東京★秩父★函館ノマド生活 末端社長!森田博の公式ブログ

趣味の世界と零細企業末端社長としての近況報告。
書きたいことを書き、たまにアッと驚くことを発表する。

『買ってやれなかった茶碗』

2011-05-30 11:17:00 | 永住できる目黒区を考える


●鹿児島県の「獅子島」で生まれ育った小久保三郎(仮、57才)は現在、名古屋で「株式会社小久保建機リース」(仮)の社長をしている。

先祖代々借金が大嫌いで小久保の会社も当然ながら無借金。不況で仕事が減った今でも中国から研修生を5人も受け入れるなど、余裕のあるところを見せている。

●そんな小久保が、ある会の二次会で私の前に座った。

「武沢さん、私もあなたに言われて【Wish List】を書き始めたところ
だが、絶対不可能な Wish は書いてはいかんのだろうか?」と聞く。

「ほぉ、絶対不可能なWish。たとえばどんなことですか」と私。

「死んだ親に会いたいんだ」と彼。

●事情を聞いてみるとこうだった。

「獅子島」の小久保家で8人兄弟の7番目(三男)として生まれた三郎は、県内の高校を卒業すると島から出るように親に言われた。

両親は農家。借金もないし、長男が残ってくれればあとはちゃんとやってゆけるから、とにかくウチのことは何一つ心配せずに町へ行け、と言われた。

●三郎少年は一番やんちゃ者で、親からいつも目をかけられてきた。
そんな三郎が家からいなくなるのは親としてもさみしい事だったろう。
涙ぐんで港まで見送りにきてくれた両親の前で三郎は言った。

「一旗あげて、きっと帰ってくるから」

すると母は気丈に
「帰ってきても寝るとこがない。帰ってこんでええ。電話だけすりゃ」
と言った。

●あれから約20年。結婚式のとき以外は一度も会わなかった。
電話やハガキで連絡するが、三郎も会社を興すなどの忙しさにかまけて一度も島へ帰らずに時だけが過ぎさっていった。

「チチシス イチド カエレ」の電報を受けとったのは三郎が40才の時だった。
父は胃がんでなくなっていた。通夜の席で再会した母は75才になっていた。ひどく痩せていたので健康を気づかったら母もがんにおかされいると聞かされた。

●通夜の夜、親父の棺の前で三郎は悔いた。
「おやじ、申し訳ない。オレはこの20年間なにひとつ息子らしいことをしてこなかった。せめて、母には何か恩返ししたい」と父の前で誓った。

●三郎は、島を発つとき母を旅行に誘ってみた。
昔から「京都へ行ってみたい」というのが母の口ぐせだったことを思いだしたからだ。
このとき、母はめずらしく三郎の提案をすんなり受け入れ、翌月親子で京都旅行をした。

●互いに募る思いはたくさんあるのだが、会話が進まないまま清水寺まで来た。
二年坂の売店へ立ちよった二人。母は何か土産ものを物色しようとしたのだろうか、清水焼の前で立ち止まった。

●三郎はその様子を見ながら、「ちょっとオレ、トイレ行ってくるわ」と母に声をかけた。
数分後、トイレから戻って店内を見渡すと、母はさっきと同じ場所で、同じ茶碗を手にしていた。

「あ、母はこの茶碗がほしいんだ」と思い、三郎はさりげなく母の横に立って値札を見たら『1万円』と書いてあった。

●当時、仕事がうまくいかず財政的に苦しかった三郎は、その1万円が出せなかった。母と京都に来ることが精一杯だった。

だから、三郎は茶碗を見ないふりをした。

そして明るく声をふりしぼって、「あ、そうそう、おふくろ。京都名物は何といっても漬け物だよ」と言った。
母も敏感になにかを感じたのだろうか、その茶碗を大切そうに元に戻し、漬け物の売場へ移動してくれた。

●その翌年、母は帰らぬ人になった。

三郎は今でもその時、母に茶碗を買ってやれなかった自分が不甲斐なく、母に対して申し訳ないことをしたという気持ちがぬぐいされない。

もう57才になるのに、あんな中途半端な京都旅行なら招待しない方が良かったのかも知れない、とまで自分を責めることがある。

●「武沢さん、だからオレのWish Listに『もう一度母を京都に連れて行って茶碗をプレゼントする』というのがあるのだが、これって間違ってるだろうか」と小久保社長。

