うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

ついに身近に新型インフルエンザが・・

2009年07月29日 23時02分57秒 | うちなー日記(沖縄編)
ついに琉球大学にも新型インフルエンザの影響が波及してきました。

既に先々週末には近所の沖縄国際大学で一時学校閉鎖になっており、琉球大学に侵入するのも時間の問題だと思われていました。
先週、理学部数理学科の学生が発症し、一緒の講義を取っていた学生が自宅待機処分になっていたのですが、今週、ついに私の身近に影響が及んできたのです。

今期、私は自由科目(専門科目の単位として認定される、他学部の講義)として観光産業科学部の観光地理学という講義を取っています。
火曜日の四限開講で、昨日もマッピング演習(那覇市の観光マップ作製)なる作業を学生たちで賑やかに行っていました。
明日の四限の補講時間を使って、マッピング演習の作品の発表会が予定されていました。
が、その観光地理学を受講中の学生が、新型インフルエンザを発症したらしいのです。

今日の昼休みに理学部の学務担当から電話がかかり、経緯の説明の後、今週いっぱいは自宅待機するように指示されました。

すぐに年次指導教官で、研究室の指導教官でもあるO先生に相談に行ったのですが、ちょうど先生にも学部から連絡が来たところでした。

先生の話だと、どうやら大学側も対応に苦慮しているようで、全学休校にするか、感染者が出た講義の関係者のみを自宅待機処分にするかの狭間で揺れているようです。
というのは、現在琉球大学は補講&期末試験期間に入っており、元々あと一週間半程度で前期が終了する予定だからです。
夏休みに入れば、学生は大学に来ませんから、休校するのと変わらないので、余程のことがない限りはさっさと前期を終わらせるのが得策なわけです。
(二次感染が大規模に起きたりしたら別ですが・・)

しかし、私にとってはこの時期の自宅待機はかなり痛いです。来週の期末試験の情報が今週の授業で説明されたり、既に授業が終了した講義は今週成績発表だったりするわけですから・・。
さらに、私は来週火曜日に卒論の一次提出を控えており、他の学生とは異なる事情も抱えています。

一応、大学側は自宅待機期間中の講義やテストの欠席については保障してくれるそうですが、実際の対応は担当の教授や講師に任されています。(ていうか、自宅待機の状態でどうやって教員に連絡しろと・・)

私にとっても初めての状況なので困惑しているのが現況です。
どうなることやら・・。

逃げちゃだめだ。逃げちゃだめだ。

2009年07月25日 14時10分37秒 | うちなー日記(沖縄編)
嗚呼、ついに七月も終わりですよ。

よくよく考えてみたら、過去になく追い込まれている自分がいます。

まず、期末試験期間に今週から突入しています。
早速、火曜日に英語講読演習Ⅰのテストがありました。(本当は1年次で取っておく講義なのですが、ちょっと卒業単位の計算を間違えていて、卒業間際になってしまいました)
出来はかなり良いと思います。来週火曜日に返却ですので、まだ安心はできませんが、さすがに4年次にもなると英語論文などを読んでいるので、普通の英語は割とすらすら読めますね。
その他の講義も、今週で授業終了のものが結構あり、海洋資源生物学(来週テスト:かなり難しいそうなので、今から勉強します)、環境適応生理学(再来週テスト)、地域環境特論(来週成績発表)、中琉関係史Ⅲ(再来週テスト)、ホテル経営論Ⅰ(来週レポート提出)の授業が今週で終了しました。
いつもの私なら、30単位近くも履修していると、途中で面倒くさくなってサボって単位の危機に瀕することが多いのですが、今期については、今のところ確実にアウトなものはないので、全力で期末試験に臨めば、多分卒業単位は取得できるでしょう。

