うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

今年もあと30分を切りましたよ。

2005年12月31日 23時31分09秒 | うちなー日記(沖縄編)
もうすぐ2006年の幕開けですね。
私は今、寮の先輩と二人でリビングのテレビで紅白歌合戦を見ております。今は天童よしみの「川の流れのように」が流れています。
寮の住民の半分以上は沖縄に残っていますが、何故か皆行方不明・・・orz
ということで、現在のところかなり侘しい年越しとなっています。
さて、そろそろ年越しそば(沖縄そばです)でも作ろうかな・・・

火災報知機が誤作動しました。

2005年12月30日 23時36分53秒 | うちなー日記(沖縄編)
昨日深夜、そろそろ寝付こうかというときに、目覚まし時計のような音がドアの外から響いてきました。ベッドから起き上がり、ドアを開けると、部屋の目の前にある火災報知機が大音量で鳴り響いているではないですか。
あまりのうるささにユニットの住民たちも集まってきました。ベランダから外を覗きましたが、特に物が燃えてるような臭いや煙も見えず、どうやら誤作動のようです。先輩が言うには、年に2、3回くらいあることのようで、慣れた様子ですが、そんな頻繁に誤作動するのはまずいのでは・・・。orz
10分ほどして、ようやく警備員の方が駆けつけて、ベルを止めてくれました。センサーを確かめていましたが、反応した形跡はなく、ベルが鳴った原因は不明・・・。
すっかり目が覚めてしまった私は、その後、午前4時までテレビを見るはめになってしまいました。

今年もあと二日・・・

2005年12月30日 21時24分44秒 | うちなー日記(沖縄編)
ついに2005年もあと2日となりました。
この一週間、クリスマスパーティーやら、再び来沖したT氏と弟の接待であっというまに過ぎました。ふと考えてみると、来週の金曜日、1月6日からは、後期の後半がもう始まってしまうのです。それまでに、基礎ゼミで発表するプレゼンをパワーポイントで作成しなければなりません。また、単位認定用レポート課題もあるので、冬休みの内に書いておこうと思うのですが、このままの調子だと、また一週間あっというまに過ぎそうです。

ついにテレビ出演を果たしました。

2005年12月30日 16時39分01秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、先日のNAHAマラソンの総集編があり、最後の方ではっきりと私のインタビューが流れていました。(こういうものは自分では直視できないものです)
思ったよりも、髭が濃く映っていて、受け応えも、30km以上走った後だからか、なんかはっきりしていなくて、つっこみどころ満載な感じでした。
やはり私はカメラ映り悪いみたいです・・・orz
っていうか、何故私は横目でインタビュアーを見ているのだろうか・・・。
まあ、anyway・・・ついに沖縄でテレビデビューしてしまいました。

伝説の先輩、堤氏現る。

2005年12月29日 21時23分51秒 | うちなー日記(沖縄編)
「堤」っと言っても、私のことではありません。以前私の寮のユニットに住んでいた先輩で、今年の春に卒業したのですが、数々の名言名句を生み出し、それらは今も語り継がれているのです。
先日、一度出張で沖縄に来られたのですが、時間が無かったため、あまり遊べませんでした。
そして昨日、今度は遊びで沖縄に来られたので、夜から半日ほどですが、寮の先輩方と一緒に遊びに行きました。
沖縄そば屋で夕食を食べ、腹ごしらえした後、ボウリング場に行きました。
私は、もともとボウリングは下手で、最高スコアはせいぜい70強というところで、今日もそんなものかと思っていたのですが、神懸ったかのように、ストライクやスペアが出るではないですか・・・。皆もびっくりしていて、スリットでスペアを出したときは、自分でも信じられませんでした。結局、1ゲーム目は、ストライクが3本、スペアが3本で、スコアは122(6人中2位)でした。自己ベストを大きく更新しました。そして2ゲーム目、このまま順調にいくかと思ったら、今度はガーター連発で、スコアは70・・・orz。この差はなんなのでしょうか・・・。
続いて、一向はカラオケへ。私は一曲目に加山雄三の「海 その愛」を歌ったのですが、これが堤先輩にばか受けし、選曲のディープさと、私の歌唱力と年齢とのギャップに、笑い死にしそうになっていました。他の先輩方がケミストリーなどを歌っている中、二曲目は「荒城の月」・・・。けして受けを狙ったわけではありませんでしたが、これまた堤先輩に大受けし、もはやほとんどしゃべれないほどでした。(しかも得点も高い)そんな調子で、「勝手にシンドバット」、「Silent Night(きよしこの夜)」、「さくら(ケツメイシ)」と歌い続け、制限時間の2時間が迫り、またもや私がトリになり、「サライ」を歌いきりました。今日は喉の調子も良く、声も出ていたので、まあまあ満足な結果でした。(一緒に行った一同からは「お前なら歌手デビューできるよ」との言葉をいただきました)
その後、寮に戻り、記念に写真を撮って別れたのですが、堤先輩はかなり大学時代を懐かしんでいて、「また大学生活に戻りたいよ。」としきりに言っていました。(ちなみに現在は大手警備会社に務めています)
これからしばらくは沖縄に来れないかもしれないそうで、非常に名残惜しそうにしていたのがとても印象に残りました

