早朝、北九州新門司港に入港、シャトルバスで門司駅に出て、そこから電車で博多に向かった。途中、スペースワールド駅付近で、変わった雲を見た。櫛のような雲が、南西の空に出ていた。なんとなく、「地震雲かなあ」などと思ったが、福岡は有史以来地震による被害の記録が無いということなので、そんなはずはないだろうと、あまり気には留めなかった。
午前7時過ぎ、博多駅に到着。午前9時に新幹線で到着予定の父を待つ間、マクドナルドで朝食することにした。
ここで、1回目の異変があった。注文と全く違うものが出てきたのだ。セット自体を間違っていて、こんな間違いをするのかと驚いたが、それを店員に告げると、向こうもかなり驚いている様子。「なんでこんな間違いをしてしまったんでしょう。」と困惑していた。
そして午前9時過ぎ、予定通り父が到着。新幹線口で出迎え、レンタカーの営業所に向かったのだが、一向に見つからない。かなり大手の会社なので、駅前の目立つところにあるはずなのだが・・・。博多駅周辺をうろうろしているうちに、不安になってきた。普段ならここまで迷うことはないのだが・・・。途中で見つけたコンビニで道を尋ねたのだが、ついでにお菓子を買うと、二回もレジ打ちを間違われた。特に新人らしい人でもなく、慣れていそうな人なのに、今日は博多の人はどうかしてるんじゃないかと思ってしまった。私たちを含め、なんとなく皆そわそわしていた。
その後、ついに営業所を見つけ、トヨタ カローラで熊本に向け出発した。カーナビ付きなので、助手席の私もゆっくりできる。
九州自動車道を走り、鳥栖ジャンクションを通過した直後、車が上下に大きく揺れた。工事区間かと思ったが、路面状況は良い。おかしいと思っている間も、何回か大きな縦揺れがあったあと、横揺れがあり、父もハンドルを取られている。感覚は、以前体験したパンクのときに似ている。左車線に寄り、速度を落としてまずタイヤを確認するが、各タイヤともパンクはしていない。周りを見たが、徐行している車が目立つ。ということは、この車だけの問題ではない。そこで、父は閃いたらしく、すぐにラジオをつけた。すると、入ってきたのが、「福岡で強い地震が発生、震度は6弱」という速報だった。福岡県西方沖地震の発生である。最初はとても信じられなかった。何度も福岡には来ているが、地震らしい地震にあったことはない。色んな本を読んだが、地震の少ない地域で、全国のハザードマップでも最も安全な地域とされていた。そこでこれほどの地震が起きるとは・・・!
とりあえず、これほどの地震がおきれば、まもなくこの高速道路も通行止めになるはずで、その前に熊本に着くため、先を急いだ。
ほどなくして熊本県植木町の親戚の家に無事到着。まずは福岡や佐賀に住んでいる母方の親戚に電話をかけ(もちろん一回ではつながらず、何度もかけた)全員の無事を確認した。親戚の話でも、かなり揺れたということだったが、内心、今回の目的地が福岡でなくて本当に良かったと思った。問題は帰りである。まだ余震が起きる可能性が高く、予想通り高速道路は福岡県内全線で通行止め、新幹線も停止し、安全点検中。いつ通行止めが解除されるか目処はたっていなかった。(こういうとき、強いのが飛行機だ。今回も、福岡空港はガラスが割れるなどの被害を受けたが、滑走路の点検が終了し次第運行を再開していた。)しかし、すでに帰りの新幹線の切符を買っており、飛行機に乗るともったいないことになる。予定がたたなかったが、とりあえず当初の予定通り墓参りに向かった。
墓は、福岡との県境近くの町にあるが、幸い倒れてはいなかった。いつものとおり、近くのスーパーでろうそくなどを買ったのだが、その店がいつのまにか大手スーパーの系列店になっていて、少々驚いた。
墓前では、普段の感謝はもちろんだが、今日の帰りのご加護もおねがいしますと祈った。
