うちなー→えぞ日記 (もとすけのつぶやき)

奈良県出身、沖縄での学生生活を経て、北海道ライフを堪能する、
とある研究者の日常のよしなしごとの紹介。

あの日、札幌にて (2018年9月6日)

2019年02月26日 21時19分47秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
2018年9月6日、未曾有の地震(北海道胆振東部地震)と大停電が北海道を襲いました。
この記事は、札幌在住の私が体験したあの日の記憶の備忘録です。

・・・・・・・・・・・

9月5日、地震前日の未明に台風21号が北海道の西方を通過しました。
この台風は前日に関西方面に大きな被害を与えていましたが、札幌でも瞬間最大風速32.8 m/sを記録し、多数の倒木が発生したり、電柱倒壊で一部地域で停電するなどの被害が出ました。



出勤してみると、北海道大学構内でもあちこちで巨木が倒れていて、とても驚きました。
ただ、外の被害は小さくなかったものの、日常生活には特に支障はなく、この日も通常通り研究業務をこなしていました。
夜は古巣の研究室の後輩と発寒のスープカレー屋で会食し、夜10時には帰宅、いつもより早めに眠りに就きました。



翌6日、早めに寝たせいか、午前3時少し前に目が覚めました。実家から来ていたLINEに返信しようか考えながら、暇つぶしにスマホゲームを少し遊び始めたところで、突然画面上に緊急地震速報が表示されました。



「道南で地震発生」との文字列を見たかどうかというところで、強い揺れが襲ってきました。
これまでに無く大きな揺れでベッドから落ちそうになり、並の地震ではないと思いました。
比較的周期の長い揺れに感じたため、千島海溝沿いの巨大地震かとも一瞬考えましたが、それだと道南で発生したとは言わないな・・などと思っているうちに揺れが収まってきました。
このとき、BGM代わりに古いスマホでNHKラジオを流していたのですが、スマホアプリでは約1分のタイムラグがあり、まだ地震の情報は流れていませんでした。そこで、テレビを点けて情報を確かめました。
(実はこの地震時によくとる行動こそが、大停電の引き金になっていたことを後で知り、大いに後悔しました・・。)



テレビが点くやいなや、大地震(震度6弱以上)を知らせる速報チャイムが流れ、胆振地方東部で震度6強を観測したとの一報が入ってきました。
胆振地方東部では2017年7月1日に震度5弱を観測する地震(マグニチュード5.3)が発生しており、近年やや地震活動が活発になっている地域ではありましたが、2018年6月3日を最後に地震は起きていませんでした。
自宅周辺の震度は4で、幸い部屋の中の物は転倒・落下などの被害はありませんでした。
テレビニュースとスマホの天気予報アプリで地震情報を集めていました。職場の震度が5強だったので、実験機器や動物などに被害が出たかもと心配したり、震源の場所的に石狩低地東縁断層帯が動いたのかな?などとツイッターに呟いたりするなど、比較的落ち着いて構えていました。
一応実家向けにLINEで被害が無かったことを伝えた直後、3時21分頃に俄かに部屋の照明が点滅しはじめ、しばらくして全ての電源が落ちました。



スマホの充電がかなり少なかったためにライトを点けることを躊躇しましたが、折しも前の週末にライブで持参したペンライトが枕元にあったので、それで明かりを得られました。
この時点では近所の電線トラブルか何かが原因だと思っており、すぐに復旧するだろうと考え、ひとまずベッドに戻りました。



ところが、停電から20分が経っても復旧しないため、様子を見に外に出ました。
ここで初めて、周辺一帯が全て停電していることに気付きました。一部の建物の照明は点いていましたが、道路沿いの街灯や信号機が消えており、非日常的な光景に驚きました。
スマホの充電が減っていたのと、自宅でテレビもラジオも使えなくなったので、駐車場に停めていた我が車にひとまず避難しました。
車内でスマホを充電しながらラジオを聴いていると、どうやら北海道全道で停電していることが分かってきました。全道停電となると、規模からして復旧まで相当の時間が掛かることが予測できたので、なんとか水と食糧を手に入れようと思い、近所のローソンに向かったのですが、レジ停電のため既に営業中止となっていました。



9月の初めはまだ日の出が早い時期で、午前4時過ぎには空が白みはじめてきました。
自宅付近は停電している以外には大きな被害は無かったのですが、職場付近で震度5強の揺れを観測していたため、どうしても気になり、車の台数が少ないこの時間帯に一度様子を見にいこうと車を走らせました。
想像通り、車の走行台数が少なかったため、信号が消えていても一時停止の繰り返しでそれほど難なく北大の職場近くまで辿り着けました。また、北18条のエルムトンネル西口だけは信号が点いていました。恐らく重要な交差点には非常用電源が備わっているのでしょう。
職場に着いて、外から眺めた限りでは建物に被害は無く安心したのですが、入構ゲートや建物の自動ドアが停電で動かなくなっていたため、建物内に入ことは諦め、すぐに自宅に戻りました。
帰路に沿道のセブンイレブンが非常電源を使って営業しているのを見つけました。近所の人達が食糧や電池などを買い求めて、いつもより混みはじめていましたが、なんとか私も水分と軽食を確保できました。



