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ジャニーズとの取引やめないテレビ各局に告ぐ「今すぐジャニ担を廃止せよ」

2023年09月11日 | 事件

TVプロデューサーが提言

 

弁護士ドットコムニュース9/11(月)

 

ジャニーズ事務所は9月7日の記者会見で、藤島ジュリー景子氏が故ジャニー喜多川氏によるタレントへの性加害を認めて謝罪した。タレント引退を発表した東山紀之氏が新社長となった。

事務所がようやく性加害を認めたことを受けて、テレビ各局はジャニーズとの取引について声明を出したが、取引を「止める」と明言した局は現在のところない。

考えてみてほしい。今いったん仕事がなくなるのと、今後ずっと人権侵害状態が続くのと、タレントたちにとってどっちが不幸な状況だろうか。

筆者は正直言って、ジャニーズとテレビ各局の双方が「まともな企業」になるまで取引停止するべきではないかと思っている。(テレビプロデューサー・鎮目博道)

⚫傍若無人な商売をしてきたジャニーズは今さら変われるのか?

ジャニーズは根本的な改革をし、生まれ変わるのだという。しかし、主要な取引先であるテレビとの関係が続いたままでは、ジャニーズに改革への強いモチベーションは働きにくい。

テレビ局側の声明によれば、その理屈は「タレントは被害者で罪はない」といったところだ。だが、「罪のないタレント」がかわいそうだというなら、その期間は事務所ではなく、タレントに直接ギャラを支払うなどの方法もありえる。

これからジャニーズの問題を考えるときに、「ジャニー氏による性加害」にあまりに限定しすぎると正しい理解を妨げるはずだ。問題はそれだけではないからだ。

おぞましい児童への性虐待が認められたジャニー氏はすでに故人であり、今後再発することはない。被害者に誠意を持って粛々とジャニーズが謝罪し、補償をしていくしかない。

しかし、それに加えて考えなければならないのは、現在の所属タレントが新たに人権侵害に遭ってはならないし、さらに言えば、他の事務所に所属するタレントたちも人権侵害に遭ってはならないということだ。

誤解を恐れずに言えば、ジャニーズはこれまで、通常の商慣習上のルールでは許されるはずのないような"滅茶苦茶な商売"をしてきた。

テレビ局などの取引先に対して、そのタレントパワーを背景に、自分たちの意のままに強引な条件で取引をおこない、番組内容からキャスティングまで口を挟み、競合する芸能事務所を妨害したのみならず、報道機関の記者にまで無茶なクレームをつけるなど、まさに傍若無人な振る舞いをしてきた。

SMAPの元メンバー3人の番組起用が明らかに少なくなったことをめぐり、公正取引委員会がジャニーズに注意したこともあった。

このような事務所のタレントに人権が保障されるだろうか? 他の事務所のタレントにも人権蹂躙をしないだろうか? 私は今のままでは非常に怪しいと見ている。

東山社長は9月7日の会見で「テレビ局はジャニーズに忖度する必要はない」「辞めたタレントや競合グループの邪魔もしない」という考えを示した。だが、現場で動くジャニーズの社員は本当にこれまでの振る舞いを変えるのか。

タレントである東山社長にどこまで現場が見えているか疑問だし、経験のない経営者としての手腕にも疑問が残る。本来ならば、芸能とは無関係の業界から経営のプロを連れてきて「社会通念上許されないことはすべてダメ」とハッキリ明言するくらいの改革がされなければ、ジャニーズは変わらないというのは、厳しすぎるだろうか。

今すぐ求められるテレビ側の改革、報道内容にまで口出す「ジャニ担」からまず廃止せよ

変わらなければならないのは、テレビ局も同じだ。今回各局はもっともらしく「人権侵害が起こらないようにします」のようなコメントを出しているが、その中で具体的に何をするのか、なにひとつ約束されていない。残念ながら、この程度の何も中身のないコメントを出すようでは、きっと「ジャニーズへの忖度」は続くだろう。

なぜテレビ各局の報道部門が「忖度して何もジャニーズのことを報じてこなかったか」というと、その大きな原因のひとつは「ジャニ担」という制度があったからだ。

テレビ局に限らず多くのメディアにはジャニーズ事務所との窓口として設けられた「ジャニ担」がいる。

「ジャニ担以外はジャニーズに触れてはならない」という暗黙の了解のもと、「ジャニ担」から「それはやめておいてくれ」と言われれば、報道の現場は悔しい思いをしながらも局の利益・商売を考えてジャニ担の言うことに従い、沈黙した。

横並びの競争の中で、他局よりも不利に扱われたくないという心理の中、ジャニ担という「ジャニーズの御用聞き」の言いなりになったのは、報道機関として恥ずべきことだ。

ジャニ担が存在し続けて、「報道よりも金を稼いでくる制作現場が偉い」という空気を改められなければ、今後も何も変わらない。

そして、ジャニーズ以外にも、タレントへの性加害の噂があったり、タレントの人権を侵害してそうな事務所はもっとあるはずだと、テレビマンとしては考えざるを得ない。

まずテレビ局が取り組むべきは、少なくともジャニ担を廃止することだ。そして、人権侵害の可能性がある事務所と取引しないために、取引先の調査部署を設置すること。調査部署には制作担当部署よりも強い権限を持たせるような具体的な改革案を作成し発表するべきではないか。

  • 「人権侵害事務所」との取引停止をテレビ局に言い渡す「第三者機関」設置を

ただ、残念ながら、テレビ局が「人気者がいる事務所の言うことはなんでも聞き、都合の悪いことには目をつぶる」という体質から完全に抜け出すのは難しいと思う。

そのため、ジャニーズもそれ以外のタレントも、人権侵害を受けた場合に告発できるような第三者機関も設けるべきではないかと思う。

民放連などの業界団体の下に置いてもいいし、タレントによる組合のような団体を新設してそこに設置してもいいだろう。タレントから人権侵害の告発を受けて調査し、人権侵害が認められた事務所との取引を各局に禁止する権限を持つくらいの第三者機関を作らなければ、立場の弱いタレントたちへの人権侵害はなくならないのではないかと思う。

これまで日本の芸能事務所やテレビ局は、タレントをあまりにも「道具」として扱いすぎてきた。「人気さえあればそれでいい。結果が出ればそれでいい」という考え方を改め、「人間」としてきちんと権利を守るのだ、という姿勢に変わるには、今が絶好の機会だ。

今こそ徹底的にテレビ局と芸能事務所のあり方を根本的に改革するべきだ。それをせずに、「ジャニーズとの取引は変わらず継続する」などと言い続けるテレビ局は、もはや誰からの信頼も得ることはできないだろう。

弁護士ドットコムニュース編集部


まともなTV局を取り戻す試金石となるだろう。

 


ジャニーズ事務所は解散が当たり前ではないのか

2023年09月10日 | 社会・経済

 茶番記者会見とテレビ報道

    日刊ゲンダイDIGITAL 2023/09/09

 この国のエンタメ業界を牛耳る組織の異常性が改めて浮き彫りである。ジャニーズ事務所創業者の故・ジャニー喜多川元社長による性加害をめぐり、事務所が7日、ようやく会見。300人もの報道陣が詰めかけ、質疑は4時間超に及んだ。そこで発表されたのは、ジャニー氏の姪の藤島ジュリー景子社長が性加害を事実と認め、「心からおわびを申し上げます」とする謝罪。5日付で社長を引責辞任したものの、被害者の補償にあたるため代表取締役にとどまる中途半端な処分。そして、後任に元少年隊の東山紀之氏(56)が就いたというア然とする新体制への移行だった。

 一連の性加害問題を調査してきた外部専門家による「再発防止特別チーム」(座長・林真琴前検事総長)が先月末に発表した調査報告書は、「喜多川氏は古くは1950年代に性加害を行って以降、ジャニーズ事務所においては1970年代前半から2010年代半ばまでの間、多数のジャニーズJr.に対し、長期間にわたって広範囲に性加害を繰り返していた」と認定。性加害が繰り返された原因として①ジャニー氏の性嗜好異常②ジャニー氏の姉・メリー氏による放置と隠蔽③ジャニーズ事務所の不作為④被害の潜在化を招いた関係性における権力構造--があったと結論づけ、こう提言し、実行を求めた。

「ジャニーズ事務所が解体的な出直しをするため、経営トップたる代表取締役社長を交代する必要があると言わざるを得ず、ジュリー氏が代表取締役を辞任すべきと考える。これにより、ジャニーズ事務所におけるガバナンス不全の最大の原因の一つである同族経営の弊害も防止し得ることになる」

■作法を身につけた大番頭が矢面に

 ところが、フタを開けてみれば、ジュリー氏にとって身内も同然の東山氏へのポスト委譲。ジュリー氏は100%株主のままで、院政シフトは疑いようがない。

 高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。

「ジャニー氏による性加害問題は、英BBCが3月に放送したドキュメンタリー番組『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』によって国内外に周知され、頬かむりを続けてきたジャニーズ事務所がようやく追い込まれましたが、差別やハラスメントを看過しない国際感覚からすれば、『解体的出直し』とは到底言えない。あり得ません。東山氏が会見で〈藤島とは14歳ぐらいのときに会って、僕らは幼なじみみたいな関係性〉と言っていたように、2人の付き合いは深く、家族同様。キャスター経験も積んだ東山氏は弁が立ち、創業一族に不利益になることは決して口にしない作法も身につけ、安心して矢面に立たせられる大番頭ということなのでしょう。もっとも、自身の性加害疑惑について厳しく追及されると想定していたのか。不同意わいせつ罪の公訴時効は12年。そのあたりまでは計算済みだったのかもしれませんが」

