今日、8月12日で御巣鷹山事故から21年がたちました。私が生まれたのは事故からちょうど1年後の8月14日です。一飛行機好きとして、あの事故はとても悲しく、これからも忘れてはならないものだと思います。
昨日の「得ダネ」(フジテレビ系)で、元日航整備士と遺族の心の交流について特集をしていました。とても興味深く見ていたのですが、途中少々気になったことがありました。特集の中で、事故の遺族のことをさして、「被害者家族」と呼んでいたのです。「被害者」がいるとすれば、「加害者」が当然いるはずですが、ではあの事故の「加害者」とは誰なのでしょうか?
「日航機墜落事故」というと、日本航空が悪いように思われ、実際、一般の人の多くはそのように思っているようです。また、メディアの報道の中には、昨今のトラブルとあの事故を絡めて、日本航空の体質を語ろうとするものもあります。(昨日の特集でも、出演者からそのような声が聞かれた)
しかし、それは正しくありません。事故後の調査で、あの事故の責任は事故機の製造会社である米ボーイング社にあると結論が出ているのです。何故かこの事実が、あの事故についての報道の内容から欠落しています。
事故機である、ボーイング747SR型(登録記号JA8119)は、日本国内の短距離高頻度路線向けに作られた、当時世界最大の旅客機でした。500人以上もの乗客を一度に運べ、航空会社にとって非常に効率的な機体であり、日本航空、全日空双方が主要幹線で使用していました。日本航空のB747SRについては、御巣鷹山事故の影響もあり、かなり前に全機が退役しましたが、全日空では今年の春まで現役でした。(私も4年前の沖縄旅行で乗った)
事故機JA8119は何故堕ちたのか。実は、JA8119は、御巣鷹山の事故以前、1978年6月2日に大阪(伊丹)空港で着陸時に尻もち事故(機体の後部を滑走路に擦る事故、胴体が長い飛行機ほど起きやすい)を起こしていました。その際、胴体後部にある圧力隔壁(巨大なおわん形の鉄壁)を損傷したのです。比較的重度の損傷で、日航内では修理できなかったため、ボーイング社に修理を依頼しました。その修理は、圧力隔壁の損傷部分(隔壁板の下半分)を取り替えるものでしたが、その最中、ボーイング社は取り替えた下半分と元の隔壁の上半分を繋ぐリベットが2列必要なところ、実際には1列分しか固定されていない状態にするという修理ミスを犯してしまいました(これによって、当該部分の強度は通常の7割程度まで落ちてしまった)。修理後、日本航空側の立会いの下、点検、試験飛行が行なわれましたが、そのときには目視でミスを確認することはできず、修理を疑うようなことはありませんでした。そうして再び日本航空に引き渡されのち、国内線で運航されていたのですが、与圧の繰り返しで、修理箇所が金属疲労を起こし、ついに破断したのです。それが、1985年8月12日午後6時24分ごろのことでした。(つまりいつ破断してもおかしくない状況だったわけで、修理後に事故機に搭乗した乗客全員に危険があった)
JA8119は、当日、5回目の定期便運用(事故前に503便、504便、363便、366便として飛んでいた)で、123便として羽田から大阪に向っていました。
離陸から12分、相模湾上空を上昇中、高度7170mを通過したところで異常事態が発生しました。「ドーン」という音とともに、圧力隔壁の修理箇所が破れ、そこから大量の空気が流れ出て、垂直尾翼と油圧系統を機体内部から破壊、一気に事故機は操縦不能に陥りました。しかし、本来旅客機の構造はフェイルセーフ思想で作られており、一部が壊れても、他の部分に影響が及ばないように設計されています。実際、事故機の油圧系統も計4本用意されており、1本でも残っていれば操縦できるようになっていました。しかし、胴体最後尾というのは、飛行機のもっとも細い部分であり、油圧系統の全てがそこを通っているのです。そこが破壊されたため、全ての油圧系統がダウンしてしまったのが、事故機の最大の悲劇でした。垂直尾翼もその3分の2が吹き飛ばされ、飛行の安定性が大きく損なわれました。
