吃飯了没有?

元中国深セン駐在員のブログ~中国・中国芸能情報・各方面の旅行日記、日本の街歩き情報を配信します。

華僑城生態広場①

2011-07-11 18:51:50 | 深セン情報
今日のダイヤモンド社のサイトに「日本のモノづくりの常識は通じない!わが道を行く中国発“超小型電気自動車”革命」という話題が掲げられていました。詳細は下記サイトを参照下さい。
http://diamond.jp/articles/-/13066

山東省で超小型電気自動車革命が起こっているとのこと。給料が確実に減っていく中、このサイトの最後に書かれていた「安かろう、ほどほどに走ってくれれば良かろう」という考えが日本人にも浸透していく日が近いのでは?と感じる今日この頃です。

さて、今日からは今年2月に訪れた華僑城生態広場を紹介していきます。華僑城生態広場の存在は前から知ってはいましたが、ある中国人のブログで結構綺麗な池などがあるのを知って足を運んでみました。


↑華僑城生態広場へは地下鉄で行きました。最寄の駅は華僑城駅です。駅を上がるとこのような噴水広場があってすぐ横が海景酒店となります。この海景酒店は色々なお客さんが宿泊して何度も足を足を運んだホテルです。実は私が深セン駐在を始めたとき、ここに住む可能性もあって部屋をチェックしに行ったこともありました。今となっては懐かしい思い出です。


↑漢唐大厦前の馬の群像です。華夏芸術中心の隣りのビルです。等身大の馬の像があると迫力ありますね。


↑華僑城の中に入って行くとその北側のエリアに生態広場が広がっています。トラックのある運動場の横から生態広場に入っていきます。


↑入り口付近にこんな池がありました。取って付けたような池で明らかに人工池という感じでした。面白みが無いので横目に見ながら先に進んで行くと・・・


↑竹林の小道があって・・・


↑更に奥に進んで行くと、ちょっと開けた場所がありそうです。


↑結構背の高い椰子の木です。実や大きな葉が落ちてきたら危ないですが、公園の管理者はこういう面の管理をしているのでしょうか?


↑裸のプルメリアの木だと思いますが、ここまで枝が交差して見えると自然美を感じますね。一種の芸術作品になっています。今日はここまで。

徳福広場の飾り

2011-07-10 20:45:03 | 香港情報
今日ダイソーに電卓とシャーペンを買いに行ったら、電卓はMade in China、シャーペンはMade in Japanでした(笑)。電卓はいつまで持つでしょうかね?

さて、今日も香港の話題です。

茶果嶺天後宮から油塘駅に戻った後、前から気になっていた九龍湾駅の徳福広場(Telford Plaza)に行ってみることにしました。徳福広場に限った話ではありませんが、香港ではショッピングセンター内に大掛かりな楽しいセットが施されていることが多く、特にこの徳福広場には凝った飾りが多いことが知られていて、その飾りを見てみたかったからです。


↑この徳福広場商場の廊下は結構有名な場所らしいのですが、私が訪れた昨年10月中旬はこんなフラワーガーデンをイメージした飾りでした。見栄えがよくとても綺麗でした。日本でもこのような飾り付けをしてくれるショッピングセンターが現れてくれればよいのですが・・・。


↑フルーツジャムショップの臨時店が開業していました。こういうセットが遊園地以外で見られるのは楽しいですよね。


↑食欲の秋ということでワインセラーのセットも用意されていました。徳福広場はかなり広くて、他にも秋らしいセットが幾つもあってセットを眺めに来るだけでも楽しめる場所でした。こういう商場の飾りは香港の魅力のうちの1つですね。

茶果嶺天後宮②

2011-07-09 20:55:25 | 香港情報
輪番出勤で今日は出社日でした。8月まで日月休みになりますが、何かリズムが狂いますね。ところで・・・、今日偶然なのでしょうが、中国で購入して持ってきたシャーペンと小型電卓が2つとも壊れてしまいました。電卓の方は光に当てても数字が表示されなくなり、シャーペンの方は先端の芯ガイドがグラグラになってしまいました。中国製なので半年程度の寿命には納得ですが、こういうものに関してはやっぱり日本製ですね。明日代替品を購入しに行きますが、日本で売られていてもMade in Chinaでしょうか??!

さて、茶果嶺天後宮の続きです。このシリーズは今日で終了です。


↑この天後宮は元々は観塘にあったようで、清朝の道光時代(1821-1850年)に創設されたようです。しかし1911-1912年に台風で破壊されてしまったとのこと。その後、30年近く天後宮の像が近くに安置されていましたが、1941年に住民により再建されました。ところが1947年にまた取り壊されたようです。現在茶果嶺にある天後宮廟は住民の請求に基づいて香港政府が建設したものとか・・・。ここの天後宮は紆余曲折があったようですね。


↑私が興味を惹いたのはこの壁画です。壁画と書ましたが立派な額の絵ですね。荒れた海の上で航海の安全を守ろうとしている天後の姿が綺麗に描かれています。エメラルドグリーンの色遣いがとても美しいです。屋根の龍の陶器の像も手がこんでいます。


↑扉の前にはシーサーのような2体の像が・・・。


↑扉にも非常に印象的な彫刻?が施されていました。中に入ると係員が一人座っていて写真はダメとジェスチャーで合図を出してきました。中には天後の寝台があったりして小さいながらも充実した廟となっていました。