 少なく見積もっても数百人とされる性加害が明らかになったのに、ジュリー氏は社長を辞めただけで大株主として君臨。後任の新社長は子飼いで、ハラスメントを暴露された人間を就ける無神経。同族経営の弊害がむしろクッキリである。ジュリー氏は「幼なじみ」に禅譲した理由について「最年長でうちに一番長くいてくれた」「タレントの気持ちが分かる人の方が溝をつくらないと思った」と言っていたが、東山氏の資質を問うあけすけな質問が複数の記者から何度もぶつけられた。

記者 元Jr.が出された書籍の中で、東山社長の性加害について言及している部分がある。

東山 僕が性加害をしたということですか? Jr.に対してですよね? 僕はしたことはないです。

会見で追及された新社長の性加害疑惑

 指摘された書籍は、性加害の被害者でもある元Jr.の山崎正人氏が、木山将吾のペンネームで2005年に上梓した著書「Smapへ-そして、すべてのジャニーズタレントへ」。それによると、東山氏は10代にして2代目社長のような雰囲気を漂わせ、ジャニー氏の番頭気取り。親分を彷彿とさせる癖を見せていたという。

〈彼はマージャンだけではなく、人のパンツを脱がすことが大好きだった。僕も何度もヒガシに背後からパンツを引きずり下ろされ、イタズラされたことがある。そして、パンツを脱いだままよろける姿でいる僕に、ヒガシは『こっちへ来い!』と命令しながら、無理やりに僕の手を引いて、マージャン卓のある部屋まで引き摺っていくのだ〉

〈その部屋ではジャニーさんが待っていて、オロオロする僕を見て大喜びする。『キャッキャ』とまるで少女のように笑い転げている。そのうえ、何度か手を出してきて、僕のペニスを握るのだ〉

〈ヒガシはそれを最高に楽しそうにながめて、腹を抱えて笑うのだ。これが日常茶飯事のお遊びなのだ。品行方正だとジャニーとヒガシが主張する少年合宿所の内実だった。ヒガシはジャニーズ気質を最もよく受け継いでいた〉

「電気アンマ」でJr.の股間を刺激し、勃起させて喜んだり、自分の性器を露出。数人のJr.が食卓を囲んでいると、皿に自分のむき出しの性器をのせて「僕のソーセージを食え!」と命令したこともあったという。

 関連質問は止まらない。

記者「Smapへ」で書かれていることは事実ですか?

東山 僕はその本を読んでいないので、きちっと分かりませんが、事実ではないと思っております。書籍になった場合、やはりある程度のことを書かなければいけないのかなとも思いますので、どうしてもやっぱり噂だったりそういうもので、見られることも多々ありますので、それに関して分かりかねます。

記者 なぜ読んでいないのに虚偽だと分かるのか。

東山 ネットで見ました。

記者 Jr.に自分のパンツを脱いではけばと言ったり、電気アンマをしたり、陰部をさらして「僕のソーセージを食え」と。やられた人たちは覚えている。(中略)ある種の加害を連鎖的にやってしまったんじゃないか。

東山 本当に覚えていないことの方が多くて。若気の至りとか、当時の幼稚さもあったとは思うんですね。

■日テレとテレ朝「出演に変更なし」

 地位を利用して犯罪行為を繰り返した故人の所業に目をつぶり、臭いものにフタをする腐った組織から脱却するはずが、新体制を託されたのは疑惑まみれの東山氏。創業者を冠した社名も変更しない。一般社会のコンプライアンスとは明らかにかけ離れている。解散が当たり前のジャニーズ事務所が世紀の茶番会見で乗り切れると踏んだのは、視聴率ありきのテレビ局とのズブズブの癒着が今後も続くからではないのか。

 特別チームの調査報告書はこうも提言している。

〈メディアは取引関係の中でその影響力を行使することにより人権侵害を即時にやめさせるべきであったし、また、そうすることができたはずであった。そして、このような極めて悪質な人権侵害が行われた高度の蓋然性を認識しながら、その事実を頑なに否定して何ら適切な対応をしてこなかったジャニーズ事務所は、メディアその他の取引先等が適切な人権デュー・ディリジェンスを実施するならば、人権尊重・保護の見地から問題のある企業であるとして取引を断絶され、企業として存亡の危機に立たされることがあってもおかしくない立場にあったものと考えられる〉

 主要な取引先であるテレビ局が毅然とした対応を取り、出禁にするくらいの覚悟を見せれば、ジャニーズ事務所はたちまちヘタる。ところが、日本テレビとテレビ朝日はすぐさま、ジャニタレの番組出演に変更の予定はないと表明した。

 ジャーナリストの青木理氏はこう言う。

「テレビ局の番組編成はエンタメが主ではあるものの、報道においては最低限の矜持があった。そうした空気が後退したのは、ジャニーズをはじめとするタレントが報道番組のキャスターを務め始めたあたりからでしょう。視聴率を左右するキャスティングに重きを置く姿勢があからさまになり、教条的なジャーナリズムを期待しようがないほど絶望的になった。一連のジャニーズ問題は、深まるメディア不信の象徴でもある」

 テレビ各社が厳しい質問が飛び交う会見をネットで生中継しても、これまで通り付き合うのなら加害者も同然だ。共犯といっていい。


 本当に信じられない対応です。「事務所」は被害者への補償対応部署を残し解散すべきです。


日本産水産物「食べて応援!」大合唱のアベコベ

2023年09月09日 | 生活

中国禁輸に対抗し岸田政権が旗振るも…

日刊ゲンダイデジタル 2023/09/09 

 

「食べて応援!」の大合唱だ。東京電力福島第1原発で発生したALPS処理水の海洋放出をめぐって8日、衆参両院で経産委員会と農水委員会の連合審査会が開かれた。放出を強行した岸田政権は国を挙げて日本産水産物の消費キャンペーンを打っているが、先にやるべきことがあるんじゃないか。

 

 ◇  ◇  ◇

 

「国内消費の拡大に向けて、さまざまなイベント、キャンペーンを実施している」──。参院の連合審査会で、西村経産相は中国による日本産水産物の全面禁輸を念頭に説明。「閣僚も先頭に立ってやろうということで、岸田総理も8月30日にALPS処理水の海洋放出後に水揚げされたスズキやタコを食べられて、安全性や魅力などをアピールした」などと胸を張った。

 焦点となったのは「中国依存からの脱却」と「国内需要の拡大」だ。立憲民主党の徳永エリ議員が東大大学院准教授の意見を引き合いに、「中国向けの日本の水産物輸出は1600億~1700億円」「国民約1億人が年間1600~1700円を上乗せして消費することで中国向け輸出分を国内需要に置き換えることができる」と指摘した。

 徳永議員が国内の需要拡大に向けた施策を求めたのに対し、適性が疑われている野村農相は「浜田防衛相が全国の自衛隊の基地や駐屯地で、すべて食材は『常磐モノ』に切り替えるということで指示された」などと答弁。「相当、消費拡大につながるんだろうと思います」と、トンチンカンな受け答えをしていた。

水産物は軒並み値上がり、物価高騰で実質賃金も16カ月減

 そんなトップとは対照的なのが、農水省の公式X(旧ツイッター)。これがバズりまくっている。

〈#食べるぜ ニッポン!〉とのハッシュタグを考案し、〈食べるぜ〉を赤色、〈ニッポン!〉を銀色の独特なフォントで強調した画像を作成。画像とともに〈日本産水産物の消費拡大に資する取組を実施します〉を投稿したところ、なんと閲覧数は1900万回超え。公式アカウントを開設して以来、最多記録をたたき出した。

〈#食べるぜ ニッポン!〉の元ネタは、2016年にツイッター上で話題を呼んだ〈5000兆円 欲しい!〉の画像といわれている。農水省にオマージュしたのかどうか聞くと、「そうではなく、インパクトの強いフォントを使った」(広報室)との回答だった。

 政府は一丸となって「食べて応援!」の旗を振っているが、家計を取り巻く厳しい事情を承知の上なのか。

 水産庁の「水産白書」(2022年)によると、「漁業及び養殖業の平均産地価格」は21年に前年から16円/キログラム上昇し、327円/キログラムに値上がり。不漁によって漁獲量が減少しているサンマやスルメイカも高騰し、生鮮魚介類の年間1人当たり購入量(22年)は前年より14%減少した。価格の大幅な上昇が要因とみられている。

 農水省の「食料・農業及び水産業に関する意識・意向調査」によれば、魚よりも肉を買う理由は「肉類を家族が求めるから」(45.9%)に次いで、「魚介類は価格が高いから」(42.1%)だった。

「食べて応援!」とハッパをかけられたところで、水産物は値上がり。物価高騰で実質賃金の16カ月マイナスが響き、家計消費支出は5カ月連続マイナスだ。無策の犠牲になっている水産事業者は気の毒だが、応援して欲しいのは消費者も同じだ。経済ジャーナリストの荻原博子氏がこう言う。

「国内の水産物需要が伸びないのは、やはり値段が上がっているからでしょう。かつては庶民の味方だったサンマも値上がりしています。肉類も高騰していますが、鶏肉なら魚の切り身よりも安い。ガソリンや電気・ガス代の高騰、食品の値上がりが家計を圧迫して節約志向が強まっているのに、政府は『食べて応援』する余裕があると考えているのでしょうか。まず政府には、国産の魚を庶民が気軽に食べられる政策を打ち出して欲しいものです」

 もとをただせば、人口減で細る国内需要を穴埋めするために農林水産物・食品の輸出拡大が図られた。買い手がいなくなった途端に「食べて応援!」なんて言われると、こう言い返したくなる。だったら5000兆円欲しい!