いよいよ帰る段取りになったが、ちょうど高速道路の通行止めが解除されたようだ。南関ICから九州自動車道に入った。鳥栖ジャンクションまではなにごとも無かったかのようにスムーズに走っていたが、筑紫野が近づいてくると、猛烈な渋滞に巻き込まれた。ほとんど動かない。正確には、筑紫野インターで降りる車の列が左端にずっと続いていて、本線を塞ぎ、非常に流れが悪くなっていたのだった。ようやく渋滞を抜け、本線から下のバイパス道路を見ると、福岡市内へ向かって延々と先まで渋滞していた。市内方面への帰宅を急ぐ人々の車が殺到したためのようだった。ここで、問題が出て来た。今乗っているレンタカーは、博多駅前で返す予定になっている。ところが、この先、福岡市の都市高速はいまだ通行止であり、しかも下の道は猛烈な渋滞である。さらに、いまだ新幹線も復旧していなかった。下手をすれば、博多駅前への到着は深夜になり、このまま新幹線が復旧しなければ、駅前での宿泊となってしまう。(しかも、、まだ大きな余震が起きる確率が高かった)
結局、考えた末、私の提案で、高速に乗ったまま北九州市へ直行することになった。レンタカーは同じ県内なら追加料金無しで返せるし、新幹線も予定の列車に小倉から乗ることができる。ただ、それでも夜8時の返却に間に合うかどうかは微妙だった。
筑紫野の次の大宰府インターは、さきほど以上にひどい渋滞だった。ふと空を見れば、明らかに異常な雲が出ていた。雲の底が触手のようにぼこぼこと出っ張っているのだ。その下を、福岡空港へ降りる飛行機が飛んでいった。こくこくとラジオやテレビから入ってくる情報は、死者が出たことを伝えていた。改めて震度分布を見ると、博多区は震度6弱で、天神などではガラスの破片が落下するなど、かなり被害が出ているようだ。当時私たちが走行中だった久留米市も、震度5強で、けっこうな揺れだったらしい。車に乗っていたからあれくらいで済んだが、実際に体験していたら、そうとうな恐怖だっただろう。周囲の建物に特に目立った被害は見えなかったが、自分が被災地にいることを改めて実感した。
ようやく大宰府の渋滞を抜け、福岡インター方面に走り始めたとき、新幹線運行再開の第一報が入った。どうやら今日中に奈良に帰ることができそうだ。とりあえずほっとした。(実はこの日は第二志望校の合格発表日であり、早く帰って確認したいという思いもあった)
福岡インターでもかなりの渋滞であったが、そこを抜けると、一気に走行がスムーズになった。いつもの高速とほとんど変わらない様子で、そこからは順調に小倉駅前に向かうことができた。駅前に着いたのは、午後7時40分ごろだった。返却にも間に合ったわけだ。先に電話をいれていたので、手続きもスムーズだった。店員さんに話を聞くと、ここでも震度5弱程度の揺れがあり、かなりの恐怖感だったそうだ。
予定の列車の時間が迫っていたので、小倉駅に急ぐと、改札前には、いまだに運休中の看板が立っていた。電光掲示板によると、私たちの乗る予定ののぞみ号名古屋行きは、予定通りの時間で運行されるようだ。指定席券も有効だ。他のひかりやこだま号は、運休や大幅な遅延が出ており、博多から一駅だというのに、30分程度の遅延列車もあった。
ホームでのぞみを待っていたら、先に新大阪行きのひかりが入ってきた。これも15分以上遅れている。短い停車ですぐに発車していった。その3分後、予定の列車が入ってきた。まだ再開から時間がたっていないので、乗客でいっぱいかと思ったが、意外に空いていた。乗車すると、予定の座席もちゃんと空いていた。間もなく、小倉を発車し、新関門トンネルに入った。まだ余震が起きていつ運休になるか分からないので、とりあえず広島あたりまでは気を抜けない。その間にも、車内のニュース速報で地震情報を流していた。いま、そこから走ってきたというのが不思議な感覚だった。
無事に広島に至り、ようやく安堵できた。それにしても、わざわざ墓参りにいって、前代未聞の場所で起きた大地震に遭遇するとは、なんとも運の悪い話だ。今日は併願校の合格発表だが、明日はいよいよ琉球大学後期試験の合格発表である。今日これだけひどい目にあったんだから、明日は良い日になるのでは・・・という妙な希望的観測が湧いてきた。(実際そうなったわけだが・・・)
新大阪に到着し、大阪に出ると、普段の生活が広がっていた。ほんのさっきまで被災地にいたのがうそのようだ。その気持ちは、奈良の実家に帰りついたときにより強くなった。テレビで地震関連の情報を見ていたら、はるか遠くのことに思われるが、朝は博多にいたのだ。改めて、無事に帰れて本当に良かったと思った。
