毎日新聞 真健康論 當瀬規嗣
人はとしをとるにつれて、「体力がなくなった」と思うことが多くなります。
例えば、走るとすぐに息が上がる、顔段を上がると次第に足が上がらなくなるなどです。
もう少し違う場面もあります。
夜更かしすると次の日に体が重くなる、仕事を集中してやっているが、頑張りがきかないなどということがあります。
よく考えると、先にあげた二つの例と、あとにあげた二つの例は、異なることだと気がつきます。
前者の「体力がない」という意味は、運動能力が明らかに低下したことを指しています。
一方、後者は運動ではなく持続力やストレスに対抗する力の低下を意味しています。
つまり、一口に体力といっても、実に広範で様々な人の能力を含んでいる意味だということです。
ところが、普段、体力測定というと、50m走のタイム、ボール投げの距離、前屈の度合いなど、とにかく運動して測ることが当たり前になっています。
確かに、これらの測定は体力を量的に表すのに適当でしょうが、この方法では「頑張りがきくのか、きかないのか」はわからないでしょう。
体力測定はあくまでも、運動するための体力を測っているに過ぎないからです。
あえていえば、体力測定が好成績だからといって、病気にならないわけではありません。
体力抜群のスポーツ選手だって、早くに死んでしまうこともまれではありません。
一方、スポーツは全くしない、体の細いおばあさんが長生きしていることも、よくあります。
体力が衰えたお年寄りに体力増進のためにと、やたらと運動を奨励するのは、果たして正しいことなのか、大いに疑問です。
特に、足腰にトラブルを抱えたお年寄りに体力をつけるための運動が必要でしょうか。
もっと、別な方法があるような気がします。
つまり、スポーツからみた体力ではない、日常を健やかに過ごすための体力の尺度が必要なのではないかと思います。
その尺度があれば、もっと効果的にお年寄りのためや、高齢化に備えるための体力増進法が開発できると思うのです。
体力のためにと熱心に運動をして、足腰を痛めてしまった人を見るにつけ考えてしまいます。