●私はしばらく声がでなかったが、気をとりなおし、こう申し上げた。

「いや、そういう Wish は大なり小なり僕にもあるし、それを書いておくことは全然間違ってないと思いますよ。それに、そのWishだって絶対に達成不可能だとは思わない」

すぐにでもその茶碗を探してきてくださいよ。

そして母の位牌か墓石にプレゼントしましょうよ。それが無理なら、自分が旅立つときにその焼き物をプレゼント用に持参しても良い。
だから絶対不可能なリストなんてないと思う、と小久保社長に申し上げた。

小久保社長はその時、「ありがとう」とだけ言ってあとは黙っていた。


今日、スタッフのご母堂の告別式。

人には上手く伝えきれない思いがある。



親子丼

2011-05-23 05:43:00 | 永住できる目黒区を考える

 噂の現場だかを見て、若い女性がとんでもない親子丼を作るのを見て、晩飯を親子丼にしてもらった。

 番組のようなのが出てきたらsymbol5symbol5symbol5と思ったが、さすが長く生きてました

 
 素晴らしい!


 食べすぎです。それも考えて玉ねぎ多め。

 しかし、



 そのあと、








 リビングで爆睡・・・・・やってしまった早起きで、今日は昼間眠そうだ。

 まあ、やることは山のようにあるので・・・・・・・

 まず、整理しないと何からやればいいのか。





秋葉原

2011-05-10 10:21:00 | ラスト

  予想通り一睡もせず、会場へ。

  最近、不思議な仕事が増えてきた。悪いことではないが、あまりしゃべるのは得意でない

  古着屋で7年前に買ったアーミージャケットで、みんなどう見てもスーツでいかにもビジネスマンという人たちばかりで、ビジネス鞄を持った人たちに説得力ない気もするが。


  でも、ここまで資料も作ったのだし、見た目じゃないよね。

  
  ただ、よく勉強した自分にご褒美は何かないものか?


  きっと神様は見ていてくれる!!!!!




できた!

2011-05-10 03:42:00 | ノンジャンル
ヤッターマン!

計画書23ページがついに完成

説明書類は多分大丈夫!

これからコピー地獄です。


事務所に契約書取りに行って、請求書作って、9時には間に合いそうだ!

今日は、打ち合わせやら、編集機のバージョンアップやら、久しぶりに完徹で獅「ビールが15時間後に待っているぜ!



こいつは獅「ぜ!



いよいよ明日

2011-05-10 01:25:00 | ノンジャンル
腱鞘炎になりそうなくらい文章書いている!

いよいよ明日プレゼンテーションですので、追い込み!


人生でこんなに真面目に勉強して、法律と技術論文と計算機とキーボード打つのははじめてだ。


フローチャートなんて忘れてました。

プログラム会社の方々、広告代理店の方々、特許綜合事務所の方々、


よくぞ怠け者の僕のケツをここまでムチ入れてくださいました。


何よりも、何にエネルギー使っているかわからないまま、あまり説明もできなかった、スタッフの方々、カミサンにももうすぐ説明できそうだ。


まだまだかかるだろうが、一つの山が明日プレゼンテーションですよ~。

企業として、社長として、ビジョンを持って無駄かもしれないけれど頑張ってます!


立ち止まったら社長はダメなのよ!

請求書やら、業務実施報告やら遅れてすみませんです。


まだまだCD全部送ってないし、仕事山積みですが、



夢は夢にあらず。

生きている限り現役の戦艦の艦長、そいつは心強いじゃないか。



仕事山積み上等



楽しくやろうぜ!



経営者は常に要望者であれ

2011-05-06 13:13:00 | ラスト
「何より価値のある教育の成果は、必要とあらば、課せられた義務を好むと好まざるとにかかわらず行う能力である。これがまず第一に学ばなければならないことだ」(英医師:トマス・ハックスリー)

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 ここのところが最近の教育に欠けている点ではないか。最近かも微妙だが。
 
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●NHKと日経BP社が共同製作したDVD「ザ・メッセージ」が廃盤となった。

私はこの商品に登場する松下さん(パナソニック)や吉田さん(YKK)盛田さん(ソニー)、塚本さん(ワコール)などが大好きで何度くり返して観たかわからないほど。
もしまだご覧になっていない方はamazonなどで流通している商品を入手されると良いだろう。