その後、パソコンで第二志望の私立校の合格発表を確認すると、みごとに合格していました。
そして、翌日、運命の合格発表を迎えて今日の私がいるのです。
午前7時過ぎ、博多駅に到着。午前9時に新幹線で到着予定の父を待つ間、マクドナルドで朝食することにした。
ここで、1回目の異変があった。注文と全く違うものが出てきたのだ。セット自体を間違っていて、こんな間違いをするのかと驚いたが、それを店員に告げると、向こうもかなり驚いている様子。「なんでこんな間違いをしてしまったんでしょう。」と困惑していた。
そして午前9時過ぎ、予定通り父が到着。新幹線口で出迎え、レンタカーの営業所に向かったのだが、一向に見つからない。かなり大手の会社なので、駅前の目立つところにあるはずなのだが・・・。博多駅周辺をうろうろしているうちに、不安になってきた。普段ならここまで迷うことはないのだが・・・。途中で見つけたコンビニで道を尋ねたのだが、ついでにお菓子を買うと、二回もレジ打ちを間違われた。特に新人らしい人でもなく、慣れていそうな人なのに、今日は博多の人はどうかしてるんじゃないかと思ってしまった。私たちを含め、なんとなく皆そわそわしていた。
その後、ついに営業所を見つけ、トヨタ カローラで熊本に向け出発した。カーナビ付きなので、助手席の私もゆっくりできる。
九州自動車道を走り、鳥栖ジャンクションを通過した直後、車が上下に大きく揺れた。工事区間かと思ったが、路面状況は良い。おかしいと思っている間も、何回か大きな縦揺れがあったあと、横揺れがあり、父もハンドルを取られている。感覚は、以前体験したパンクのときに似ている。左車線に寄り、速度を落としてまずタイヤを確認するが、各タイヤともパンクはしていない。周りを見たが、徐行している車が目立つ。ということは、この車だけの問題ではない。そこで、父は閃いたらしく、すぐにラジオをつけた。すると、入ってきたのが、「福岡で強い地震が発生、震度は6弱」という速報だった。福岡県西方沖地震の発生である。最初はとても信じられなかった。何度も福岡には来ているが、地震らしい地震にあったことはない。色んな本を読んだが、地震の少ない地域で、全国のハザードマップでも最も安全な地域とされていた。そこでこれほどの地震が起きるとは・・・!
とりあえず、これほどの地震がおきれば、まもなくこの高速道路も通行止めになるはずで、その前に熊本に着くため、先を急いだ。
ほどなくして熊本県植木町の親戚の家に無事到着。まずは福岡や佐賀に住んでいる母方の親戚に電話をかけ(もちろん一回ではつながらず、何度もかけた)全員の無事を確認した。親戚の話でも、かなり揺れたということだったが、内心、今回の目的地が福岡でなくて本当に良かったと思った。問題は帰りである。まだ余震が起きる可能性が高く、予想通り高速道路は福岡県内全線で通行止め、新幹線も停止し、安全点検中。いつ通行止めが解除されるか目処はたっていなかった。(こういうとき、強いのが飛行機だ。今回も、福岡空港はガラスが割れるなどの被害を受けたが、滑走路の点検が終了し次第運行を再開していた。)しかし、すでに帰りの新幹線の切符を買っており、飛行機に乗るともったいないことになる。予定がたたなかったが、とりあえず当初の予定通り墓参りに向かった。
墓は、福岡との県境近くの町にあるが、幸い倒れてはいなかった。いつものとおり、近くのスーパーでろうそくなどを買ったのだが、その店がいつのまにか大手スーパーの系列店になっていて、少々驚いた。
墓前では、普段の感謝はもちろんだが、今日の帰りのご加護もおねがいしますと祈った。
いよいよ帰る段取りになったが、ちょうど高速道路の通行止めが解除されたようだ。南関ICから九州自動車道に入った。鳥栖ジャンクションまではなにごとも無かったかのようにスムーズに走っていたが、筑紫野が近づいてくると、猛烈な渋滞に巻き込まれた。ほとんど動かない。正確には、筑紫野インターで降りる車の列が左端にずっと続いていて、本線を塞ぎ、非常に流れが悪くなっていたのだった。ようやく渋滞を抜け、本線から下のバイパス道路を見ると、福岡市内へ向かって延々と先まで渋滞していた。市内方面への帰宅を急ぐ人々の車が殺到したためのようだった。ここで、問題が出て来た。今乗っているレンタカーは、博多駅前で返す予定になっている。ところが、この先、福岡市の都市高速はいまだ通行止であり、しかも下の道は猛烈な渋滞である。さらに、いまだ新幹線も復旧していなかった。下手をすれば、博多駅前への到着は深夜になり、このまま新幹線が復旧しなければ、駅前での宿泊となってしまう。(しかも、、まだ大きな余震が起きる確率が高かった)