圧力隔壁の破断や垂直尾翼の欠損は、構造上操縦室からは確認できず、何が起きているのか知る由もありませんでした。ただ、操縦士は当時考えうる限りの適切な対処をしました。操縦不能の状態の中、なんとか機体の制御を取り戻そうと試みたのです。以前、ボイスレコーダーの音声を聞きましたが、操縦席の3人(機長・副操縦士・航空機関士)が互いに励ましながら懸命に操縦を続ける様子が記録されていました。(ネットでも公開されていて、聞くたびに切なくなり、涙が出てきます)
結局、事故機は30分以上迷走を続けた後、午後6時56分ついに群馬県上野村御巣鷹山の尾根(正確には隣の高天原山に属する尾根)に墜落したのです。
この流れの中で、日本航空に明確な責任はあったでしょうか。答えは否です。しいていうならば、最初の「尻もち事故」を起こしたことくらいではないでしょうか(「尻もち事故」を起こした当時の機長は後年自殺している)?製造会社の修理を疑う余地はなかっただろうし、操縦士も当時考えうる適切な対処をしました。整備に関しても、圧力隔壁の金属疲労を発見できなかった責任はありますが、通常の修理が行なわれていればまず起こりえない疲労であり、いずれにしても発見は難しかったそうです(しかし、123便の整備にあたった整備士がやはり自殺している・・・)。ちなみに、現在では、同様の事故が起きないように、圧力隔壁の検査も徹底されています。
結局のところ、事故後の調査でも、責任のほとんど(保険会社の算定では8割以上)はボーイング社にあるとされ、それをボーイング社も認め、日本航空側に賠償金を支払っています。
にも関わらず、ほとんどの人はあの事故の責任が日本航空にあると思い込みつづけ、毎年の追悼特集では、出演者から的外れな指摘を受けるのです。日本航空は今も、墜落現場である御巣鷹の尾根の保全のために少なからずお金を出しているそうです。それに対して、今朝の番組でコメンテーターが「日航はお金より心の救済を」とか言っていたのですが、事故の責任のほとんどがボーイング社にあるにもかかわらず、これまで21年間も真摯に対応(賠償額は約600億円にのぼる)してきたことを彼らは知っているのか・・・、非常に疑問です。日本航空を批判する前に彼らはきちんと事故について調べたのか・・・、気になってしかたがありません。飛行機事故というものは、一度起こるとその規模の大きさから非常に注目されますが、それゆえに憶測が一人歩きしやすいものです。御巣鷹山以降に発生した、中華航空機の名古屋空港墜落事故も、相当に規模の大きいもの(乗客乗員271名中264人が犠牲になった)でしたが、現在ではほとんど報道されていません。そちらは乗員の操縦ミスが原因でした。インターネットで事故に関する記述を調べると(グーグルにおいて)、「日航機墜落事故」の327,000件に対して、「中華航空機墜落事故」の方は66,600件と、一般の関心も薄くなっているようです。事故後の対応(中華航空は、賠償金について国際条約で定められた額しか支払わないと主張し、日本国内の賠償基準で支払うべきという遺族と裁判にもなった)なども考えると、この扱いの小ささについては疑問がわきます。
確かに、昨今日本航空のトラブルは多くなっています。日本エアシステムとの統合や、民営化以前の名残である複雑な社内体質も影響しているのでしょう。このことについては、早急に改善してもらいたいですが、実際に日本航空は改善に向けて取り組み始めています。この春、羽田の日航整備センター内に、御巣鷹山事故の遺品や資料等を展示する、安全啓発センターが設置されました。これは主に社員の研修に使われ、安全に対する気概を再確認させようという施設です。事前に予約すれば一般の人も見学できます。
御巣鷹山から21年、この間、国内の航空会社は旅客が死亡する事故を起こしていません。このことについては、世界的にも高く評価されています。この流れが途切れぬよう、各航空会社の方にはこれからも頑張ってもらいたいものです。これは、一飛行機好きとして以上に、一利用者としての切実な願いです。
最後に、御巣鷹山事故の犠牲者の方々のご冥福を祈り、合掌。
昨日の「得ダネ」(フジテレビ系)で、元日航整備士と遺族の心の交流について特集をしていました。とても興味深く見ていたのですが、途中少々気になったことがありました。特集の中で、事故の遺族のことをさして、「被害者家族」と呼んでいたのです。「被害者」がいるとすれば、「加害者」が当然いるはずですが、ではあの事故の「加害者」とは誰なのでしょうか?
