国際会議での応戦は日中の関係をますます悪化させています。この先本当にどうなることやら・・・。
そんな中私は先週末、私の第二の故郷である仙台にミニ旅行に出ました。仙台は私の母校東北大学のある市で、私が初めて親元を離れて青春時代を過ごした場所です。そんな仙台は魯迅ゆかりの場所であることも知られていますが、昨今の日中関係悪化を憂い、魯迅の思いを再確認しに記念碑などを見て回ってきました。
↑仙台市博物館の敷地に魯迅の銅像が建てられています。
↑この隣りに大きな魯迅の碑が・・・。
↑碑にはこんなことが書かれています。
「中国の文豪魯迅は1904年秋から1906年春まで仙台に留まり東北大学医学部の前身である仙台医学専門学校に学んだ。しかし故郷の危機に心をいため、民族の魂を救うことが急務であるのを知り、文学に志すようになった。仙台は転機をもたらした土地である。中国の新しい文学の暁を告げる数多くの作品・論評を書いた魯迅の、若き日の留学を記念し、敬慕する人人の手で碑をたてて、偉大なるおもかげを永遠に伝える。」
ここのブログは中国の方も見ていらっしゃるようですので、中文の写真も貼っておきます。
そんな中私は先週末、私の第二の故郷である仙台にミニ旅行に出ました。仙台は私の母校東北大学のある市で、私が初めて親元を離れて青春時代を過ごした場所です。そんな仙台は魯迅ゆかりの場所であることも知られていますが、昨今の日中関係悪化を憂い、魯迅の思いを再確認しに記念碑などを見て回ってきました。
↑仙台市博物館の敷地に魯迅の銅像が建てられています。
↑この隣りに大きな魯迅の碑が・・・。
↑碑にはこんなことが書かれています。
「中国の文豪魯迅は1904年秋から1906年春まで仙台に留まり東北大学医学部の前身である仙台医学専門学校に学んだ。しかし故郷の危機に心をいため、民族の魂を救うことが急務であるのを知り、文学に志すようになった。仙台は転機をもたらした土地である。中国の新しい文学の暁を告げる数多くの作品・論評を書いた魯迅の、若き日の留学を記念し、敬慕する人人の手で碑をたてて、偉大なるおもかげを永遠に伝える。」
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