2018年9月6日、未曾有の地震(北海道胆振東部地震)と大停電が北海道を襲いました。
この記事は、札幌在住の私が体験したあの日の記憶の備忘録です。
・・・・・・・・・・・
9月5日、地震前日の未明に台風21号が北海道の西方を通過しました。
この台風は前日に関西方面に大きな被害を与えていましたが、札幌でも瞬間最大風速32.8 m/sを記録し、多数の倒木が発生したり、電柱倒壊で一部地域で停電するなどの被害が出ました。
出勤してみると、北海道大学構内でもあちこちで巨木が倒れていて、とても驚きました。
ただ、外の被害は小さくなかったものの、日常生活には特に支障はなく、この日も通常通り研究業務をこなしていました。
夜は古巣の研究室の後輩と発寒のスープカレー屋で会食し、夜10時には帰宅、いつもより早めに眠りに就きました。
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翌6日、早めに寝たせいか、午前3時少し前に目が覚めました。実家から来ていたLINEに返信しようか考えながら、暇つぶしにスマホゲームを少し遊び始めたところで、突然画面上に緊急地震速報が表示されました。
「道南で地震発生」との文字列を見たかどうかというところで、強い揺れが襲ってきました。
これまでに無く大きな揺れでベッドから落ちそうになり、並の地震ではないと思いました。
比較的周期の長い揺れに感じたため、千島海溝沿いの巨大地震かとも一瞬考えましたが、それだと道南で発生したとは言わないな・・などと思っているうちに揺れが収まってきました。
このとき、BGM代わりに古いスマホでNHKラジオを流していたのですが、スマホアプリでは約1分のタイムラグがあり、まだ地震の情報は流れていませんでした。そこで、テレビを点けて情報を確かめました。
(実はこの地震時によくとる行動こそが、大停電の引き金になっていたことを後で知り、大いに後悔しました・・。)
テレビが点くやいなや、大地震(震度6弱以上)を知らせる速報チャイムが流れ、胆振地方東部で震度6強を観測したとの一報が入ってきました。
胆振地方東部では2017年7月1日に震度5弱を観測する地震(マグニチュード5.3)が発生しており、近年やや地震活動が活発になっている地域ではありましたが、2018年6月3日を最後に地震は起きていませんでした。
自宅周辺の震度は4で、幸い部屋の中の物は転倒・落下などの被害はありませんでした。
テレビニュースとスマホの天気予報アプリで地震情報を集めていました。職場の震度が5強だったので、実験機器や動物などに被害が出たかもと心配したり、震源の場所的に石狩低地東縁断層帯が動いたのかな?などとツイッターに呟いたりするなど、比較的落ち着いて構えていました。
一応実家向けにLINEで被害が無かったことを伝えた直後、3時21分頃に俄かに部屋の照明が点滅しはじめ、しばらくして全ての電源が落ちました。
スマホの充電がかなり少なかったためにライトを点けることを躊躇しましたが、折しも前の週末にライブで持参したペンライトが枕元にあったので、それで明かりを得られました。
この時点では近所の電線トラブルか何かが原因だと思っており、すぐに復旧するだろうと考え、ひとまずベッドに戻りました。
ところが、停電から20分が経っても復旧しないため、様子を見に外に出ました。
ここで初めて、周辺一帯が全て停電していることに気付きました。一部の建物の照明は点いていましたが、道路沿いの街灯や信号機が消えており、非日常的な光景に驚きました。
スマホの充電が減っていたのと、自宅でテレビもラジオも使えなくなったので、駐車場に停めていた我が車にひとまず避難しました。
車内でスマホを充電しながらラジオを聴いていると、どうやら北海道全道で停電していることが分かってきました。全道停電となると、規模からして復旧まで相当の時間が掛かることが予測できたので、なんとか水と食糧を手に入れようと思い、近所のローソンに向かったのですが、レジ停電のため既に営業中止となっていました。
9月の初めはまだ日の出が早い時期で、午前4時過ぎには空が白みはじめてきました。
