友人への便り返事がこない
回答者 高橋源一郎(作家)
拝啓 私は年来の友に時々、季節の挨拶をかねて、簡単な便りを書いていますが、返事がかえってきたためしがありません。
もう皆、年を経ると感動も喜びもないのでしょうか?
はたまた迷惑なんでしょうか?
本当に寂しい限りです。
こうして人との消息が途絶えてしまうものなのでしょうか。
老いるとは普通の生活ができなくなり、ただただ生を全うするだけなのでしょうか?
(90代・女性)
拝復 お手紙を読み、76歳で亡くなった父をおもいだしました。
父が波乱万丈の人生を閉じた後、葬儀に臨席したのは家族4人の他には遠くの親戚2人だけで「なんと寂しい終わりなんだ!」と思ったものでしたが、結局、少し違う考えに至ったのです。
作家の大江健三郎さんは「人生の紡錘形理論」を唱えられました。
人間は一人で生まれ、成長すると共に多くの人々と関係を築いてゆく。
けれども、やがて少しづつ関係を失い、最後にはまた一人で旅立つ(べき)ものだという考えです。
生まれた時とは異なり、最後に一人になったとき、われわれには「記憶」や「過去」が残されています。
父が残したノートの最後のページには、生前付き合った女性たちの名前が書かれていました。
亡くなる2日ほど前に書いたようです。
父は晩年、母と別居し、一人で暮らしていましたが、おそらく、最後の日々を、生涯に刈り取った「記憶の果実」と共に過ごしたのだと思い、少々うらやましく思ったのでした。
返事を送ってくれないご友人たちは「感動も喜びもない」のではなく、それぞれの「記憶の果実」の中で過ごす時期になっているのかもしれません。
おそらくは、あなたからの手紙に対し、強い懐かしさを感じつつ、遠くから深い黙礼を送っているのではないでしょうか。
豊かな実りの時期には「沈黙」こそふさわしいように思えるのです。