goo blog サービス終了のお知らせ 

ハイカーズ・ブログ(徘徊者備録)

「あなたの趣味はなんですか?」
「はい、散歩です」

「こうなる前からですか?」
「はい」

素直になれ・・ない

2010-10-09 16:19:27 | 晩年学
私が心折れているとき、ある先生から「素直になれ」と戒めとも励ましとも言えるお手紙を頂戴した。当時は不遜にもこれ以上素直になったら自分がなくなってしまうわ、と反発しまったく素直でなかった。最近になってやっと分かってきた。
出来てるつもりで出来ていないのが居合だ。分かっているつもりで知らないことが一杯あるのが居合だ。人からの批評はちょっとピント外れてると感じても、まず受け入れて、聞くこと。これが痛みを伴わない武道の上達の秘訣ではないだろうか。
「初心に帰って頑張ります」と軽く言うが、「我」が邪魔してなかなか簡単には初心になんぞ戻れないものだ。私のように一度どん底まで落ちて見るのも良いことかもしれない。

為す術はある・・か

2010-10-06 07:13:23 | 晩年学
毎日新聞
平尾剛の身体観測
為す術はある

長らくサッカー指導をしている人からこんな話を聞いた。

小学校だ始めた選手と大学から始めた選手とではボールの扱い方の滑らかさに大きな違いがあり、その差はどれほど練習したところで埋まるものではなく、日常生活において「足を使って何かをする」という動作がほとんどない以上、心身の発達が目覚しい幼少期において集中的に足を使うことは能力の向上に大きく影響するのだという。

どのスポーツでも早期教育の効果は囁かれいる。しかし、僕は素直に同意することができない。
指導者の立場からすればむしろ否定する立場を貫こうと思っている。
なぜなら既に成長を遂げた選手は、なるべく幼い頃から始めた方が有利だと知らされても、為す術がないからである。
時間が巻き戻らない以上はどうしようもない。 努力をもってしても越えられない壁を選手に感じさせることは、指導者として回避せねばならない。
認めるけれど認めない、という態度で「為せば成る」と言い続ける指導者でありたい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この問題は今さら取り上げる問題でもない。
ピアノ、バレイ、日本舞踊、水泳、レスリング、書道・・・習い事すべて三歳からといわれている。

それは修行年限の長さの比較もさることながら、幼少から稽古すれば、基本が血、肉、骨になって身につくということだろう。

私のやっている居合道にしても、いま名を成している先生方はみな幼少よりお父上に厳しく指導されてきた方ばかりだ。

私などももう少し早く始めていれば、もう少し深い境地にたどり着けたであろうと臍をかんでいる。
そして細々と稽古を続けているのである。

この溝を埋める、「為す術」はあるのか。
結局筆者は、「為せばなる」と根性論へ逃げるしかないのである。