昨夜は12時就寝(ビクつきほぼ無し)
朝方何回か目を覚ましビクつきが多少あり、浅い睡眠のまま悪夢ばかり見て結局10時半起床。
自律神経がおかしいからか、寝起きはいつも汗が出る程体か火照っているので、上着を脱いで少し窓を開けたりしたらすぐに体温が下がり寒くて寒くて眠れなくなる。
毎日がこうなので私の枕元にはいつも暖かい飲み物の入ったボトルを置いてある。
身体が鉛のように重くて1時間位布団から出られず。
雨のためか頭が締め付けられて重い。
フラフラと目眩があり集中力も無く頭がまわらない。
朝起きてすぐに「死にたい」と思ってしまった。
今日も不調だ。
死ぬほどめんどくさかったけどシャワーを浴びて、野菜スープ作りと洗濯だけして今布団。
今日から配食サービスが来てくれるので夫の夕食の心配をしなくて済むようになる。
これは本当にありがたい。
毎日玄米と野菜スープ系だけ用意すればいいのだ。
罪悪感は捨てるように努力している。
お互いの両親も遠くにいて友人もいないこの土地では頼れるものはこうしたシステムしかないのだ。
夫には申し訳ないが、無理しないでもっと早くこうしてれば良かった。
その夫に対してちょっと思う所がある。
それを述べるには私の生い立ちを少し話す必要がある。
私は3人兄弟の長女だ。
弟が2人。
年子と10歳下。
その年子の弟は小さい頃から本当に手がかかった。
いつも泣いてグズグズし、母親にべったりで毎朝保育園に行きたくないと泣いて親を困らせていた。
その頃両親は離婚。
私達は母親の実家へ。
母親は元来娘より息子を可愛がるというが、うちも例外なくそうだった。
だから私はその分祖父母に思いっきり甘えていた。
それも2年位で母親が再婚した事で新たに遠方へ引っ越す事になり私は甘えられる存在を失ってしまう。
再婚した父親は凄くいい人で私を可愛がってくれたが父親なんてものは仕事が忙しくてほとんど家にいない。
私はいつも自分の「誰かに甘えたい」という気持ちをもて余していた。
なんせ、母親は手のかかる弟に手一杯で私が甘える隙がない。
何かにつけて「あんたはお姉ちゃんでしょ」
「あんたは本当にしっかりしてていい子ね」
私は今でもこの言葉が大嫌いだ。
年子の子供を持つ私の友人は上の子に対して絶対にそのような言葉を言わないようにしてると言う。
たまたま上に産まれただけで子供は子供。
甘えたい気持ちは下の子と同じなのだから、上の子だけ「お姉ちゃん」と言って我慢さはせるのはかわいそうだしおかしいと。
本当に私もその通りだと思う。
私は「いい子」でも何でもない。
ただただ親に甘えたい普通の子供だ。
それは幼い子供が持つ当たり前の感情だし、それが普通だ。
でも、弟がいるから出来ない。
しっかりせざるを得ない。
我が儘なんて言えない。
「いい子」でいるしかなかっただけだ。
そんな中でまた弟が産まれた。
また私は弟の面倒を見る「お姉ちゃん」だ。
小さな弟が産まれた事で私と年子の弟は毎年夏休みや冬休みに祖父母の家に泊まりに行く習慣が出来た。
私は期待した。
祖父母の家に行けば思いっきり可愛がって甘えさせてくれる。
日頃の寂しさも忘れられる。
しかし、そこでも私は「お姉ちゃん」だった。
祖父母の家には同じように毎回3人姉妹の従姉妹も来ていた。
その従姉妹の中でもやはり私は一番歳上だったのだ。
祖父母の家までは地下鉄を乗り継いでバスで1時間半。
小学校の低学年の私に母親はいつも「弟を頼むね。あんたがしっかりしてるから安心して任せられるわ」と言って私達を送り出した。
ボーッとした頼りない弟の手を引いて地下鉄の切符を買い、バスに乗れば必ず酔って泣いて吐いてしまう弟の世話を毎回しながら祖父母の家に行った。
祖父母の家に行ったら今度は従姉妹達の面倒だ。
何しろ年の近い三姉妹だ。
毎日毎日朝から晩までギャーギャーピーピーと大喧嘩。
それも、シールを取っただの取られただの、鉛筆を取っただの取られただのと女子特有のくだらない喧嘩ばっかり。
そしてご飯の時と、寝る時に誰が私の両隣を陣取るかでも毎回大喧嘩。
必ず誰かが泣いて「お母さ~ん」と始まる。
そうすると叔母がやってきて「もこもこちゃんはお姉ちゃんなんだから云々~」と私が必ず怒られる。
知らねえよ。
だいたい私は一人で寝たいし、誰の隣で寝るとかご飯食べるとか、シールとか一緒に風呂とかトイレとかどうだっていいんだよ。
くだらない喧嘩に巻き込まれてるのはこっちなのに何で怒られなきゃいけねんだよ。
こっちだって実家でもこっちでも1日中みんなの面倒みていっぱいいっぱいだよ。
怒られる度に私は心の中でこう毒づいていた。
段々と従姉妹達の相手をする事が苦になっていった。
喧嘩ばかりなので面白くなくなっていったので、私が嫌になって一人で遊びに行こうとすると従姉妹が泣く。
そこの土地には2年位住んでたため友人がいたので、その友人達と遊びたくて行こうとしても従姉妹が泣く。
