東京★秩父★函館ノマド生活 末端社長!森田博の公式ブログ

趣味の世界と零細企業末端社長としての近況報告。
書きたいことを書き、たまにアッと驚くことを発表する。

訃報

2022-08-19 04:46:35 | 作詞
白川プロ時代の先輩がまたひとり旅立った。
生きているうちに会いたかった。


「

昨年10月まで在籍(BS編集部)をしていました小澤真二さんが、
かねてより病気療養中のところ7月29日に享年66歳にて永眠されました。


ここに、故人のご冥福をお祈りし、謹んでお知らせ申し上げます。


なお、葬儀は家族葬にて執り行われたとのことです」

それにしても続きます。この世代の先輩は現会長だけになってしまった。

なんとも切ないもんだ。

木を切っておいてよかった

2022-08-02 00:28:43 | 作詞
先日、玄関前の道隔ててのり面の上にニセアカシヤの木がとてつもなく高木になっているのを前々から気になっていたので伐採。
市役所に頼んでも、東京電力に頼んでも「持ち主不明の土地の木は切れない」というので仕方ない、防災のために自腹で業者呼んで切ってもらっておいた。



切ったら約30m。ニセアカシヤは根が張らないので強風や豪雨で倒れる可能性がある。
倒れたらどう見てもうち直撃!
2本とりあえず切ってもらってもう少し細い低いのは後日自分で切ろう。



ついでに地ならし。草刈りより早い!さすがだ。



5m程度に切ってもらって秋になったら30㎝ぐらいに切って積んで乾かして来年の薪にしよう。
とても今置き場なし。



この豪雨、道も整備して側溝も沢までつなげておいてよかった。

備えあればなんとやら。
ニュースで見る限り、データ放送と市役所のHPからしても間一髪の判断であった。

高校の親友の墓参り、これが最後になるだろう(レクイエム)

2022-06-29 02:12:52 | 作詞

本来の目的そのイチ、親友の墓参りだ。

享年43歳。信じられなかった。

いまだに「もりたあ、のもやー」と連絡が来そうだ。

 

ともかく中島まで長い長い付き合いの親友の車でフェリーに乗り、、、

 

三津浜から中島へ。意外に遠いのです。

意外に大きな島で天気が良くて時間があれば高速艇で行ってチャリなんですが、、、

時間の制約があって。この後に中学二年で夭折した真鍋の墓参りもあるし。

 

しきびばかりだと寂しいので花なんぞ添えてみた。

君に捧げるレクイエム これが最後になるだろう。

ちなみにお菓子は京都の時間待ちで勝ったパチンコの景品だ(笑)。

実に俺らしい。

八坂寺の真鍋の遺影と遺骨に手を合わせにこの後行き、中学で止まった時間を同じ相手が初恋であろう(憶測)ことなど思いながら、ここには僕のおじさんのお墓もあるので手だけ合わせて鷹ノ子温泉に。

昼間から大きな風呂に入るのは実に気持ちがいい。

すべてを水に流してすがすがしくなって飲むビールは最高だ。

行きつけのスナックは4年たってもオールドパーのボトル流さないでおいていてくれた。

酒は、水でないので流さなくていい。

だから新しいパーを入れて帰った。

 

まだ、明日もあるのだ。


ついに障がい者になる。

2018-09-06 15:11:00 | 作詞

  ついに俺は障がい者手帳をもらってしまった。

  3級である。

  長年の無理が祟ったか、10年ほど前にある新番組のパイロット番組で試写15回それも半分は3人の管理職が一堂に会さず、それぞれが:言いたいこと3回繰り返せば、


   ・・・・

   ・・・・


  元に戻るのである。根本に大きな問題があってそれがガンなわけだが、このやり方で思考停止、PD泣くわ、デスクはキレるは実に無駄で無価値な結果になった。

  おまけに俺は「無能」だと言われた。勿論、怒りと自己嫌悪の板挟みだった。

  その時からの後遺症ともいえるメンタルクリニック通いに、10年たったいま、結果3級に認定された。


  これぞパワハラ以外の何物でもない。 

  俺の健康を返せと言いたい。

  

レコーディングだねー

2018-03-09 22:24:00 | 作詞

前日ギリギリまでオケ作りと会社のことででんぐり返りながら、なんとか歌入れに。
シンガーは、あの有名なジブリ作品の曲「さんぽ」を歌われていた、井上あずみさんです。
ゴキゲンに上手いです!
いつものごとく、その場で歌詞の直しをしながらなにせ譜面苦手なので歌ってみないと見えてこないことも多々あり、これまたいつものごとく頭書いて文字書かず!

作品を作るということは、やっぱり経理や事務作業より楽しいものだ。



スタジオ再セッティング準備

2017-09-01 04:59:00 | 作詞
今日の13時リミットで、頑張って新曲仕上げ。

もちろん、音楽かれこれの素人なので、作曲の先生の少しでも話しについて行くためである。もちろんデモ。

スタジオに今度はシベリウスを導入しようと思う。事務所と同期、函館とも同期させるという試みである。最も僕に欠落している音符との闘いを楽にするためである。
よし、気合い入れて頑張ろう!

正に何でも屋状態になってきそうだ。



宇宙船地球号

2016-01-31 12:59:00 | 作詞
水谷公生さんとお仕事をして、高校時代のギターコピーしていた頃が懐かしくなって、ついアマゾンで買ってしまった!

名盤なんですよね「宇宙船地球号」

てっきりレイジーでアレンジ 全曲やっていると思い込んでいたのが、この中の最も反戦歌「僕らの国でも」は水谷公生さんの作曲だったのですね~。

「 思いで壊してすみません」と謝られてしまいましたが、いえいえ、当時松田聖子「squall」(ギター松原正樹 、村下孝蔵さん、レイジーと全て水谷公生 さんにつながっているではないですか!!