しかし、期末試験だけが私を追いこんでいるわけではありません。
忘れてはならないのが、卒業に際して最も重要な、卒業論文の執筆です!
第一次提出期限は8月4日火曜日、その後8月11日に卒業研究発表会(生物系の全教員の前での発表)を経て、最終版を8月25日までに提出することになります。
今書いているのですが、もともと他の学生の研究に比べて飛びぬけて情報量が多いため、かなり手こずっています。
指導教官のO先生は、「研究自体はちゃんとやっているのを見ていたから、卒業論文のページ数は別に少なくても構わないよ」とおっしゃっていましたが、しかし、同時に「後継の学生が研究内容を理解できるようにはしてね」とも釘をさされています。

まともに書くと100ページを軽く超える内容になってしまうので、いかにしてバランスよく省いて書くかということが、大切です。
ああ、でも時間がない・・。

今日も、先ほどまで観光地理学の講義の演習で、那覇市の観光地図の製作作業をしていたり、夜はバイトだったりで、なかなか纏まった時間が取れずにいます。
あと二週間、なんとか気合いで乗り切っていければ良いのですが・・。

十月の初め、北の大地で北島三郎の「函館の女」を歌っている私を想像しつつ、頑張ります。

日食見えました!

2009年07月22日 12時14分24秒 | うちなー日記(沖縄編)
↑11時00分頃、教育学部付近にて撮影。ほぼ食の最大時 フィルターなし

二時間目の講義、先生が理解のある方で、授業途中からおよそ40分にわたって日食観察会となりました。

講義室は教育学部にあるのですが、私たちが外に出たときにはすでにたくさんの学生や先生たちが遮光器や望遠鏡を使って観察していました。

ちょうど食の最大時には、薄雲が太陽に被っていたのですが、むしろ遮光器なしで直接観察できたので、周囲からは歓声が挙がっていました。

私が思っていたよりは空も暗くなり、青空が灰色に見えるほどでした。

さらに、日食している太陽の周りに虹(光環)まで見えて、なかなか幻想的でした。(まことに残念ながら、広角レンズを持参していなかったので、その様子はビデオでしか撮影していません)


日食の前半(10時20分頃。共通教育棟の屋上から撮影)黒ポリ袋を通して撮影


日食の後半(11時50分頃。教育学部付近にて撮影)黒ポリ袋を通して撮影


教育学部付近で、日食を観察する人々

明日は・・。

2009年07月21日 23時51分03秒 | うちなー日記(沖縄編)
↑2004年10月14日の部分日食(模擬試験中に食の最大を迎えたため、写真を撮ったときにはほとんど終了間際だった)

ついに皆既日食前日となりました。
あと数分で日付が変わるのですが、明日はちょっと気になる天候のようで・・。

皆既日食帯に位置する、トカラ列島や奄美大島、種子島・屋久島地方の天気予報はどうもよろしくなく、曇り時々雨の予報です。
せっかく当地にまで詰めかけた人たちも、見られなかったら残念でしょうから、できれば晴れてもらいたいものです。

本土の方も、梅雨前線が停滞するために全国的に天候不順のようですし、果たしてどれくらいの人たちが明日日食を観察できるのでしょうか・・。

対して、沖縄地方の明日の予報は晴れ。もしかしたら、全国で唯一まともに日食を観察できる場所になるかもしれません。
ただし朝から昼前にかけて曇る予報も出ています。ちょうど日食の時間なので、少し心配ですね。
那覇市では、日食の最大時には、太陽のおよそ9割が欠けて見えるそうです。真っ暗とはいきませんが、昼間なのに結構薄暗く感じることと思います。
そんなことを想像するだけでもワクワクしてしまいますね。

今日は大学でも、バイト先でも、明日の話題で持ちきりでした。
私は、日食の時間はちょうど二時間目の講義が入っており、そのままでは観察できないので、なんとかして先生を説得して屋外に出たいと思っています。
(三線の授業ですし、なんとかなる可能性も高いです)
もちろん写真も撮るつもりですよ。
うまいこと撮れたら、このブログにアップしたいと思います。

今日はドキドキして眠れないかも・・。

北海道大学理学院への出願が受理されました。

2009年07月16日 22時53分55秒 | うちなー日記(沖縄編)
実は、かなりぎりぎりのスケジュールになってしまったのですが、
なんとか無事に北大大学院への出願手続きを済ますことができました。
さきほど電話で「受理しました」との連絡が来ました。