だから行けなくて我慢する、ふてくされたままでいる。
「もこもこお姉ちゃんの意地悪、冷たい」
結局私が悪者だ。
私は意地悪なお姉ちゃんだ。
面倒見て褒められる事はなくても、私には関係ない喧嘩の事で怒られる事は多かった。
たまらず祖父母の所に言いに言っても「そんな事言わないであなたはお姉ちゃんなんだから」とお決まりの対応である。
弟は一人だけ男の子だったので、いつも我関せずとマイペースに好きに一人遊びをしていた。
それと叔母は男の子が欲しかったらしくやたらと可愛がっていた。
もうどこに行っても「お姉ちゃん」
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」の嵐。
本当にどこにいても息が抜けなかった。
私は本来皆を仕切ったり頼られたり引っ張っていくリーダータイプじゃないのだ。
そりゃあ、私だって弟や従姉妹達は可愛いから面倒見るよ。
でも私だってそれをするためだけに生まれてきた訳じゃない。
始めは弟を可愛がっていた私も成長するにしたがって「こいつさえいなければ」と疎ましく思うようになっていった。
だって私の人生の中でその弟がいたから嫌な思いをする事はあっても良かったと思った事は一度もないから。
助けたり面倒を見る事は日常茶飯事だったけど、反対になにかをしてもらったりした事は本当に無い。
そしてそれは今現在まで続いている。
「年の近い兄弟は前世は仇同士」とはよく言ったものだ。
私はいつもこう思っていた。
もし、私が一人っ子だったら。
もし、私が末っ子で兄や姉がいたら。
だから私の妄想家族の中では私はいつも末っ子で優しい兄や姉がいる(笑)
笑えるけど、私はそうやって小さな頃から妄想家族を作る事で現実の寂しさをまぎらわせてきた。
昔の時代大家族の長女、長男もこうやって育てられたのだろうか。
でも、色々な歴史を紐解いてみたり身近な他人の家を見ても長女はわからないが「長男」は日本ではかなり可愛がられ大事にされていると聞く。
長女はどうだったのだろう?
そして時が経った今。
そんな甘やかされた弟は本当にとんでもなくダメな大人になり、両親と弟は10年前から断絶し、祖父母や叔母を含めた親戚等は弟の存在を初めからいなかったかのようにして生きている。
しかし、そんな鼻つまみ者の弟が唯一連絡をしてくるのが皮肉な事に私である。
金銭的にも精神的にも頼りきってきている。
しかも腹の立つ事に弟の中ではもう「やってもらうのが当たり前」な考えなのだ。
小さな頃からそうやって生きてきたからだし、親も周りもそうやって育てた。
困ったら誰かが何とかしてくれるという考えが抜けないので人生後先考えずいつも行き当たりばったりだ。
当然、問題ばかり起こし尻拭いはいつも私だ。
30も半ばになって私はまだ弟の面倒を見なければならないなんて、つくづく自分の宿命を恨む。
親と絶縁してるため、保証人の欄にいつも私の名前を書くらしく金銭的にもかなり尻拭いをしてきた。
それでも感謝の言葉一つ無く平然としている。
そればかりか「お前は俺に迷惑をかけ続けられる運命だ。諦めろ」と偉そうに言われた時には本当に殺意が沸いた。
そんな人間なので当然周りの人間に見放され弟は日々孤独に生きている。
それでも、自分に非があるとは微塵も思っていない。
悪いのは全部両親や周りの人間だというのだ。
そして今でも私は両親から「あんた弟の事頼むね。あんたがしっかりしてくれてるから助かるわ」とまだ言われてるのである。
散々甘やかしておいて手に負えなくなったらポイかよ。
だから、私は本来は全然しっかりなんてしてないし、現に今鬱だし。
亡くなった祖母は亡くなるまで全くと言っていいほど弟の話はしなかったが、一度だけ祖母が亡くなる数ヵ月前病床でポツリと「あの子は生きてるのかね。でもあの子は沢山の人に迷惑をかけて悲しませてきたからもういい」と私にだけ呟くように言った。
祖母の複雑な心境を思うとかわいそうで胸が締め付けられる思いだった。
と同時に年老いた祖父母に散々迷惑や心配をかけて本当に罰当たりな弟だと腹わたが煮えくり返った。
無論、この話は弟にも誰にも話さず墓場まで持っていくつもりだ。
悲しい事にこういう話をしても、自分を省みるどころか逆に相手を恨むのが弟の性格なのだ。
そして私は持って生まれた性分なのかそんなどうしようもない弟でも完全には見放す事が出来ずにいる。
話はそれたが、そのように私は生まれながらにして「お姉ちゃん」でなくてはならない星回りの人生だった。
だから、それが嫌で作る友人は見事に皆「お姉ちゃん気質」な人ばかりだ。
大人になってから知って驚いたのだが世の中にはこの私が大嫌いで逃れたくてしょうがない「お姉ちゃん」的な存在でありたい人がたくさんいるのだ。
人に頼られたり、物を教えたり、甘えて欲しい側の体質の人間がいるのだ。
