駆ける新100歳、マスターズ陸上3冠目指す
京都の宮崎さん、元気に生きている姿見せたい
5歳刻みの部門別に競うマスターズ陸上に挑み続ける99歳のアスリートがいる。京都市右京区の宮崎秀吉(ひできち)さんは、14日に発表された新100歳の一人だ。これまで12個の金メダルを手にし、17日から東京で開かれる全日本大会では、60メートル、100メートル、砲丸投げの“3種目制覇”を目標にする。「高齢者の所在不明が騒がれていますが、元気に生きていることの値打ちをみなさんに見せたい」。そう語る表情は、とにかく明るい。大会後の22日に、100歳を迎える。
静岡県の山間地に生まれ、地元の農協を定年退職後、京都に引っ越し、長女家族と同居。友達づくりにと囲碁教室に通ったが、仲間たちは一人、また一人と他界していった。92歳の時、同年代の女性が砲丸投げに励むのをテレビで見て「これなら一人でも楽しめる」と陸上競技を始めた。
2004年、93歳からマスターズに出場し、06年の全日本大会100メートルで初の金メダルを獲得。実は、95~99歳部門の出場者は宮崎さん一人だったが、一心に走ってゴールテープを切る爽快(そうかい)感に夢中になった。
翌年7月、古新聞を玄関先に出そうとして転び、左足を骨折。主治医からは「車イスも覚悟して」と言われた。それでも、「リハビリは 我慢一語(いちご)と 悟りけり」「両手両足 おれの武器」などと独りごちながら、50日の入院を乗り越えた。
この年の11月、和歌山市での国際大会は、骨折前にエントリーしていた。仲間の応援に行き、仲間からは「走ったら」。つい、その気になって、ぶかぶかのリハビリ用シューズで60メートルを一人でゆっくり完走した。金メダルを手に、恐る恐る病院へ行くと、主治医は「やりましたねぇ……。でも、僕もうれしいですよ」と笑い返してくれた。
08年の全日本大会で、ようやく現れたライバル2人に臆することなく優勝。一方、短距離での“若手”の台頭を危惧(きぐ)し、砲丸投げも始めた。昨年9月の国際大会では3種目で金メダルを獲得。100メートルは29秒38だった。続く国際・全日本大会では砲丸投げに強敵が現れたが、2種目で優勝した。
1メートル53、42キロと小柄な宮崎さんは「猛暑で3キロやせました」と笑い飛ばす。今夏も連日、公園への行き帰りも含めて1時間の朝練を欠かさなかった。「この先も、走れる限り走ります」と誓っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・
92歳から陸上を始められたというのがすごい。
テレビで拝見したが、走っておられる姿や砲丸を投げている姿に感動した。
われわれは早くに諦めすぎではないだろうか。反省させられた。
京都の宮崎さん、元気に生きている姿見せたい
5歳刻みの部門別に競うマスターズ陸上に挑み続ける99歳のアスリートがいる。京都市右京区の宮崎秀吉(ひできち)さんは、14日に発表された新100歳の一人だ。これまで12個の金メダルを手にし、17日から東京で開かれる全日本大会では、60メートル、100メートル、砲丸投げの“3種目制覇”を目標にする。「高齢者の所在不明が騒がれていますが、元気に生きていることの値打ちをみなさんに見せたい」。そう語る表情は、とにかく明るい。大会後の22日に、100歳を迎える。
静岡県の山間地に生まれ、地元の農協を定年退職後、京都に引っ越し、長女家族と同居。友達づくりにと囲碁教室に通ったが、仲間たちは一人、また一人と他界していった。92歳の時、同年代の女性が砲丸投げに励むのをテレビで見て「これなら一人でも楽しめる」と陸上競技を始めた。
2004年、93歳からマスターズに出場し、06年の全日本大会100メートルで初の金メダルを獲得。実は、95~99歳部門の出場者は宮崎さん一人だったが、一心に走ってゴールテープを切る爽快(そうかい)感に夢中になった。
翌年7月、古新聞を玄関先に出そうとして転び、左足を骨折。主治医からは「車イスも覚悟して」と言われた。それでも、「リハビリは 我慢一語(いちご)と 悟りけり」「両手両足 おれの武器」などと独りごちながら、50日の入院を乗り越えた。
この年の11月、和歌山市での国際大会は、骨折前にエントリーしていた。仲間の応援に行き、仲間からは「走ったら」。つい、その気になって、ぶかぶかのリハビリ用シューズで60メートルを一人でゆっくり完走した。金メダルを手に、恐る恐る病院へ行くと、主治医は「やりましたねぇ……。でも、僕もうれしいですよ」と笑い返してくれた。
