今年の真夏は コロナ以前のような ごったがえす 軽井沢が戻って来るのかな・・
徐々に 日本中がまた動き始めたようだね
昨日も 軽井沢を訪れたのか 立ち寄ってどこか又向かって行くのか
大型観光バスの姿をいくつも見かけた
追分や 碓氷峠の山道には ひとりで、 年配のグループやカップルで・・
江戸時代の名残や歴史を求めてか 散策する人の姿を必ずと言っていいほど目にする
道沿いの石碑や 手荷物から取り出したガイドブックや手帳みたいなものに
熱心に目を通しては又歩き始めるような人も多い
何度かここでもお話しているけれど 軽井沢町内には江戸時代
軽井沢、沓掛(現:中軽井沢)、追分宿と 3つの宿場町があって 険しい碓氷峠越えや
北国街道(善光寺道)にも 分かれて行く 分か去れ、合流などの旅人を送り迎えていたそうだ
明治期以後 別荘地、避暑地として変化、変遷して行く中でも
後に中軽井沢と宿場名も改名した沓掛宿は
昭和26年に起きた 沓掛大火(全焼81戸、罹災世帯108世帯)の影響が大きく
江戸時代の宿場町としての外観、風情はほとんど失われてしまった
それでも 江戸時代から明治時代に移る頃の街道沿いだった家並みの後は
敷地の形などに遺っているようで
どの宿場も家々の敷地境の境界線や時代感のある境界石などに ふっと 往時の姿が思い浮かぶ
「 ああ 間口の割に奥が長い家並だったんだな・・」 とかね・・
湯川橋を渡って 中軽井沢駅の交差点に向かいまもなく
道路渋滞することが多くなるあたりの 左手道路沿いに今 2カ所の工事現場がある
そのうち交差点よりの 既に新築住宅が完成間近い辺りは
沓掛宿の脇本陣「 枡(ます)屋 」が つい先日まで改築後の姿を留めていた場所で
昭和の頃には ご当主が軽井沢町長も務められたと聞いていた
賑わう通り沿いなので しばらく行かない間に 持ち主も外観もすっかり変わってしまったようだ
つい先月 どの資料を参考にしているのか とある企業が近隣市町村に配布する広告チラシに
中山道の宿場を紹介するコーナーを設けている中に 「 沓掛宿 」が取り上げられ
「 現在も旅館として営業中 」と書かれていた
旅館を廃業したのも だいぶ前だった気がするけれど・・・
多分 もうまもなく、今の工事現場はどちらも 完成するんだろう
宿場通りはどんな風になっているのかな