 今、ガソリンや電気が高騰し、なんでもって生活費を維持するのか、国民は「食費」を削ることを選択せざるを得ない状況である。国民1人当たり「年間1600~1700円を上乗せして消費」と簡単そうに言うが4人家族なら6400円である。実質賃金が下がり続けているとき、これは無謀なプロパガンダだ。


神宮外苑の再開発に「遺産危機警告(ヘリテージアラート)」

2023年09月08日 | 自然・農業・環境問題

ユネスコ諮問機関が「世界に類を見ない文化遺産」

ユネスコの諮問機関である国際イコモスが、神宮外苑の再開発に対しヘリテージアラートを出し、東京都や事業者に見直しを求めています
 
 

ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)と日本イコモス国内委員会が9月7日、東京・神宮外苑の再開発に対して「遺産危機警告(ヘリテージアラート)」を出した。

イコモスは今回のヘリテージアラートで「世界的に有名な公園である神宮外苑で3000本もの樹木が伐採され、市民との協議なしに高層ビルが建てられようとしている」として、事業者や東京都などに対して計画を見直すよう求めている。

 

神宮外苑を「卓越した文化遺産」と評価

神宮外苑は約100年前に、「永遠の杜」である神宮内苑の対になる「人々に開かれた杜」として、国民の寄付や奉仕活動によって作られた。

さらに、都市公園の役割について「人々の憩いの場であり、豊かな生物多様性を維持し、ヒートアイランド現象を和らげ、大規模地震などの自然災害時の避難所としての役割も果たす」と説明している。

神宮外苑

事業者によると、その過程で743本の高中木(3メートル以上の樹木)が伐採される。また、ツツジなどの小さな低木(3メートル未満の樹木)を含めた伐採数は、一部エリアだけで約3000本になる。

ヘリテージアラートを出すとともに、事業者や東京都、自治体、国に対し以下の5つを要請している。

1. 事業者の三井不動産、明治神宮、日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事への要請:神宮外苑の再開発計画を撤回し、国際的企業や宗教法人、スポーツ促進団体として、社会的、倫理的責任を果たすこと

2. 東京都への要請:高層ビルの建築が市民の公園利用の権利を永遠に奪うものであるという事態を鑑みて、神宮外苑再開発に関する都市計画決定を見直し、環境アセスメントの再審を行うこと

3. 明治神宮への要請:神宮外苑が市民からの寄付と奉仕活動によって作られ、「美しい公園として永遠に維持する」という約束のもとに奉献された歴史を考慮して、再開発事業から速やかに撤退すること

4. 港区、新宿区、渋谷区への要請:未来の世代のために、神宮外苑を名勝指定するための取り組みを行うこと

神宮外苑の再開発に対し、日本イコモス国内委員会は、樹木を伐採しない案を提案している。

日本イコモス国内委員会が提案する伐採を伴わない再開発プラン

日本イコモス国内委員会が提案する伐採を伴わない再開発プラン

Laboratory of Green Infrastructure in Research and Development Initiative, Chuo University.

事業者は9月から高中木の伐採を始める予定としている。ハフポスト日本版はイコモスのヘリテージアラートに対するコメントを、事業者と東京都に求めている。


地球「沸騰化」の折も折、わが国では海洋汚染に加え、100年の歴史ある3000本もの樹木が伐採され、高層ビルが建てられようとしている。
「待ったなし」の状況下において、到底許されるべきことではない。
日本1国の問題ではない。

今朝のハウス内最低気温10.2℃だった。


『きっこのメルマガ』 中国だけじゃない。英国もドイツも原発処理水を「汚染水」と報じている現実

2023年09月07日 | 自然・農業・環境問題

MAG2ニュース2023.09.07

8月24日に開始された福島第一原発の処理水海洋放出に対し、猛反発の姿勢を崩さぬ中国。国内においては中国だけが処理水を「汚染水」と呼び、海洋放出に反対しているかのように伝えられていますが、果たしてそれは真実なのでしょうか。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、中国以外にもアメリカの一部メディアや英独が「汚染水」という表現を使い続けている事実を紹介。さらに、なぜ日本政府が「海洋投棄」という手段を選んだのかを解説する識者の声を取り上げています。

 

中国だけに非ず。世界が「汚染水」と呼ぶ岸田が海に捨てる水

8月31日、野村哲郎農林水産大臣が、福島第1原発に溜まり続けている自称「処理水」のことを、ついウッカリと「汚染水」と言ってしまったため、四方八方から集中砲火を浴びて大炎上しました。しかし、任命した大臣が次々と不祥事を起こすことでお馴染みの岸田文雄首相は慣れたもので、自身の任命責任を問われる前にマッハの速さで「謝罪と発言の撤回」を指示しました。

そして、野村大臣もマッハの速さで官僚に書かせた謝罪文を棒読みし、その「謝罪なのに顔を上げずに原稿を棒読みする」という態度が批判されるという、もはや、これまで何度見せられたか忘れるほどの自民党政権の伝統芸、そして、その様式美を披露してくれました。

ま、この野村大臣に関しては、中国が日本産水産物の輸入を全面禁止した件について、8月25日の閣議後の記者会見で「大変驚いた。全く想定していなかった」と述べたため、「おいおい!そんな認識で農水大臣やってたのかよ?」と全国からツッコミが炸裂し、すでに大炎上のフラグが立っていました。ですから、今回のウッカリ発言も既定路線だったと思います。

しかし、「世界中が日本の海洋放出を理解しているのに、中国だけが『処理水』を『汚染水』と言い続けて風評被害を広げている」というシナリオで突き進みたい岸田首相にとって、この担当大臣による「汚染水発言」は、痛すぎるアクシデントとなってしまいました。

でも、これは岸田首相が悪いのです。日本が海洋放出をすれば、中国が猛反発することなど子どもにだって分かること。本来なら何カ月も前に外相を訪中させ、次に経産相、環境相、農水相などを訪中させ、十分に下地を作った上で仕上げに岸田首相が訪中し、トップ会談で根回ししておく。そうすれば、少なくともここまでコジレることはなかったと思います。

さらに言えば、ロシアのウクライナ侵攻以降、西側諸国と社会主義国との対立の構図が鮮明になりましたが、それでも冷戦に突入しないのは、米中しかり、日中しかり、双方の国に利益のある経済的外交関係があるからです。それなのに、中国に何の根回しもせずに海洋放出を強行し、福島県産だけでなく全国の水産物の輸入を禁止させられるなんて、これは日本にとって経済面だけでなく国防の面でも大きなマイナスです。

それもこれも、岸田首相が韓国とのすり合わせばかりを重視し、中国を軽視したことが原因です。とても外相経験者とは思えないほど低レベルなシロート外交です。でも、わざわざ福島まで行ったのに福島漁連の人たちには会わず、地元の人たちにさえ最低限の説明もしなかった岸田首相に、他国への事前の根回しを期待するのは、カナブンに微分積分の問題を解かせるような話、最初から無理があったのです(ちなみに「カナブンに微分積分」はラップのように韻を踏んでみました、笑)。

「汚染水」と表記する欧米諸国には抗議せぬ岸田首相

ま、それはそれとして、「処理水」を「汚染水」と言っているのは、本当に中国だけなのでしょうか?…というわけで、まずは大まかな流れを説明しますが、ずっと「汚染水」と呼ばれていたものが、突然「処理水」という呼び名に変更されたのは、菅義偉政権下の2021年4月でした。海洋放出を強行決定した菅義偉首相は、「汚染水」という呼び名のままでは海洋放出の実現への足かせになると判断し、今後は「処理水」という呼び名に統一するようにと、記者クラブを使ってメディアに指示したのです。

これを受けたNHKは、国内報道はそれまでの「放射能汚染水」を「処理水」に、国際報道はそれまでの「radioactive water(放射能汚染水)」を「treated water(処理水)」に、それぞれ変更しました。民放各局、新聞各紙も同様でした。

また、就任直後のジョー・バイデン米大統領も、日本政府の方針に理解を示しました。そして、アメリカのメディアもそれに忖度する形で、CNNニュースやニューヨークタイムズ紙などは「treated water(処理水)」や「treated radioactive water(処理された放射能汚染水)」という表現を使うようになりました。ワシントンポスト紙は、汚染されているかどうかを限定しない「Fukushima nuclear plant water(福島原発水)」という中立的な表現を用いるようになりました。

しかし、アメリカのメディアも、すべてが右へ倣えというわけではありません。シアトルタイムズ紙は、それまでと同じく「radioactive wastewater(放射能汚染水)」という表現を使い続けただけでなく、日本の海洋放出を批判する記事を掲載しました。これは、シアトルタイムズ紙が中央の影響を受けない独立系のローカル紙だからで、同様の論調のローカル紙は複数あります。

イギリスでも、BBCニュース、ロイター通信、ガーディアン紙を始め、ほとんどのメディアがそれまで通りに「contaminated water(汚染水)」という表現を使い続けています。一例を挙げますが、今回、日本が8月24日に海洋放出を始めた3日後の8月27日付のロイター通信の「Japan says seawater radioactivity below limits near Fukushima(福島の海水の放射能は基準値を下回っていると日本が発表)」という記事の中では、次のように書かれています。