停電発生から2時間が経った午前5時半、太陽が昇ってきました。
信号も街灯も消えた街に光が差し込んできて、少し希望が湧いてきたように感じられました。

午前6時頃から職場関係のメールが届きはじめました。職場のメールサーバーは非常電源で稼動していたようで、上司から安否確認と無理な出勤を控えるようにとの連絡が届きました。
7時を過ぎると、職場の近くに住んでいる同僚から職場建物の中の様子について連絡が来ました。大きな物品被害は出ていないようでしたが、停電で細胞培養器や冷凍庫などが止まってしまい、何かしら対策を取る必要がありそうでした。
私も少し車の中で仮眠を取った後、8時半頃に職場に再度向かいました。道中、沿道にある大型ショッピングセンターの周囲に開店を待つ長い行列が出来ていたのが印象的でした(結局この日は停電のため営業しなかったようです)。
また、早朝には通れたエルムトンネルも内部の照明の非常電源が停止したらしく、通行止めになっていて驚きました。



職場に着いて、先に連絡をくれていた同僚と合流し、職場内の実験機器の対策を行いました。・・といっても、冷却が必要な実験機器の周囲に、製氷機内に残っていた氷を運び込むくらいのことしか出来なかったのですが。
各部屋とも細かな書類の落下はありましたが、什器類は固定済みだったので転倒物はありませんでした。私のワークスペースも無事で、机の上に立てておいたポスターケースが倒れた程度で済んでいました。
ただ、私の部署でも地震の揺れで鍵が開かなくなった部屋が見受けられたり、建物の階や場所によってはもっと揺れが大きかったようで、他部署では大型の実験機器が大きくずれ動いたところもあったようです。
しばらくすると、職場の上司や同僚も徐々に出勤してきましたが、交通機関が麻痺しているため、徒歩や自転車で来れる範囲の人のみ来ている模様でした。

一通り職場の顕微鏡なども確認しましたが、目に見える破損は無かったものの、電気が点かないことには動作は確認できません。職場の建物にも自家発電装置はあったのですが、共用のクリーンルームにのみ電気を供給する仕様であり、他の部署の停電復旧の見込みは全く立たない状況でした。
室内灯が点かず、ネットもPCも使えない状況では当然仕事も出来ないので、緊急対応が一通り終わった昼過ぎには職場を離れました。



一度帰宅した後、車のガソリンを給油しに出掛けました。実は前夜に給油するつもりが忘れており、朝からスマホの充電やラジオを聴くために車中で過ごした結果、エンプティランプが点いていたのです。
ところが、いざガソリンスタンドに向かってみたら、停電で給油機が動かないために殆どのスタンドは臨時休業中。一部の災害対応スタンドに車が殺到し、数十台の行列が出来ていました。しかも、製油所からの輸送も止まっているため、タンクに残っている量しか販売できず、せっかく並んでも途中で閉店してしまうというありさまでした。
手稲通り沿いのガソリンスタンドを順に確かめましたが、軒並み休業か販売中止状態で、気付けば手稲区まで来ていました。



国道沿いの主要交差点では警察が交通整理に当たっていました。手信号による交通整理なんて自動車教習所で習って以来初めて体験しましたが、お蔭で交通が円滑に流れていました。
手稲区には私が一時期下宿していた知人宅があり、ご家族が車関係のお仕事をされているので、もしかしたらガソリンが手に入るかもと思い、知人宅に立ち寄ることにしました。



結果的には知人のお宅でも余分なガソリンは無く、手には入らなかったのですが、職場も学校も休みということでご家族が集まっており、家庭的な雰囲気にしばし癒されました。
冷蔵庫で保管できなくなった食材で昼食を作っていただき、さらには当面の食糧としてインスタントラーメンに卵と缶詰まで頂き、とても助かりました。
この知人宅では付近の携帯電話基地局の電源が切れてしまったようで、外部との連絡が取り難くなっていました。スマホも使えないため、情報は旧型の電池式ラジオからのみ得られるという状況。この時点では未だ厚真町の地滑りの状況などの視覚情報は殆ど我々には伝わってきていませんでした。



知人宅からの帰路、下手稲通り沿いのガソリンスタンドが営業しているのを見つけ、数十分並んでなんとか給油出来ました。
レジが動かないため現金のみ使用可能で、スタンドのタンク残量保持のために給油量も制限していました。
実は翌日も別のガソリンスタンドで追加給油したのですが、そこでは30リットルまでの制限になっていて、携帯端末を使ってレジ対応(クレジットカードもOK)していました。



ガソリン給油を終えて、夕方5時頃に帰宅しました。
自宅マンションは内階段が無く、エレベーターで居住階まで上がる方式なのですが、停電でエレベーターは使用できませんでした。
しかも、非常階段の1階出入口と各階から非常階段への扉はオートロックになっているため、一度扉が閉まってしまうと非常階段で上ることすら困難な構造。このような長時間停電は建設時に全く想定してなかったのでしょうね。
住民が工夫したようで、非常階段の出入口は完全に閉まらないように物が挟まれており、なんとか自室まで戻ることが出来ました。(自室の電子錠は電池式だったため、正常に作動し続けていました)


・・・ここまでで、かなり長くなってきたので一旦区切ります。
(次回に続く)

ブログのデザインをカスタマイズしてみました。

2010年05月01日 16時09分07秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
これまではgooブログの既存のテンプレートから選択して使っていましたが、先日同じデザインテンプレートを使用されているブログを見つけたので、今回オリジナル化してみました。
タイトル画像も自作のものです。だいぶ“私らしい”ブログになった気がします。
CSSの編集は初心者なので、今後も適宜最適化を進めていくつもりです。

No money, No car!

