです。
とうとうふたりは、バクハツしました。お茶碗もお箸もテーブルに置いて、涙が出るほど笑いました。''おにさん だいすき''だって。
桜も散り、花々が次々と夏に向かう頃、二番目のお姉さんが時々じっとしているのに気がつきました。
机の上に広げてられているスケッチブックには、ヴィーナスにまじって、顔のない角帽の大学生が描いてありました。別のページには、ベッティさんの落書きもあり、その中に、やはり横向きのがありました。
りつ子は、二番目のお姉さんが描いた横向きのベッティの意味が解りました。
ミキちゃんにも言わない、お母さんにも言わない。ひみつのひみつ。二番目のお姉さんは、高沢さんのお兄さんを好きだったのです。
''おにさん だいすき''を、高沢さんのお兄さんが見て、--りつ子ちゃんだな--、と思ってくれた方が良かったか、思わないでくれた方が良かったか、今のりつ子には、わからなくなっています。でも神戸にいるお兄さんが、お父さんやお母さんのいる北海道を思った時、小樽を思った時、その心の絵の中に、〈わたしがどんなに小さくてもいいから描かれていればいいな!〉と思いながら、りつ子は帰り道を急ぎました。
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