(東京電力は、オリンピックサイズのプール500個分を満たすのに十分な約130万トンもの汚染水を敷地内のタンクに保管している)

記事自体は、「東電はトリチウム以外の放射性物質は含まれていないと説明している」「トリチウムも環境や人体に影響のないレベルまで希釈されていると説明している」など、日本の報道と同様の内容ですが、タンクに貯蔵されている水に関しては、これまで通りに「contaminated water(汚染水)」なのです。

また、脱原発を達成したドイツのドイツ通信社の記事では、「radioactive water(放射能汚染水)」と、さらに踏み込んだ表現を使っています。岸田首相は、「汚染水」と言っただけの野村大臣にマッハで謝罪・撤回させたのですから、こうしたイギリスやドイツのメディアにも抗議すべきなのでは?…なんて思ってしまいました。

国民のナショナリズムを煽る作戦に出た岸田政権

ま、そもそもの話、岸田首相は福島漁連との6年前の「関係者の理解なしに、いかなる処分も行なわない」という政府の約束を反故にし、地元への丁寧な説明もないままに海洋放出を強行したのですから、本来なら国民の怒りは岸田政権へ向くところでした。しかし、中国が「日本の水産物の全面輸入禁止」という過剰反応に出て、この問題を政治利用し始めたので、岸田首相は「渡りに船」とばかりに、これに便乗したわけです。

中国の国営メディア、新華社通信は、通常運転でも「contaminated water(汚染水)」、ここ一番の日本叩きの記事では「nuclear-contaminated water(核汚染水)」「contaminated radioactive wastewater(汚染された放射能廃水)」「contaminated Fukushima water(汚染された福島の水)」など、どこの国のメディアよりも厳しい表現を使っています。

そこで岸田首相は、中国の一挙手一投足をいちいち日本のメディアに大きく報じさせ、オマケに「中国の原発排水のほうが日本よりトリチウムが高い」と報じさせることで、国民のナショナリズムを煽る作戦に出たのです。安倍政権から続く警察官僚の入れ知恵だと思いますが、こんな幼稚な作戦でも、脳みその回路が直列つなぎの一部の国民は、「悪いのは中国だ!」「日本が海洋放出しているのは安全な処理水だ!」と思い込んでしまうのです。

しかし、実際に世界各国の報道を見てみると、日本と同じように「treated water(処理水)」などと表現しているのはアメリカの一部のメディアくらいで、多くの国のメディアは「contaminated water(汚染水)」や「radioactive water/radioactive wastewater(放射能汚染水)」という表現を使っているのです。また、日本に対して批判的な記事を書いているのも、中国だけではありません。

たとえば、今も「radioactive wastewater(放射能汚染水)」という表現を使っているアメリカのシアトルタイムズ紙は、「福島の地域住民の9割が海洋放水による漁業への悪影響を懸念し、放出に反対している」と明記して、岸田政権が地元住民の理解を得ずに放出を強硬したと書いています。

また、イギリスのガーディアン紙も、環境保護団体「グリーンピース・イーストアジア」の専門家の発言として、「もしも福島第1原発のタンクの貯蔵水が放射能汚染されていないと言うのなら、東京電力は同国の原子力規制委員会に海洋放水の許可を得る必要などなかったはず。タンクの貯蔵水は『アルプスで処理したが放射性物質を除去できなかった水』である。日本政府は『処理水』という言葉で国内外を欺こうとしている。」という指摘を掲載しました。

これが世界の現状なのですから、岸田首相は「中国だけが日本を批判している」という卑怯な印象操作で保身に走らず、自分の非を認めるべきだと思います。そして、ここまで言われても「汚染水でなく処理水だ」と言い張るのなら、「contaminated water(汚染水)」や「radioactive wastewater(放射能汚染水)」という表現で福島の海洋放水を報じている世界各国のメディアすべてに抗議して、野村大臣と同じように謝罪と撤回を要求してほしいと思います。

農水大臣「汚染水」発言に国民の方が怒っているという恐怖

さて、野村哲郎農林水産大臣のウッカリ発言の翌日9月1日、文化放送『大竹まこと ゴールデンラジオ』の「メインディッシュ」にゲスト出演したジャーナリストの神保哲夫さんは、「野村農相が処理水を汚染水と言い間違えて謝罪するという、何か変なことになって来ましたね」という大竹まことさんの問い掛けに、次のように答えました。

「むしろ深刻ですね。一種の言葉狩りのようになって来ている。あれは、アルプスで処理をしたが、一定の放射性物質、トリチウムを加えて12種類の核種が残留している水ですよね。それを、マスメディアは政府との間で何らかの合意があるのか、『処理水』と言うようになった。これは記者クラブから始まったことです」

「かつて『狂牛病』のことをある時期から『BSE』と言うようになりましたが、これは農水省の記者クラブからでした。記者クラブが『BSE』と言えば、朝日新聞だけが『俺たちだけは狂牛病と報じ続けるぞ』というわけには行かなくなっちゃうんですね。役所の記者クラブから統一する。風評被害を防ぐためには『狂牛病』という言葉は使わないほうがいい。今回も同じです」

「同じように『盗聴法』の時も、途中から『通信傍受法と言え』と、総務省の記者クラブから始まりました。当時、あるテレビ局の番組に出た僕が『盗聴法』と言うと、そのたびにアナウンサーが『通信傍受法です』と訂正したんですよ。今回とても危機感を持っているのは、今までは役所が記者クラブを通じてメディアの情報統制をして来たので、言葉は一色に染まっても、見ている人たちは分かっていたわけですよね。『まあ、BSEと言ってるけど狂牛病だろ?』ってね」

「でも今回、僕が恐いのは、どちらかと言うと市民のほうが怒っているんですよね。農水大臣が『汚染水』と言ったことに対して。つまり、上から下に『これからは処理水と呼べ』という統制が行なわれても、市民は『実際は汚染水だ』という事実が分かっていた、というのではなく、ベタで『あれは処理水であって汚染水ではない』という政府が作ったバージョンが信じられてしまっているんです。あるいは『信じたい』という願望を強く持っているがゆえに、そうじゃないという情報を流す人たちを攻撃したくなる。憎いを思うようになる現象が起きている」

なぜ政府は「海洋投棄」という手段を選んだか

「『汚染水と呼ぶと福島への風評被害が大きくなるじゃないか』というのは市民感情なんですね。でも、そうじゃないんですよ。政府が海洋投棄するという決定をしてしまった。それなのに、その水が海洋投棄してはいけない水だった。そこが問題なんですよ。当時、有識者会議では5通りの処理方法が示されました。その中で海洋投棄が一番安かったんですよ。34億円と試算されましたから。ご多分に漏れず、実際にはもう500億円を超えてますけどね」

「水蒸気にして蒸発させる、コンクリートにして固めてしまうなど、5通りの処理方法の中で、最も安易で最も安い海洋投棄を当時の政府が選んだんです。その結果、それが最も環境負荷が高く、最も風評被害を起こすものだったんですよ。その処理方法を選択したのは政府なのに、その水の呼び名がどうだから風評被害が起こるというのは、完全にお門違いです」

「最初は、汚染水が海へ流れてしまった。そうしたら批判された。『ああ、海へ流すとヤバイのか』と学習し、それでタンクに溜め始めた。でも、そのまま汚染水を溜め続ければ、いずれ海に流すしかないことは(政府も東電も)みんな分かっていた。それなのに、10年以上に渡って何の代替案も考えずに放っておいたら、その通りになった。これはもう子どもですよね」

神保哲夫さんは、この後も、世界の原発国が流しているトリチウム水と日本が流し始めた自称「処理水」との大きな違いについて、日本は今後どうするべきかなど、この問題を多角的に解説しています。以下のリンク先で「大竹メインディッシュ」を選べばポッドキャストを聴くことができますので、ぜひ聴いてみてほしいと思います。また、8月30日の社会学者、宮台真司さんも、トークの前半でこの問題について詳しく解説していますので、ぜひ聴いてみてください。


you tubeで検索したほうが早いと思います。

もう一つ
230907 汚染水放出で喜ぶ人、心を搾取される人


731部隊、朝鮮人虐殺…不都合な歴史を「なかったことにしたい人たち」に感じた“怖さ”

2023年09月06日 | 社会・経済

文春オンライン 2022.09.05

 あったことを無かったことにしたい人たちがいる。そんな怖さを感じた記事がこの夏にいくつかありました。

 まずは「731部隊」についての企画記事を紹介します。信濃毎日新聞の「戦後78年 731部隊の記憶」です(8月11日~17日)。

 第1回の記事は『県内元少年隊員2人にネット上で中傷の声 命懸けの証言「嘘」呼ばわり』。

 戦時中、満州で細菌兵器開発や人体実験などの残虐行為を実行した731部隊について元隊員が命懸けで証言したら、ネットで「このジジイ、嘘ついてやがる。か、実在しない人物だな」などの誹謗中傷が少なくなかったという。

国の姿勢に「まだ隠そうとするのか」と疑問

 731部隊の「少年隊」に入隊した清水英男さん(93)は、人体実験で犠牲になった捕虜や、故郷から遠く離れた地で亡くなった仲間のために「命を懸けて証言している」と語る。