ここは沖縄、対して向こうは北海道で、郵送にも本来それなりの時間を要します。
願書の記入、口頭試問で使う卒業研究要旨の作成、検定料の振込などを全て済まし、速達で発送したのは、当初の予定よりも大分遅れた昨日のことです。
そして、なんと大学院の願書受付期間は、今日の午後4時まででした。

近所の郵便局で出すと、速達でも翌々日の午前配達になってしまい、間に合いません。
しかし、午前中に那覇中央郵便局から出せば、速達で翌日午後の配達が可能です。(残念ながら北海道は翌朝10時郵便の対象外でした)

昨日の朝、1時限目の動物行動学の講義(教授は北大出身で、私の学年の指導教官でもあったので、仲が良いです)を受けた後、その教授に「今から発送してくるんですよ」と願書を見せながらひと時喋った後、すぐさま琉大を車で出発しました。
国道330号線を飛ばし、およそ30分で那覇市壷川にある那覇中央郵便局に到着。
まず検定料をゆうちょ窓口で払い込み、その証書を願書の下の所定欄に貼り付け、すべての必要書類が揃っていることを確認して、やはりその場で買った白封筒に入れました。
この際、宛名を書いたのですが、これがまた長い長い。
北海道札幌市北区北10条西8丁目
「北海道大学理学・生命科学事務部事務課大学院教育担当」ですよ。
ちなみに、琉球大学大学院の願書の宛先は、
沖縄県西原町千原1番地
「琉球大学理学部学務担当」です。
誤字脱字をせぬか気を揉みつつ、なんとか書き上げました。

いよいよ郵便窓口で発送に取り掛かりましたが、最速の配達日時を聞くと、
やはり「明日の午後」とのこと。
「午後」という表現(午後は5時までの間を指し、4時の締切に間に合わない可能性もあるのです)を懸念しつつも、もう仕様がないので、書留の速達で発送しました。

いざ発送してしまうと、あとは郵便屋さんを信じるしかありませんから、
何度かオンラインで配達状況を確認しつつ、間に合うよう天に祈りました。

そして今日の昼に配達お知らせメールが届きました。
内容を確認すると、午前11時過ぎには北海道大学に配達されており、
窓口での説明よりも早く到着できたようです。
その後、北大理学院の担当の方からも電話がかかり、ようやくホッとしました。

とりあえず、これが間に合わなかったら受験できないわけですからね。

すでに先日、配属希望先の研究室の先生とはメールで連絡を取りましたが、
歓迎の言葉と、口頭試問についての詳しい対策法まで教えていただいており、
あとは北海道に行って受験するのみです。

入試まで残り1か月ちょっと。その間に期末試験と卒業論文提出と研究発表会がありますが、なんとか乗り越えて北大に挑もうと思います。

留学生のPC

2009年07月08日 09時52分10秒 | うちなー日記(沖縄編)
たった今、留学生のPCを英語仕様に変更してきました。

昨日の夕方、我が研究室のバングラデシュ人留学生(D1)のMさんに、彼のパソコンを英語仕様にしてほしいと依頼されました。

彼のPCは、昨年の秋に研究室に配属された際に研究室予算で購入したもので、OSはWindows VistaのHome Basicです。
PCの表示言語は、親言語(MUI)と、子言語(LIP)なるものが存在するようで、日本語や英語は親言語(MUI)扱いなのですが、Home Basicだと親言語の変更はできず、通常は表示言語が任意に選択できる最上位バージョンのUltimateもしくはEnterpriseにVistaのグレードを上げるか、英語版のOSを買いなおすかしないと英語版の環境を手には入れられません。

昨日の夕方、バイトに出発するまでの二時間近く、拙い英語でMさんと話しながら、あれやこれや試行錯誤しましたが、やはりHome Basicだと変更はできないらしく、行き詰ってしまいました。