読むのが難しい地名

2005年12月28日 15時44分01秒 | うちなー日記(沖縄編)
全国の地図を見ていると、結構難解な地名があります。
私の地元、奈良県でも、「京終」(きょうばて)や、「平群」(へぐり)という難読地名があります。
しかし、沖縄や北海道の地名の難読度は他を超越しています。北海道の場合は、先住民の言葉が由来になっている地名が多いのが原因ですが、沖縄の場合、言葉は日本語でも、古語が由来になっている事例が多いのが特徴です。(沖縄方言(琉球語)自体に古語由来のものが結構あるので当然といえば当然ですが)まあ、それについてはまた後日書くことにしようと思います。
さて、沖縄の難読地名を記すと、
方角関係
「北谷」(ちゃたん)    「南風原」(はえばる)
「東風平」(こちんだ)   「西表」(いりおもて)
「東浜」(あがりはま)   

発音が面白い地名
「辺土名」(へんとな:へどな)  「恩名」(おんな)
「喜屋武」(きゃん)        「金武」(きん)
「平良」(ひらら)

絶対読めない地名
「我如古」(がねこ)        「勢理客」(じっちゃく)
「寒川」(すんがー)       
 などなど、なかなか素晴らしい地名が至るところにちらばっています。ウチナーンチュの苗字も、地名が元になっている場合が多いので、難解なものが結構あります。
例えば、
「我那覇」(がなは)  「瑞慶覧」(ずけらん)
「沢岻」(たくし)     「真喜志」(まきし)
などですが、本土とは一味違った、オリジナリティあふれる苗字だと思います。
ちなみに、少し注意しないといけないのは、地名と苗字が同じ漢字でも、読みが違う場合があることです。例えば、
「城間」の場合は、地名では(ぐすくま)ですが、苗字では(しろま)と呼ぶ場合が多いです。
沖縄の地名は、その発音を聞くだけで、沖縄の海や空の色を想像してしまうから不思議です。


ポートフォリオでした。

2005年12月23日 21時22分36秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は、那覇市ぶんかテンブス館にて、ニコンと日本カメラ共催の写真の批評会、「ポートフォリオ」がありました。これは、普段は写真を見てもらうことなどできない、写真の専門誌「日本カメラ」の編集局長や専属カメラマン、東京の写真学校の講師の方々に自分の写真を評価してもらえ、もし評価がよければ、東京のニコンサロンでの個展開催への道が開けるというものです。今回、写真部の先輩から是非参加しなさいと言われ、一年生で唯一人参加しました。
特別な写真を撮りに行く時間が無かったので、今回はデジカメで撮りためた飛行機写真を批評してもらいました。
午後4時、テンブスの会場に到着すると、予想外に重々しい雰囲気で、見てもらう前からドキドキです。参加者も、年配の方も結構おられ、玄人らしい人もいます。私の順番が来るまで他の参加者の写真の批評を見ていましたが、なかなか厳しい意見もあり、緊張は頂点に・・・・!
そして、私の番、テーブルに写真を並べて、カメラマンの方に見てもらいます。あきらかに他の参加者と違う趣旨なため、どのような反応をするか気になりましたが、意外に好印象でした。デジカメでの撮影について語ったり、飛行機の魅力について話したりしましたが、今回見てもらった写真の一枚、以前琉大祭で展示した、那覇空港の夕景の写真が好評で、飛行機の流線型のボディを強調している点が「ゾクゾクするね」と誉められ、今後は、そのような情景的で、かつ飛行機独特の美しさを表現するような写真を狙いなさいとのお言葉でした。案外悪くない評価で、少し自信が持てました。
今回、写真部からは4人が参加しましたが、その中の一人が高評価を得て、講師の方から「Juna21」への応募を勧められました。これは、入賞するとニコンサロンでの写真個展開催権が得られるコンテストです。年に4回審査が行なわれていて、審査員には今回の講師の方が含まれているので、結構入賞の可能性が高いのです。実にうらやましいです。
私も来年、再来年のコンテストへの参加を目指して、本格的に写真を始めようかな・・・。(◎▽◎)


