熊野神社の盆踊り大会のやぐらに、「戦後70年平和の祈り」の看板が掛けられ、夜になると綺麗に輝いていた。
10年前や20年前にも、この様な戦後60年や50年の看板があったかどうかは定かではない。どうも無かった様な気がする。
ところで、20日で終わった盆踊りには、開催期間中に天候に恵まれたこともあり、例年にない多くの人出を記録したと、地元の主催者の一人が話していた。その数1000名を越えた。
きょうの午前中、やぐらの解体作業が神社の氏子達によって行われる。例年、盆踊り最終日直後の日曜日にすることになっている。やぐらの柱の1本1本に目印の文字が書いてあり、組み立てる時も、解体する時も、1年間保管する時も。手際良く作業が進むように配慮されている。
※ 下の写真は今朝の6時過ぎに撮影したものである。きのうの朝と同じく、霧雨が降っていた。
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終戦の日を過ぎて(1:無益な戦争 ) 2014-08-16 13:15:47 | 日記・エッセイ・コラム
日本の人口の80%以上が戦後生まれの人達になっている。自分自身も戦争時代の事は知らない。まして自分の子供達や孫は殆ど戦争の事に関心が無い。子供にはまだ生きている祖父母がいるいれば、貴重な話を聞くことが出来る。残された時間は少ない。
シベリア抑留から帰国した伯父は90歳を超えたが、夫婦で元気に農作業をしている。捕虜になった当時、所属した日本の所属部隊のまとまりが良かったことと、ソ連軍の関係した部隊の運に恵まれて酷い扱いをあまり受けなかったという。多くの抑留者が過酷な労働と飢餓で再び故郷の土を踏むことが出来ず、6万人以上命を落とした。伯父にも辛い記憶があったはずだが、あまり語りたがらない。40年以上前に内臓の大手術をしているが、20代の頃の戦場やシベリアでの生活が、少なからず影響しているものと思う。
無益な戦争を起こさないためには、アジアの周辺国である中国や韓国、北朝鮮、さらにロシアとの関係を良好に保つ以外の道は無い。一番大切なのは外交力であって、軍事力ではない。日本の政治家は、一部の声高な声に乗せられることなく、冷静に将来の日本のために行動してもらいたい。
尖閣諸島の国有化の問題は、明らかな外交上の失敗に近いものである。中国の横暴さにも目に余るものが有るが、石原慎太郎元東京都知事の中国をいたずらに刺激する言論や行動によって、その後の中国国内の暴動で失われた損失は、計り知れない。その責任を政治家として何も取ろうとしない身勝手さには呆れるばかりである。
都民の中には石原氏の支援者が沢山いるのだろう。日本の首都にそのような人たちが沢山いることが心配だが、こんな思いを抱くのは自分だけではないだろうと思う。
※ この数日のブログには、本文と無関係の写真を載せている。これらは6月末から7月初めにかけて訪れた、東尋坊や永平寺の写真である。ちなみに今日と明日は永平寺で撮影したもので、終戦の前の日のものは東尋坊である。
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