自宅付近は停電している以外には大きな被害は無かったのですが、職場付近で震度5強の揺れを観測していたため、どうしても気になり、車の台数が少ないこの時間帯に一度様子を見にいこうと車を走らせました。
想像通り、車の走行台数が少なかったため、信号が消えていても一時停止の繰り返しでそれほど難なく北大の職場近くまで辿り着けました。また、北18条のエルムトンネル西口だけは信号が点いていました。恐らく重要な交差点には非常用電源が備わっているのでしょう。
職場に着いて、外から眺めた限りでは建物に被害は無く安心したのですが、入構ゲートや建物の自動ドアが停電で動かなくなっていたため、建物内に入ことは諦め、すぐに自宅に戻りました。
帰路に沿道のセブンイレブンが非常電源を使って営業しているのを見つけました。近所の人達が食糧や電池などを買い求めて、いつもより混みはじめていましたが、なんとか私も水分と軽食を確保できました。
停電発生から2時間が経った午前5時半、太陽が昇ってきました。
信号も街灯も消えた街に光が差し込んできて、少し希望が湧いてきたように感じられました。
午前6時頃から職場関係のメールが届きはじめました。職場のメールサーバーは非常電源で稼動していたようで、上司から安否確認と無理な出勤を控えるようにとの連絡が届きました。
7時を過ぎると、職場の近くに住んでいる同僚から職場建物の中の様子について連絡が来ました。大きな物品被害は出ていないようでしたが、停電で細胞培養器や冷凍庫などが止まってしまい、何かしら対策を取る必要がありそうでした。
私も少し車の中で仮眠を取った後、8時半頃に職場に再度向かいました。道中、沿道にある大型ショッピングセンターの周囲に開店を待つ長い行列が出来ていたのが印象的でした(結局この日は停電のため営業しなかったようです)。
また、早朝には通れたエルムトンネルも内部の照明の非常電源が停止したらしく、通行止めになっていて驚きました。
職場に着いて、先に連絡をくれていた同僚と合流し、職場内の実験機器の対策を行いました。・・といっても、冷却が必要な実験機器の周囲に、製氷機内に残っていた氷を運び込むくらいのことしか出来なかったのですが。
各部屋とも細かな書類の落下はありましたが、什器類は固定済みだったので転倒物はありませんでした。私のワークスペースも無事で、机の上に立てておいたポスターケースが倒れた程度で済んでいました。
ただ、私の部署でも地震の揺れで鍵が開かなくなった部屋が見受けられたり、建物の階や場所によってはもっと揺れが大きかったようで、他部署では大型の実験機器が大きくずれ動いたところもあったようです。
しばらくすると、職場の上司や同僚も徐々に出勤してきましたが、交通機関が麻痺しているため、徒歩や自転車で来れる範囲の人のみ来ている模様でした。
一通り職場の顕微鏡なども確認しましたが、目に見える破損は無かったものの、電気が点かないことには動作は確認できません。職場の建物にも自家発電装置はあったのですが、共用のクリーンルームにのみ電気を供給する仕様であり、他の部署の停電復旧の見込みは全く立たない状況でした。
室内灯が点かず、ネットもPCも使えない状況では当然仕事も出来ないので、緊急対応が一通り終わった昼過ぎには職場を離れました。
一度帰宅した後、車のガソリンを給油しに出掛けました。実は前夜に給油するつもりが忘れており、朝からスマホの充電やラジオを聴くために車中で過ごした結果、エンプティランプが点いていたのです。
ところが、いざガソリンスタンドに向かってみたら、停電で給油機が動かないために殆どのスタンドは臨時休業中。一部の災害対応スタンドに車が殺到し、数十台の行列が出来ていました。しかも、製油所からの輸送も止まっているため、タンクに残っている量しか販売できず、せっかく並んでも途中で閉店してしまうというありさまでした。
手稲通り沿いのガソリンスタンドを順に確かめましたが、軒並み休業か販売中止状態で、気付けば手稲区まで来ていました。
国道沿いの主要交差点では警察が交通整理に当たっていました。手信号による交通整理なんて自動車教習所で習って以来初めて体験しましたが、お蔭で交通が円滑に流れていました。
