太宰府の祖父の家に着いたのは、実は予定よりも1時間近く早い時間で、祖父母は共に買い物に出掛けていたため、帰りを待ちました。途中で甘木の大叔母(祖母の妹)も合流し、近況報告などをしていると、ちょうど予定していた時間に祖父母が帰ってきました。
半年ぶりに祖父母と会ったのですが、大学院進学に際して多大なる支援を頂いているので、まずはそのお礼と、やはり近況報告をしました。例の、先日アメリカの論文誌に受理された論文の概略も見せましたよ。
本当に、祖父母には私が恩返しできるようになるまで、まだまだ長生きしてもらわないと・・と思います。
薩摩隼人の祖父はいつも通りのツンデレっぷりで、「お前が来るとご飯代が高くついて困る!」と言いつつ、この日も近所の鮮魚店のお寿司を2人前×7つも用意してくれて(祖父母と大叔母、母と私の5人しかいないのに)、今回も満腹にしていただきました。(後の運転が大変だ・・)
計3時間ほど祖父の家に滞在した後、甘木の大叔母の家に、祖母と一緒に向かいました。大叔母の車の先導で、裏道を走ったのですが、インサイトは5ナンバー車なので、割と細い道でもそれほど緊張せずに走れました。
30分ほどで甘木に到着。平成の大合併で、甘木市も朝倉市甘木となっていました。大叔母の邸宅にお邪魔し、まずは去年秋に亡くなった大叔父の仏壇を拝んだ後、再びそれぞれの近況などの世間話に花が咲きました。
ここでも2時間ほど滞在した後、祖母と大叔母と別れ、熊本方面に向かいました。
夕暮れまでに墓参りを済ませたかったので、山鹿市近郊(旧三加和町)の父方の先祖の墓へ急いで参りました。この辺は、ここ20年間ほとんど変わらない、いわゆる田舎の風景が残っている地域で、いかにも「田舎に帰ってきた」という感覚を味わえます。
いつもの商店に車を停めさせてもらい、その店でお供え物を買って、数百mほど離れたお墓へ歩きました。途中、田圃に菜の花が咲いていて、春らしい光景を楽しめました。1年半前のお彼岸以来の参拝で、お墓の現状が気になっていましたが、どうやら先客がいたようで、草取りなどはちゃんとされていました。それでも枯れ枝などが散らばっていたので、軽く箒で掃いてから、拝みました。
お墓の近くの菜の花畑。左手の森は城跡で、その麓に堤家累代の墓があります。
お墓を後にした我々は、植木町の父方の親戚の家(祖母の骨が納骨されている墓がある)に向かいました。植木町は、つい先日の今月23日に熊本市と合併し、熊本市植木町となりました。西瓜の名産地で、温泉地でもあるのどかな町でしたが、合併により来年4月からは
政令指定都市の一角となります。変わるものですねぇ・・。
この日はここで泊めさせてもらいました。
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翌朝、8時半に植木の親戚の家を出発、佐賀県鳥栖市の叔母(母の姉)の家へまずは向かいました。去年、息子さん(つまり私の従兄弟)が結婚された(一応、このブログでも書いたのですが、途中で終わってる・・)のですが、この度赤ちゃんが生まれたそうで、写真を見せてもらいました。お父さん似だったかなぁ・・。従兄弟は高校からラグビーを始めたのですが、めきめきと頭角を現し、花園で準優勝、大学でもラグビーを続け、今は神戸製鋼に勤めています。私と4歳違いで、まだまだ現役選手として活躍するものだと思っていたのですが、なんと子供が出来たのを期に、今回現役を退いたそうです。ラグビーの引退の年齢としてもかなり早い方ですが、今後は後進の指導で活躍したいとのこと。私の4年後といったら、まだ博士号を取得できるかどうかで、ようやく社会にデビューするかも・・といった年ですから、世界の違いをひしひしと実感します。(良いんです、私は大器晩成型だそうなので・・)
叔母の家で道路地図を借り、この後の行動を考えました。当初の目論見では、長崎へ行くつもりだったのですが、この日の大阪へ戻る船の出航時間は17時。小倉駅北口から港への無料送迎バスは15時40分に出発することになっていたので、レンタカーの返却時間などを考えると、この時点で残り時間は5時間弱しかありませんでした。長崎へもし行ったとしても、滞在時間は1時間も取れず、ご飯を食べるくらいしかできません。仕方が無いので長崎へ行くのは諦めるとして、このまま北九州まで真っ直ぐ帰るのも面白くありません。どこか良い寄り道先が無いかと考えていて、思い出しました。私はこれまで日本全国47都道府県の内、46都道府県を既に踏破しましたが、未だ未踏の県がすぐ近くにあったのです・・。それが「大分県」です!鳥栖から最寄の「大分県」である日田市までは30分ほど。往復して九州自動車道に戻っても、十分フェリーの時間に間に合います。