2010年04月25日 21時41分47秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
↑現「愛車」

気付けばまた一週間経ってしまいましたね・・。
本当に、近頃は時間が経つのが早く感じます。
私は日々、希望に燃えたり落ち込んだりを繰り返しながら、忙しない日常を送っています。
そろそろ雪が無い札幌の町並みも見慣れてきた今日この頃ですが、私の研究机から見える北大の農場も徐々に芝が生えてきて、だいぶ春めいてきた感じがします。桜が咲くのはまだしばらく先のようですけれども。
そうこう言っているうちにゴールデンウイークが近付いてきましたね。金曜日をサボれば7連休になります。去年までの私なら迷わずそうするところですが、今年の私は真面目な院生なので、そんな恐れ多いことはしません。(私にとっては驚異的なことに、去年の10月から正規の休み以外は一度も研究室を休んだことはありません・・)

雪が無くなって、最近は自転車で走るのもかなり楽になりました。街中でも、この数週間で自転車の数が一気に増えました。
私の自転車は、去年の12月に前の自転車が盗まれた直後に研究室の先輩から貰った、折り畳み自転車です。車輪が小さいので雪上でも比較的安定性が良く、ずっと私の通学を支えてくれています。ただこの自転車、サドルが破れていて座りにくいし、やはりあくまで折り畳み自転車なので長距離走行には不向きなようです。

私は元々サイクリング好きで、小学校時代からよく遠乗りに出掛けていました。
中学時代には通学用自転車の爆走族と呼ばれ(自称)、高校時代は風紀委員に目を付けられながらもマウンテンバイクで通学し続けたものです。高校3年生の夏、数学の補習に寝坊してしまい、寝起きに猛スピードで学校まで漕ぎ続けたところ、教室に入っていきなり過呼吸でぶっ倒れたのも懐かしき思ひ出です。

大学に入って最初に買ったのも、やはり自転車でした。4月1日に沖縄入りし、入寮手続きした直後に那覇の自転車屋さんに買いに行きました。

こちらがその自転車。格好良いマウンテンバイクでした。赤い流線型のヘルメットをかぶり、毎日海パン姿でこれに乗って大学に通っていました。毎週末は那覇にサイクリングに出掛け、市内探検に興じたものです。国道330号線で時速60km出し、西原町の琉球大学から那覇市のおもろまち新都心まで僅か15分で駆け抜けていました。大雨の日には、後輪の水の跳ね上げがもろに背中にかかってびしょ濡れになったのも思い出です。しかし、購入からわずか4ヶ月後の7月に盗難に遭い、我が自転車生活は急に終わりを迎えました。

その後、大学1年生の夏休みに原付の免許を取得し、10月に中古バイク店で初の原付を購入。

こちらがその初代原付の、ホンダ・Dioです。購入直後、沖縄県立芸術大学の構内で撮影した写真で、背後に首里城が見えています。乗り始めてしばらくは故障が続き、頻繁に修理に出しました。見た目は結構格好良いのですが、実は90年式の古いバイクで、その後も半年に一度は故障に遭い、複数のバイク屋さんにお世話になりました。
沖縄本島や離島を縦横無尽に走り、2年間の走行距離は2万km近くに達しました。

大学3年生の秋、ホンダ・Dio様は突然エンジンが故障し、そのまま帰らぬ人になりました。バイト通勤にすぐに代替車が必要だったため、名残惜しむ間もなく故障当日中に近所のバイク屋に走り、新たな原付を購入しました。

それがこちら、スズキ・レッツ4です。04年式の新しいバイクで、燃費がすこぶる良いのが自慢でした(実燃費で55km/L)。Dio様とはエンジンの構造が違い、リミッター制限も掛かっていたため、あまりスピーディーな走りではありませんでした。しかし、片道20km以上離れた那覇空港近くのバイト先までほぼ毎日通勤したり、大学の研究実習のために北部の瀬底島まで何度も往復したりと、私の生活を一身に支え続けてくれ、しかも一度も故障することはありませんでした。最後は、去年の9月に沖縄を離れる際にバイク王に引き取ってもらいました。(残念ながら評価額は0円でした・・)

そして、我が愛車と言えば、この車、

ダイハツ・オプティ(95年式)です。実に可愛い車でした(私には不釣合いなくらい)。
実際に使っていたのは9ヶ月ほどでしたが、その間、研究室の友人を乗せてあちこち走り回り、沖縄生活最後の思い出作りにかなり役立ちました。走行距離16万kmのベテランでしたが、エンジンの調子は良く、思った通りに走ってくれるので、今まで乗った中で最も運転し易い車でした。可愛さのあまり、ついつい色々チューンナップしたくなり、タイヤをエコタイヤに履き替えたり(これは安全のためでしたが)、ETCを付けたり、内装をウッディに変えてみたり、カーナビを付けてみたりと、結構弄くりました。この車を購入した、研究室の後輩の自動車整備工場に修理に出した際、あまりの変貌ぶりに「(あの)オプティが!?」と親父さんが絶句したそうです。でも、そのおかげもあって、9月の沖縄撤収の際には満載の荷物を積みながら実家に帰り着くという大役を、無事にこなしてくれました。