12月22日 今日、冬至でした。

2005年12月23日 02時41分14秒 | うちなー日記(沖縄編)
新聞を見ていた寮の先輩が、「きょうとうじだって」と言いました。「きょうとうじ」・・・「京都宇治」・・・「立命館」?などとボケていたのですが、いつのまにやら冬至ですか・・・。そういえば、大学も今年は今日で終わりだし、もう今年も残すところ1週間ちょっと・・・。ゆず風呂にも入れない私はなんとなく切ない・・orz
さて、冬至といえば一年で最も昼が短い日ですが、それでも沖縄では午後6時過ぎまでうっすらと明るく、時計が間違っているのかと思うほどです。その代わり、朝が遅くて、人間も9時過ぎまで寝てる人がほとんど・・・。場合によっては忘年会疲れもあいまって、正午過ぎまで寝ている輩もおります。
いよいよ明日から冬休み、さてどうやって過ごしたものか・・・?

ドイツ式クリスマスパーティーに参加しました。

2005年12月22日 01時21分03秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日も朝から暴風が吹き荒れ(那覇市で瞬間最大風速28.5mを記録)、気温も12月としては史上最低を記録する所もあり(本島北部の奥で7度まで下がりました)、各地であられの目撃情報があったそうです。(TVニュースで流れていました)私はついにコートを買ってしまいました。(ベンチコート:880円ながら、かなり暖かくてしっかりしてる・・・倒産品か?)
そんな寒さの中、今日は午後5時からドイツ語クラブのクリスマスパーティー(ちなみにドイツではクリスマスのことをWeihnachtといいます)がありました。私はドイツ語クラブに所属しているわけではないのですが、この前のドイツ語の授業(第二外国語)の際に流れていたクリスマスソングCDのコピーを先生に焼いてもらったので、それを受け取るために友達と顔を出しました。
すぐに帰るつもりだったのですが、ちょうどゲーム(東ドイツに関するクイズでした)が始まったところだったので、飛び入りで参加しました。クイズは全部で4つあり、それをときながらネイティブのドイツ語の先生が作ったクリスマス料理を食べました。パン、チーズ、サラダ、スープ、そしてワインと、盛りだくさんで、かなり満腹になりました。食べる際には灯りを消して、蝋燭の火だけで食べるのですが、これがまたとても雰囲気があり、そこだけドイツのような感じでした。ドイツ語の先生も、一人ではなく、4人も来られていて、普段は見られないような顔を垣間見れました。(ドイツ語の先生は皆個性的です)
自己紹介で飛行機マニアであることを告げたら、ルフトハンザ・ドイツ航空の話などで盛り上がって、あっという間に時間は過ぎ、午前様になってしまいました。(今は23日の午前2時30分)
ゲームの結果は、6チーム中5位でしたが、景品を貰えました。これがまたプレミアもので、東ドイツのコミック誌「モザイク」の1987年5月号(崩壊前!)でした。当時の東ドイツでは旅行の制限が厳しく、若者達は日本や中東、イタリアなどへの旅行に憧れていたそうですが、大半は自分で行くことはできないので、このような漫画を見て行った気になったそうです。(ちなみに私の貰った号は、アラブネタの漫画でした)
友達も来年のカレンダーを貰えて、今日はドイツ式クリスマスパーティーで身体も懐もあたたまることができました。

