軽井沢のいろいろ~♪ 軽井沢で静かに暮らす 深山のイノシシ があれこれ見たこと聞いたこと

軽井沢に静かに暮らす深山のイノシシが 軽井沢の春夏秋冬 今昔、あれこれ・・ 見たまま聞いたまま書いてるよ

 軽井沢のいろいろ 軽井沢の歴史遺産がまたひとつ・・中山道 沓掛宿で

2022-06-11 | 避暑地 軽井沢のあれやこれ

 今年の真夏は コロナ以前のような ごったがえす 軽井沢が戻って来るのかな・・

 徐々に     日本中がまた動き始めたようだね

 昨日も 軽井沢を訪れたのか 立ち寄ってどこか又向かって行くのか 

 大型観光バスの姿をいくつも見かけた

 追分や 碓氷峠の山道には ひとりで、 年配のグループやカップルで・・ 

 江戸時代の名残や歴史を求めてか 散策する人の姿を必ずと言っていいほど目にする

 道沿いの石碑や 手荷物から取り出したガイドブックや手帳みたいなものに

 熱心に目を通しては又歩き始めるような人も多い

 何度かここでもお話しているけれど 軽井沢町内には江戸時代 

 軽井沢、沓掛(現:中軽井沢)、追分宿と 3つの宿場町があって 険しい碓氷峠越えや

 北国街道(善光寺道)にも 分かれて行く 分か去れ、合流などの旅人を送り迎えていたそうだ

 明治期以後 別荘地、避暑地として変化、変遷して行く中でも

 後に中軽井沢と宿場名も改名した沓掛宿は

 昭和26年に起きた   沓掛大火(全焼81戸、罹災世帯108世帯)の影響が大きく

 江戸時代の宿場町としての外観、風情はほとんど失われてしまった

 それでも 江戸時代から明治時代に移る頃の街道沿いだった家並みの後は

 敷地の形などに遺っているようで

 どの宿場も家々の敷地境の境界線や時代感のある境界石などに ふっと 往時の姿が思い浮かぶ

 「 ああ 間口の割に奥が長い家並だったんだな・・」 とかね・・ 

 湯川橋を渡って  中軽井沢駅の交差点に向かいまもなく 

 道路渋滞することが多くなるあたりの  左手道路沿いに今 2カ所の工事現場がある 

 そのうち交差点よりの 既に新築住宅が完成間近い辺りは 

 沓掛宿の脇本陣「 枡(ます)屋 」が つい先日まで改築後の姿を留めていた場所で

 昭和の頃には ご当主が軽井沢町長も務められたと聞いていた

 賑わう通り沿いなので しばらく行かない間に 持ち主も外観もすっかり変わってしまったようだ

 つい先月 どの資料を参考にしているのか とある企業が近隣市町村に配布する広告チラシに

 中山道の宿場を紹介するコーナーを設けている中に 「 沓掛宿 」が取り上げられ

 「 現在も旅館として営業中 」と書かれていた

 旅館を廃業したのも だいぶ前だった気がするけれど・・・

 多分 もうまもなく、今の工事現場はどちらも 完成するんだろう

 宿場通りはどんな風になっているのかな    

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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