東京★秩父★函館ノマド生活 末端社長!森田博の公式ブログ

趣味の世界と零細企業末端社長としての近況報告。
書きたいことを書き、たまにアッと驚くことを発表する。

手術決定!

2020-11-22 02:34:00 | ノンジャンル

  とある病院の20階。 いやあすごい眺めだ!

 

前々から気になっていた「外斜視」がよりひどくなって、距離感が掴めないようになってきた。
56歳、これまでの無理が色々出てきてしょうがない今日この頃、またとある医師の紹介で「日本眼科の首領」にきて速攻手術になった。
とはいえ、年明けでないと空きがないようなのでそこまで待ちで、長い長い術前検査に来たわけです。

 

徹夜できてしまった(正確には日にち間違っていて明日かと思っていたのです)こともあって、眠くて低血圧がより低血圧!
低いのなんの!

8時30分から14時まで所々爆睡しながら、よりによって目なので目を開けてなければいけないので困ったものであったが、HIVまで検査であった。
今、原因不明の何年かに一度起こす全身蕁麻疹に襲われて抗ヒスタミン剤半錠飲んだせいもあって眠気百倍増だ。

とりあえず無事に終わって、このコロナ感染猛威の中3連休引きこもり前に伸ばすわけにもいかずかなり堪えたが先延ばしもよくないので良かったとしよう。

難聴も何度かおふくろの使っていた補聴器調整して、かなり良くなったが首の角度で全く聞こえなくなったりするのでこれも調べなくてはいけない。

あー、病院まみれになりながらも治ったら編集に復帰しつつ、サイト開発、作家活動、会社運営を今一度ダイナミックにこなそうと思う。
やはり、まだ老け込む歳でもないし、モチベーション上げる材料も揃ってきた。

今月は全国行脚に各忙しくなってきてしまったので、コロナ禍も「災い転じて福とならしむ」と考えて100歳までダラダラでなく、がっつり生きていこうと再度決意だ。

アナログ編集時代の「塗り絵」という作業がどうやら外斜視にさせたようだけど、とにかくダッシュで働いてきたらやはりメンテは必要になるということがここ数年よくわかってきた。

何事も早めに手を打って、高い健保の元を回収しつつクリエイティビティー無くさないようにしたいものだ。

チャレンジは何歳からでもできるものだから、出来ることなら若々しく歳を取りたいものだ。

魂の老化だけは避けたいものだ。

そして、帰るなり爆睡の日々だった。長時間続けて眠れるというのは大事だなあ。

やっとBCP完了検査も終わったところで、今度は医者の書類に追われる連休はおとなしく過ごそう。

アレルギー検査もこの際やろう!蕁麻疹マジつらい。





真の社会貢献は自分自身が一生懸命生きること

2020-11-16 00:22:00 | ラスト

●最近、都内のある町に引っ越したばかりの方が祝日に国旗を掲げたら町内会長が尋ねてきて「右翼みたいだから国旗はご遠慮を」と苦情を伝えにきたそうです。
それを聞いて、「それはあなたの意見か、それとも町内の総意なのか?日本人が祝日に国旗を掲げてどこがいけないのか説明してほしい」と迫ったそうです。
町内会長はおろおろし、「いろんな人がこの町には住んでいますので、そこは穏便にお願いしたい」と言い置いて帰っていったとか。無論、友人は国旗を降ろさなかったそうです。

●いつから日本で祝日の国旗掲揚までもが苦情対象になったのでしょうか。
世渡りが難しくなっていくことを「世知辛い(せちがらい)」といいますが、日本人が日本に住んでいながら周囲を気づかって国旗を遠慮しなくちゃいけないなんて世知辛いとしか言いようがありません。

●東北地方では運動会や収穫を祝う祭りなどの開催合図として、古くから朝の花火が用いられてきたそうです。しかし近年「夜勤明けで眠れない」などの苦情が寄せられ、花火を取り止めにするケースが相次いでいるとか。

●今年、仙台の小中学校186校の約半数にあたる90校で花火が中止になりました。メールやLINEなど別な方法で開催告知ができるという判断でしょうが、年に一度の何発かの花火が苦情対象になるとは個人の権利主張はどこまでいくのでしょう。

●東京の小金井にある曹洞宗の千手院では、除夜の鐘を5年前から止めたそうです。
その理由は「苦情」などという生やさしいものではなく「訴訟」でした。裁判所で調停が開かれ、出された判決は防音パネル(100万円するそうです)を設置しろということ。それ以来、除夜の鐘を断念したそうです。

●静岡のお寺では、住民の抗議を受けて一時は中止するも鐘を復活させたお寺もあります。その寺では夜の12時ではなく昼の12時から除夜の鐘を突くそうです。これにより、近隣から苦情も来なくなったし、昼間の方が明るいし寒くないので、今まで足を運び辛かったお年寄りや子供たちも、気軽に寺にきて鐘を突けるようになったそうです。
地域の人が喜んでいるのであれば外野の人間がとやかくいえませんが、大晦日の夜に年越し蕎麦をすすったあとに除夜の鐘が鳴りひびく光景に慣れている者としては複雑な気分です。