「日航機墜落事故」というと、日本航空が悪いように思われ、実際、一般の人の多くはそのように思っているようです。また、メディアの報道の中には、昨今のトラブルとあの事故を絡めて、日本航空の体質を語ろうとするものもあります。(昨日の特集でも、出演者からそのような声が聞かれた)
しかし、それは正しくありません。事故後の調査で、あの事故の責任は事故機の製造会社である米ボーイング社にあると結論が出ているのです。何故かこの事実が、あの事故についての報道の内容から欠落しています。
事故機である、ボーイング747SR型(登録記号JA8119)は、日本国内の短距離高頻度路線向けに作られた、当時世界最大の旅客機でした。500人以上もの乗客を一度に運べ、航空会社にとって非常に効率的な機体であり、日本航空、全日空双方が主要幹線で使用していました。日本航空のB747SRについては、御巣鷹山事故の影響もあり、かなり前に全機が退役しましたが、全日空では今年の春まで現役でした。(私も4年前の沖縄旅行で乗った)
事故機JA8119は何故堕ちたのか。実は、JA8119は、御巣鷹山の事故以前、1978年6月2日に大阪(伊丹)空港で着陸時に尻もち事故(機体の後部を滑走路に擦る事故、胴体が長い飛行機ほど起きやすい)を起こしていました。その際、胴体後部にある圧力隔壁(巨大なおわん形の鉄壁)を損傷したのです。比較的重度の損傷で、日航内では修理できなかったため、ボーイング社に修理を依頼しました。その修理は、圧力隔壁の損傷部分(隔壁板の下半分)を取り替えるものでしたが、その最中、ボーイング社は取り替えた下半分と元の隔壁の上半分を繋ぐリベットが2列必要なところ、実際には1列分しか固定されていない状態にするという修理ミスを犯してしまいました(これによって、当該部分の強度は通常の7割程度まで落ちてしまった)。修理後、日本航空側の立会いの下、点検、試験飛行が行なわれましたが、そのときには目視でミスを確認することはできず、修理を疑うようなことはありませんでした。そうして再び日本航空に引き渡されのち、国内線で運航されていたのですが、与圧の繰り返しで、修理箇所が金属疲労を起こし、ついに破断したのです。それが、1985年8月12日午後6時24分ごろのことでした。(つまりいつ破断してもおかしくない状況だったわけで、修理後に事故機に搭乗した乗客全員に危険があった)
JA8119は、当日、5回目の定期便運用(事故前に503便、504便、363便、366便として飛んでいた)で、123便として羽田から大阪に向っていました。
離陸から12分、相模湾上空を上昇中、高度7170mを通過したところで異常事態が発生しました。「ドーン」という音とともに、圧力隔壁の修理箇所が破れ、そこから大量の空気が流れ出て、垂直尾翼と油圧系統を機体内部から破壊、一気に事故機は操縦不能に陥りました。しかし、本来旅客機の構造はフェイルセーフ思想で作られており、一部が壊れても、他の部分に影響が及ばないように設計されています。実際、事故機の油圧系統も計4本用意されており、1本でも残っていれば操縦できるようになっていました。しかし、胴体最後尾というのは、飛行機のもっとも細い部分であり、油圧系統の全てがそこを通っているのです。そこが破壊されたため、全ての油圧系統がダウンしてしまったのが、事故機の最大の悲劇でした。垂直尾翼もその3分の2が吹き飛ばされ、飛行の安定性が大きく損なわれました。
圧力隔壁の破断や垂直尾翼の欠損は、構造上操縦室からは確認できず、何が起きているのか知る由もありませんでした。ただ、操縦士は当時考えうる限りの適切な対処をしました。操縦不能の状態の中、なんとか機体の制御を取り戻そうと試みたのです。以前、ボイスレコーダーの音声を聞きましたが、操縦席の3人(機長・副操縦士・航空機関士)が互いに励ましながら懸命に操縦を続ける様子が記録されていました。(ネットでも公開されていて、聞くたびに切なくなり、涙が出てきます)