(私もこういう体質に生まれてたらどんなにか楽に自分の境遇を受け入れられただろう)
そういう人とは年上、年下関係なくどうやらお互いに気が合うようで、どんなに甘えても「も~あんただったら」と言いながらも甘えさせてくれる。
お互いに心地よい。
私が本来の自分でいられる関係である。
だから私は昔から歳上のしっかり者のお姉さんが大好き。
逆に私が全く合わないのが「妹キャラ」の人。
私のトラウマを彷彿とさせる最も苦手なタイプで友人にはいない。
拒絶反応を起こして全く受け付けられないのである。
年下でもしっかりしてる人なら全然大丈夫。
現に年下の「お姉さんキャラ」な友人も何人かいる。
でも不思議な事に、世の中にはどうやら「因縁」というものが本当にあるらしくそういう苦手なタイプの人に妙に好かれてしまったりするのだからたまらない。
どんなに素っ気なくしてもつれなくしても(失礼)、昔の私の従姉妹達みたく慕ってくるから困りものである。
(因みに従姉妹達とは仲良しで今でもたまに会ってるが大人になったとは言えその図式は変わらずそういう面では正直あまり居心地は良くない)
でもその自分の「因縁」をより深く感じるのが女より男だ。
つまり今まで付き合ってきた男性すべてが見事に末っ子男なのである。
そして恐らく生涯を共にするであろううちの夫も末っ子でしかも「弟気質」なのだからつくづく因縁とは無視出来ない.ものだとおもう。
好きになった相手にまず最初に私は「長男ですか?」と聞く。
もちろん相手にはギョッとされるが、世間のいうそういう意味ではないのだ。
むしろ、長男であってくれと思って聞いているのに帰ってくる言葉は「っていうか末っ子です」なのだ。
それでも、20歳頃の時長く付き合った年上の彼は末っ子でも「俺についてこい」タイプで私は本当に頼りきって甘えられたし後にも先にもあんなにべったりよりかかれた相手はいなかった。
黙っていても、デートから何から全部彼が決めてくれた。
わがまま言ってもほぼ叶えてくれた。
ファザコン気味の私の心の穴を埋めてくれた唯一の相手だった。
でも、束縛が本当に物凄くて若かった私は耐えきれなくなり別れた。
それが無かったら別れなかったかも知れないなと思う位に私は彼が大好きだったし、私は彼の前では「お姉ちゃん」でいないでいられた。
でも、そんな付き合い方でもその彼には「お前って年下だし全然頼りないのに何か母性を感じるんだよな。お前といると安心するのは何でなんだろうな」とよく言われてたので私にも分からないどこかにそういう部分があるのだろうか。
その言葉は今の夫にも口癖のように言われる。
そうそう、本題はこれだよ、前置き長いよ自分。
夫に対してのちょっと思う事だ。
その夫がもうもろに「弟気質」でそれがたまに辛くなるんだって事を言いたかったんだよ。
もちろんうちの弟みたいにどうしようもないのに態度だけは偉そうなタイプでは全然無くて、むしろ受け身で言われた事を素直にやる「弟気質」。
でも、進んで自分から相手にっていう所がないというか。
いわゆる全く「気の効かない」「気の付かない」タイプなんですよ。
だいたい、初めて夫の実家に言った時に姑に最初に
「この子は小さい頃からボーッとしててね、いっつも誰か世話役のお姉さん的存在の人が必ずまわりにいて色々やってもらってたの。だから連れてくる女の子は絶対に年上のしっかりした人だと思ってた。うちの息子ボーッとしてるからお願いね、もこもこさん」
って言われた時私は思わず笑ってしまったよ。
もう頭の中、世にも奇妙な物語のテーマソング流れてたよ。
いや、薄々気づいてましたよ。
嫌な予感はしてましたよ。
だってね、まず彼、3つも年下だもん。
ファザコン気味で甘えたい私が、年下なんか全く惹かれなかった私が何故かどんどん惹かれて付き合ってみたらやっぱりこうきたかって感じですよ。
しかも年下でも、しっかりしたお兄さんキャラの人もたくさんいるだろうに、うちの夫全くそんな気配無いんだもん(涙)
私はその時に悟りました。
「人生逃げたらダメだ」
ではなく
「人生逃げてもムダ」
もう、自分の持って生まれた定めって本当にあるんだよね。
そこからは逃げられないようになってるんだよ。
まあ、前世から持ってきたそういう因縁があるんでしょう。
そう悟って彼と結婚までした今ですが、やっぱり私は「お姉さん」で彼は「弟」です(笑)
彼は本当に天然というか、おっとりとした真面目な人で優しいです。
私が言った事は何でもやってくれます。
私がこんなになっても「いいよ、いいよ休んでなよ」と言ってくれるし、私は彼に感謝してもしきれません。
しかし、
しかし、
しかし、
何も言わないと本当にな~んにもしません。
結婚してだいぶ私も言ったので彼も結構変わってきてくれてはいますが、たまに「何でこんな事まで言わないと分からないんだろう」と思う事もあります。
あと、やはり自分から相手に働きかけるという事がほぼありません。