ところで、実はもう一人の留学生(ネパール人)のBさんが我が研究室にはおり、彼のPCもVista Home Basicなのですが、何故か既に英語仕様になっていました。
そこで、はっと記憶が蘇ったのですが、そういえば五月にBさんが今回と同じように、「僕のPCを英語仕様にしたいんだけど・・」と頼んできたのですが、その際に私がネットで情報を漁ったところ、「Vistalizator」なるフリーソフトを見つけ、彼に紹介していたのです。
その後、忙しかったこともあり、そのソフトを教えたことをすっかり忘れていたのですが、彼は自分でそのソフトをインストールして、ちゃんとPCを英語仕様に切り替えていたのです。

で、昨日のバイト出発間際、たまたまそのソフトのサイトに行き当たり、先の経緯を思い出したのですが、いかんせん時間が無かったため、翌日、つまり今朝に改めて作業することにして、作業を中止しました。

そして今朝、Mさんに「再挑戦しましょう」と言って、再び彼のPCに向かいました。
「Vistalizator」をサイトから落としてきて起動し、昨日既に落としていた英語のMUIファイルを選択すると、いとも簡単に英語化の作業が始まりました。
5分くらいの自動作業の後、再起動すると、見事にVistaが英語になっていました。
素晴らしい!
Mさんともども、大喜びしました。

「ありがとう!本当にありがとう」との声を背に、私は留学生部屋を後にし、我が研究室への帰路についたのでした。

それにしても、この「Vistalizator」を使えば、外国のPCでも日本語仕様に変更できるわけで、海外で、当地のPCを使う際には助かりそうですね。(キーボードが日本語仕様じゃないので入力が大変そうですが)

久々に地震速報

2009年07月07日 08時03分38秒 | うちなー日記(沖縄編)
さきほど、午前7時35分頃に沖縄地方で地震がありました。
といっても、自宅アパート近辺は割と地盤が良いのか私は揺れはほとんど感じず、襖がカタカタ鳴った程度でしたが(地震かなとは思いましたが、速報がなかなか来なかったので勘違いかと思いました)、不思議な震度分布でしたので、一応書いておきます。

震源は沖縄本島近海の地下10キロメートル、マグニチュードは5.7でしたが、
震度2が本部町、那覇市、南城市、八重瀬町、震度1が名護市、恩納村、国頭村、那覇空港、うるま市、糸満市、豊見城市、読谷村、南風原町、西原町、与那原町、座間味島、久米島、北大東島、宮古島、奄美市、伊仙町
となっています。
つまり、北は奄美から南は宮古島まで、さらにプレートが異なる大東島までの広い範囲で「浅く広く」揺れたわけです。
マグニチュード5.7といったら、今年3月の末の地震と同じ規模で、通常の影響範囲は沖縄本島地方に限定されるクラスだと思うので、ちょっと興味深い地震でしたね。

嘉手納基地に潜入してきました。

2009年07月04日 23時12分53秒 | うちなー日記(沖縄編)
今日、昼過ぎに目覚め、寝起きでケータイで某巨大ネット掲示板を見ていたら、「沖縄でラプターが一般公開」との情報が目につきました。

一瞬目を疑いました。ラプターとは、米軍が誇る世界最強の戦闘機、F-22ラプターのことです。現在嘉手納基地に一時配備中なのですが、そんなものが一般公開されるとは、にわかには信じられません。
しかし、今日はアメリカ独立記念日。毎年この時期に、嘉手納基地ではアメリカフェスタと題して、一般公開が行われているのですが、それに合わせて「世界最強の戦闘機を、配備されている地元の人々にも見てほしい」との米軍側の思いから、日本で初めて一般公開されることになったのだそうです。

寝ぼけ眼でその情報を見ていた私でしたが、一気に目が覚めて、居ても立ってもいられず、急いで身支度を整えて嘉手納基地に向かって出発しました。
途中で研究室の後輩を拾い、高速道路で一路沖縄市へ。何回かゲートを間違えた末、嘉手納基地第4ゲートに着きました。
迷彩服の米軍人の誘導で、嘉手納基地の奥へと進入していくと、なんと滑走路に駐車場が設置されていて、その一角に車を止めるよう指示されました。