結局、考えた末、私の提案で、高速に乗ったまま北九州市へ直行することになった。レンタカーは同じ県内なら追加料金無しで返せるし、新幹線も予定の列車に小倉から乗ることができる。ただ、それでも夜8時の返却に間に合うかどうかは微妙だった。
筑紫野の次の大宰府インターは、さきほど以上にひどい渋滞だった。ふと空を見れば、明らかに異常な雲が出ていた。雲の底が触手のようにぼこぼこと出っ張っているのだ。その下を、福岡空港へ降りる飛行機が飛んでいった。こくこくとラジオやテレビから入ってくる情報は、死者が出たことを伝えていた。改めて震度分布を見ると、博多区は震度6弱で、天神などではガラスの破片が落下するなど、かなり被害が出ているようだ。当時私たちが走行中だった久留米市も、震度5強で、けっこうな揺れだったらしい。車に乗っていたからあれくらいで済んだが、実際に体験していたら、そうとうな恐怖だっただろう。周囲の建物に特に目立った被害は見えなかったが、自分が被災地にいることを改めて実感した。
ようやく大宰府の渋滞を抜け、福岡インター方面に走り始めたとき、新幹線運行再開の第一報が入った。どうやら今日中に奈良に帰ることができそうだ。とりあえずほっとした。(実はこの日は第二志望校の合格発表日であり、早く帰って確認したいという思いもあった)
福岡インターでもかなりの渋滞であったが、そこを抜けると、一気に走行がスムーズになった。いつもの高速とほとんど変わらない様子で、そこからは順調に小倉駅前に向かうことができた。駅前に着いたのは、午後7時40分ごろだった。返却にも間に合ったわけだ。先に電話をいれていたので、手続きもスムーズだった。店員さんに話を聞くと、ここでも震度5弱程度の揺れがあり、かなりの恐怖感だったそうだ。
予定の列車の時間が迫っていたので、小倉駅に急ぐと、改札前には、いまだに運休中の看板が立っていた。電光掲示板によると、私たちの乗る予定ののぞみ号名古屋行きは、予定通りの時間で運行されるようだ。指定席券も有効だ。他のひかりやこだま号は、運休や大幅な遅延が出ており、博多から一駅だというのに、30分程度の遅延列車もあった。
ホームでのぞみを待っていたら、先に新大阪行きのひかりが入ってきた。これも15分以上遅れている。短い停車ですぐに発車していった。その3分後、予定の列車が入ってきた。まだ再開から時間がたっていないので、乗客でいっぱいかと思ったが、意外に空いていた。乗車すると、予定の座席もちゃんと空いていた。間もなく、小倉を発車し、新関門トンネルに入った。まだ余震が起きていつ運休になるか分からないので、とりあえず広島あたりまでは気を抜けない。その間にも、車内のニュース速報で地震情報を流していた。いま、そこから走ってきたというのが不思議な感覚だった。
無事に広島に至り、ようやく安堵できた。それにしても、わざわざ墓参りにいって、前代未聞の場所で起きた大地震に遭遇するとは、なんとも運の悪い話だ。今日は併願校の合格発表だが、明日はいよいよ琉球大学後期試験の合格発表である。今日これだけひどい目にあったんだから、明日は良い日になるのでは・・・という妙な希望的観測が湧いてきた。(実際そうなったわけだが・・・)
新大阪に到着し、大阪に出ると、普段の生活が広がっていた。ほんのさっきまで被災地にいたのがうそのようだ。その気持ちは、奈良の実家に帰りついたときにより強くなった。テレビで地震関連の情報を見ていたら、はるか遠くのことに思われるが、朝は博多にいたのだ。改めて、無事に帰れて本当に良かったと思った。
その後、パソコンで第二志望の私立校の合格発表を確認すると、みごとに合格していました。
そして、翌日、運命の合格発表を迎えて今日の私がいるのです。