あの頃、何を思い、どこに向かってバカみたいにギターを練習していたのか、ようやく繋がった。

人生とは半世紀にして、実に面白いものです。

僕は凡人なので、この道のプロには当然なれないですが、TVの仕事やっていたおかげで、地道にコツコツ、ただ楽しくてやってきたのが良かったのでしょうね。

世の中には、愚痴や捨て台詞のようなことばかり言っている人がいますが、「仕事はどうせやるなら楽しくやる」「努力勉強をやめない」ことが人生を楽しくやる コツのような気がします。

偉そうにしたい願望はわかりますが、本当に偉い聡明な人は水谷にさんのように穏やかで達観していて、お茶目で当然一流でいかにもモテるだろうなあという雰囲気を持っていますね。

見習いたいものです。

五十にしてまだまだ勉強です。

昭和のベーシスト急逝。

2015-04-27 22:53:00 | 作詞
  
  日本の偉大なるベーシスト 江藤 勲 さんが天に召された。

  今も頭の中を「伊勢佐木町ブルース」がグルグル流れている。



  江藤勲 儀
葬儀のご通知


謹啓 父 江藤勲 儀 71歳にて4月25日に逝去致しました
茲に生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます
尚、通夜並びに葬儀告別式は下記の通り執り行います
謹言

日程:
通夜 4月27日(月) 18時~19時
葬儀 4月28日(火) 12時~13時

目黒パーシモンホールの葬儀場です。
場所: セレモニー目黒
住所: 目黒区八雲1-1-9
電話: 03-5701-3777
(駐車スペースが充分ではありませんので予めご了承下さい。)


 パーカッションの穴井さんと鮨食った時には何事もなかったようなのに。

 供花しかできませんが、あの世でも時代を作ってください。 合掌


夢は夢に非ず

2014-04-12 06:06:00 | 作詞
 
 必ずいいことがある。

 詳しくは書かないが、確信しました!

 あきらめないことが人生です。


 母ちゃんの検査も大事には至っていませんでした!


 支えてくれた方々に感謝です。

 俺は、俺は、(涙)、生き方に確信持てました!

不謹慎だが、爆笑してしまった

2012-10-17 15:17:00 | 作詞
不謹慎だが、s社の書き込みで笑ってしまった。

人ごとではないが、人生楽しみ方がいろいろあるものだ。




YOUは無職!書類審査で落ちてくる~
YOUは無職!採用試験落ちてくる~
熱い心、履歴書に書いても~、今はム~ダだよ
受けたところで、面接ひとつでダウンさ~

YOUは無職!履歴書書くの早くなる~
YOUは無職!なぜか書くの早くなる~

職を求めさまよう心今~、熱く燃えてる
すべて落ちて無残に飛び散るはずさ~

転職試験受けるため~、お前は旅~立ち~
明~日を見失っ~た!!
微笑み忘れた顔など~、見たくはないさ~
職を取り戻せ~



すごい時代だ。

この国大丈夫だろうか。

E..YAZAWA コンサートに行ってきた

2012-09-02 04:03:00 | 作詞

「さらば夏よ 辛い恋よ・・・・・」

               引き潮 矢沢永吉


40周年コンサートにいった。

60代の初老で、67000人を、世代を超え、性別を超え、ジャンルを超え、エンターテインメントとして妥協しない。

最高だった。

高校を卒業してバックひとつに書きためた楽譜を持って、夜行で東京を目指し、疲れ果てたところに飛び込んできた「ヨコハマ」の文字。

キャロル時代から40年らしいが、「成り上がり」「暴力青春」「ゴールドラッシュ」はバイブルだ。

同じように上京した気持ちがよくわかる。

僕も、ひとりで上京した時は、期待も勿論だが、「俺ってこの後、どうなるんだろう・・・」という不安がどっしりと、霞のように、何ともいえない空気感としてあったのを覚えている。

誰も知り合いいなかったもんで。

あれが若さのできる技だが、E.YAZAWAは「別格」である。

我々地方の「あまり出来のよくない音楽好き」に夢と行動力をくれた。



僕らは、戦争を知らない。

僕らは、ビートルズを知らない。

僕らは、ベトナム戦争を知らない。

僕らは、安保と学生運動を知らない。

ベビーブームで、偏差値と競争にさいなまれていた。

1番がいれば、必ずラストがいる。

優等生がいれば落伍者もいる。


そんなとき、TVに出てきた矢沢、は「成り上がり」をコカコーラのCMでぶちかました!



それがこの「E.YAZAWA心酔者」の群れである。

Tシャツもコンナニ「E.YAZAWA」があるのかと思うほどの種類が歩いている!

もはやグッズではなく、「ブランド」である。





帰りが大変だったことは言うまでもない。

旧譜

2011-07-29 00:11:00 | 作詞

 仕事の気分転換にブックオフに。

 尾崎の 回帰線だった。 


 250円

 ダンスホールも舐められたものだ。シェリーも過去の旧譜である。

 ディープパープル 500円


  
 数十年まえ、高いと思っていたものが、使い捨てられた。

 

 しかし尾崎の詩を聞くと、おじさんになったものである。歌詞の通りの「大人」である。


 夢語って過ごした・・・・・・学歴がやけに目につく 金で買える自由・・・・



 それでも長生きしたいと思う今日この頃だ。



 あしたも尾崎聞いて仕事ガンバろ。


 


 それにしても安くない?



 村下 孝蔵 を探しに行ったのだが、ない。