何に対しても、誰に対してもとにかく「受け身」です。
だから、人とぶつかる事もないけど深い関係もなかなか出来ないような気がします。
でも、それが彼の長所でもあるので私は普段は気になりません。
私には出来ない事も難なくクリアしたりするので、そういう所は本当に尊敬しています。
でも、今回病気が酷くなって「ん?んー?」と思う事も出てきました。
それは彼が私の病気について全く興味を持とうとしない事、知ろうとしない事です。
確かに私は彼と付き合った時から病気だったので今更気にならないのかもしれません。
でも、彼と付き合ってからこんなに長く酷いのは初めてなんです。
もう何ヵ月も、身内とすら電話出来ていない。
当然、遠方の両親や友人は心配して夫に電話をかけて聞いてきます。
しかし、肝心の夫が何も知らないから相手の問いかけにしどろもどろになってるのです。
両親や友人も心配して色々質問してるのに夫が余りにも的を射ない返事しかしないのでちょっと不満そうにしてるのが、隣で漏れ聞こえてくる雰囲気で分かるんだよね。
「いや、毎日横になってますね。」
「う~ん、病院には行ったみたいですよ」
「え?何て言われたか?う~ん、薬はもらってきたみたいですけどね」
と、まあこんな感じ。
いや、私も言いませんよ一々。
決して明るい話ではないし、夫には仕事に集中して欲しいし。
そういう思いで今まで具合悪くてもほとんど言ったり態度を見せたりはしてきませんでした。
でも、最近思ったんですよね。
私が、こうやって「死ね死ね団」と闘った夜もある位キツイ病気になってるのに、夫がそれを知らないって夫婦としてどうなのかなって。
今まではそんなもんとしてやってきましたが、実はある出来事から私も疑問に思うようになったんです。
それは3月の上旬。
一番鬱が酷くて私は初めて家で泣き叫んで錯乱状態になったんです。
とにかくはっきり覚えていませんが、ひたすら泣き叫んでそのうち過呼吸になって余りの苦しさに、おろおろしてる夫に「もう無理!救急車!お願い救急車呼んで!」って頼んだんです。
そんな息も絶え絶えの中でも私は彼に「救急隊員さんにこう言って」と病状をざっと説明。
そんなの一緒に暮らしている夫婦なら分かるだろうから夫に任せとけばいいものなんでしょうけど私は「この人は救急隊員に何も説明出来ないだろう」ととっさに思ったんですよね。
それで運ばれた救急車の中で私は苦しくて話せないので救急隊員は当然夫に「いつからこういう状態なのかとか色々聞きますよね?
案の定は「いやー、ちょっと分からないですねー」とかそんなんばっかりなんですよ。
んで、明らかに救急隊員さんが「え?あなた旦那さんですよね?」みたいな反応なのが薄れゆく意識の中でむ読み取れたっていう。
思えばその辺りからかな。
夫に対して色々思い始めたのは。
これが逆だったら、私は夫が何の病気になってもそれについて必死に勉強したり情報を得たりすると思うんですよね。
まして、夫が寝てる私の横で自殺する方法を考えるくらいに思い詰めて苦しんでたとしたら一緒に闘いたいなと思いますよね。
夫婦なんだから、力を合わせないとって。
うちの夫なんて鬱にでもなったら私に全面的に寄りかかってきますよ絶対に。
ちょっと咳が続いただけで「肺癌じゃないか」とビクビクして大騒ぎする人ですからね。
でも、それが逆だと夫は私の状態には関心を示さない。
最近夫に「あなたって私の病気に無関心だよね」と言ったら「そんな事ないよ~」と言ったので「じゃあ、私がどんな症状で苦しんでるか言ってみて」と聞いたら「え~?いや、それはちょっと分からないけど、でも云々…」と誤魔化してたのでやっぱり関心ないんですよね。
私なら強いししっかりしてるし何とか乗り越えるでしょ位に軽く考えてるんでしょう。
要は、息子と母親みたいな感覚ですよね。
もうこれは、弟気質とか関係無く男ってそんなもんなのかな。
「鬱」って目に見えないからってのもあるかも。
多分、私が今日から手にグルグルに包帯巻いてたら夫はめっちゃ心配してくれるかもな。
う~ん、こういうのって常に難しい問題ですよね。
私もここまで鬱が酷くなかったら夫には言わなくていいやって思ってたんですけどねぇ。
これじゃあ、精神的には独身時代と変わらないな。
いや、負担は増えてるな
ってそんな事言ったら罰当たるかな。
うん、だからそうそう、私は相手の事を考えたりお世話をするけど、相手からこっちにはないというスタンスが昔から私の人生変わらないなーとか思ったんだよね。
え?
夫は一生懸命働いてるじゃんって?
もちろん、それは、感謝してもしきれないです。
いつも心の底からありがたく思ってます。
思ってるから、私の病気の事で困らせたくなくて何も言わないできたんですよ。
でも、一生懸命働いてたら妻の病気に関心持たなくていいのか?蚊に刺された訳じゃないんだぞ?っていう考えは間違ってるのか?
