昨日、数カ月振りに映画を観たと書いていますが、
先月、観てましたね
「ドリバス」映画の『ラ』
通くんの映画なのに
なに言ってんだかですよね。
ほんと、失礼いたしました
そして、今日、私の初の「オンライン座談会」無事、終了しました。
急に音声が乱れて聞き取れなくなった方がいたり、突然、消えてしまった方がいたり(多分、電池切れ?)
私は本番はなんのトラブルも起きませんでしたが、スタンバイの時のテストで、音がでなくて、フリップで「ここ押してみてください」と矢印指示が出されたりしましたけどね(笑)
今回、60代くらいのおばちゃん同士の座談会なので、進行役の方も大変だったと思いますが、
お喋り好きな年齢ですからね。和気あいあいと意見交換して、楽しい時間を過ごせました。
こんなに楽しくて、協力費をいただけるなんて
嬉しい~ありがとうございます!
気が大きくなって後から申し込んだオンラインモニターは、連絡がこないのでダメみたいですね
でも、今日も別なモニターに申し込みましたから。
日程管理が大変なんですが
、数打ちぁ当たるで頑張ります。
昨日の映画は「共依存」の映画でしたが、
不登校でも起こり得る「共依存」
我が家でも、そうではないとは言い切れないです。
このままずっとケン太が家にいるとしたら?
そうならないことを願っていますが。
子どもが不登校になると、仕事を辞められたり、休職されたりする方もいらっしゃいます。
これはエースバイケースで、そうしなければならない場合もあると思います。
でも、皆が皆、そうではないと思います。
「側でみていてあげなければ」という親の思い。
ずっと仕事が忙しくて、構ってあげられなかったという罪悪感?
不登校になってしまった今、それを満たしてあげなければ・・・と。
それがかえって逆効果になる場合もあります。
小学生のお子さんのケースですが、不登校を機に、お母様がお仕事を辞めて家にいるようになりました。
これまで寂しい思いをしていた子にとって、それはとても嬉しいことです。
学校を休んでいればお母さんがずっといてくれる。
結果的に「登校」とは逆の方向に・・・
そんなケースを聞いたことがあります。
親が子どもに望むべきことはやはり「自立」「自律」だと思います。
いつまでも学生ではありません。
社会に出て、親が亡くなっても、生きていかなければなりません。
「支えてあげなければ」を否定はしませんが。
「支えがなくても生きていけるようにしなければ」の方がいい。
「かわいそう」って子どもを下に見ている言葉です。
側にいてあげなければ、本当に、かわいそうなのか・・・
ひとりで生きていけない方が、かわいそうなのでは?
相手のためと自分を犠牲にして、自分の要求を押し殺して、相手の望むように動く。
これは結局、自分の自信のなさからきているのだといいます。
相手の望むように動くのは、相手に喜んでほしいから。
人に尽くすことで、自分の承認要求が満たされるのですね。
その対象が子どもになってしまうと、過保護、過干渉という形で子どもに執着してしまう。
執着することで自分の価値を見出そうとする。
母親としての自分しかない人は、子どもから離れることが怖くなる。
親の愛を受けずに育ったり、夫婦仲が悪かったり、
やはり、なんらかの家庭的な問題が潜んでいたりします。
負の連鎖を断ち切りたいですね。
まず親は自分の人生を生きる。
子どもに親の背中を見せる。
こうやって生きているという背中を。
もしかしたら?
こうは生きたくないという背中を?
どちらにしろ、子どもが判断すること。
親は子が判断できる力を備えてあげること。
誰のせいにもしない。
自分の人生に責任を持てるように。
親は子どもの犠牲にならない。
常に平常心。
あなたのために苦しんでいるの。
そんなこと背負わせないでね。
それは子どもへの甘えです。
依存です。
親は常に平常心。
子どものこと心配しすぎるより、
支えてあげなければと寄り添うより
ずっと負担を軽くしてあげることだと思います。
先月、観てましたね

「ドリバス」映画の『ラ』
通くんの映画なのに

なに言ってんだかですよね。
ほんと、失礼いたしました

そして、今日、私の初の「オンライン座談会」無事、終了しました。
急に音声が乱れて聞き取れなくなった方がいたり、突然、消えてしまった方がいたり(多分、電池切れ?)
私は本番はなんのトラブルも起きませんでしたが、スタンバイの時のテストで、音がでなくて、フリップで「ここ押してみてください」と矢印指示が出されたりしましたけどね(笑)
今回、60代くらいのおばちゃん同士の座談会なので、進行役の方も大変だったと思いますが、
お喋り好きな年齢ですからね。和気あいあいと意見交換して、楽しい時間を過ごせました。
こんなに楽しくて、協力費をいただけるなんて

嬉しい~ありがとうございます!
気が大きくなって後から申し込んだオンラインモニターは、連絡がこないのでダメみたいですね

でも、今日も別なモニターに申し込みましたから。
日程管理が大変なんですが

昨日の映画は「共依存」の映画でしたが、
不登校でも起こり得る「共依存」
我が家でも、そうではないとは言い切れないです。
このままずっとケン太が家にいるとしたら?

そうならないことを願っていますが。
子どもが不登校になると、仕事を辞められたり、休職されたりする方もいらっしゃいます。
これはエースバイケースで、そうしなければならない場合もあると思います。
でも、皆が皆、そうではないと思います。
「側でみていてあげなければ」という親の思い。
ずっと仕事が忙しくて、構ってあげられなかったという罪悪感?
不登校になってしまった今、それを満たしてあげなければ・・・と。
それがかえって逆効果になる場合もあります。
小学生のお子さんのケースですが、不登校を機に、お母様がお仕事を辞めて家にいるようになりました。
これまで寂しい思いをしていた子にとって、それはとても嬉しいことです。
学校を休んでいればお母さんがずっといてくれる。
結果的に「登校」とは逆の方向に・・・

そんなケースを聞いたことがあります。
親が子どもに望むべきことはやはり「自立」「自律」だと思います。
いつまでも学生ではありません。
社会に出て、親が亡くなっても、生きていかなければなりません。
「支えてあげなければ」を否定はしませんが。
「支えがなくても生きていけるようにしなければ」の方がいい。
「かわいそう」って子どもを下に見ている言葉です。
側にいてあげなければ、本当に、かわいそうなのか・・・
ひとりで生きていけない方が、かわいそうなのでは?
相手のためと自分を犠牲にして、自分の要求を押し殺して、相手の望むように動く。
これは結局、自分の自信のなさからきているのだといいます。
相手の望むように動くのは、相手に喜んでほしいから。
人に尽くすことで、自分の承認要求が満たされるのですね。
その対象が子どもになってしまうと、過保護、過干渉という形で子どもに執着してしまう。
執着することで自分の価値を見出そうとする。
母親としての自分しかない人は、子どもから離れることが怖くなる。
親の愛を受けずに育ったり、夫婦仲が悪かったり、
やはり、なんらかの家庭的な問題が潜んでいたりします。
負の連鎖を断ち切りたいですね。
まず親は自分の人生を生きる。
子どもに親の背中を見せる。
こうやって生きているという背中を。
もしかしたら?
こうは生きたくないという背中を?

どちらにしろ、子どもが判断すること。
親は子が判断できる力を備えてあげること。
誰のせいにもしない。
自分の人生に責任を持てるように。
親は子どもの犠牲にならない。
常に平常心。
あなたのために苦しんでいるの。
そんなこと背負わせないでね。
それは子どもへの甘えです。
依存です。
親は常に平常心。
子どものこと心配しすぎるより、
支えてあげなければと寄り添うより
ずっと負担を軽くしてあげることだと思います。