寒いです。

2005年12月21日 21時20分08秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は昼頃から暴風が吹き荒れ、気温もぐんぐん下がり、昨日までの暖かさから一転、真冬の気候に逆戻りです。
風の強さは半端ではなく、風速15m/s以上の台風並みの強さで、駐輪場に止めてあった原付が1台倒されていました。気温も、朝よりも昼の方が寒く、昨日は半袖で外出できたのに、今日は厚手のコートがほしいほどの寒さでした。
コート・・・。沖縄では無用の長物かと思っていましたが、そろそろ必要みたいですね。今年は寒波の影響で、沖縄も例年よりかなり寒いそうで(1月末くらいの寒さらしい)、最近は一週間のうち4日ほど寒い日が続いた後、3日ほど暖かい日があるというパターンが続いています。私は次の小春日和までしばらくコタツから離れられない日が続きそうです。

今年も残り10日になりました。

2005年12月20日 22時42分22秒 | うちなー日記(沖縄編)
思えば今年もいろいろありましたね。私にとっては琉球大学に入ったのが一番大きな出来事でした。今は当たり前のように過ごしている大学生活ですが、まだまだ始まったばかりなんですよね。
寮でもコタツを出して、ミカンを食べながらゲームをするという年末モードに突入しています。街中も、クリスマスのイルミネーションが飾られ、ショッピングセンターに行けば、歳末セールで大勢の人でごった返しています。
沖縄は旧暦が重視されるので、あまりお正月などは関係ないのでは・・・と思っていましたが、そんなことはなく、すっかり歳の末の様相です。
大学も今週の木曜日で終わり、冬休みに入ります。(もっとも、琉大の冬休みはクリスマス休暇の色が濃く、1月6日には新年の講義が始まります)
私は今年は沖縄で年を越そうと思っています。日本で最も遅く新年を迎える予定です。

三線のテストがありました。

2005年12月19日 21時19分01秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日は三線のテストでした。
私は後期で「三線と島唄」の講義をとっています。初心者限定の講義なので、基本からやり直していましたが、ようやく「安里屋ユンタ」の試験まできました。(練習の間は、既に弾けるということがバレないように、少し腕を抑えて弾いていました・・・・それでもバレバレでしたが)
で、今回のテストは、同じくらいのレベルの人と2人組みで行なうのですが、私のペアはウチナーンチュの方で、多分私と同じ口のようで、明らかに他の人とレベルが違うのでした。
そして、本番は後ろから3番目の発表でしたが、これまでになく上手くいき、あれは絶対他の人から浮いてしまったと思います。ま、失敗するよりは良かったのですが・・・。
なるべく目立たないようにしようと思ったのですが、私の完璧主義的な面が出てしまったのでしょうか(!?)
ところで、ここのところ、日本の上空には強力な寒気が入っていて、名古屋で58年ぶりの積雪を記録したり、北陸~西日本にかけてかなり雪が降っているそうですね。こちらも、昨日は本島の北部で9度まで気温が下がり(那覇は12度)、冬らしい天気でしたが(一瞬雪のようなものも降ってました)、今日は天気もよく、風も弱かったので、気温も20度近くまで上がりました。空が気持ちよく晴れ渡り、久々に沖縄らしい暖かさに恵まれました。ということで、写真は今日の青空の下の理学部棟とガジュマルです。

ついにC-5と遭遇!

2005年12月15日 21時17分22秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日の夕方、講義を終えて帰宅し、朝刊の社会面を開いた瞬間、ある記事が目にとまりました。「米軍の超大型輸送機普天間に飛来  宜野座の行政委員視察中に」と題された記事には、昨日の夕方にC-5ギャラクシーが普天間に飛来したという内容でした。そして、その記事をちょうど読み終えたその時、またも普天間基地の方から大きな離陸音が聞こえました。間違いなく記事のC-5の離陸です。
素晴らしいすれ違いでした。昨日、わざわざ嘉手納まで行ったのに、あの直後に普天間に飛来し、ヘリの積み込み作業を終えて今飛び立ってしまったのですから。しかも、飛来目的の旧型ヘリの撤退は今回の飛来で完了してしまい、次回の飛来は何年先になるかわかりません。
あまりにも悔しくて、カメラを持ってすぐさま出かけました。とりあえず、普天間を望める嘉数高台(「花火を見に行きました」参照)に行き、基地内を確かめましたが、やはりC-5はもういません。ここで、私はあることを思い出しました。確か、この前のC-5の飛来の際は、普天間を飛び立った後、嘉手納に立ち寄っていたのです。ということは、今嘉手納に行けば出会える可能性が高いということです。時間はすでに午後4時50分、日没が近づいていました。国道58号線で嘉手納に急行しました。折りしも夕方のラッシュ時間帯でしたが、バイクの利点をフルに使い、車の間をすり抜けて、5時30分ごろ、ついに嘉手納に到着しました。急いで道の駅の展望台に上ると・・・・、ついに見つけました!あの巨大な機体は間違いなくC-5でした。日没直前に間に合うことができました。ついに念願の飛行機に出会えた感激に胸が震えました。
というわけで、写真がC-5です。夕暮れ時なので画像が粗くなっているのがやや残念・・・。


