大震災から2年後、ようやく冷静に震災前後の事を書けるようなっていた。
※ 震災から2年後の記事を再掲載します。
東日本大震災から2年 2013-03-11 19:34:00
東日本大震災から2年、月日の流れは容赦なく訪れる。2年前の2011年3月9日午後、半年から1年振りに米沢で震度3程度の地震があった。翌日の高校入試の準備中の事だった。10日の入学試験が無事終了しその時は、1日遅れて入試の日に重ならず、緊張感が漂う中でもそっと胸を撫で下ろし安堵した。9日の地震は単独の地震で、まさか11日の大地震の予震とは想像できなかった。
3月11日午後2時46分、震度5強の地震がいきなり襲ってきた。揺れが3分ぐらい続いた。立っているのがやっとの状態だった。学校の渡り廊下が波打った。こんな地震は初めての経験であった。50年以上生きて来て、幾度か地震を経験した中では、1964年(昭和39年)の新潟地震が最も記憶に残る恐れを感じた地震だった。しかし、今回の地震はかつての地震をはるかに凌ぐ巨大な地震だった。高校入試の採点業務は一旦中止し、校舎の破損状況や、実習室や教室の点検確認に追われた。テレビには大津波に飲まれて行く町が撮し出されていた。その後更に追い討ちを駆けるように、東京電力福島第一原子力発電所の事故のニュースが飛び込んで来た。
その後約2週間、テレビから通常の番組が消えた。幸い米沢は停電にならなかったが、県内外で停電が発生した。また、製油所の破壊によって、ガソリンの供給が激減し、早朝から2時間並んでようやく10リットル入れられる程度だった。1ヶ月後の4月半ばになって、長時間並ばずにガソリンが入れられるようになった。高校では修了式・離任式も中止となり、4月初旬まで生徒たちは自宅待機となった。
3月上旬、積雪が1m前後ある。下の写真は自宅近くの歩道と、山形大学工学部本館。
空き室で孤立化など懸念 きのうのNHKニュースオンライン記事(2015-3-8)より
原発事故の避難区域にある双葉町の住民が避難する、福島市飯坂町平野にある88戸が入居できる仮設住宅では、多いときでおよそ70戸で住んでいましたが、今では半数以上の49戸が空き室です。
先月11日の朝、双葉町から避難していた村上幸栄さん(65)が自分の部屋から100mほど離れた仮設住宅の敷地で倒れているのを新聞配達員が見つけ、搬送された病院で死亡が確認されました。死因は凍死とみられ、仮設住宅の自治会によりますと、村上さんは前日の夜に帰り、誰にも気付かれないまま眠ってしまったとみられています。
この仮設住宅では、それぞれの部屋に異常を周囲に知らせるためのランプが設置されていますが、空き室が増えたことで、広い敷地に住民が点在することになり、お互いの異常に気が付くのが難しくなっているということです。
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