うーむ。
今は考えても分からない。
とりあえずそんなこんなで、私は今日も「お姉ちゃん」やってます。
朝方何回か目を覚ましビクつきが多少あり、浅い睡眠のまま悪夢ばかり見て結局10時半起床。
自律神経がおかしいからか、寝起きはいつも汗が出る程体か火照っているので、上着を脱いで少し窓を開けたりしたらすぐに体温が下がり寒くて寒くて眠れなくなる。
毎日がこうなので私の枕元にはいつも暖かい飲み物の入ったボトルを置いてある。
身体が鉛のように重くて1時間位布団から出られず。
雨のためか頭が締め付けられて重い。
フラフラと目眩があり集中力も無く頭がまわらない。
朝起きてすぐに「死にたい」と思ってしまった。
今日も不調だ。
死ぬほどめんどくさかったけどシャワーを浴びて、野菜スープ作りと洗濯だけして今布団。
今日から配食サービスが来てくれるので夫の夕食の心配をしなくて済むようになる。
これは本当にありがたい。
毎日玄米と野菜スープ系だけ用意すればいいのだ。
罪悪感は捨てるように努力している。
お互いの両親も遠くにいて友人もいないこの土地では頼れるものはこうしたシステムしかないのだ。
夫には申し訳ないが、無理しないでもっと早くこうしてれば良かった。
その夫に対してちょっと思う所がある。
それを述べるには私の生い立ちを少し話す必要がある。
私は3人兄弟の長女だ。
弟が2人。
年子と10歳下。
その年子の弟は小さい頃から本当に手がかかった。
いつも泣いてグズグズし、母親にべったりで毎朝保育園に行きたくないと泣いて親を困らせていた。
その頃両親は離婚。
私達は母親の実家へ。
母親は元来娘より息子を可愛がるというが、うちも例外なくそうだった。
だから私はその分祖父母に思いっきり甘えていた。
それも2年位で母親が再婚した事で新たに遠方へ引っ越す事になり私は甘えられる存在を失ってしまう。
再婚した父親は凄くいい人で私を可愛がってくれたが父親なんてものは仕事が忙しくてほとんど家にいない。
私はいつも自分の「誰かに甘えたい」という気持ちをもて余していた。
なんせ、母親は手のかかる弟に手一杯で私が甘える隙がない。
何かにつけて「あんたはお姉ちゃんでしょ」
「あんたは本当にしっかりしてていい子ね」
私は今でもこの言葉が大嫌いだ。
年子の子供を持つ私の友人は上の子に対して絶対にそのような言葉を言わないようにしてると言う。
たまたま上に産まれただけで子供は子供。
甘えたい気持ちは下の子と同じなのだから、上の子だけ「お姉ちゃん」と言って我慢さはせるのはかわいそうだしおかしいと。
本当に私もその通りだと思う。
私は「いい子」でも何でもない。
ただただ親に甘えたい普通の子供だ。
それは幼い子供が持つ当たり前の感情だし、それが普通だ。
でも、弟がいるから出来ない。
しっかりせざるを得ない。
我が儘なんて言えない。
「いい子」でいるしかなかっただけだ。
そんな中でまた弟が産まれた。
また私は弟の面倒を見る「お姉ちゃん」だ。
小さな弟が産まれた事で私と年子の弟は毎年夏休みや冬休みに祖父母の家に泊まりに行く習慣が出来た。
私は期待した。
祖父母の家に行けば思いっきり可愛がって甘えさせてくれる。
日頃の寂しさも忘れられる。
しかし、そこでも私は「お姉ちゃん」だった。
祖父母の家には同じように毎回3人姉妹の従姉妹も来ていた。
その従姉妹の中でもやはり私は一番歳上だったのだ。
祖父母の家までは地下鉄を乗り継いでバスで1時間半。
小学校の低学年の私に母親はいつも「弟を頼むね。あんたがしっかりしてるから安心して任せられるわ」と言って私達を送り出した。
ボーッとした頼りない弟の手を引いて地下鉄の切符を買い、バスに乗れば必ず酔って泣いて吐いてしまう弟の世話を毎回しながら祖父母の家に行った。
祖父母の家に行ったら今度は従姉妹達の面倒だ。
何しろ年の近い三姉妹だ。
毎日毎日朝から晩までギャーギャーピーピーと大喧嘩。
それも、シールを取っただの取られただの、鉛筆を取っただの取られただのと女子特有のくだらない喧嘩ばっかり。
そしてご飯の時と、寝る時に誰が私の両隣を陣取るかでも毎回大喧嘩。
必ず誰かが泣いて「お母さ~ん」と始まる。
そうすると叔母がやってきて「もこもこちゃんはお姉ちゃんなんだから云々~」と私が必ず怒られる。
知らねえよ。
だいたい私は一人で寝たいし、誰の隣で寝るとかご飯食べるとか、シールとか一緒に風呂とかトイレとかどうだっていいんだよ。
くだらない喧嘩に巻き込まれてるのはこっちなのに何で怒られなきゃいけねんだよ。
こっちだって実家でもこっちでも1日中みんなの面倒みていっぱいいっぱいだよ。
怒られる度に私は心の中でこう毒づいていた。
段々と従姉妹達の相手をする事が苦になっていった。
喧嘩ばかりなので面白くなくなっていったので、私が嫌になって一人で遊びに行こうとすると従姉妹が泣く。
そこの土地には2年位住んでたため友人がいたので、その友人達と遊びたくて行こうとしても従姉妹が泣く。