手稲区には私が一時期下宿していた知人宅があり、ご家族が車関係のお仕事をされているので、もしかしたらガソリンが手に入るかもと思い、知人宅に立ち寄ることにしました。
結果的には知人のお宅でも余分なガソリンは無く、手には入らなかったのですが、職場も学校も休みということでご家族が集まっており、家庭的な雰囲気にしばし癒されました。
冷蔵庫で保管できなくなった食材で昼食を作っていただき、さらには当面の食糧としてインスタントラーメンに卵と缶詰まで頂き、とても助かりました。
この知人宅では付近の携帯電話基地局の電源が切れてしまったようで、外部との連絡が取り難くなっていました。スマホも使えないため、情報は旧型の電池式ラジオからのみ得られるという状況。この時点では未だ厚真町の地滑りの状況などの視覚情報は殆ど我々には伝わってきていませんでした。
知人宅からの帰路、下手稲通り沿いのガソリンスタンドが営業しているのを見つけ、数十分並んでなんとか給油出来ました。
レジが動かないため現金のみ使用可能で、スタンドのタンク残量保持のために給油量も制限していました。
実は翌日も別のガソリンスタンドで追加給油したのですが、そこでは30リットルまでの制限になっていて、携帯端末を使ってレジ対応(クレジットカードもOK)していました。
ガソリン給油を終えて、夕方5時頃に帰宅しました。
自宅マンションは内階段が無く、エレベーターで居住階まで上がる方式なのですが、停電でエレベーターは使用できませんでした。
しかも、非常階段の1階出入口と各階から非常階段への扉はオートロックになっているため、一度扉が閉まってしまうと非常階段で上ることすら困難な構造。このような長時間停電は建設時に全く想定してなかったのでしょうね。
住民が工夫したようで、非常階段の出入口は完全に閉まらないように物が挟まれており、なんとか自室まで戻ることが出来ました。(自室の電子錠は電池式だったため、正常に作動し続けていました)
・・・ここまでで、かなり長くなってきたので一旦区切ります。
(次回に続く)
この記事は、札幌在住の私が体験したあの日の記憶の備忘録です。
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9月5日、地震前日の未明に台風21号が北海道の西方を通過しました。
この台風は前日に関西方面に大きな被害を与えていましたが、札幌でも瞬間最大風速32.8 m/sを記録し、多数の倒木が発生したり、電柱倒壊で一部地域で停電するなどの被害が出ました。
出勤してみると、北海道大学構内でもあちこちで巨木が倒れていて、とても驚きました。
ただ、外の被害は小さくなかったものの、日常生活には特に支障はなく、この日も通常通り研究業務をこなしていました。
夜は古巣の研究室の後輩と発寒のスープカレー屋で会食し、夜10時には帰宅、いつもより早めに眠りに就きました。
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翌6日、早めに寝たせいか、午前3時少し前に目が覚めました。実家から来ていたLINEに返信しようか考えながら、暇つぶしにスマホゲームを少し遊び始めたところで、突然画面上に緊急地震速報が表示されました。
「道南で地震発生」との文字列を見たかどうかというところで、強い揺れが襲ってきました。
これまでに無く大きな揺れでベッドから落ちそうになり、並の地震ではないと思いました。
比較的周期の長い揺れに感じたため、千島海溝沿いの巨大地震かとも一瞬考えましたが、それだと道南で発生したとは言わないな・・などと思っているうちに揺れが収まってきました。
このとき、BGM代わりに古いスマホでNHKラジオを流していたのですが、スマホアプリでは約1分のタイムラグがあり、まだ地震の情報は流れていませんでした。そこで、テレビを点けて情報を確かめました。
(実はこの地震時によくとる行動こそが、大停電の引き金になっていたことを後で知り、大いに後悔しました・・。)
テレビが点くやいなや、大地震(震度6弱以上)を知らせる速報チャイムが流れ、胆振地方東部で震度6強を観測したとの一報が入ってきました。
