ハイカーズ・ブログ(徘徊者備録)

「あなたの趣味はなんですか?」
「はい、散歩です」

「こうなる前からですか?」
「いいえ」

将来に対する漠然とした不安

2010-08-31 17:02:56 | 晩年学
檀崎範士の言葉
居合とは何だろうか、ということを常に意識してほしい。
それぞれの流派の始祖、そして継承した先達たちが、白刃の実戦の攻防から、さまざまな状況を設定、命のやり取りを業として編み出し、仮想の敵に対決する武道が居合道、ということをわきまえ、業の修練をすれば自ずと稽古のしかた、内容が変わってくるはずです。剣の理合と体の理合の合致した稽古をすること。

それにしても、正直いうと居合道の将来に不安を持っています。
もとっと古流をきちんとやって身につけてほしい。
刀で切るということがおかしくなっては居合道でなくなってしまう。
各流派の業を正しく伝える人が少なくなる一方で、居合を学びたいという人は増えている。
その人たちの目標は段位、称号だ。
みな近道が好きなんだ。
武道だけではないが、修行とか修練の必要な者にとって、近道はワナ、落とし穴で、ここに飛びついたら一人前にはなれない。
本物を知ることはできない、というのは今も昔も変わらない鉄則だ。

十年たったら・・・・まあ、年寄りの繰言か。
それでも今の居合道人に古流を大事にしてほしい、といっておきたい。



居合道名人伝 下巻より拝借

イカのすすめ

2010-08-27 10:45:59 | 晩年学
産経新聞 文化欄 モーロクのススメ 仏教大学文学部教授 坪内稔典

「異化」のすすめ

異化:1920年代 ロシアの思想家シクロフスキーの説

普通の私たちの言葉や感性は反射的、自動的になっている。
つまり、水や空気のような状態である。
だからたとえば五時間前にしゃべったことなどほとんど忘れている。
ところが、普段とは違ったことがあると、そのときの言葉はよく覚えている。

私たちは時々、意識的に普段とは違うことをして言葉や感性を新鮮にすべきなのだ。

その普段と違うことをするのが異化

「異化」することで、私たちの言葉や感性は新鮮になる。


筆者の「異化」は何もしない日をつくることらしい。


何もしたくない日がある。
外出をしたくない。
本も読みたくない。
テレビを見たり音楽を聴いたりもしたくない。
要するに、自分の殻の外へ出たくないのだ。

空白の一日を何に使うか。
何にも使わない。
何もしたくない日なのだから、何もしないのが当たり前である。

しれでも、だらだらしているうちに、なぜか片づけを始めてしまう。
机の周りの本を片付ける。
手紙の整理をする。
ついでに部屋の模様替えを思いついたりして、気がついたら夕方になっている。
何もしない日だったのが、結構よく働いた感じになる。

そこで、ゆったりとビールを飲む。
キースジャレットなどを聴きながら。
肴は冷奴と枝豆。
月並みな肴だが、なんだか心が満ち足りてくる。
窓から月の光が入ってきたりしたら、それはもう最高の一日だ。

こうして、何もしたくない日は私にとても贅沢な気分をもたらす。

もっともこのような日は年に数度でよい。

連日のように続くと引き籠り老人になってしまう。

年に数回、義理とか義務とか約束を放置して、ともかくも何もしたくない気分に浸るのだ。

揚げ足を取られるな(ドンジャオ・最終目標)

2010-08-24 10:25:33 | 太極拳
ベストキッド観てきました。

ウイル・スミスの息子、ジェイデン・スミス演じる少年ドレが、ジャッキー・チェン演じるアパートの管理人にしてカンフーの達人に、カンフーを習う。

可愛かったです。


ここまで足が揚がらなくても、せめて腰の高さまでは揚がるようになりたいと望む、わたしは60歳。

サムライになりたい(役所弘司の場合)

2010-08-23 09:51:54 | 武道関連
侍に憧れているんですよ。
ストイックに己の理想を追求する。
誇りというものを持っている。
何かを命をかけて成し遂げようとする。

そんな侍と同じ血が流れていると思うだけでうれしくなる。

でも、今は時代が変わってしまいました。
現代で侍のように生きるのは難しい。

ただ、侍を演じることによって、今も祖先の気分を味わうことができる。
日本人が時代劇を好きなのは、こんな祖先がいたんだと改めて教えてくれるからだと思うんです。

いかに生きるか。
いかに死ぬか。

そもそも刀なんていう、包丁の馬鹿でかいものを持って振り回したりするなんて、狂気の沙汰です。

かって真剣を抜いてじっと見つめるシーンを撮ったことがありますが、見ているだけで本当に怖いと思いました。

こんなものを振り回していた時代が、ほんのちょっと前まであった。
まさに死と隣り合わせだったということです。

刀というのは、実は簡単には抜けないですよ。
抜いたからには、死を覚悟しないといけないから。
恐れたほうが負ける。
囲んでも近づけない。
それくらい怖い。
だからこそ刀を抜くことの意味がある。
その恐怖を乗り越え、侍としての死に場所を探していた誇り高き侍もいたと思うんです。

週間現代より拝借