また嘉手納基地に行きました。

2005年12月14日 21時15分11秒 | うちなー日記(沖縄編)
水曜日の休日(この日の講義はとっていない)は非常に暇です。土日の連休ほどゆっくりはできず、大体部屋でごろごろして、ちょっと木金のレポートやらテスト勉強やらをしたら一日は過ぎてしまいます。その代わり、水曜日は「平日」なので、生協や銀行も通常通り開いていて、しかも週末ほど観光客も多くないので、なんとなく観光地に出かけるには好都合です。(ただし、平日は修学旅行生の比率が高く、戦跡や基地関連の場所は黒装束集団で溢れかえる)
そんな水曜日、なんとなく今日あたりC-5が見れそうな気がして、退屈しのぎにまた嘉手納基地に出かけました。
嘉手納に着いたのは午後1時頃、前回と同じく「道の駅」から一通り基地内を見渡しましたが、C-5は見当たらず・・・。どうやら今日もはずれのよう・・・。ただ、前回は見られなかった、C-7大型輸送機(米空軍の新型輸送機で、最近配備されたらしい)を撮影できました。なんとなくコックピットの形がマクドネルダグラス社っぽいと思いました。(はい、マニアック過ぎですね)
前回は天気も良かったですが、今日は冬型気圧配置のせいで凄まじい寒風が吹き荒れています。結局、今日も長居は無用と思い、ものの1時間弱で嘉手納を離れました。
ところが、話はここで終わらないのです。
その後、ホームセンターでテレビ台を買い、バイクに積んで命がけで寮に戻った直後、何やら大きな逆噴射の音が普天間基地の方から聞こえました。普段の大型輸送機級の音でしたが、今日は風が強いので、C-130(中型輸送機)級のエンジン音が通常よりも大きく聞こえているのだろうと勝手に納得していました。第一、ヘリを普天間から撤退させる作業は、これまでのところ週末にのみ行なわれていて、平日にはC-5は来ないだろうと思っていました。
ところがです、この時、私のすぐ近くで予想外のことが起こっていたのです。(翌日に続く)
写真は今日撮影した嘉手納の戦闘機です。


プラネタリウムを作りました。

2005年12月11日 20時58分06秒 | うちなー日記(沖縄編)
先日、奨学金が入ったので今日、早速本を買いに書店に行くと、入り口近くのコーナーに、「大人の科学」という雑誌が置いてありました。この雑誌、学研の発行で、毎号興味深い付録(「○年の科学」に付いている物よりもかなり高度なもの)が付いてくるのですが、今月号の付録が「プラネタリウム」だったのです。内容を読むと、最近話題になっている、「メガスター」の大平氏(コーヒーの宣伝で出ていた人です)監修だそうで、一万個もの星たちを自室の天井に映せるとか・・・。○年の科学愛読者であった私に、その付録は強く語りかけてきました。「買って~、買って~」と・・・。
そして今日の夜・・・、私の部屋にはプラネタリウムがしっかりと鎮座しているのでありました。
このプラネタリウム、思ったよりもさらに難しく、作るのに2時間もかかってしまいました。が、その分出来は素晴らしく、早速先輩や友達と星空を観察しました。正12面体の正座板を通して、光が天井や壁に映るのですが、オリオン座や、北斗七星などの簡単な星座から、図鑑に載っていないような星まで再現されていて、さすがは大平氏監修とうなってしまいました。これでしばらくは寝る前の時間を楽しめそうです。ちなみに雑誌の定価は2,200円でした。