だから行けなくて我慢する、ふてくされたままでいる。
「もこもこお姉ちゃんの意地悪、冷たい」
結局私が悪者だ。
私は意地悪なお姉ちゃんだ。
面倒見て褒められる事はなくても、私には関係ない喧嘩の事で怒られる事は多かった。
たまらず祖父母の所に言いに言っても「そんな事言わないであなたはお姉ちゃんなんだから」とお決まりの対応である。
弟は一人だけ男の子だったので、いつも我関せずとマイペースに好きに一人遊びをしていた。
それと叔母は男の子が欲しかったらしくやたらと可愛がっていた。
もうどこに行っても「お姉ちゃん」
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」の嵐。
本当にどこにいても息が抜けなかった。
私は本来皆を仕切ったり頼られたり引っ張っていくリーダータイプじゃないのだ。
そりゃあ、私だって弟や従姉妹達は可愛いから面倒見るよ。
でも私だってそれをするためだけに生まれてきた訳じゃない。
始めは弟を可愛がっていた私も成長するにしたがって「こいつさえいなければ」と疎ましく思うようになっていった。
だって私の人生の中でその弟がいたから嫌な思いをする事はあっても良かったと思った事は一度もないから。
助けたり面倒を見る事は日常茶飯事だったけど、反対になにかをしてもらったりした事は本当に無い。
そしてそれは今現在まで続いている。
「年の近い兄弟は前世は仇同士」とはよく言ったものだ。
私はいつもこう思っていた。
もし、私が一人っ子だったら。
もし、私が末っ子で兄や姉がいたら。
だから私の妄想家族の中では私はいつも末っ子で優しい兄や姉がいる(笑)
笑えるけど、私はそうやって小さな頃から妄想家族を作る事で現実の寂しさをまぎらわせてきた。
昔の時代大家族の長女、長男もこうやって育てられたのだろうか。
でも、色々な歴史を紐解いてみたり身近な他人の家を見ても長女はわからないが「長男」は日本ではかなり可愛がられ大事にされていると聞く。
長女はどうだったのだろう?
そして時が経った今。
そんな甘やかされた弟は本当にとんでもなくダメな大人になり、両親と弟は10年前から断絶し、祖父母や叔母を含めた親戚等は弟の存在を初めからいなかったかのようにして生きている。
しかし、そんな鼻つまみ者の弟が唯一連絡をしてくるのが皮肉な事に私である。
金銭的にも精神的にも頼りきってきている。
しかも腹の立つ事に弟の中ではもう「やってもらうのが当たり前」な考えなのだ。
小さな頃からそうやって生きてきたからだし、親も周りもそうやって育てた。
困ったら誰かが何とかしてくれるという考えが抜けないので人生後先考えずいつも行き当たりばったりだ。
当然、問題ばかり起こし尻拭いはいつも私だ。
30も半ばになって私はまだ弟の面倒を見なければならないなんて、つくづく自分の宿命を恨む。
親と絶縁してるため、保証人の欄にいつも私の名前を書くらしく金銭的にもかなり尻拭いをしてきた。
それでも感謝の言葉一つ無く平然としている。
そればかりか「お前は俺に迷惑をかけ続けられる運命だ。諦めろ」と偉そうに言われた時には本当に殺意が沸いた。
そんな人間なので当然周りの人間に見放され弟は日々孤独に生きている。
それでも、自分に非があるとは微塵も思っていない。
悪いのは全部両親や周りの人間だというのだ。
そして今でも私は両親から「あんた弟の事頼むね。あんたがしっかりしてくれてるから助かるわ」とまだ言われてるのである。
散々甘やかしておいて手に負えなくなったらポイかよ。
だから、私は本来は全然しっかりなんてしてないし、現に今鬱だし。
亡くなった祖母は亡くなるまで全くと言っていいほど弟の話はしなかったが、一度だけ祖母が亡くなる数ヵ月前病床でポツリと「あの子は生きてるのかね。でもあの子は沢山の人に迷惑をかけて悲しませてきたからもういい」と私にだけ呟くように言った。
祖母の複雑な心境を思うとかわいそうで胸が締め付けられる思いだった。
と同時に年老いた祖父母に散々迷惑や心配をかけて本当に罰当たりな弟だと腹わたが煮えくり返った。
無論、この話は弟にも誰にも話さず墓場まで持っていくつもりだ。
悲しい事にこういう話をしても、自分を省みるどころか逆に相手を恨むのが弟の性格なのだ。
そして私は持って生まれた性分なのかそんなどうしようもない弟でも完全には見放す事が出来ずにいる。
話はそれたが、そのように私は生まれながらにして「お姉ちゃん」でなくてはならない星回りの人生だった。
だから、それが嫌で作る友人は見事に皆「お姉ちゃん気質」な人ばかりだ。
大人になってから知って驚いたのだが世の中にはこの私が大嫌いで逃れたくてしょうがない「お姉ちゃん」的な存在でありたい人がたくさんいるのだ。
人に頼られたり、物を教えたり、甘えて欲しい側の体質の人間がいるのだ。
(私もこういう体質に生まれてたらどんなにか楽に自分の境遇を受け入れられただろう)