では、そんなオプティの思い出写真をいくつかお見せしましょう。

私がオプティを買ってすぐの去年1月、沖縄本島北部の八重岳に桜見物に行ったときの写真です。車は寝泊りできるので、夜を跨いだドライブにもよく出掛けました。


去年7月、インディペンデンス・デイに嘉手納基地に潜入したときの写真です。奥の方に格納庫や軍用機が見えています。そしてオプティが停まっているこの場所は、まさしく滑走路の上です。こんな場所での車の写真が撮れるのも、沖縄ならではでしたね。


去年12月、奈良・信貴山にて。冬休みに、母と弟を連れて信貴山朝護孫子寺(今年の干支、トラに縁の深いお寺です)に参拝した際に、オプティを使いました。燃費も良く、平均で17km/Lは走りましたから、近場のドライブにぴったりな車でした。
ちなみにこの車の横顔、実は私には見覚えがありました。

私の幼少時代、持ち物の名札に付いていた車のマーク(イラストby母)にそっくりだったのです。この車が出た当時は、丸っこい車が流行っていたようで、ミニカやキャロル、ヴィヴィオなどの他社の車にも似たデザインが見られます。母の車のイラストも、その辺から影響を受けたのかもしれません・・。

こんな可愛いオプティでしたが、実家に持ち帰って以来は出番も減り、車検の時期も迫ってきたため、今後の処遇をどうするかが問題になっていました。私は金欠の身ですから、しばらくの間は北海道で車を持つのは無理ですし、オプティで雪道を走る自信はちょっと無かったので、誰かに譲り渡すか、廃車にするかという状況でした。こんな可愛い車を廃車にするのは忍びなく、しばらく譲渡先を探していたのですが、この春休み、ちょうど免許を取得した知人が見つかり、先日その方にお譲りしました。翌日には名義変更されて、今は奈良ナンバーで市街地を走っています。再びオプティが活躍することができて嬉しい限りです。

次の私の愛車はどんな車になるのでしょうか・・。
今住んでいるアパートは駐車場が付いておらず、札幌の市街地のみで乗ることを考えれば、原付があればちょうど良いのにな・・と近頃とみに思います。でも、今は原付を買うお金もありませんので、しばらくは現「愛車」で頑張るしかないですね・・。




祝!閲覧回数15万回突破

2010年03月25日 04時31分04秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
当ブログの閲覧回数が昨日までで累計15万回を突破いたしました。
これもひとえに皆様の日々のご愛顧の賜物でございます。
拙いブログではございますが、今後ともよろしくお願い申し上げます。
m(_ _)m

10万回突破は去年の9月12日でしたから、およそ半年で5万回閲覧されたことになります。
当ブログの歴史を書きますと、
2005年6月8日  :我がHP「大和人もとすけ」内の「うちなー日記」、「もとすけのコラム」として開始。
2006年9月27日 :gooブログに「うちなー日記」の内容を移行。「うちなー日記」として運用開始。
            その後、当初niftyココログに移行していた「もとすけのコラム」をgooブログに統合、
            「うちなー日記(もとすけのつぶやき)」に改称。
2009年10月   :北海道大学大学院進学を期に、「うちなー→えぞ日記(もとすけのつぶやき)」に改称。
            今に至る。

となっており、「うちなー日記」の開始から今年で5年目となります。
開始当時、私は大学に入学したばかり。若かったですなぁ・・。
まあ、まだ今でも23歳なので十分若いのですがね。
多分、gooはNTT系列なので、そう簡単にはサーバーは無くならないと思いますし、今後も数年単位でブログを運営し続けられるでしょう。今後も、私の日常や非日常を出来得る限り皆様にお伝えしていくつもりです。
「日常」といっても、この5年でだいぶ変わりましたよね。5年前はまだ単位を取得し始めたばかりで、高校までとあまり変わらない、授業を受ける日常でしたが、今やバリバリの研究生活が日常となっています。今後数年以内には何らかの形で就職することになりますから、ますます「日常」の形は変わっていきそうですね。そういった変化も、長期間記録をつけ続ける醍醐味でしょうか。

ところで、去年の9月13日の記事では、人口10万人の都市を挙げましたが、今回も人口15万人程度の都市を挙げてみることにします。小樽市、東京都青梅市、千葉県浦安市、広島県尾道市、鳥取県米子市・・。知名度の高い市が徐々に出てきましたね。ちなみに、合併前の鳥取市も人口約15万人でした。今の調子でいけば、今年中に20万人都市は突破できそうですね。目指せ、政令指定都市!

第1号論文がWEB上で公開されました!

