去年は 名前さえ忘れていた ぎぼうし
知らないうちに 膨らんでいました
今週には 綺麗な花がさきそうです
今日で 99回目になりました
関西本線
愛知県名古屋市中村区の名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経て大阪府大阪市浪速区のJR難波駅に至る鉄道路線
四日市駅
かつて四日市駅と富田浜駅との間に午起(うまおこし)駅が2度にわたって存在した。
初代は「午起仮乗降場」で1931年7月7日に開業し、午起海水浴場利用客の便宜を図っていたが、
戦後利用客の減少により1948年8月30日にいったん廃止となる。
二代目は1954年6月1日に正式な駅として開業したが、
三岐鉄道三岐線からの乗り入れの普通列車(気動車)のみ停車し、
それ以外の列車は通過していた。
牛起海水浴場が工場建設のため埋め立てられることになり、牛起駅も1964年10月1日に廃止された
富田浜駅
1907年 - 関西鉄道富田 - 四日市間に富田浜臨時仮停車場が開業。富田浜海水浴場の海水浴客専用の臨時駅。
1908年 - 富田浜仮停車場に昇格。
1928年 - 富田浜駅に昇格、通年営業開始
富田浜海水浴場にアクセスしていた富田浜駅は閑静とした住宅街の中にある。
1959年年の伊勢湾台風の襲来まで、富田浜地域は白砂青松の砂浜だった。
遠浅の海水浴場だった富田浜町は別荘地として発展してきた。
医療法人富田浜病院と付属で過去にあった富田浜看護婦学校が所在しており、
皇后美智子様の実家(日清製粉グループ本社)正田家の別荘や名古屋市の財界人が使用する別荘地にもなっていた。
有料の海水浴場もあり、夏休み期間になると、富田浜駅のホームは名古屋駅や四日市駅からの海水浴客で混雑した。
富田駅
当駅発着のマルス券の切符を購入すると
「(関)富田 - ○○」または「○○ - (関)富田」と印字される(関は関西本線の略)。
これは同一表記駅名であるJR東日本両毛線の富田駅・とみたえき(栃木県足利市)と
区別するためである。 三岐鉄道が旅客営業をしていた時代、近
鉄時刻表の三岐鉄道欄では当駅は「国鉄富田」駅と表記されていた