そういう人とは年上、年下関係なくどうやらお互いに気が合うようで、どんなに甘えても「も~あんただったら」と言いながらも甘えさせてくれる。
お互いに心地よい。
私が本来の自分でいられる関係である。
だから私は昔から歳上のしっかり者のお姉さんが大好き。
逆に私が全く合わないのが「妹キャラ」の人。
私のトラウマを彷彿とさせる最も苦手なタイプで友人にはいない。
拒絶反応を起こして全く受け付けられないのである。
年下でもしっかりしてる人なら全然大丈夫。
現に年下の「お姉さんキャラ」な友人も何人かいる。
でも不思議な事に、世の中にはどうやら「因縁」というものが本当にあるらしくそういう苦手なタイプの人に妙に好かれてしまったりするのだからたまらない。
どんなに素っ気なくしてもつれなくしても(失礼)、昔の私の従姉妹達みたく慕ってくるから困りものである。
(因みに従姉妹達とは仲良しで今でもたまに会ってるが大人になったとは言えその図式は変わらずそういう面では正直あまり居心地は良くない)
でもその自分の「因縁」をより深く感じるのが女より男だ。
つまり今まで付き合ってきた男性すべてが見事に末っ子男なのである。
そして恐らく生涯を共にするであろううちの夫も末っ子でしかも「弟気質」なのだからつくづく因縁とは無視出来ない.ものだとおもう。
好きになった相手にまず最初に私は「長男ですか?」と聞く。
もちろん相手にはギョッとされるが、世間のいうそういう意味ではないのだ。
むしろ、長男であってくれと思って聞いているのに帰ってくる言葉は「っていうか末っ子です」なのだ。
それでも、20歳頃の時長く付き合った年上の彼は末っ子でも「俺についてこい」タイプで私は本当に頼りきって甘えられたし後にも先にもあんなにべったりよりかかれた相手はいなかった。
黙っていても、デートから何から全部彼が決めてくれた。
わがまま言ってもほぼ叶えてくれた。
ファザコン気味の私の心の穴を埋めてくれた唯一の相手だった。
でも、束縛が本当に物凄くて若かった私は耐えきれなくなり別れた。
それが無かったら別れなかったかも知れないなと思う位に私は彼が大好きだったし、私は彼の前では「お姉ちゃん」でいないでいられた。
でも、そんな付き合い方でもその彼には「お前って年下だし全然頼りないのに何か母性を感じるんだよな。お前といると安心するのは何でなんだろうな」とよく言われてたので私にも分からないどこかにそういう部分があるのだろうか。
その言葉は今の夫にも口癖のように言われる。
そうそう、本題はこれだよ、前置き長いよ自分。
夫に対してのちょっと思う事だ。
その夫がもうもろに「弟気質」でそれがたまに辛くなるんだって事を言いたかったんだよ。
もちろんうちの弟みたいにどうしようもないのに態度だけは偉そうなタイプでは全然無くて、むしろ受け身で言われた事を素直にやる「弟気質」。
でも、進んで自分から相手にっていう所がないというか。
いわゆる全く「気の効かない」「気の付かない」タイプなんですよ。
だいたい、初めて夫の実家に言った時に姑に最初に
「この子は小さい頃からボーッとしててね、いっつも誰か世話役のお姉さん的存在の人が必ずまわりにいて色々やってもらってたの。だから連れてくる女の子は絶対に年上のしっかりした人だと思ってた。うちの息子ボーッとしてるからお願いね、もこもこさん」
って言われた時私は思わず笑ってしまったよ。
もう頭の中、世にも奇妙な物語のテーマソング流れてたよ。
いや、薄々気づいてましたよ。
嫌な予感はしてましたよ。
だってね、まず彼、3つも年下だもん。
ファザコン気味で甘えたい私が、年下なんか全く惹かれなかった私が何故かどんどん惹かれて付き合ってみたらやっぱりこうきたかって感じですよ。
しかも年下でも、しっかりしたお兄さんキャラの人もたくさんいるだろうに、うちの夫全くそんな気配無いんだもん(涙)
私はその時に悟りました。
「人生逃げたらダメだ」
ではなく
「人生逃げてもムダ」
もう、自分の持って生まれた定めって本当にあるんだよね。
そこからは逃げられないようになってるんだよ。
まあ、前世から持ってきたそういう因縁があるんでしょう。
そう悟って彼と結婚までした今ですが、やっぱり私は「お姉さん」で彼は「弟」です(笑)
彼は本当に天然というか、おっとりとした真面目な人で優しいです。
私が言った事は何でもやってくれます。
私がこんなになっても「いいよ、いいよ休んでなよ」と言ってくれるし、私は彼に感謝してもしきれません。
しかし、
しかし、
しかし、
何も言わないと本当にな~んにもしません。
結婚してだいぶ私も言ったので彼も結構変わってきてくれてはいますが、たまに「何でこんな事まで言わないと分からないんだろう」と思う事もあります。
あと、やはり自分から相手に働きかけるという事がほぼありません。
何に対しても、誰に対してもとにかく「受け身」です。
