もし私が裸足で歩いていたら、どうぞ家人に知らせてください。
介護鬼 菊池秀行 より
若い時分、無住心流剣術・宮田道場の三羽烏と謳われた剛毅はどこへ行ったのか。
だが、もう一羽の烏ー酒見権兵衛は完全に耄碌し、家人の気づかぬ間に家を出て徘徊を繰り返した挙句、今では座敷に閉じ込められる身の上であるという。
景八郎は徘徊中の権兵衛とであったことがある。
噂はすでに耳に入っていたから、どんな凄い有様かと思ったが、きちんと羽織袴をつけていた。
髪も整え、月代も丁寧に剃ってある。
ーなんだ、普通ではないか
「おい」
と声をかけると、こちらに気づいて、相好を崩した。
”鬼の福笑い”と呼ばれる落差の激しい笑顔だった。
おかしなところなど何一つない。血色もいい。
「何処へ行く?」
と訊いたら、権兵衛は妙な表情になって、何を言う?と応じた。
「お城に決まっておるわ。おぬしこそ何処へ行く?登城の時間だぞ」
景八郎はその場に立ち竦んだ。
さしたる衝撃は受けなかったが、なんとなく虚しかった。
暮れの七つ半(午後5時)を少し過ぎた時刻で、たそがれが迫りつつあった。
「ではーわしは行く。おぬしも遅れるな」
こういって権兵衛は歩き出した。
城とは正反対の方角であった。
十歩ほど離れたところで、景八郎はようやく、古くからの剣友が草履も足袋もはいていない裸足なのに気がついた。
介護鬼 菊池秀行 より
若い時分、無住心流剣術・宮田道場の三羽烏と謳われた剛毅はどこへ行ったのか。
だが、もう一羽の烏ー酒見権兵衛は完全に耄碌し、家人の気づかぬ間に家を出て徘徊を繰り返した挙句、今では座敷に閉じ込められる身の上であるという。
景八郎は徘徊中の権兵衛とであったことがある。
噂はすでに耳に入っていたから、どんな凄い有様かと思ったが、きちんと羽織袴をつけていた。
髪も整え、月代も丁寧に剃ってある。
ーなんだ、普通ではないか
「おい」
と声をかけると、こちらに気づいて、相好を崩した。
”鬼の福笑い”と呼ばれる落差の激しい笑顔だった。
おかしなところなど何一つない。血色もいい。
「何処へ行く?」
と訊いたら、権兵衛は妙な表情になって、何を言う?と応じた。
「お城に決まっておるわ。おぬしこそ何処へ行く?登城の時間だぞ」
景八郎はその場に立ち竦んだ。
さしたる衝撃は受けなかったが、なんとなく虚しかった。
暮れの七つ半(午後5時)を少し過ぎた時刻で、たそがれが迫りつつあった。
「ではーわしは行く。おぬしも遅れるな」
こういって権兵衛は歩き出した。
城とは正反対の方角であった。
十歩ほど離れたところで、景八郎はようやく、古くからの剣友が草履も足袋もはいていない裸足なのに気がついた。