●国旗にしろ、花火にしろ、鐘にしろ、誰かから苦情が出ればそれをやめるということをやっていけば、そのうち一切のイベントが中止になりかねません。

●池間哲郎氏(65)による迫真の講演を聞いて涙しました。延べ100万人の聴講者が泣いた、と講演チラシにあったので「何があっても私は絶対泣かない」と固く決心していたのですが
45分持ちませんでした。私たちの祖先が先の戦争でアジアの国々で行ってきた逸話を聞けば聞くほど涙がこぼれてきました。日本兵という職業軍人もいましたが、多くの兵隊はお百姓や会社員、教員、職人、学生などごく普通の良識ある日本人です。

●多くの白人が有色人種を蹂躙していくなか、日本兵は現地の人たちを優しく保護しながら戦ったのです。国粋主義者が語る話ならさっ引いて聞くべきでしょうが、アジアで植民地時代を経験している80歳、90歳の老人を取材して回った池間氏の動画や画像は間違いなく事実で
す。

●アジアのお年寄りが語る日本兵の行いは、池間氏と同年の私でも知らないことばかりでした。日本という国、日本人の先祖の業績にもっと誇りを持たなければならないし、その根拠たる事実をありのままに知ることが大切なのだと思います。

●子どもたちに誇りと勇気を与えねばならない私たち大人が歴史を知らなさすぎる。特に近代史。敗戦後の徹底した骨抜き教育とプロパガンダによって私たち日本人の多くは、世界でも稀なくらいに自国に誇りをもたない国民になってしまいました。自虐史観と”謙虚”を通りこした卑屈さのなかに強く生きるエネルギーは生まれません。

●池間氏はカメラマンとして世界を回り、特にアジアの貧困地区を重点的に回るうちに「生きる」ということがどういうことなのか深く考えさせられたそうです。学校にも行けず(行かないのではない。行きたいけど行けない)、家族を守るためにゴミ捨て場を漁る子どもたちから多くのことを学んでこられた池間哲郎氏。

●人のため、誰かのためにがんばるのも良いが、池間氏が最後に言われたこのセリフが私の心に刺さりました。

「最も大切な社会貢献、それは自分自身が一生懸命に生きることです」

ホンダライフのヘッドライトの黄ばみ100均で安く磨いてみた。

2020-11-15 18:12:00 | 別荘野良仕事
 
 おふくろの介護のために帰松していた際に、病院や買い物重宝した21年落ちホンダライフ。

まだまだ元気に走っているけどヘッドライトが樹脂製は黄ばんで白くなってくすんできている。

 

 

 

当然貧乏臭い僕のことです、できるだけコロナ禍なのかでもあり極力安く、手間のかからない方法で磨いてみた。
 

 まずはお風呂ルック付けて5分ほどおいて、100均のダイヤモンドスャ塔Wで黄ばんで白くなった保護膜を剝がします。
一応はこれまた100均のマスキングテープで保護もしちゃったりして。 

 

 時々ペットボトルで水かけながら、とにかく磨きますです。

これ以外に疲れます!紙やすりにすればよかった。。。。

 


 見てください!これだけでも十分キレイになった!
 

しかし、このままにするとコーティング加工がないので傷でシロっぽくなったり、あっという間に黄ばむので、、、、、


 これまた100均の「シリコンスプレー」を5分おきくらいで3度塗りします。

 


 すると、磨き傷もコーティングされて見事美しくきれいになりました!!

 100均恐るべし!

  

 ついでにお風呂ルックの浸み込んだタオルで窓なども拭き、洗車に行って見違えるほどキレイになったのだけど、そこまで写真撮るのが面唐ナなんとなく落ち切らない感じだけど、明るさも十分増したし、若返った感あり。

 車も温泉に入った方がいいということですな。

 貧乏臭く100均でここまできれいになるということがわかりました。皆さん、空気も乾いていて天気もいいので、くすんでる人はぜひやってきてください。


 大好きな銭湯も、東京ではこのコロナ禍じゃあ浮ュて行けやしない。

 
 僕が黄ばんできそうだ!



おふくろの5回忌命日 明日(めいにち)とこれからしよう。

2020-11-12 13:29:00 | 介護

  そうかあ、いとこから連絡もらうまですっかり忘れるところだった。
おふくろの夢見たり、気にはしてたけど日にちすっかり忘れていた。

 5回忌ってそんなになるんだっけ?2016年に亡くなったという、そんな昔の印象がない。
やばいなあ、記憶が最近遡れない。

 ということは、2013年から介護に行っていることになる。

いやあ、全く最近のような気がするのに。

いずれにしても合掌。亡くなった人の歳を数えるより、明日を夢みろとおふくろに言われている日々である。


秋の風景を添えて。