今日は、バス旅行で、広島県尾道市の「男たちの大和」ロケセットと、呉市の大和ミュージアムを見学しに行きました。
早朝に起床し、近鉄の急行を乗り継いで、集合場所の難波OCAT(大阪シティエアターミナル)に着きました。
今回のツアーは、サンケイ旅行会主催で、「戦艦大和を体感!」というツアー名で、映画「男たちの大和」で使用されたロケセットや、昨年オープンしたばかりの、呉市の大和ミュージアムを見学して、戦艦大和の世界を体験しようというものです。以前新聞広告で紹介されていて、とても興味があったので、一昨日私が予約しました。
受付を終え、午前7時45分にOCATを出発しました。湊町から高速に乗り、都市高速、中国自動車道、山陽自動車道を通って一路尾道へ向かいます。途中、瀬戸PAで休憩、10時過ぎには車内で配られた岡山名産の祭寿司弁当を食べ(昼ご飯)、福山西インターからバイパスに下りて、11時に「男たちの大和」で使われた、原寸大の戦艦大和セットのある、日立造船向島西工場に到着しました。
この工場は、JR駅や市役所がある市街地から200mほどの水道を隔てた向島(旧向島町)にあり、市街地とは多くの渡船と橋で結ばれています。この工場のドックの一つに、戦艦大和の艦首から190mまでが再現された原寸大のセットが設置されており、一般に公開されているのです。(5月7日まで)
添乗員の方がそれらしいことを言っていた(著作権がどうとか)ので、てっきりカメラ撮影NGだと思い、コンパクトデジカメ(OLYMPUSの方)を持参したのですが、実際は、セットの中は撮影OKで、ダメなのは資料展示のみでした。コンパクトデジカメの方は、メモリーカードが64MBしかなく、あまり撮影できませんでした。(それでも気合で20枚以上撮りましたが)
実物大の46cm砲を目の前にして、その巨大さに圧倒されながらも、艦自体の大きさは意外にコンパクトにまとまっているのに気付きました。世界最大の戦艦ですが、実は大和は46cm砲搭載艦にしては小柄に設計されているのです。これは、46cm砲の搭載を気付かれないため(実際、アメリカは大和の搭載砲を40.6cm砲と判断していたらしい)とか、運動性能の低下を防ぐためと言われています。艦首から後方を望むと、最前列の主砲塔こそ再現されていませんが、二列目の46cm三連装砲と副砲がこちらを睨んでいて、凄い迫力です。これまで映画やCGの世界でしか見たことの無かった戦艦大和が、リアルにそこにあるのですから、興奮はいやがおうでも高まります。本物の持つ迫力は、やはり違います。
ゆっくりとセットを見てまわった後、降艦して、圭ちゃん食堂に向いました。もともとここは造船所なので、勤務者用の食堂であると思うのですが、映画の撮影中は出演者やスタッフもここで食事をしたそうで、現在は大和関連のラムネアイスやラーメンを売っていました。私もラムネアイスを食しましたが、なかなか美味で、値段300円はそれほど高くはないと思いました。
その後、圭ちゃん食堂の2階にある、資料コーナーを見学し、最後にメイキングビデオを見ました。中村獅童はさすがに役者で、撮影前から役(内田二等兵曹)に成りきっていました。また、出演者はみな大声で演技をしており、爆薬や砂煙の舞う現場での撮影では絶対喉を痛めただろうと思いました。
その後バスに乗車し、今度はさらに西の呉市に向いました。福山西インターから山陽自動車道で西条インターまで走り、そこからは一般国道で呉市街まで向うのですが、高速を下りてからの走行が長かったので、車窓を結構楽しめました。途中、この地方の特徴なのか、えんじ色の瓦に鯱の立った屋根の民家がまとまって立ち並んでいて、ちょっと興味深かったです。
谷沿いの急坂道を下り切ると、近畿大学工学部の巨大な校舎が見えました。ここからトンネルで山を一つくぐれば呉市街で、結構ビルが立ち並んでいて都会的です。呉駅前にはそごうがまだ健在で、懐かしい屋上遊園地も見えました。JRの線路を越えると、間もなく海岸に出て、呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」に到着しました。
館内に入ると、まず目に飛び込んできたのが、戦艦大和の10分の1スケールモデルでした。ここへはこれを見にきたようなもんですから、早速写真を撮影・・。