08年の全日本大会で、ようやく現れたライバル2人に臆することなく優勝。一方、短距離での“若手”の台頭を危惧(きぐ)し、砲丸投げも始めた。昨年9月の国際大会では3種目で金メダルを獲得。100メートルは29秒38だった。続く国際・全日本大会では砲丸投げに強敵が現れたが、2種目で優勝した。
1メートル53、42キロと小柄な宮崎さんは「猛暑で3キロやせました」と笑い飛ばす。今夏も連日、公園への行き帰りも含めて1時間の朝練を欠かさなかった。「この先も、走れる限り走ります」と誓っている。
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92歳から陸上を始められたというのがすごい。
テレビで拝見したが、走っておられる姿や砲丸を投げている姿に感動した。
われわれは早くに諦めすぎではないだろうか。反省させられた。
週刊ポスト 激動の時代「昭和の肖像」より
昭和45年自衛隊市谷駐屯地においてこの刀で割腹自殺した。私が社会に出た年だからよく覚えている。がいまだに理解出来ない。確か剣道も三段ぐらいでビデオ見たが下手くそだった印象。
昭和45年自衛隊市谷駐屯地においてこの刀で割腹自殺した。私が社会に出た年だからよく覚えている。がいまだに理解出来ない。確か剣道も三段ぐらいでビデオ見たが下手くそだった印象。
体力が落ちるのは、なぜ好ましくないのか。
仕事をするにしても、勉強するにしても、体力がいると昔から言う。
いざという時に集中して粘れるように、体を鍛えておけ。
先生にそのように言われた経験がある人は多いだろう。
体力が落ちると、ストレスも溜まりやすい。仕事の忙しさや、学業の不調で、バランスを崩してしまう。
強靭な体力を身につけておくことで、ストレスに強くなる。
人にはエネルギーの総量のようなものがあって、それぞれの「トータル」がどの程度あるかによって、生き方が変わってくるのではないか。
エネルギーが有り余っている人は、それなりの生き方をする。
エネルギーが小さい人は、それなりの生き方をする。
そんな「分かれ道」があるように思う。
そして、エネルギーは体力によって決まる。
最近の日本人に元気がないのは、つまり、体力の低下にともなって、「省エネ」の生き方を無意識のうちに選択しているからではないか。
脳の前頭葉には、今取り組んでいることがどれくらい難しく、厄介なことかをモニターする領域がある。
体力が低下すると、自分の持っているエネルギーと、取り組む課題の難しさを比較して、楽なほうにばかり流れるようになってしまう。
体力が有り余っているときには、無謀な挑戦もできる。
生命の勢いが低下すると、どうしても省エネモードになる。
坂本龍馬は、江戸の千葉道場で、北辰一刀流の剣術を鍛えた。
そこで培った体力、エネルギーがあったからこそ、なにが起こるかわからない幕末の乱世を駆け抜けることができたのである。
週間ポスト
脳のトリセツ
茂木健一郎
仕事をするにしても、勉強するにしても、体力がいると昔から言う。
いざという時に集中して粘れるように、体を鍛えておけ。
先生にそのように言われた経験がある人は多いだろう。
体力が落ちると、ストレスも溜まりやすい。仕事の忙しさや、学業の不調で、バランスを崩してしまう。
強靭な体力を身につけておくことで、ストレスに強くなる。
人にはエネルギーの総量のようなものがあって、それぞれの「トータル」がどの程度あるかによって、生き方が変わってくるのではないか。
エネルギーが有り余っている人は、それなりの生き方をする。
エネルギーが小さい人は、それなりの生き方をする。
そんな「分かれ道」があるように思う。
そして、エネルギーは体力によって決まる。
最近の日本人に元気がないのは、つまり、体力の低下にともなって、「省エネ」の生き方を無意識のうちに選択しているからではないか。
脳の前頭葉には、今取り組んでいることがどれくらい難しく、厄介なことかをモニターする領域がある。
体力が低下すると、自分の持っているエネルギーと、取り組む課題の難しさを比較して、楽なほうにばかり流れるようになってしまう。
体力が有り余っているときには、無謀な挑戦もできる。
生命の勢いが低下すると、どうしても省エネモードになる。
坂本龍馬は、江戸の千葉道場で、北辰一刀流の剣術を鍛えた。
そこで培った体力、エネルギーがあったからこそ、なにが起こるかわからない幕末の乱世を駆け抜けることができたのである。
週間ポスト
脳のトリセツ
茂木健一郎