 同じく元隊員の須永鬼久太さん(95)は部隊の撤退時に上官から「公職に就かない」「部隊について口外しない」「隊員同士連絡を取らない」と3つの禁止命令を受けた。須永さんは証言が積み重ねられているにも関わらず、いまだに部隊の活動実態を認めようとしない国の姿勢に「まだ隠そうとするのか」と疑問を感じている。

 そんななか、元隊員(清水さん)の体験談は昨年5月の飯田市平和祈念館のオープン時に展示が見送られた。その理由は「さまざまな意見がある」というものだった。

《「さまざまな意見」とは、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」とした2003年の小泉純一郎首相(当時)の国会答弁や、人体実験などの証言が「子どもたちには生々しすぎる」といった指摘を指す。》(8月16日)

「さまざまな意見」というが、清水さんは「みんなが本当のことを話してくれていたら、私の証言の展示が見送られることはなかったと思います」と述べる。

「知らない」ままを望む人もいる

 取材を終えた記者は、部隊による残虐行為に対する元幹部たちの反省なき態度を感じたと書いている(8月17日)。

 そして、

《部隊の実態について証言できる関係者が亡くなり、記録は残されず、部隊の存在そのものが忘れ去られる――。敗戦時に残虐行為の証拠を徹底的に消し去り、戦後も口を閉ざし続けた部隊の元幹部が待ち望んでいたのは、まさにそうした社会だったのだろう。》

 ゾッとする。私たちが「知らない」ままを望む人もいるのだ。検証や語り伝えが必要な理由がわかる。新聞やテレビの役割はここにあるのではないか。

歴史から目を背ける小池知事

 731部隊だけではない。先日、関東大震災から100年が経過したが、こんなニュースがあった。

『小池知事、今年も追悼文送らず 関東大震災の朝鮮人慰霊式典 東京』(時事通信9月1日)

《東京都の小池百合子知事は、1日に都内で行われた関東大震災の朝鮮人犠牲者を慰霊する式典に追悼文を送らなかった。送付の取りやめは2017年から7年連続。小池氏は同日の定例記者会見で、理由について「毎年(都慰霊協会が営む)大法要において、都知事として犠牲となった全ての方々への哀悼の意を表している」と述べた。》

 朝鮮人による暴動が起きている、などのデマがきっかけで虐殺は起きた。あの石原慎太郎元知事でさえ送っていた追悼文だが、2017年からとりやめている小池都知事。その理由について大法要において「犠牲となった全ての方々へ」哀悼の意を表しているというがこれは話のすり替えだ。朝鮮人犠牲者は地震で亡くなったわけではない。デマによって起きた虐殺で亡くなったからだ。小池都知事は歴史の事実に向き合おうとしなくなったと言える。

2017年に都議会で起きたこと

 では、追悼文を送付しなくなった2017年に何が起きたのか? 3月の都議会でのある自民党都議の質問がきっかけだった。『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(加藤直樹 著)という本によるとこの自民党都議は、

《私は、小池知事にぜひ目を通してほしい本があります。ノンフィクション作家の工藤美代子さんの『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』であります》

 と語ったという。実は『トリック「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』では、工藤美代子・加藤康男夫妻が著した虐殺否定本を取り上げ、どのように間違っているかを検証し、仕掛けられた“トリック”の数々を明らかにしている。しかしネット上で広まる「虐殺は無かった」論は、工藤美代子氏らの言説を鵜呑みにしたものが多いのだ。

「さまざまな説がある」と言うが…

 先述した「731部隊」の記事でもそうだったが、公的な人間による「さまざまな説がある」という言葉はあたかも両論併記のように聞こえるが、それは事実から目をそらすことにつながる。しかし先週こんなニュースが。

『関東大震災の朝鮮人虐殺、松野官房長官「事実関係把握する記録見当たらない」』(読売新聞オンライン8月31日)

 松野官房長官は30日の記者会見で、デマによって起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と述べた。新たに事実関係を調査する考えはあるかとの問いには否定的な認識を示した。

 31日の会見では、過去に政府の会議が報告書で朝鮮人虐殺を認定していることについて「(報告書は)有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではない」と述べた。

 これらは「虐殺はなかった」論を擁護しているとは言わないまでも、野放しに加担してしまわないかという危惧を感じる。むしろ率先しておこなうべきは検証と反省ではないか? 過去の日本人が巨悪で現在の私たちは大丈夫というわけではないからだ。同じ人間だからである。情報不足に不安と興奮、それに偏見と無知が加われば時代は関係ない。

差別意識が生んだ悲劇

 たとえばこの記事を見ていただきたい。

『記者の目 関東大震災と朝鮮人虐殺 差別意識を克服できたか=島袋太輔(東京社会部)』(毎日新聞 9月1日)

 この記事では沖縄出身の男性ら3人が虐殺された「検見川事件」についても書かれている。沖縄出身の男性が殺された理由について「ウチナーンチュ(沖縄の人)はなまりがあるから、朝鮮人と思い込まれたのでは」と研究者は推測する。残る2人は秋田、三重両県の出身で2人もなまりを理由に殺されたとみる。震災当時に上京していた沖縄出身の歴史学者は「朝鮮人だろう」「言葉が少し違う」と詰問されるなどしたという。

 沖縄出身の島袋記者は、

《朝鮮人だから武装蜂起をしようとしている、知らない言葉を使うから、発音が滑らかでないから朝鮮人に違いない――。こんな思い込みは、どれも差別意識の産物に他ならない。》

 と書く。

「無関心が行き着く先は差別だ」

 昨年にはこんな出来事があった。

『ひろゆきさん「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 配信動画の発言、また物議』(琉球新報10月12日)

『ひろゆき氏「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 県民の“日本語”めぐり発言』(沖縄タイムス10月12日)

《辺野古新基地建設に対する抗議行動をやゆしているインターネット掲示板「2ちゃんねる」開設者のひろゆき(西村博之)氏が、自らのユーチューブ配信で「沖縄の人って文法通りしゃべれない」「きれいな日本語にならない人の方が多い」などとヘイトスピーチをしていたことが分かった。沖縄キリスト教学院大学の新垣誠教授(国際人権論)は「非常に危険だ。日本軍は『標準語』ではない沖縄の言葉を話す住民を虐殺した」と批判した。》(沖縄タイムス、前掲)

 100年前は過去ではない。「差別意識がうかがえる出来事は今も散見される」「無関心が行き着く先は差別だ。教訓を学ばないから差別は繰り返されるのではないか」(毎日新聞、前掲)という言葉を考えたい。

(プチ鹿島)


不都合な歴史をなかったことにしたら、歴史から学ぶことはなくなる。
また同じ過ちを犯さないために!


雨宮処凛 相模原事件から7年の日、橋田壽賀子氏の『安楽死で死なせて下さい』問題を考えた

2023年09月05日 | 生活

雨宮処凛(作家、活動家)

Imidas連載コラム2023/09/05

 

 今年(2023年)7月26日は、相模原障害者施設殺傷事件から7年という日だった。

 元職員の植松聖(さとし)により、利用者19人が寝込みを襲われ殺害されるという凄惨な事件。しかも逮捕された植松は、事件前、「障害者は不幸を作ることしかできない」などと書いた手紙を衆議院議長に送ってもいた。

 事件から3年6か月後に始まった裁判を、私は傍聴し続けた。裁判中、横浜拘置支所で植松にも面会した。しかし、植松は法廷でさえ自身の起こした事件を正当化するような発言を繰り返し、裁判は結審。植松は現在、東京拘置所で死刑執行を待つ身である。

 そんな事件から7年の日、朝日新聞に掲載された事件の遺族の記事が注目を集めた(「殺害された障害者の息子、安堵の思いから7年 本名明かした母の思い」朝日新聞、2023年7月26日)。

 49歳の長男が殺された女性の記事だ。自閉症と診断されていた長男は、小学生の頃からいじめに遭い、学校や地域でもトラブルが続いていたという。成人してからは「なんでいじめられるんだ」と母親に暴力を振るうようになり、子育ては一層過酷に。耐えきれずに女性は長男をやまゆり園へ入所させたという。1996年、長男は29歳になっていた。

「困り果て、自信をなくし、家に一緒にいることが嫌になってしまった」

 以降、顔を合わせるのは月に一度の自宅での面会だけ。そんな日々が20年続いた果てに起きたのがあの事件だった。

 事件の知らせを聞いて女性の頭をよぎったのは、「ああ、これでもう世間に頭を下げなくて済む」という安堵だったという。子どもの頃から長男がトラブルを起こすたびに、頭を下げ続けてきたからだ。

 その言葉を読んで、女性の深い苦悩と葛藤に圧倒される思いがした。

 同時に思い出したのは、裁判での遺族、被害者家族たちの言葉だ。法廷では、遺族や被害者家族の痛切な思いが語られ、また読み上げられた。

「いつも笑顔を見せてくれていた」「(遺体と対面し)『今までありがとう。生まれてきてくれて幸せだったよ』と話しかけた」(43歳男性の母)

「あの日から心にぽっかり穴があいたまま。一緒に過ごした日々は本当に幸せだった。今後、どう生活していいのかわからない」「施設に入所しなければ、こんなことにはならなかったという後悔しかなかった。手のかかる場面はいっぱいあったが、いつまでも成長を見守ることができて幸せだった」(41歳男性の母)

「一緒に過ごす時間をなくしてしまった。娘なりに一生懸命生きていた。(植松被告に)娘の人生を終わらせる権利はない」(35歳女性の父)