善は急げ、早速叔母の家を出発し、インサイトで走り出しました。
途中、うっかり高速道路を乗り間違えて、大分へ行くつもりが長崎自動車道に乗ってしまうミスがあったものの、1つ目のインター(十数キロ先でした)でUターンし、なんとか方向修正し、予定通り30分ほどで大分県境に至りました。
大分自動車道の福岡・大分県境。実は、母の実家は以前朝倉郡杷木町(現朝倉市)にあったので、日田市は目と鼻の先でした。私も何度も杷木へは行ったことがあるのに、大分県が最後の未踏県になるとは、因果なものです。
ともあれ、この県境を越えた時点で、私はついに日本全都道府県を踏破したわけです。
道が空いていたので、もう少し足を伸ばして、かねがね一度行ってみたいと思っていた、湯布院を目指すことにしました。
そして鳥栖出発から1時間半、湯布院に到着しました。(写真は由布岳PAから撮影)
とりあえず湯布院インターの目の前にある、道の駅に入りました。
この時点の時刻は12時20分。せっかくなので温泉に入りたいところですが、ちょっと時間に余裕が無いので、断念。
道の駅からも由布岳が綺麗に見えていました。
昼ご飯は道の駅の露店で購入した「地鶏唐揚げ(柚子胡椒味)」と「とりめし」でした。
唐揚げと柚子胡椒はあいますねぇ。自分でも今度作ってみようと思いました。
お土産なども買い、40分ほどで道の駅を出発。
九州自動車道へは戻らず、このま大分道を東進して九州東海岸側へ出て、日出ジャンクションから宇佐別府道路に乗り換えて北へ転進、宇佐からは国道10号線で北九州を目指すルートで走ることにしました。カーナビの予想到着時間は3時間後の16時頃ですが、タイムリミットは残り2時間。正直間に合うのは難しいかと思いつつも、路上の人になりました。
走り始めると、大分道、宇佐別府道路ともに空いていて、他の車の速度もかなり速かったため、湯布院から僅か30分で国東半島を縦断して宇佐まで至りました。さらに下道に下りてからもほとんど信号に引っかからなかったため、平均速度40キロ程度で走り続けることができ、結局小倉駅北口にはカーナビの予想よりも1時間早い、15時前には到着できました。
その後指定ガソリンスタンドで給油し、レンタカーを返却しましたが、送迎バスには十分余裕を持って間に合うことができました。これだけスムーズに走れたのも、インサイトのおかげかもしれません。
帰りの船は、名門大洋フェリーの「フェリーきたきゅうしゅう」。
全長160m、9350総トンで、阪九フェリーの船よりはやや小柄な船です。就航は1992年で、既に18年を経過しているため、同じ会社の2便(20時発)で使われる船と比べてかなり古さが感じられます。(もう新造船に代わってもおかしくないのですが、燃料費高騰などの影響で、なかなか余裕が無いようです)
今回は高校の剣道部や少年サッカー、バスケットボールのグループが多く乗船していたため、船内はかなり汗臭い感じでした・・。
この船には安価な1人部屋は設定されていないため、特2等(8人相部屋)を利用しました。(あまりむさ苦しかったので、乗船後に母は女性専用部屋に変更しました)
新門司港をほぼ定刻に出航後、すぐに右舷側に新北九州空港が見えてきました。
ちょうど、この空港を拠点とするスターフライヤーの飛行機が降りてきました。
今日は結構長いこと運転して疲れたので、周防灘に出た辺りで、早々に寝入りました。
翌朝、つまり今朝は午前2時に起床。ロビーで研究作業(持参したPCで)を行って、大阪南港入港まで過ごしました。
大阪南港には午前5時半入港。甲板でその様子を見ていたのですが、夜明け間近の空の色にしばし見入りました。
その後、ニュートラムと近鉄、自家用車を乗り継ぎ、9時頃に三重県伊賀市の実家に帰りつきました。
近畿地方では前夜から雪が降ったらしく、3月末だというのに珍しく雪が積もっていました。
今回の九州旅行のまとめ、
・インサイトは良い車だ。
・大分はまたゆっくり行ってみたい。