松下さん86才の時の講演、「中小企業は強い」・・1980年5月28日 大阪中小企業振興フォーラムにて、こんな話をされている。

・・・富士のすそ野のように中小企業が強くて広がっている国は強い。
大企業に負けない中小企業はまだまだ限りなく発展するもの。それがなければ各業界の発展はない。中小企業はもっと自信をもってほしい。

「石油が4倍になって困った」とか、「中小企業やからもうあかん」、「そんな競争できへん」とさじを投げるようなことをあえてしているのではないか。

 松下電器も今は皆さんのおかげで多少大きくなりましたけども、元は中小企業でありました。
以前は5人、6人、10人というような状態でやってました。
しかし、そのときのほうが思う存分に仕事ができました。
「こういうことをやったほうがええな」と思うと、あしたからできた。
今そう思ってもなかなかできません。下までおりていくのにも暇がいります。そのように考えてみますと、中小企業の間は、なつかしいですよ、私は。非常にご飯もおいしかった。

このごろはご飯を食べるのにも、のどに通らんと思うようなことがあります。これは本当でありますから、私は中小企業は一番いい、一番愉快である、楽しみであると思うんです。
・・・

●その他、こんな演題の講演が続く。

・「喜びの連続が繁栄を生む」 幸之助86才
・「長たる者は自己観照せよ」  〃
・「不景気は人がつくり出す」  〃 89才
・「衆知による経営を」     〃 88才
・「不景気は商売の師匠」    〃 88才
・「経営者は常に要望者であれ」 〃 87才

●これでお値段 15,750円 は本当にお買い得だと思うがいかがだろう。


●「確たる信念をもっている人は、不景気のときほど儲ける」と松下さん。
氏が昭和51年につくったのが「不況克服の心得十ヵ条」というもの。

一気にご紹介しよう。

第一条 「不況またよし」と考える
   不況に直面して、ただ困った困ったと右往左往していないか。
   不況こそ改善、発展へのチャンスであると考える前向きの発想から、新たな道もひらけてくる。

第二条 原点に返って、志を堅持する
   ともすれば厳しさに流されて判断を誤りやすい不況時にこそ、改めて原点に返り、基本の方針に照らして進むべき道を見定めよう。そこから正しい判断も生まれ断固とした不況克服の勇気と力が湧いてくる。

第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ
   ふだんより冷静で念入りな自己評価を行い、自分の実力、会社の経営力を正しくつかみたい。誤った評価が破綻を招くのである。

第四条 不退転の覚悟で取り組む
   なんとしてもこの困難を突破するのだという強い執念と勇気が、思いがけない大きな力を生み出す。不況を発展に変える原動力は烈々たる気迫である。

第五条 旧来の習慣、慣行、常識を打ち破る
   非常時ともいえる不況期は、過去の経験則だけでものを考え行動してもうまくはいかない。これまで当然のこととしてきた習慣や商売の仕方を、徹底的に見直したい。

第六条 時には一服して待つ
   あせってはならない。無理や無茶をすれば、深みにはまるばかりである。無理をせず、力を養おうと考えて、ちょっと一服しよう。そう腹を据えれば、痛手も少なくなる。終わらない不況はないのである。

第七条 人材育成に力を注ぐ
   「苦労は買ってでもせよ」というが、不況とはその貴重な苦労が買わずとも目の前にあるときである。好況のときにはできない人材育成の絶好の機会としたい。

第八条 「責任は我にあり」の自覚を
   業績低下を不況のせいにしてはいないか。どんな場合でも、やり方いかんで発展の道はある。うまくいかないのは、自らのやり方に当を得ないところがあるからである。

第九条 打てば響く組織づくりを進める
   外部環境の変化に対する敏感な対応は、よい情報も悪い情報も社員からどんどん上がってくる、お互いの意思が縦横に通いあう風通しのよい組織であってこそ可能となる。

第十条 日頃からなすべきをなしておく
   不況時は特に、品質、価格、サービスが吟味される。その吟味に耐えられるように、日ごろからなすべきことをなしていくことが必要である。


がんばろう日本! 頑張ろう中小企業! 自分にも渇!

人生は語れないが、経営は勉強すれば語れるかもしれない。