 死を悼む声がある一方で、遺族、被害者家族の中には、冷淡な語り口のものも見られた。

 例えば第4回公判では遺族や被害者家族への聞き取り調書が読み上げられたのだが、植松に対して「処罰感情は具体的にはない」と語る遺族の言葉が紹介されている。この遺族は、「3年くらい面会には行っていなかった」ことを語っている。

 また、植松に刺されて怪我をした20代被害者の父は、「事件で怪我をしても、会わずに遠くから見守った」と述べている。子どもの世話をするのに限界を感じ、19歳の頃、入所させたということだった。面会に行くと帰宅できると思い、帰れないとわかると興奮するのでそれからは面会していないという。本人を苦しませてしまうから敢えて会わないという選択は理解できるものだが、あの事件で子どもが怪我をしても会わなかった背景には、相当の苦悩や葛藤があったものと思われる。

 その他にも、「面会に行くと、(やまゆり園に)入所させたことを怒った」「入所には強い抵抗があり、そのために拘束もあった。おしっこを我慢して職員や母を困らせた。3日間しないこともあった。家に帰りたいという弟のささやかな抵抗だった」という声もあった。

 もちろん、家族をやまゆり園に入れた人々の選択にどうこう言うつもりなど毛頭ない。が、冷淡に見えようが悲しみに暮れていようが、両者に共通するのは障害がある子どものケアが長年、家族に丸投げされてきたという事実である

 津久井やまゆり園ができたのは、東京オリンピックがあった1964年。重度障害者を家族でみるしかなかった時代、入所施設ができたことによって「救われた」家族は大勢いるだろう。実際、多くの家族が調書で施設への感謝を口にしている。また、裁判後、やまゆり園について「ああいう“檻”に入れてもらって、家族はみんな助かったんだから」と入所者の親が口にするのも耳にした。

 しかし、やまゆり園ができて半世紀の間には障害者運動が本格化し、脱施設化、地域移行が進んできたのも事実だ。事件が起きる3カ月前の2016年4月からは障害者差別解消法も施行されている。

 が、やまゆり園は時代の流れに取り残されたかのように山奥にじっと佇み続けた。そうして7年前、あの事件が起きた。

「障害者は不幸を作ることしかできない」と主張した植松は、法廷でも「安楽死」を唱え続けた。いわく、意思疎通のできない人を安楽死させるべきという荒唐無稽な主張だ。

 そんな安楽死について、植松は獄中である人の本を引き合いに出して正当化している。

 それは橋田壽賀子氏の『安楽死で死なせて下さい』(文藝春秋、2017年)。いわずと知れた人気脚本家である橋田氏がこの本を出したのは17年で92歳の頃。帯には「人に迷惑をかける前に、死に方とその時期くらい自分で選びたい」という言葉が躍る。そんな橋田氏は安楽死することなく21年に死去したが、つい最近、橋田氏が安楽死について語っている対談を読み、多くのことを考えさせられた。

 対談相手は上野千鶴子氏。掲載されているのは『最期まで在宅おひとりさまで機嫌よく』(中央公論新社、2022年6月)で、この本には上野氏とさまざまな「おひとりさま」の対談が収録されているのだが、そのうちの一人が橋田氏。ここでもやはり橋田氏は安楽死への期待を語っている。

「人に勧めるつもりはありませんでした。でも個人的には、90歳を超えたら安楽死を選択できるような法律がないかと夢想します」

 では、橋田氏はなぜ安楽死について考えるようになったのか。上野氏に聞かれて語った言葉に驚愕した。

「仕事が減ったから。仕事がなくなったら、生きていてもしょうがないですよ」

 対談当時、橋田氏は94歳。その年まで現役で、第一線で活躍してきたこと自体が奇跡なのに、まだ仕事を求めているのである。そしてどうやら仕事がない自分には「価値がない」くらいまで思い詰めているようなのである。

 なんだか目の前が暗くなる気がした。仕事がない、減ったくらいでそこまで思うなら、世の中、安楽死予備軍だらけではないか。私だってその一人だ。橋田氏は自分に非常に厳しい人なのだと思うが、その厳しさは、他者に対しては時に意図せずとも刃になり得てしまう。

 一方で、この社会が高齢者に「お荷物」にならないことを求めているのも厳然たる事実だ。そんな中、橋田氏はその無理ゲーを本当に必死で攻略してきたのだと思う。それだけではない。「こうあらねば」という、自らに対する理想像を非常に高く掲げてきたのだろう。

 例えば対談で橋田氏は、「病気になって脚が動かなくなり、人の世話にならなくてはいけなくなったら、やっぱり生きていたくない」と語る。車いすにも抵抗があるようで、「とにかく、車いすなんてイヤだわ。自分の脚で歩けないなんて」とも語る。

 しかし、対談の中で、橋田氏が好きなクルーズ船には車いすの人もいたこと、船の中でのリハビリで歩けるようになった乗客もいたことを思い出す。上野氏に「ほら、車いすでもクルーズを楽しめそうじゃないですか」と言われると、「じゃあ車いすはよしとして、トイレの介助は絶対にイヤ」と言う。

 とにかく自立が一番で、人の世話になりたくなくて、下の世話なんて真っ平御免で仕事が減ったりなくなったりしたら生きる意味などない――。この価値観は別に橋田氏だけでなく、特に昭和の男性が強く内面化しているものではないだろうか。

 しかし、誰もがいつかは老いて、程度の差はあれ他人の世話になる時がくるのだ。そのことに、90代でも抵抗する橋田氏。

 一方、大正14年生まれの橋田氏の中には、確実にその世代の「女」も存在する。

 例えば60歳で亡くなった橋田氏の夫は、彼女と結婚するにあたって「自分が家にいる時は仕事をしないでくれ」と言ったそうだ。この言葉には仰天だが、橋田氏はあれだけの仕事をこなしながら、「夫の前では仕事をしない」を貫いたのだそうだからさらに仰天だ。バリバリ仕事をこなしつつ、男を立てて「妻」もこなした橋田氏。その完璧主義と自らへの厳しさが「安楽死」願望になっていったのだろうか。

 が、自分への厳しさは、それをそのまま口にするとやはり他者を傷つけてしまうこともある。例えば車いすなんて、トイレの介助なんて絶対に嫌という言葉は、その立場の人を傷つける可能性がある。それは直訳すれば「あんなになってまで生きたくない」ということだからだ。誰もが悪気もなく口に出してしまいがちな言葉だが、それが自分に向けられたらどうだろう。これほど存在を否定される言葉はないのではないだろうか。

 もうひとつ、この対談で驚いたのは、介護の仕事をする人に対しての橋田氏の言葉。

「だって皆さん、イヤイヤ介護をしているわけでしょう?」というものだ。

 これに対して上野氏は、「介護職の方は、お給料が少ないことに関しては不満を持っています。でも皆さん、仕事には誇りを持っているし、仕事がお好きですよ」と答えているのだが、「イヤイヤやっている」という言葉にちょっと驚いた。もちろん、介護の仕事は綺麗事では片付けられないわけだが、考えてみれば、橋田氏は介護保険なき時代を生きた世代。「嫁」が舅や姑の介護にどれほど苦労したかを知っているからこそ出た言葉なのかもしれない。

 それにしても、90代の人気脚本家が「仕事がなくなった」くらいで安楽死を望む社会はなんなのだろう(しかもおそらく貯金は山ほどあるのだ)。

 しかし、植松の主張ほど荒唐無稽でなくとも、世の中には、「利益を生み出さないやつには価値がない」といった価値観が溢れてもいる。ともすれば私自身もそんな価値観に飲み込まれそうになる。が、17年ほど前、「無条件の生存の肯定」を掲げるプレカリアート運動(プレカリアートは不安定なプロレタリアートという造語。市場原理主義のもと不安定さに晒される非正規などの人々が「生きさせろ!」と主張する運動全般を指す)に関わり始めたことで大きく変わった。

 この運動は一言で言うと、役に立たなくても、働けなくても利益を生み出せなくても生存は無条件に肯定されるんだ文句あんのかコノヤローというものである。

 よって私の周りには、かなり役に立っていない人たちが溢れているのだが、彼ら彼女らは「こんなぼったくり資本主義の役に立ってたまるか!」というスタンスで生きているので「役に立たない」自分を気に病むことなどない。また、「より役に立たず、より稼いでない方がすごい」みたいな価値観なので、月収数万円くらいの「最低限生きられるギリギリ」分くらいしか働かない人も多くいる。

 そんな人たちの中にいると、「頑張って稼いで日本経済の役に立って納税しよう」なんて気持ちは瞬時に消え失せ、「仕事なくなったくらいで安楽死」なんて言葉を鼻で笑えるくらいになってくる。

 が、そこまで達するには、「貧乏でも愉快に生きてる人たちのコミュニティー」みたいなものが不可欠で、そんなものはなかなか手に入るものではない。

 冒頭の記事に戻ろう。

 49歳の長男を亡くした女性は、最近、やまゆり園の慰霊碑に息子の実名を刻印したという。事件後多くが匿名を貫いた犠牲者たちだが、今になって、実名を慰霊碑に刻む遺族も増えている。彼ら彼女らの「生きた証し」のひとつだ。