2010年03月09日 23時49分46秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
先々週にJCIM誌に受理された私の第1号論文が、ついにウェブ上で一般に公開されました。

我が論文は先週の初めに出版前の最終校正作業を終え、現在は印刷待ちの状態となっています。誌上への掲載に先立ち、一足先にウェブ上での公開が昨日から始まりました。

JCIM誌の印刷待ち論文紹介のページ↓
http://pubs.acs.org/journal/jcisd8

リンク先のArticles ASAP (As Soon As Publishable)リストに紹介されている、
「Secondary Structure Characterization Based on Amino Acid Composition and Availability in Proteins」
という論文が私の手がけた論文です。

私の名前も、セカンドオーサー(第2著者)として、ちゃんと記載されています。
ちなみにファーストオーサーは琉球大学時代の私のボスの准教授で、サードとラストのオーサーはボスの神奈川大学時代の共同研究者(教授)です。私以外の3人の名義で、以前にこの研究の原案となった論文が出されています。

思えば研究室配属当時、私はタンパク質の知識などほとんど持っておらず、最初の打ち合わせで二次構造の基本からボスに教えてもらった程でした。しかし、この研究に取り組む中で、タンパク質が生体高分子として非常に重要な役割を担っていること、タンパク質を取り巻く古今の研究者の奮闘の歴史、そしてタンパク質の立体構造の美しさなど、様々なことを学ぶことができました。高校時代から抱き続けていた生命科学研究への憧れも、この研究によって具現化されました。「なんとなく格好良い」から、「この研究は面白い!」へと、私の中での位置付けが変わっていったのです。

私の学科(海洋自然科学科生物系)は日本の大学の生物系学科では珍しく、今でも生態学研究が盛んに行われています。その中でタンパク質、しかもパソコンでのイン・シリコな研究に出会ったことは奇跡的でした。(ボスの方も私のような学生が学科にいたことに驚いていて、「100年に1度じゃないかな」とよく呟いていました)
今、北大のタンパク質専門の研究室でこうして研究生活を堪能できるのも、この研究と出会ったおかげです。

そんな色んな思い出が詰まった研究が、この度一つの形になって世に出たわけです。感慨無量です。
これまでは、ゼミや雑誌会で他人の論文を読む際に、「チッ、長いな・・」とか、「もっと分かりやすく書けよ・・」とか突っ込んでいましたが、今後はちょっと読む姿勢も変わりそうです。「論文は研究者の宝」(by今の研究室の教授)なのですから・・。



沖縄本島で震度5弱の地震!

2010年02月27日 12時06分02秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
つい今しがた起きて初めて知りました。

今朝、午前5時31分頃、沖縄本島近海を震源とするマグニチュード6.9の地震が発生しました。
糸満市潮崎で震度5弱、那覇市や宜野湾市、西原町、大東島などで震度4を観測する大きな地震でした。
近年、西表島などで震度5以上を観測した例はありますが、沖縄本島で震度5以上の揺れを観測したのは、実に1911年6月以来、99年ぶりとのことです。ベッドから落ちるなどして、2人のけが人が出ました。

沖縄では地震が少ないというイメージがありますが、それは全くの間違いです。
沖縄では、過去100年前後に4回の大地震に見舞われ、石垣崩壊や家屋全壊の被害を受け、死者も出ています。
最後に沖縄本島で起こった被害地震は、1926年に那覇で震度4を観測した地震です。震度5は1911年を最後に起こっていませんでしたが、その間沖縄本島は地震が無かったかというと、そんなことはなく、マグニチュード6以上の地震は周辺海域で頻発していました。私が沖縄にいた間にも、マグニチュード6以上は3回発生しています。つまり、この間に起きた地震は、たまたま震源が陸から遠くて、影響が小さかったに過ぎません。
沖縄本島で、30年以内に震度6弱以上の地震に見舞われる確率は、4から18%(2007年4月防災科学技術研究所発表)とされており、全国平均よりも高い値を示しています。
また、那覇市首里で30年以内に震度5弱の揺れに見舞われる確率は、およそ50%です。

今回の地震で震度5弱を観測した地点は、近年埋め立てで開発された新しい土地で、地盤が弱かったものと思われます。沖縄本島には、那覇市を筆頭に埋め立てで出来た街が多く存在します。今後、今回よりももっと陸に近い場所で巨大地震が発生した場合、震度6弱以上の非常に大きな揺れに見舞われる可能性が大いにあります。
おまけに、現行(1981年以降)の耐震基準では、沖縄は地域係数が0.7に設定されており、他の都道府県(静岡1.2、関東・中部・近畿・東北以北の太平洋側は1.0)よりも低い基準が適用されています。81年以前の建築では、アメリカ統治時代の緩い基準で作られた建物も多く、かなり脆いものが含まれています。(勝手にアパートの廊下が落下するなどの事例もある) 最近の建築でも、土地の有効利用のために1階を駐車場にしたもの(ピロティ建築)が多く、沖縄の建物は総じて地震に弱いと言えます。
さらに加えて、沖縄は過去に津波の被害を度々受けてきました。近いところでは、1960年のチリ地震による津波で、家屋倒壊や死者の出る被害が出ました。にも関わらず、近年も埋め立て開発が盛んで、景観に配慮した結果、海岸は砂浜になっている箇所が多く見受けられます。そんな海岸沿いに住宅地を造るのは、非常に危険でしょう。(台風も来るのに・・)

弱い地盤、低い土地、弱い建物・・。地震は必ず来ることは分かっているのですから、沖縄県としても何らかの対策を早急に打つべきだと私は以前から思っていました。今回の地震が、沖縄の地震対策の契機になることを祈ります。

