毎日新聞 春日武彦の心察室
生きていくうえで、もっとも大切なことは何か。
勿論正解は無いし、人によって答えは様々であろう。
私個人の回答は「充実感」である。
仕事にせよ遊びにせよ、とにかく自分は確かになにかをしていた、それなりに意味や価値のあることをしていたという実感が欲しいのである。
充実感を求める心性には、いささか成果主義的な卑しさが潜在しているかもしれない。無意味なことや無価値なものを否定する狭量な精神に、裏打ちされているような気がしないでもない。
充実の反対語は、空虚とか空白といったものになろうか。
どうしても充実感を追求せずにはいられない気持ちの中には、空虚さや空疎、あるいは単調さといたものに対する恐れがやどっているに違いない。
精神を病んだ人の中には、向き合った者をたじろがせるような深い空虚感を抱えていることがある。
あるいは、こちらが困惑したくなるほど単調な生活を送って倦む事の無い人がいる。
だからといって悪いわけではないし、批難されるべき筋合いでもない。
だが、当方の価値観に照らすと理解の困難な人間のありようを目にすると、不安感が生じてくる。
居心地の悪さを覚えずにはいられなくなる。
そんなことは余計なお世話であるし、わたしが理解しえる人生なんて、ほんの狭い範囲でしかない。
もっと謙虚になるべきだと批難されたとすれば、その通りというしかない。
そもそも世代が違うだけでも互いに理解し合うのが困難になるのが世の常である。
だが空虚とか単調といったものにつかさどられた人物が、自分と大差の無い外見をし、似たような物を食べ、同じ日本語をしゃべるのである。
しかも大概の場合、彼らは(私の価値観からすれば)余りにも損な立場にあり、不利な所に身を置いている。
そのような状況を知ると、どうも寝覚めが悪い。
気になってしまうのである。
充実感に価値を置くことは私の弱さであると同時に、もしかすると押し付けがましさを生んでいるかもしれない。
自戒すべきなのだろうか。
生きていくうえで、もっとも大切なことは何か。
勿論正解は無いし、人によって答えは様々であろう。
私個人の回答は「充実感」である。
仕事にせよ遊びにせよ、とにかく自分は確かになにかをしていた、それなりに意味や価値のあることをしていたという実感が欲しいのである。
充実感を求める心性には、いささか成果主義的な卑しさが潜在しているかもしれない。無意味なことや無価値なものを否定する狭量な精神に、裏打ちされているような気がしないでもない。
充実の反対語は、空虚とか空白といったものになろうか。
どうしても充実感を追求せずにはいられない気持ちの中には、空虚さや空疎、あるいは単調さといたものに対する恐れがやどっているに違いない。
精神を病んだ人の中には、向き合った者をたじろがせるような深い空虚感を抱えていることがある。
あるいは、こちらが困惑したくなるほど単調な生活を送って倦む事の無い人がいる。
だからといって悪いわけではないし、批難されるべき筋合いでもない。
だが、当方の価値観に照らすと理解の困難な人間のありようを目にすると、不安感が生じてくる。
居心地の悪さを覚えずにはいられなくなる。
そんなことは余計なお世話であるし、わたしが理解しえる人生なんて、ほんの狭い範囲でしかない。
もっと謙虚になるべきだと批難されたとすれば、その通りというしかない。
そもそも世代が違うだけでも互いに理解し合うのが困難になるのが世の常である。
だが空虚とか単調といったものにつかさどられた人物が、自分と大差の無い外見をし、似たような物を食べ、同じ日本語をしゃべるのである。
しかも大概の場合、彼らは(私の価値観からすれば)余りにも損な立場にあり、不利な所に身を置いている。
そのような状況を知ると、どうも寝覚めが悪い。
気になってしまうのである。
充実感に価値を置くことは私の弱さであると同時に、もしかすると押し付けがましさを生んでいるかもしれない。
自戒すべきなのだろうか。
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