「障害者は不幸を作ることしかできない」――。そう主張して事件を起こした植松だが、施設に勤め始めた当初は障害者を「かわいい」と言っていた。が、「1日中、車いすに縛られ」ていたり、「食事もドロドロ」という状況を知るにつれ「かわいそう」と言うようになり、それが突然「殺す」に飛躍した。

 2年ほど前、私はやまゆり園の入所者が事件後に移った別の施設を訪れている。

 そこには、「1日中、車いすに縛られていた」女性も移ってきていた。やまゆり園ではずっと拘束されていた彼女は、新しい施設で拘束を解かれ、リハビリを受けて歩けるようになり、資源回収の仕事をするほどに元気になっていた (その様子を撮影した映像を見せてもらった)。

 変わったのは彼女だけではなかった。やまゆり園では「手がつけられないほど暴れる」と言われていた強度行動障害の若者たちは、リサイクルの仕事に汗を流していた(こちらは実際に見学した)。やまゆり園とは違い、毎日作業に行き、仕事に汗を流して「お疲れさま」と言われる日々。障害に深い理解のある職員たちの支援を受けることによって、彼ら彼女らの生活の質はびっくりするほど上がっていた。

 このような環境で生き生きと過ごしている姿を見ていたら。植松はおそらく、「かわいそう」とは思わなかったのではないか。そうしたら、あんな事件は起こらなかったのではないか。

 そう思って、橋田氏の言葉を反芻する。彼女が「人に迷惑をかける」ことを異様に恐れたのは、老いて身体が動かなくなった時、尊厳のない状態で放置され、嫌々介護する人に乱暴に扱われると思っていたからではないだろうか。

 残念ながら今もそのような施設や病院は存在する。それはそれで改善しなければならない大問題だが、とにかく私たちは誰もが病み、老いていく。障害を持つことだってある。その時に安楽死しなければいけないと思う社会ではなく、ちょっとくらい老いても病んでも自分らしく生きられるような社会の方が生きやすい。

 そのためには、「これができなければ生きる価値がない」という自らの思い込みからまず解放される必要があるのではないだろうか。

 仕事が減っても役に立たなくても誰かの世話になったとしても、「生きてていい」と思えること。

 そうじゃないと、これから先の人生、辛いことばかりになってしまう気がするのだ。


考えさせてくれる記事でした。
わたしも「認知症」になるまえに・・・
とか、思っていますものね。
プロはどんどん進化しています。

春の花がまた咲きだしています。

こぼれ種から


「排除ベンチ」の排除に初めて成功…

2023年09月04日 | 生活

野宿者支援に取り組む市議が平塚駅前ベンチ改修に込めた思いは

「東京新聞」2023年9月4日 

 「排除ベンチ」の排除に成功──。今年7月、神奈川県平塚市のJR平塚駅前に置かれているベンチの座面の仕切りが取り外された。かつて野宿者(ホームレス)対策で後付けされたとみられ、市議の江口友子さん(47)が設置者の市に改善を働きかけた。長居しにくいデザインのベンチやオブジェは「排除アート」と呼ばれ、特定の人たちの利用を物理的に妨げている。江口さんは「ベンチは本来、コミュニケーションの場。誰かを排除するためにあるのではない」と訴える。(佐藤圭)

 排除アート 明確な定義はないが、ホームレスなど特定の人による公共空間の利用を物理的に妨げている造形物を指すことが多い。座面が仕切られた公園やバス停のベンチ、高速道路の高架下や歩道橋の下に置かれたオブジェ風の丸石などが代表例。1990年代以降、設置者の意図にかかわらず、「アート」と呼ばれるようになった。2020年、東京・渋谷でホームレスとみられる60代女性が男に殴られた事件では、女性が夜を過ごしていたバス停のベンチが狭く仕切られていたことが話題となった。

 問題のベンチは、平塚駅西改札口の北側に据え付けられている。口の字形の木製で背もたれはなく、大きさは縦横各263センチ、幅43センチ、高さ44センチ。仕切りの突起物は4カ所あり、これが邪魔で横たわることができない。ベンチを管理する市道路管理課には、設置年などの記録は残っていないが、後から取り付けられたことは確からしい。

◆前から意地悪だと感じていた

 江口さんのもとに5月23日、市民の男性から「古くて座れない」と連絡があった。すぐに足を運ぶと、座面が腐食するなど老朽化が進んでいた。江口さんは「座るとけがをするので早急な対応が必要だった。排除ベンチであることも、その時に気が付いた」と振り返る。

 現場の写真を撮影し、「ベンチを直してほしい。その際、突起物を外してほしい」と同課に掛け合った。担当者も賛同し、改修と仕切りの撤去を約束。7月3日に完成した新たなベンチは木製の座面が新調され、仕切りもなくなった。男性に伝えると、「こんなに早く直してくれるんだ」と喜んだ。

 2003年の市議選に無所属で立候補し、27歳で初当選した江口さんは現在6期目。市議になる前から野宿者支援に取り組んだ。バブル崩壊後の1990年代、平塚でも野宿者が増加し、街中では排除ベンチが目立つようになった。「当時から意地悪だと感じていたが、やめさせることはできなかった。今回が初めての成功体験です」

◆弱者目線の人が増えてきたのでは

 排除ベンチの設置は、住民の側が「野宿者が寝そべっていては問題」などと後押ししてきた面がある。その点、江口さんも心配したが、今のところ、市にクレームなどは届いていない。江口さんは「今まではホームレスは邪魔者だったが、社会が高齢化する中、弱者の目線でものごとを考える人が増えてきたのでは」と感じている。

 野宿者にも優しい街の実現に向けた一歩となるのか。平塚駅前の中心商店街は電柱が地中化され、年間を通じて歩行者天国になっているが、一休みしようと思っても、そこにあるのは座面が細すぎる「排除ベンチ」ばかり。江口さんは力説する。

 「商店街にゆったりと座ることができるベンチを増やせば、人も集まり、お金も落ちる。排除ベンチが陳腐に見えてくるはずです」


わたしも、あの事件でようやく知ったことです。
なんていじわるな・・・
寝床のない人になぜそこまで意地悪しなければいけないのか・・・
全国のベンチを総点検する必要がありますね。

週間天気予報を見ても30度超えの日はなくなりました。
最低気温も15℃と、作物にはいい環境です。
暗くなるのも一気に早まった感じがします。

 


松野官房長官が発言 朝鮮人虐殺「事実関係を把握できる記録ない」

2023年09月03日 | 事件

誤り。防衛省も「文書保管」を認める国会答弁

関東大震災の直後に起きた朝鮮人虐殺について、松野博一官房長官が「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と発言。ファクトチェックしました。
 
 

松野博一官房長官が8月30日の記者会見で、関東大震災の直後に起きた朝鮮人虐殺について「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と発言した。だが、これは誤りだ。

内閣府が事務局を務める中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」が、2009年に取りまとめた関東大震災に関する報告書の中に、朝鮮人虐殺に関する記載が存在する

松野氏の発言について、ハフポスト日本版はファクトチェックした。

記者会見での発言は?

まず、松野氏の発言を振り返る。

「当時被災地ではデマが広がり、多くの朝鮮人が軍、警察、自警団によって虐殺されたと伝えられています。政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか、併せて現在の日本社会における在日コリアンを含むマイノリティに対するヘイトスピーチやヘイトクライムをどう捉えているのかお尋ねします」と問うた。

これに対して、松野氏は「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と述べ、受け止めや反省点について回答しなかった。

後半のヘイトスピーチやヘイトクライムに関する質問に対し、松野氏は「特定の民族や国籍の人々を排斥する趣旨の不当な差別的言動、ましてそのような動機で行われる暴力や犯罪はいかなる社会においても許されないと考えています」との見解を示した。

続く質問で、この記者は「朝鮮人虐殺の事実そのものを否定する言説が出回っている」ことを踏まえ、政府が事実関係の調査や実態を明らかにする考えはあるかと尋ねた。

松野氏は「先ほども申し上げましたとおり、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」と、同じ見解を繰り返した。

「殺傷事件の中心は朝鮮人への迫害」専門調査会の報告書

会見での記者の質問の趣旨は、「政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか」ということだ。これを踏まえると、松野氏の発言は「朝鮮人虐殺の事実関係を把握できる記録が政府内に見当たらない」という意味になるが、それは誤りだ。

少なくとも、内閣府が事務局を務める中央防災会議に設置された「災害教訓の継承に関する専門調査会」は、2009年3月に取りまとめた関東大震災に関する報告書(1923 関東大震災 第2編)の中で、震災直後の殺傷事件で中心をなしたのは朝鮮人への迫害であり、流言がそのきっかけになった、と明記している。

<既に見てきたように、関東大震災時には、官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である>(第4章2節)

<自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある>(同)

報告書の206ページには、「官庁記録による殺傷事件被害死者数」の表も掲載されている。当時の司法省の報告書に掲載された起訴事件の被害者数は、朝鮮人233人、日本人58人、中国人は3人。「警察・民間人共同」の加害者による朝鮮人の犠牲者数は約215人と記されている。(このうち約200人は中国人だったとの説もあるとの注釈もある)

「官庁記録による殺傷事件被害死者数」

同誌「第5章 治安保持」には、流言の拡散を背景に「(民衆が)朝鮮人に対して猛烈な迫害を加え、勢いが過激になり、ついに殺傷した」ことが記録されている。「朝鮮人が井戸に毒薬を投入した」、「朝鮮人が放火や略奪をし、婦女に暴行した」など、警察が覚知した流言も記載されている。