胆振地方東部では2017年7月1日に震度5弱を観測する地震(マグニチュード5.3)が発生しており、近年やや地震活動が活発になっている地域ではありましたが、2018年6月3日を最後に地震は起きていませんでした。
自宅周辺の震度は4で、幸い部屋の中の物は転倒・落下などの被害はありませんでした。
テレビニュースとスマホの天気予報アプリで地震情報を集めていました。職場の震度が5強だったので、実験機器や動物などに被害が出たかもと心配したり、震源の場所的に石狩低地東縁断層帯が動いたのかな?などとツイッターに呟いたりするなど、比較的落ち着いて構えていました。
一応実家向けにLINEで被害が無かったことを伝えた直後、3時21分頃に俄かに部屋の照明が点滅しはじめ、しばらくして全ての電源が落ちました。
スマホの充電がかなり少なかったためにライトを点けることを躊躇しましたが、折しも前の週末にライブで持参したペンライトが枕元にあったので、それで明かりを得られました。
この時点では近所の電線トラブルか何かが原因だと思っており、すぐに復旧するだろうと考え、ひとまずベッドに戻りました。
ところが、停電から20分が経っても復旧しないため、様子を見に外に出ました。
ここで初めて、周辺一帯が全て停電していることに気付きました。一部の建物の照明は点いていましたが、道路沿いの街灯や信号機が消えており、非日常的な光景に驚きました。
スマホの充電が減っていたのと、自宅でテレビもラジオも使えなくなったので、駐車場に停めていた我が車にひとまず避難しました。
車内でスマホを充電しながらラジオを聴いていると、どうやら北海道全道で停電していることが分かってきました。全道停電となると、規模からして復旧まで相当の時間が掛かることが予測できたので、なんとか水と食糧を手に入れようと思い、近所のローソンに向かったのですが、レジ停電のため既に営業中止となっていました。
9月の初めはまだ日の出が早い時期で、午前4時過ぎには空が白みはじめてきました。
自宅付近は停電している以外には大きな被害は無かったのですが、職場付近で震度5強の揺れを観測していたため、どうしても気になり、車の台数が少ないこの時間帯に一度様子を見にいこうと車を走らせました。
想像通り、車の走行台数が少なかったため、信号が消えていても一時停止の繰り返しでそれほど難なく北大の職場近くまで辿り着けました。また、北18条のエルムトンネル西口だけは信号が点いていました。恐らく重要な交差点には非常用電源が備わっているのでしょう。
職場に着いて、外から眺めた限りでは建物に被害は無く安心したのですが、入構ゲートや建物の自動ドアが停電で動かなくなっていたため、建物内に入ことは諦め、すぐに自宅に戻りました。
帰路に沿道のセブンイレブンが非常電源を使って営業しているのを見つけました。近所の人達が食糧や電池などを買い求めて、いつもより混みはじめていましたが、なんとか私も水分と軽食を確保できました。
停電発生から2時間が経った午前5時半、太陽が昇ってきました。
信号も街灯も消えた街に光が差し込んできて、少し希望が湧いてきたように感じられました。
午前6時頃から職場関係のメールが届きはじめました。職場のメールサーバーは非常電源で稼動していたようで、上司から安否確認と無理な出勤を控えるようにとの連絡が届きました。
7時を過ぎると、職場の近くに住んでいる同僚から職場建物の中の様子について連絡が来ました。大きな物品被害は出ていないようでしたが、停電で細胞培養器や冷凍庫などが止まってしまい、何かしら対策を取る必要がありそうでした。
私も少し車の中で仮眠を取った後、8時半頃に職場に再度向かいました。道中、沿道にある大型ショッピングセンターの周囲に開店を待つ長い行列が出来ていたのが印象的でした(結局この日は停電のため営業しなかったようです)。
また、早朝には通れたエルムトンネルも内部の照明の非常電源が停止したらしく、通行止めになっていて驚きました。
職場に着いて、先に連絡をくれていた同僚と合流し、職場内の実験機器の対策を行いました。・・といっても、冷却が必要な実験機器の周囲に、製氷機内に残っていた氷を運び込むくらいのことしか出来なかったのですが。
