●「五百年に一人の禅師」といわれた白隠禅師は『座禅和讃』の中で次のように書いている。
「長者の家の子となりて、貧里(ひんり)を迷うに他ならず」。つまり、自分が恵まれた家族の一員であることを知らないまま、貧乏人として迷いながら生活を続けることを言う。
●子供のときは知っている。
だから何を見ても楽しく、何をしていてもワクワクし、何を食べても美味しい。
だが、学校で勉強し社会で経験を積むほどに何かを見失っていく。
何を見ても面白くない。何をしても感動しないし他人のやることの欠点や裏側が目につくようになる。何を食べても美味しいとは思えない。
●仏教では人間の根本的な苦しみを「生・老・病・死」の四苦というが、それに次の四苦を加えて四苦八苦という。、
・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離する苦しみ
・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会う苦しみ
・求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られない苦しみ
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - あらゆる精神的な苦しみ
●学校で友だちができ、学業が始まると嫉妬や羞恥心や競争心がめばえる。メンツもプライドも出てくる。
周囲からは戦争や暴動や犯罪のニュースがどんどん入ってくる。
そうした現実を知っていくこともひとつの「学習」だが、学習をすればするほど子供の時にもっていた「長者の家の子」という思いが薄れ、やがて自分は貧里を迷う人間であると信じ始める。
●そうした誤解や錯覚をふりほどくために座禅を組んだり写経をしたりする。
お互いの幸せにために企画された学習機会や、飲み会が、各自の四苦八苦のためにケンカになり、関係が悪化する。
●譲れるものは大いに譲ろう。あまり押しつけがましい考え方を頭ごなしに言う大人になるのはやめよう。
「こうあるべきだ」「こうあって欲しい」というこだわりが強いと、それは執着になり、自分も相手も苦しめる。手放せるものは遠慮会釈せず手放そう。
そうすると、かえって何でも手に入るはずだ。
なぜなら、私たち全員が長者の子だから。
思わず唸る説法である。