続いて、資料のコーナーに入ると、明治時代からの呉の歴史や、実際に海底から引き揚げられた、戦艦大和の備品、大和建造に使われ、現代に生かされている技術などが展示されており、どれも目をひかれるものばかりでした。
次の展示室では、実物のゼロ戦や特殊潜航艇が展示されており、錆びや凹みの一つ一つが、リアリティを帯び、静かに歴史を語っていました。
スロープを上ると、体験コーナーと未来への希望についての展示がありましたが、なにぶん見学時間が少なかったため、足早に見て終わりました。
実はさきほどから、窓の外を見ていて気になっていたものがあったので、確かめようと屋上の展望デッキに出ました。
呉市は、戦前、戦中はもちろんですが、現在も海上自衛隊の一大根拠地であり、港内には艦艇が多く停泊しています。その中に、輸送艦「おおすみ」級が2隻停泊していたのです。「おおすみ」級は、海上自衛隊の艦で初めて全通甲板(空母みたいな甲板)を採用した船で、以前から一度見てみたかった艦でした。実はこの艦はそれほど大きくはなく、全長178mほど(通常の空母なら軽く200mを超える)なのですが、遠くから見れば、立派な空母に見えます。それが2隻も停まっているのです。写真で見た戦前の風景を彷彿とさせ、実に壮観でした。昔、戦艦大和やその他の艦艇が並んで浮かんでいた光景を想像して、今と比べてみると、とても感慨深いものでした。
その後、バスに乗り、一路大阪に戻ってきたわけですが、さすがに日帰りで広島は疲れました。しかし、ツアーの目的であった、戦艦大和を体感することは十分にできたと思います。
戦後60年がたち、ほとんどの人は戦争について実感できなくなっていますが、実は、戦艦大和には、私の知り合いの果物屋さんのおじいさんが乗り組んでいました。その方は、数少ない生還者の一人であり、父は実際にその方から話も聞いたそうです。また、戦艦大和の艦上で祀られていた社は、私の実家の町、天理市の大和(おおやまと)神社から分祀されたものでした。というわけで、あながち私も戦艦大和とは無関係ではないのです。なんてったって、このホームページの題名も「大和人もとすけ」ですから・・・。
早朝に起床し、近鉄の急行を乗り継いで、集合場所の難波OCAT(大阪シティエアターミナル)に着きました。
今回のツアーは、サンケイ旅行会主催で、「戦艦大和を体感!」というツアー名で、映画「男たちの大和」で使用されたロケセットや、昨年オープンしたばかりの、呉市の大和ミュージアムを見学して、戦艦大和の世界を体験しようというものです。以前新聞広告で紹介されていて、とても興味があったので、一昨日私が予約しました。
受付を終え、午前7時45分にOCATを出発しました。湊町から高速に乗り、都市高速、中国自動車道、山陽自動車道を通って一路尾道へ向かいます。途中、瀬戸PAで休憩、10時過ぎには車内で配られた岡山名産の祭寿司弁当を食べ(昼ご飯)、福山西インターからバイパスに下りて、11時に「男たちの大和」で使われた、原寸大の戦艦大和セットのある、日立造船向島西工場に到着しました。
この工場は、JR駅や市役所がある市街地から200mほどの水道を隔てた向島(旧向島町)にあり、市街地とは多くの渡船と橋で結ばれています。この工場のドックの一つに、戦艦大和の艦首から190mまでが再現された原寸大のセットが設置されており、一般に公開されているのです。(5月7日まで)
添乗員の方がそれらしいことを言っていた(著作権がどうとか)ので、てっきりカメラ撮影NGだと思い、コンパクトデジカメ(OLYMPUSの方)を持参したのですが、実際は、セットの中は撮影OKで、ダメなのは資料展示のみでした。コンパクトデジカメの方は、メモリーカードが64MBしかなく、あまり撮影できませんでした。(それでも気合で20枚以上撮りましたが)
実物大の46cm砲を目の前にして、その巨大さに圧倒されながらも、艦自体の大きさは意外にコンパクトにまとまっているのに気付きました。世界最大の戦艦ですが、実は大和は46cm砲搭載艦にしては小柄に設計されているのです。これは、46cm砲の搭載を気付かれないため(実際、アメリカは大和の搭載砲を40.6cm砲と判断していたらしい)とか、運動性能の低下を防ぐためと言われています。艦首から後方を望むと、最前列の主砲塔こそ再現されていませんが、二列目の46cm三連装砲と副砲がこちらを睨んでいて、凄い迫力です。これまで映画やCGの世界でしか見たことの無かった戦艦大和が、リアルにそこにあるのですから、興奮はいやがおうでも高まります。本物の持つ迫力は、やはり違います。