だから、人とぶつかる事もないけど深い関係もなかなか出来ないような気がします。
でも、それが彼の長所でもあるので私は普段は気になりません。
私には出来ない事も難なくクリアしたりするので、そういう所は本当に尊敬しています。
でも、今回病気が酷くなって「ん?んー?」と思う事も出てきました。
それは彼が私の病気について全く興味を持とうとしない事、知ろうとしない事です。
確かに私は彼と付き合った時から病気だったので今更気にならないのかもしれません。
でも、彼と付き合ってからこんなに長く酷いのは初めてなんです。
もう何ヵ月も、身内とすら電話出来ていない。
当然、遠方の両親や友人は心配して夫に電話をかけて聞いてきます。
しかし、肝心の夫が何も知らないから相手の問いかけにしどろもどろになってるのです。
両親や友人も心配して色々質問してるのに夫が余りにも的を射ない返事しかしないのでちょっと不満そうにしてるのが、隣で漏れ聞こえてくる雰囲気で分かるんだよね。
「いや、毎日横になってますね。」
「う~ん、病院には行ったみたいですよ」
「え?何て言われたか?う~ん、薬はもらってきたみたいですけどね」
と、まあこんな感じ。
いや、私も言いませんよ一々。
決して明るい話ではないし、夫には仕事に集中して欲しいし。
そういう思いで今まで具合悪くてもほとんど言ったり態度を見せたりはしてきませんでした。
でも、最近思ったんですよね。
私が、こうやって「死ね死ね団」と闘った夜もある位キツイ病気になってるのに、夫がそれを知らないって夫婦としてどうなのかなって。
今まではそんなもんとしてやってきましたが、実はある出来事から私も疑問に思うようになったんです。
それは3月の上旬。
一番鬱が酷くて私は初めて家で泣き叫んで錯乱状態になったんです。
とにかくはっきり覚えていませんが、ひたすら泣き叫んでそのうち過呼吸になって余りの苦しさに、おろおろしてる夫に「もう無理!救急車!お願い救急車呼んで!」って頼んだんです。
そんな息も絶え絶えの中でも私は彼に「救急隊員さんにこう言って」と病状をざっと説明。
そんなの一緒に暮らしている夫婦なら分かるだろうから夫に任せとけばいいものなんでしょうけど私は「この人は救急隊員に何も説明出来ないだろう」ととっさに思ったんですよね。
それで運ばれた救急車の中で私は苦しくて話せないので救急隊員は当然夫に「いつからこういう状態なのかとか色々聞きますよね?
案の定は「いやー、ちょっと分からないですねー」とかそんなんばっかりなんですよ。
んで、明らかに救急隊員さんが「え?あなた旦那さんですよね?」みたいな反応なのが薄れゆく意識の中でむ読み取れたっていう。
思えばその辺りからかな。
夫に対して色々思い始めたのは。
これが逆だったら、私は夫が何の病気になってもそれについて必死に勉強したり情報を得たりすると思うんですよね。
まして、夫が寝てる私の横で自殺する方法を考えるくらいに思い詰めて苦しんでたとしたら一緒に闘いたいなと思いますよね。
夫婦なんだから、力を合わせないとって。
うちの夫なんて鬱にでもなったら私に全面的に寄りかかってきますよ絶対に。
ちょっと咳が続いただけで「肺癌じゃないか」とビクビクして大騒ぎする人ですからね。
でも、それが逆だと夫は私の状態には関心を示さない。
最近夫に「あなたって私の病気に無関心だよね」と言ったら「そんな事ないよ~」と言ったので「じゃあ、私がどんな症状で苦しんでるか言ってみて」と聞いたら「え~?いや、それはちょっと分からないけど、でも云々…」と誤魔化してたのでやっぱり関心ないんですよね。
私なら強いししっかりしてるし何とか乗り越えるでしょ位に軽く考えてるんでしょう。
要は、息子と母親みたいな感覚ですよね。
もうこれは、弟気質とか関係無く男ってそんなもんなのかな。
「鬱」って目に見えないからってのもあるかも。
多分、私が今日から手にグルグルに包帯巻いてたら夫はめっちゃ心配してくれるかもな。
う~ん、こういうのって常に難しい問題ですよね。
私もここまで鬱が酷くなかったら夫には言わなくていいやって思ってたんですけどねぇ。
これじゃあ、精神的には独身時代と変わらないな。
いや、負担は増えてるな
ってそんな事言ったら罰当たるかな。
うん、だからそうそう、私は相手の事を考えたりお世話をするけど、相手からこっちにはないというスタンスが昔から私の人生変わらないなーとか思ったんだよね。
え?
夫は一生懸命働いてるじゃんって?
もちろん、それは、感謝してもしきれないです。
いつも心の底からありがたく思ってます。
思ってるから、私の病気の事で困らせたくなくて何も言わないできたんですよ。
でも、一生懸命働いてたら妻の病気に関心持たなくていいのか?蚊に刺された訳じゃないんだぞ?っていう考えは間違ってるのか?
うーむ。
今は考えても分からない。
とりあえずそんなこんなで、私は今日も「お姉ちゃん」やってます。