★ブログ補完計画について★

2010年02月25日 23時53分19秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
当ブログ開始以来5年の歴史の中で、途中まで記事を書いて投稿したものの、そのまま忘却の彼方に追いやられて、未だ完結していないものや、はたまた最初から書くことを放棄してしまった出来事が多々存在します。
例を挙げますと、「2006年宮古島遠征(ほぼ未記載)」、「2007年春の北海道旅行(完全に未記載)」、「2009年6月東京遠征(シリーズ第2話で中断)」、「2009年9月さらば沖縄(完全に未記載)」、「2008年夏休み後半(フェリーで九州に出発して以降未記載)」などなど・・。
忙しかったり、書くのが面倒(おいおい・・)だったりで、そのままになってしまったものばかりですが、これらの記事が抜けているために、その前後の記事の繋がりが弱くなっていると思われます。
というわけで、今後書くような目立ったイベントが無い日には、過去の話を補完していこうと思います。題して、「ブログ補完計画」。
古事記や日本書紀だって、数百年前の話を記憶を頼りに書いたのですから、きっと数年前の出来事でも、写真などの記録を頼りにそれなりに書けるはず・・。このシリーズ自体、どこまで続くか分かりませんが、まあ、気楽にお読み下さい。

なお、補完した記事は、しばらく新着記事として扱った後、本来その記事があるべき日時に移動することとします。

雪融け

2010年02月25日 13時16分08秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
昨日あたりから、札幌はかなり暖かくなっています。(といっても沖縄の最低気温よりは寒いですけど)

今日は、なんと最高気温が10度の予報で、真冬日続きの日常から急に春めいた気候に変わってしまったようです。
これだけ気温が上がると、根雪が融けてぐじゃぐじゃになってしまっています。
貯まった雪で排水が機能しないので、至るところに水溜りができて、あまり気持ち良い状態ではありませんね。

【速報】第1号の論文が受理されました!

2010年02月23日 18時50分37秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
先ほど、琉球大学時代の教官からのメールで、私の初論文がジャーナルに受理されたとの知らせが入りました。
ついに・・という感じですね。

昨年末のブログで、「現在ジャーナルに論文を投稿して、掲載の交渉中」と書いていた、あの論文がついに受理されたのです。
投稿先は「JCIM; Journal of Chemical Information and Modeling」というジャーナルです。American Chemical Society (米国化学会)が発行する由緒あるジャーナルですが、5年ほど前に、「Journal of Chemical Information and Computer Sciences (JCICS)」から名称変更したばかりなので、「JCIM」という名前はまだ日本ではあまり認知されていません。
しかし、このジャーナルのインパクトファクター(一般的に用いられる、ジャーナルの影響度を示す指標)は3.643(2008)で、「Cell」(IF:31)や「Nature」(IF:20)みたいなお化けジャーナルには劣りますが、日本のタンパク質研究者の間でもよく読まれている「Protein Science」(IF:3.1)や「PROTEINS」(IF:3.4)以上の影響力を持つジャーナルです。初投稿としては、かなり良いジャーナルだと思います。

内容は、(私が)読んでからのお楽しみにです。まだ出版されないことにはここで書くのもあまり宜しくないと思いますし・・。
恐らく、数週間後には印刷されて、世に出ることと思います。

正月明けの沖縄出張での追加作業も含め、私の学部時代の汗と涙の結晶みたいな論文ですから、是非多くの人に読んでもらいたいものです。読んでもらわないことには、他の論文で引用してくれませんし、正当な評価も受けられませんからね。
この論文では、教科書を書き換えるに足る結果を示せたと自負していますが、それが実現するかどうかは、今後どれだけ多くの研究者に読まれるかにかかっています。
実は、今回の論文の続きに相当する内容の研究も、極秘裏に進行中です。といっても、大学院の研究作業の合間にパソコンで作業を行っているので、なかなか大変なところですが、なんとか春休み中に目処をつけたいと思っています。そちらも、今のところ面白い結果が期待できそうです。

今回の論文でようやく、私は研究者としての国際的な第一歩を踏み出せたわけです。これを励みに、ますます研究作業に邁進していこうと思います。(ああ、なんか私が凄く真面目な人に見える・・)

散髪

2010年02月22日 22時39分05秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
今日、久しぶりに散髪しました。

大学からの帰り道、北13条口の近くを歩いていたら、道端に古風な床屋を見つけました。
これまで何度も通っている道ですが、床屋の存在には気付きませんでした。
ちらっと店先を見ると、「学生カット1000円」と書いてあります。安い・・!前回の散髪から2ヶ月経ち、最近髪の毛がかなり伸びてきていたので、ものは試しと中に入ってみました。
ちょうど先客の散髪が終わりそうなところでした。午後7時前だったので、もう閉店かなと思い、初老の店主に「お願いできますか?」と聞いたら、「いいですよ」との答え。少し長椅子に腰掛けて待つことにしました。
店内も、いかにも昔ながらの床屋という赴きで、6帖ほどの店内に少し古びた散髪用の椅子が2台並んでいました。石油ストーブの香りも一層懐かしさを引き立てます。
しばらくして、先客が終わり、私の番となりました。
「学生カット、髭剃り付き」と注文したところ、ご主人がちょっと驚いた顔をしたので、学生証を取り出して見せました。「ああ、本当だ。もっと年上かと思いましたよ」と納得して貰えたので一安心。