車を降りて、軍用機の展示会場(北側格納庫前のエプロン)まで歩いたのですが、これが果てしなく遠く、また、空が異様に広く感じました。これだけ大きな平面の広場は、沖縄ではあり得ないです。

1キロほど歩いて、ようやくボディチェックコーナーに辿り着きました。
基地内なので、当然怪しいものを持ち込むのは不可です。空港の保安検査場とは一味違った緊張感を味わいながらも、スムーズに通過し、ついに会場へ・・。

F-22ラプターは軍用機群の最も手前に展示されていました。周りにロープが張られ、機体の近くはサブマシンガンを所持した兵隊が守る、厳戒態勢での展示でしたが、これほどまで近くでF-22を見物できる機会は、恐らく今後もほとんどないと思います。
それにしても、実に格好良い機体です。SF映画に出てきそうなフォルムと、「世界最強」の実力、惚れ惚れします。






ラプターの前でしばらく写真を撮り続けた後、展示場の奥へ進むと、米軍のフェスタではお馴染みのC-130輸送機やら、KC-135に混じって、なんと航空自衛隊のF-2やF-15J、F-4EJ改まで展示されているではないですか。
ちょっと驚きました。特に、F-2は初めて近くで見たので、興奮しましたね。



さらに奥へ進むと、今回のフェスタのもう一つの目玉、A-10サンダーボルトがいました。
独特のフォルムで軍事マニアに大人気の機体です。
やはり間近で見たのは初めてでした。



今日は午後6時からバイトで、すでに午後4時を回っており、駐車場に戻る時間、那覇空港近くのバイト先までの所要時間を考えると、そろそろ帰らなければなりませんでしたが、その前に、KC-135の内部を公開していたので、見に行ってみました。

KC-135ストラトタンカーは、言わずと知れた米空軍の空中給油機兼輸送機で、ボーイング707と共通の設計なため、旅客機マニアとしても興味深い飛行機です。旅客型のボーイング707はすでにほとんどの航空会社から退役しており、今ではアフリカの一部の会社でした使われていません。しかし、KC-135の方は、まだまだ現役で活躍し続けています。
そしてなんと、今日はKC-135のコックピットの一般公開が行われていました。
タラップを登り、機内に入ると、すでに長蛇の列ができていました。しかし、機内の座席や救護設備などの展示がいろいろとあり、待っている間もそれほど退屈せずに済みました。(中には新生児用の無菌ベッドまでありました)
およそ20分ほどでコックピットの中に入り、座席に座れました。もともと設計が古い機体なので、コックピットは最近の旅客機のような液晶モニターが大量に並ぶような造りではなく、たくさんの計器類が並び、さながら松本零士の漫画のような感覚です。



私は機長席、後輩が副操縦士席に座り、操縦桿を操作する様子や、様々な計器類などをビデオで撮影(カメラの方がバッテリー切れだったため、あまり撮影できなかったので、ずっとビデオをまわしていました)し、満足して機外へ出ました。そして今撮った映像を確認しようとしたところ、何故か再生リストに映像がありません。なんと、撮影ボタンを押し忘れていて、撮影されていなかったのです。不覚です、なんたる愚かしさ・・。ああ残念。

というわけで、少し肩を落としながら展示場を後にして、また1キロほどの道のりを歩いて駐車場に帰り、嘉手納基地から脱出しました。
その後は一度「道の駅かでな」(普段一般人が見学する展望台がある)に行き、そこから基地内の様子を眺めた後、高速道路で一路バイト先を目指しました。
(かなりぎりぎりに嘉手納を出発したため、バイトの時間ぎりぎりでしたが、なんとか遅刻せずに到着しました)

今日のような、米軍基地の一般公開に気軽に行くなんて、沖縄に住んでいないとなかなか考えられませんし、最後の年に以前からの念願だった嘉手納基地を見学できたのは、良かったと思います。
ただ、いつか、KC-135のコックピットの撮影にもう一度挑戦したいです。