ゆっくりとセットを見てまわった後、降艦して、圭ちゃん食堂に向いました。もともとここは造船所なので、勤務者用の食堂であると思うのですが、映画の撮影中は出演者やスタッフもここで食事をしたそうで、現在は大和関連のラムネアイスやラーメンを売っていました。私もラムネアイスを食しましたが、なかなか美味で、値段300円はそれほど高くはないと思いました。
その後、圭ちゃん食堂の2階にある、資料コーナーを見学し、最後にメイキングビデオを見ました。中村獅童はさすがに役者で、撮影前から役(内田二等兵曹)に成りきっていました。また、出演者はみな大声で演技をしており、爆薬や砂煙の舞う現場での撮影では絶対喉を痛めただろうと思いました。
その後バスに乗車し、今度はさらに西の呉市に向いました。福山西インターから山陽自動車道で西条インターまで走り、そこからは一般国道で呉市街まで向うのですが、高速を下りてからの走行が長かったので、車窓を結構楽しめました。途中、この地方の特徴なのか、えんじ色の瓦に鯱の立った屋根の民家がまとまって立ち並んでいて、ちょっと興味深かったです。
谷沿いの急坂道を下り切ると、近畿大学工学部の巨大な校舎が見えました。ここからトンネルで山を一つくぐれば呉市街で、結構ビルが立ち並んでいて都会的です。呉駅前にはそごうがまだ健在で、懐かしい屋上遊園地も見えました。JRの線路を越えると、間もなく海岸に出て、呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」に到着しました。
館内に入ると、まず目に飛び込んできたのが、戦艦大和の10分の1スケールモデルでした。ここへはこれを見にきたようなもんですから、早速写真を撮影・・。
続いて、資料のコーナーに入ると、明治時代からの呉の歴史や、実際に海底から引き揚げられた、戦艦大和の備品、大和建造に使われ、現代に生かされている技術などが展示されており、どれも目をひかれるものばかりでした。
次の展示室では、実物のゼロ戦や特殊潜航艇が展示されており、錆びや凹みの一つ一つが、リアリティを帯び、静かに歴史を語っていました。
スロープを上ると、体験コーナーと未来への希望についての展示がありましたが、なにぶん見学時間が少なかったため、足早に見て終わりました。
実はさきほどから、窓の外を見ていて気になっていたものがあったので、確かめようと屋上の展望デッキに出ました。
呉市は、戦前、戦中はもちろんですが、現在も海上自衛隊の一大根拠地であり、港内には艦艇が多く停泊しています。その中に、輸送艦「おおすみ」級が2隻停泊していたのです。「おおすみ」級は、海上自衛隊の艦で初めて全通甲板(空母みたいな甲板)を採用した船で、以前から一度見てみたかった艦でした。実はこの艦はそれほど大きくはなく、全長178mほど(通常の空母なら軽く200mを超える)なのですが、遠くから見れば、立派な空母に見えます。それが2隻も停まっているのです。写真で見た戦前の風景を彷彿とさせ、実に壮観でした。昔、戦艦大和やその他の艦艇が並んで浮かんでいた光景を想像して、今と比べてみると、とても感慨深いものでした。
その後、バスに乗り、一路大阪に戻ってきたわけですが、さすがに日帰りで広島は疲れました。しかし、ツアーの目的であった、戦艦大和を体感することは十分にできたと思います。
戦後60年がたち、ほとんどの人は戦争について実感できなくなっていますが、実は、戦艦大和には、私の知り合いの果物屋さんのおじいさんが乗り組んでいました。その方は、数少ない生還者の一人であり、父は実際にその方から話も聞いたそうです。また、戦艦大和の艦上で祀られていた社は、私の実家の町、天理市の大和(おおやまと)神社から分祀されたものでした。というわけで、あながち私も戦艦大和とは無関係ではないのです。なんてったって、このホームページの題名も「大和人もとすけ」ですから・・・。