散髪中は、昔の床屋さんらしく、世間話に華が咲きました。ご主人は恐らく60過ぎくらいのお歳で、人柄も良さそうな方で、とても話しやすかったです。
曰く、「ここで親父の代から60年間床屋を営んでいる」そうで、「昔は、教授室に直接散髪に呼ばれたこともあった。当時はまだ高価だった舶来品の酒瓶がいっぱい部屋に並んでいて、さすが偉い人だと思ったものだ」とか、「ある懇意にしていた教授から頼まれて、学生の散髪を安く承っている」といった話などを聞けました。さらに昔北大の移転が議論された話とか、ご主人の若い頃の話(立川で米軍基地関係で働いたこともあったそうな)なども伺い、ほんの30分ちょいの時間の間に、かなり話しました。髭剃り中でも話しかけてくるので、どこで口を開いたら良いのかちょっと戸惑ったほどです。

散髪し終わり、眼鏡をかけて鏡を覗いたら、かなりスッキリした感じに仕上がっていました。腕は確からしく、イメージ通りの出来でした。
料金は、髭剃りを付けたにも関らず1000円のみで済みました。
「また、2ヵ月後くらいに来てくださいね」と言われ、「ええ、その時はまたよろしくお願いします」と、気持ち良く店を出ました。

ご主人は「用事が無い限り、常に店は開けてますよ。あ、でも朝早くは寒くて苦手なんですよ。手が震えて失敗しちゃいそうだからね」とおっしゃっていたり、茶目っ気もたっぷり。常連になってしまいそうです。

タイトルを作ってみました。

2010年02月22日 22時22分22秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
色んなウェブ上のサービスを使って、我がブログのタイトルを作ってみました。

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さあ、どれが良いでしょう?
えっ!?なんだかどれも見たことがあるデザインですと・・?いやいや気のせいですよ、気のせい・・。
私としては、4番と9番が好みかも。




春休み・・?

2010年02月21日 15時19分15秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
↑次に私が空を飛ぶのはいつになるのか・・?

最近、更新間隔が伸びてきております。
雪まつりが終わってしまい、私のテンションが下がっているのが原因です。
とは言っても、もともとこのブログは気まぐれ更新ですし、過去には丸1ヶ月更新が無かったこともありました。(それでも、2005年6月の開始以来、毎月欠かさずに更新してはおります)更新が少なくても、私は元気にやっていますよ。

そんな私のブログですが、おかげさまで訪問者数(IP数)が累計6万を突破いたしました。ご愛顧いただき、まことにありがとうございます。
今後も、サーバーが存続する限りは続けるつもり(博士や教授になるまで続いていたら面白いですね)ですので、温かくお見守りください。

さてさて、今日の本題。
今日は2月21日です。明日は22日、奇しくも今年は平成22年ですから、2が5つも並びます。そんな2月22日は、実は父の誕生日なのです。アメリカ合衆国初代大統領ワシントンの誕生日と一緒だそうです。(ちなみに私の誕生日は「シートン動物記」のシートンと一緒)
例年、2月22日前後に帰省するのはそのためで、基本的にこの日は実家で誕生日を祝うのが通例となっています。これまで、2月22日までに帰省しなかったのは、2007年の1回のみです。
今年も、先週くらいまでは22日までに帰省するつもりで考えていました。

先週末、土曜日の深夜まで実験をしていたとブログに書きましたが、実はその実験の結果、私の大学院最初の研究が終了しました。研究結果としてはネガティブで、残念ながら論文にはなりませんが、実験器具の操作方法などの習得はできましたし、今回の研究で得た知識は今後の研究にも役立つはずなので、私にとって有意義だったと思います。
で、先週月曜日に研究終了が決まったのですが、早くも翌火曜日には新しい研究内容が教官から伝えられました。研究テーマ自体は変わらず、「抗菌タンパク質の構造安定性」についての探求を引き続き行うのですが、今後は新しい実験生物からそのタンパク質を抽出して実験を行うことになります。
タンパク質の研究を行うにあたっては、まずそのタンパク質を大量に作る(生物を使って「発現」させる)必要があるのですが、その方法を今週(つまり22日から)教えてもらうことになりました。タンパク質を作る方法にはいくつかあるのですが、今回は酵母を使って大量に作る予定です。この方法でのタンパク質発現も、すぐにできるものではなく、遺伝子組換えからタンパク質の回収まで、丸1週間かかるようです。

と、いうわけで、今後1週間はまだ帰省できないことが決まってしまいました・・。
冬休みのときは、半月以上前からスケジュール確認のアナウンスが研究室内でありましたが、今のところ春休みについてはまだ話が出ていません。ひょっとして春休みは公式には存在しないのかもしれません・・。ただ、研究室配属時の話では、各長期休暇中の2週間程度の帰省は認められるようなので、春休み中のいずれかに帰省はできると思います。