各部屋とも細かな書類の落下はありましたが、什器類は固定済みだったので転倒物はありませんでした。私のワークスペースも無事で、机の上に立てておいたポスターケースが倒れた程度で済んでいました。
ただ、私の部署でも地震の揺れで鍵が開かなくなった部屋が見受けられたり、建物の階や場所によってはもっと揺れが大きかったようで、他部署では大型の実験機器が大きくずれ動いたところもあったようです。
しばらくすると、職場の上司や同僚も徐々に出勤してきましたが、交通機関が麻痺しているため、徒歩や自転車で来れる範囲の人のみ来ている模様でした。
一通り職場の顕微鏡なども確認しましたが、目に見える破損は無かったものの、電気が点かないことには動作は確認できません。職場の建物にも自家発電装置はあったのですが、共用のクリーンルームにのみ電気を供給する仕様であり、他の部署の停電復旧の見込みは全く立たない状況でした。
室内灯が点かず、ネットもPCも使えない状況では当然仕事も出来ないので、緊急対応が一通り終わった昼過ぎには職場を離れました。
一度帰宅した後、車のガソリンを給油しに出掛けました。実は前夜に給油するつもりが忘れており、朝からスマホの充電やラジオを聴くために車中で過ごした結果、エンプティランプが点いていたのです。
ところが、いざガソリンスタンドに向かってみたら、停電で給油機が動かないために殆どのスタンドは臨時休業中。一部の災害対応スタンドに車が殺到し、数十台の行列が出来ていました。しかも、製油所からの輸送も止まっているため、タンクに残っている量しか販売できず、せっかく並んでも途中で閉店してしまうというありさまでした。
手稲通り沿いのガソリンスタンドを順に確かめましたが、軒並み休業か販売中止状態で、気付けば手稲区まで来ていました。
国道沿いの主要交差点では警察が交通整理に当たっていました。手信号による交通整理なんて自動車教習所で習って以来初めて体験しましたが、お蔭で交通が円滑に流れていました。
手稲区には私が一時期下宿していた知人宅があり、ご家族が車関係のお仕事をされているので、もしかしたらガソリンが手に入るかもと思い、知人宅に立ち寄ることにしました。
結果的には知人のお宅でも余分なガソリンは無く、手には入らなかったのですが、職場も学校も休みということでご家族が集まっており、家庭的な雰囲気にしばし癒されました。
冷蔵庫で保管できなくなった食材で昼食を作っていただき、さらには当面の食糧としてインスタントラーメンに卵と缶詰まで頂き、とても助かりました。
この知人宅では付近の携帯電話基地局の電源が切れてしまったようで、外部との連絡が取り難くなっていました。スマホも使えないため、情報は旧型の電池式ラジオからのみ得られるという状況。この時点では未だ厚真町の地滑りの状況などの視覚情報は殆ど我々には伝わってきていませんでした。
知人宅からの帰路、下手稲通り沿いのガソリンスタンドが営業しているのを見つけ、数十分並んでなんとか給油出来ました。
レジが動かないため現金のみ使用可能で、スタンドのタンク残量保持のために給油量も制限していました。
実は翌日も別のガソリンスタンドで追加給油したのですが、そこでは30リットルまでの制限になっていて、携帯端末を使ってレジ対応(クレジットカードもOK)していました。
ガソリン給油を終えて、夕方5時頃に帰宅しました。
自宅マンションは内階段が無く、エレベーターで居住階まで上がる方式なのですが、停電でエレベーターは使用できませんでした。
しかも、非常階段の1階出入口と各階から非常階段への扉はオートロックになっているため、一度扉が閉まってしまうと非常階段で上ることすら困難な構造。このような長時間停電は建設時に全く想定してなかったのでしょうね。
住民が工夫したようで、非常階段の出入口は完全に閉まらないように物が挟まれており、なんとか自室まで戻ることが出来ました。(自室の電子錠は電池式だったため、正常に作動し続けていました)
・・・ここまでで、かなり長くなってきたので一旦区切ります。
(次回に続く)
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