結局、事故機は30分以上迷走を続けた後、午後6時56分ついに群馬県上野村御巣鷹山の尾根(正確には隣の高天原山に属する尾根)に墜落したのです。
この流れの中で、日本航空に明確な責任はあったでしょうか。答えは否です。しいていうならば、最初の「尻もち事故」を起こしたことくらいではないでしょうか(「尻もち事故」を起こした当時の機長は後年自殺している)?製造会社の修理を疑う余地はなかっただろうし、操縦士も当時考えうる適切な対処をしました。整備に関しても、圧力隔壁の金属疲労を発見できなかった責任はありますが、通常の修理が行なわれていればまず起こりえない疲労であり、いずれにしても発見は難しかったそうです(しかし、123便の整備にあたった整備士がやはり自殺している・・・)。ちなみに、現在では、同様の事故が起きないように、圧力隔壁の検査も徹底されています。
結局のところ、事故後の調査でも、責任のほとんど(保険会社の算定では8割以上)はボーイング社にあるとされ、それをボーイング社も認め、日本航空側に賠償金を支払っています。
にも関わらず、ほとんどの人はあの事故の責任が日本航空にあると思い込みつづけ、毎年の追悼特集では、出演者から的外れな指摘を受けるのです。日本航空は今も、墜落現場である御巣鷹の尾根の保全のために少なからずお金を出しているそうです。それに対して、今朝の番組でコメンテーターが「日航はお金より心の救済を」とか言っていたのですが、事故の責任のほとんどがボーイング社にあるにもかかわらず、これまで21年間も真摯に対応(賠償額は約600億円にのぼる)してきたことを彼らは知っているのか・・・、非常に疑問です。日本航空を批判する前に彼らはきちんと事故について調べたのか・・・、気になってしかたがありません。飛行機事故というものは、一度起こるとその規模の大きさから非常に注目されますが、それゆえに憶測が一人歩きしやすいものです。御巣鷹山以降に発生した、中華航空機の名古屋空港墜落事故も、相当に規模の大きいもの(乗客乗員271名中264人が犠牲になった)でしたが、現在ではほとんど報道されていません。そちらは乗員の操縦ミスが原因でした。インターネットで事故に関する記述を調べると(グーグルにおいて)、「日航機墜落事故」の327,000件に対して、「中華航空機墜落事故」の方は66,600件と、一般の関心も薄くなっているようです。事故後の対応(中華航空は、賠償金について国際条約で定められた額しか支払わないと主張し、日本国内の賠償基準で支払うべきという遺族と裁判にもなった)なども考えると、この扱いの小ささについては疑問がわきます。
確かに、昨今日本航空のトラブルは多くなっています。日本エアシステムとの統合や、民営化以前の名残である複雑な社内体質も影響しているのでしょう。このことについては、早急に改善してもらいたいですが、実際に日本航空は改善に向けて取り組み始めています。この春、羽田の日航整備センター内に、御巣鷹山事故の遺品や資料等を展示する、安全啓発センターが設置されました。これは主に社員の研修に使われ、安全に対する気概を再確認させようという施設です。事前に予約すれば一般の人も見学できます。
御巣鷹山から21年、この間、国内の航空会社は旅客が死亡する事故を起こしていません。このことについては、世界的にも高く評価されています。この流れが途切れぬよう、各航空会社の方にはこれからも頑張ってもらいたいものです。これは、一飛行機好きとして以上に、一利用者としての切実な願いです。
最後に、御巣鷹山事故の犠牲者の方々のご冥福を祈り、合掌。