パノラマ写真シリーズ1 阪急今昔

2010年02月18日 00時26分58秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他

2004年の阪急デパート。昭和初期からほとんど変わらぬ、モダンな建築でした。

南半分が建て替わり、かなり迫力が増した現在の建物。大分背が高くなりましたね。
左端の仮設塀で覆われているところが旧館部分で、中では解体作業が進んでいます。

札幌に居ながら、唐突に阪急の話題をしています。
寝る前のひととき、パノラマ写真の作成に興じていたので、そのお披露目といったところです。
上の2枚の写真は、どちらも同じ梅田歩道橋の上から撮影したものです。
一目で、えらく変わったことが分かると思います。

実は、梅田の阪急デパートはかなり幅広の建物なので、歩道橋上からの撮影だと、超広角レンズを使わない限り全景が収まりません。私はそんなお高いレンズは持っていないので、左右に分割して写真を撮っていました。
2004年の写真は、我が初代デジカメであるオリンパスC-720UZ、現在の写真は主力機キヤノンのKiss Digital Xでの撮影です。どちらも、カメラ内部でのパノラマ写真合成には対応していないので、パノラマ写真を作る場合は、パソコンのソフトウェアで合成する必要があります。
大体、新品のデジカメに付属している純正ソフトで対応していることが多いのですが、色々と制約(パノラマモードで撮影しないとダメとか、純正メモリーカードを使わないとダメとか)があるので、今回はフリーソフトを使いました。
世の中便利なものです。フリーソフトと言っても、なかなか高機能なものがありますね。私が使用したのは、「Photo Fit Feel」というソフトでしたが、使い勝手にややクセがあるものの、細かい色調補正(2004年の写真は合成元の写真の色調が全く違っていました)や重ね合わせも出来、思った通りの仕上がりに作れました。
その結果が上の写真です。

撮ったは良いけど、そのままでは鑑賞しにくい分割写真がいっぱいパソコンに眠っていますから、ちょくちょく作成してブログで紹介していこうかと思います。

モノトーン

2010年02月16日 22時15分14秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
今日は、断続的に強く雪が降る天気でした。
気象台の観測では、一日で20センチ以上積雪深が増したそうです。
北大のメインストリートも、いつもなら観光客や学生で賑わっていますが、今日は人影まばらでした。

雪の景色には、「静寂」という言葉がぴったりと合うと思います。
実際、雪で音は吸収されますが、それ以上に色彩が失われることで、より静けさを感じさせられます。
私は、こういう風景も嫌いではないです。
足跡の無い雪を踏みしめながら歩いていると、古の詩人が詠んだ、無常感といったものが理解できるような気がしてきます。


大野池のほとりに、久しぶりに降りてみました。

やはりモノトーンです。


10月は、こんなに色彩豊かでした。

こんな時間に研究室・・。

2010年02月13日 23時46分34秒 | えぞ日記(北海道編)・・その他
土曜日の深夜ですが、私は何故か研究室にいます。
普段は休日出勤はしない主義なのですが、早めに終わらせておきたい実験があったので、昨日、今日で行ったのです。

今週は宇宙理学入門(理学院共通科目)のレポート提出があり、一挙に4枚を書き上げたのでかなり大変でした。超新星爆発のメカニズムやら、星間塵の赤外線分光観察やら、生物学とはほど遠い内容のレポートでしたが、私は壮大な話が大好きなので、書いていて結構面白かったです。
そのレポートはなんとか提出期限の昨日午前中までに書き上げ、無事に提出できました。
実はこのレポート提出で、今期の私の講義日程は終了です。予定通り単位が取れていれば、修了単位まで残り2単位となります。私としてはかなり順調なスタートだと思います。(途中で挫けそうになったときに研究室の教授陣に励まされて立ち直ったりもしました・・)

さてさて、ようやく落ち着いて実験ができるようになったのが昨日の昼で、どうしても早めに白黒付けておきたい内容の実験を今週中に行う予定だったので、午後にタンパク質の構造安定性に関する実験を行いました。本当はそのままSDS-PAGE(タンパク質を分子量ごとに分離する技法・観察法)を行おうかと思ったのですが、SDS-PAGEも割と時間のかかる手法ですし、昨日は金曜ロードショーで(今週が「風の谷のナウシカ」だと勘違いしていた)したから、今日行うことにして、早めに帰宅したのです。
そして今日、午前中はゆっくり寝て(今朝方までネットで動画を見ていたので・・)、SDS-PAGEを行うために研究室に来たのは午後3時過ぎでした。SDS-PAGEはようはゲルにタンパク質を流す(泳動させる)手法なのですが、いつも通りゲルの溶液を調製したのに、今日は寒かったからかなかなか固まらず、タンパク質の泳動開始までに2倍以上の時間がかかってしまいました。いつもなら作業開始から2時間後くらいには泳動開始できるのですが、今日はなんと4時間以上かかったわけです。しかも、流すタンパク質のサンプルの方の調製にも手こずってしまいました。
世界ふしぎ発見を見たかったのに見逃してしまうし、研究室から誰もいなくなってしまうし(昼でも2人しか登校していませんでしたが)で、泣きたくなるような状況でしたが、幸いなことに、なんとか綺麗な結果が出てくれました。
現在はタンパク質を染色したゲルの脱色中で、今からゲルを回収してきます。
ここでゲルを落として割るようなことがあったら大変ですので、慎重にやってこようと思います。