中央防災会議は、内閣総理大臣をはじめとする全閣僚や公共機関の代表、学識経験者で構成する。

内務省の電信文、防衛省が保管

関東大震災直後の朝鮮人虐殺に関する公文書の存在を、防衛省も認めている。

2023年6月の参議院法務委員会では、社民党の福島瑞穂議員が、関東大震災の後に当時の内務省警保局長から全国の地方長官宛てに送付された電信文(1923年9月3日付)を示した上で、防衛省が保管しているか否かを問うた。

電信文は、朝鮮人による放火や爆弾所持といった流言を内務省が事実とみなし、取り締まりを全国に求める内容だった。

防衛省の安藤敦史・防衛政策局次長は福島議員の質問に対し、この文書を同省の防衛研究所戦史研究センターで保管していることを認めた。

このように、少なくとも一般に公開されている内閣府の調査会の報告書にも、大震災後の殺傷事件では「虐殺という表現が妥当する例」が多く、朝鮮人の犠牲者が最も多かったことが記されている。

さらに、関東大震災後の朝鮮人虐殺に関する公文書は存在し、政府も保管していることを認めている。

よって、「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」とする松野氏の記者会見での発言は誤りだ。

◼️ファクトチェック記事のレーティングについて


ファクトチェック記事には、以下のレーティングを必ず記載します。ガイドラインはこちらからご覧ください。

また、これまでハフポスト日本版が実施したファクトチェックや、関連記事はこちらからご覧ください。

  • 正確 事実の誤りはなく、重要な要素が欠けていない。
  • ほぼ正確 一部は不正確だが、主要な部分・根幹に誤りはない。
  • ミスリード 一見事実と異なることは言っていないが、釣り見出しや重要な事実の欠落などにより、誤解の余地が大きい。
  • 不正確 正確な部分と不正確な部分が混じっていて、全体として正確性が欠如している。
  • 根拠不明 誤りと証明できないが、証拠・根拠がないか非常に乏しい。
  • 誤り 全て、もしくは根幹部分に事実の誤りがある。
  • 虚偽 全て、もしくは根幹部分に事実の誤りがあり、事実でないと知りながら伝えた疑いが濃厚である。
  • 判定留保 真偽を証明することが困難。誤りの可能性が強くはないが、否定もできない。
  • 検証対象外 意見や主観的な認識・評価に関することであり、真偽を証明・解明できる事柄ではない。
    国民にウソを言う政権には退場してもらうしかない。
  • 車を買い替えた。
    あとどのくらい乗れるかわからないし、5.6年も乗れればいいだろうということで、今のジムニーと同じ中古車にした。色はベージュだそうで、今までの黒よりまし。オートマになってしまった。TVまで付いてた。

防衛費最大に 金額ありきの膨張憂う

2023年09月02日 | 生活

「東京新聞」社説 2023年9月2日 

 防衛省の2024年度予算概算要求は7兆7千億円余に上り過去最大となった。防衛予算「倍増」に向けた5年計画に基づいた「金額ありき」の膨張だ。防衛費の急増が逆に地域の緊張を高めることにならないか憂慮する。

 防衛費は近年、5兆円前後で推移してきたが、岸田文雄首相の下で一気に拡大した。23~27年度まで5年間の防衛費を計43兆円とした国家安全保障戦略に基づいて、23年度当初予算の約6兆8千億円から、24年度の概算要求はさらに膨らんだ。

 要求には、敵の射程圏外から攻撃できるスタンドオフ防衛能力に約7500億円▽弾道ミサイルを迎撃する統合防空ミサイル防衛能力に約1兆2700億円▽継戦能力の強化に向けた弾薬の確保に約9300億円-を含む。

 スタンドオフ防衛能力には、敵基地攻撃能力に使える長射程ミサイルの取得が含まれる。憲法9条に基づく専守防衛に合致するのか疑わしいミサイルの導入を既成事実化することは見過ごせない。

 日本が防衛費を急増させて攻撃型兵器も導入すれば、中国や北朝鮮が対抗して軍備を一層増強する口実になり得る。平和と安定のための防衛力整備が、地域の軍拡競争を加速させる「安全保障のジレンマ」に陥っていないか。

 自衛隊は慢性の人手不足に悩んでいる。最新の装備品をそろえても隊員不足では意味がない。

 特別防衛監察にハラスメント被害を申し出た隊員らの6割以上が相談制度を利用していなかったことも分かった。状況改善が期待できず、不利益や報復の恐れもあるためだ。隊員確保や組織の体質改善こそ、装備の大量購入よりも優先させるべきではないか。

 防衛費の財源確保策も政府・与党内の議論が迷走し、定まっていない。混乱の原因は防衛予算「倍増」という数字ありきで安保政策を考える首相の政治姿勢にある。

 性急な防衛力強化は逆に日本の安全を損ないかねない。武力による国際紛争解決を否定した憲法の精神や、厳しい財政事情を踏まえた防衛力整備に立ち返るべきだ。


今日は下の記事を紹介したかったが、長いのであきらめた。
興味のある方は是非読んでいただきたい。

有事のシグナルは“米軍基地撤収” アメリカが描く日本切り捨ての代理戦争シナリオ

新しい戦前  2023/09/01/ 16:00

有事のシグナルは“米軍基地撤収” アメリカが描く日本切り捨ての代理戦争シナリオ | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

朝日新聞出版の本  内田樹 白井聡

 

 


中島岳志 関東大震災から100年 集団化の暴力省みる

2023年09月01日 | 事件

「東京新聞」<論壇時評>2023年9月1日

 一九二三年九月一日に起きた関東大震災から百年を迎える。関東大震災では、建物の倒壊や火災、津波などで多くの犠牲者が出たが、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という根拠なき流言を信じた日本人による朝鮮人虐殺も相次いだ。

 ウェブ版「東京新聞」(八月十八日)に掲載された外村大(東京大学教授)のインタビュー(「関東大震災の朝鮮人虐殺にどう向き合うか 東大・外村教授に聞く」)では、虐殺が起きた歴史的背景が論じられている。

 近代日本は、日清戦争・日露戦争を戦った。この両戦争は、いずれも朝鮮半島の利権をめぐるもので、勝利をおさめた日本は朝鮮に対する支配を進めていった。その過程で、日本に抵抗する朝鮮人の民衆蜂起が起き、日本はそれを「暴徒」と見なして弾圧してきた。「朝鮮に対しては、一貫して自分たちに従うものだという態度で接して」きた。

 三・一運動をはじめとする独立運動に対しても、日本は「非論理的な暴徒の動き」と見なし、やがて朝鮮人によるテロ事件などが起きると、「朝鮮人=危ない人」というイメージが流布していった。関東大震災が起きた大正期には、朝鮮人が働く場所を求めて東京に流入してきていた。そのような中で、「自分たちの生活圏に、危険な人が入ってきている」という印象を抱いた人々は、震災時のデマが引き金となって、虐殺に及んでいった。

 映画監督で作家の森達也は、九月に公開が予定されている映画「福田村事件」で監督を務めた。福田村事件は、関東大震災から五日後、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で、香川県から来ていた薬売り行商人十五名が自警団に襲われ、幼児や妊婦を含む九名が殺された事件である。行商人たちが讃岐弁で会話していたことから、朝鮮人と疑われたとされている。

 森は「マガジン9」(八月九日)のインタビュー(「森達也さんに聞いた 負の歴史に向き合わなければ、また同じ過ちを繰り返す――映画『福田村事件』」)で、この映画を製作した動機を語っている。森は、地下鉄サリン事件後のオウム真理教を内部から撮影した「A」「A2」で知られる。森が衝撃を受けたのは、「世間では悪魔のように言われていた信者たちの一人ひとりは、驚くほど穏やかでやさしく、ごく普通の善良な人々」であることだった。それ以来、「なぜ普通の市民がこれほど残虐な殺人者になれるのか、ずっと考えて」きたという。

 日常では良き家庭人である人が、何かのきっかけで一転して人の命を殺(あや)める。森いわく「人間は善良なままに、凶悪な行いができる生きもの」である。

 森が注目するのは、「集団心理」である。人間は一人では生きることができない。常に集団を形成し、互いに協力することで生き延びてきた。しかし、「群れ」には副作用がある。「同調圧力」が起動すると、人々は集団の空気にのみ込まれ、行動がエスカレートしてしまう。個人としてのモラルや判断能力がきかなくなり、時に残虐なことを行ってしまう。「『私』『僕』といった一人称単数の主語を失い、『われわれ』『国家』などの集合代名詞に置き換わると、人はやさしいままで、限りなく残虐になれるのです」

 森は、この映画の中で加害者側をしっかりと描くことに重点を置いたという。被害者側に立つことで観客の感情移入を促すと、加害者側が「モンスター化」してしまう。重要なのは、映画をみる私たちが、集団心理の中で個を失い、残虐な行為に及んでしまう可能性を見つめることである。加害者を私たちからかけ離れた犯罪者としてみるのではなく、集団化の中で残虐行為にのみ込まれていく群集の中に、自己を見いだすことが迫られている。

 インターネット上のSNSでは、特定の人物に対する誹謗(ひぼう)中傷が起こり、時に死にまで追い込んでしまうことがある。匿名性が担保されている場合には、言葉はより過激になり、集団心理が働くと、攻撃性がさらに加速する。

 関東大震災から百年後の世界は、集団化の暴力から抜け出せているのだろうか。我々(われわれ)の現在が、歴史から問い返されている。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)

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