↑天後宮の裏側に回ると、南国らしい東屋が。でも誰もいないのでかなり寂しい廟でした。この天後宮ですが、毎年太陰暦の3月23日に天後誕生祭が開催され、たくさんの信者でお祝いの儀式が開かれるようです。


↑天後宮を離れ油塘駅まで元来た道を戻りました。途中、油塘道遊楽場がありましたので中に入ってみると、ここにも高層マンションが建設中でした。


↑この油塘道遊楽場ですが、すぐ脇に東区海底トンネルの入り口(料金所)があります。


↑MTR油塘駅周辺はマンションがたくさん建設されている状況にありますが、油塘の隣りの藍田にはローカル住民の暮らす世界がたくさん残っていて、B級グルメ店の宝庫だそうです。氷室もたくさんあるとか。天後宮から茶果嶺道を北西方向に10分ほど歩くと、写真のような住宅街が見えてきます。こういう街にや氷室に興味のある方は、藍田周辺を散策されることをお勧めします。

これにて茶果嶺天後宮シリーズは終了します。

茶果嶺天後宮①

2011-07-08 20:14:15 | 香港情報
先日、プレジデントロイターというサイトにて中国駐在員のストレスについての記事を見つけました。今駐在中の方、またこれから駐在予定の方は是非ご一読ください。
http://president.jp.reuters.com/article/2011/07/04/31AC7224-A068-11E0-9208-82CF3E99CD51.php

ここに書かれております通り、本社の社員達は中国駐在の本当の苦しみを全く理解しないまま、日本流の指示を色々出してきますので、本当にストレスを感じてしまいます。私個人の考えでは、本社の上長クラスの人達は、全員中国駐在を義務にすべきだと感じます。中国に住んで仕事をすることは、他の外国に駐在することと意味が異なります。一度中国駐在の本当に困難を体験して欲しいと感じます。

さて、今日明日と、香港の天後宮の紹介をします。香港には天後宮は各地にあって、以前ここのブログでも幾つか紹介したことがありましたが、今日明日と紹介するのは香港九龍側東部エリアの茶果嶺にある天後宮です。この天後宮、昨年の香港カレンダーに映し出されていて壁画が非常に綺麗だったので是非見てみたいと思い足を運びました。


↑最寄りの駅はMTR油塘です。以前鯉魚門海鮮市場を訪れたときに利用した駅です。鯉魚門海鮮市場にも天後宮がありましたね。


↑油塘駅前はコンテナ埠頭や工場が乱立しています。奥に見える香港島側の開発状況と比べると少し寂びれた環境となっています。


↑この工場、今も使われていて、なかなか年季が入っています。


↑一方、油塘のもう1つの特徴は駅周辺にこのような高層アパートが立ち並んでいることです。本当に香港のアパートってすごいですよね。火事が起きたらひとたまりもありません。


↑余談はさておき、天後宮を見に茶果嶺道を西に歩いていきました。途中歩道にこんなものが・・・。ピーナッツのような豆を干していました。香港らしい風景です。


↑茶果嶺道をひたすら西に歩いていきます。周りには何もありません。


↑10分ほど歩いたでしょうか、ようやく天後宮の広場が見えてきました。


↑茶果嶺天後宮に到着しました。予想に反して辺鄙で何も無い場所にポツリと立っていました。こんな場所でしたので観光客は私以外誰もいませんでした。私が気になっていた壁画も、正面に掲げられていますね。壁画は明日紹介します。

屏山文物径③

2011-07-07 20:15:21 | 香港情報
日本の国政は滅茶苦茶ですね。ここまで混乱を生じさせた首相がどうして罷免されないのか、不思議でなりません。やることなすこと、おかしなことばかりで政権末期と感じます。一方、中国(香港)では江沢民前国家主席の死亡報道が突然「噂であった」と変な撤回をするなどこちらも報道の混乱が発生しているようです。

さて、屏山文物径の続きです。このシリーズは今日で終了です。


↑覲廷書室を離れ、屏山文物径最後の屏山族文物館へ足を運びました。途中屏厦路沿いのちょっとした公園が目に入ってきました。何人かの老人がベンチに座って談話していましたが、彼らもきっと族の末裔なのでしょう。


↑公園の名前は坑尾村公園、この周辺は坑尾村と言うようです。のんびりした良い村ですね。


↑屏山族文物館は小高い山の上にあって、上り坂を暫く上がっていきます。10分ほど登ったでしょうか?白い綺麗な建物が目に入ってきます。1899年に建築されたという旧屏山警察署を改装してできた博物館のようです。


↑文物館の中には族がこの場所に移り住んできた当時の生活を紹介した様々な資料が用意されています。色々な資料を眺めていると族は結構裕福な一族だったように感じます。


↑族も風水を信じていたようですね。族が移り住んできた屏山周辺の地形は風水に基づいた蟹の形をしているとか・・・。風水と蟹、どういう関係なのでしょうね?


↑屏山族文物館の資料を拝観した後、文物館の敷地内にある展望デッキに出てみました。小高い山の上にあるお陰で結構見晴らしが良かったです。景色をボーっと眺めていたらあちこちから日本語が聞こえてきました。グループだったり老夫婦であったり、色々な日本人がここを訪れているようです。非常にのんびりした素敵な場所ですからね。これにて屏山文物径シリーズは終了します。

屏山文物径②

2011-07-06 19:22:07 | 香港情報
本日のNHKクローズアップ日本で、南スーダン独立の話題が放映されていました。既に南スーダンの資源を狙って中国企業が進出しているとのこと。先日私がコメントした話ではありませんが、商売の匂いがするとすぐ大金を投じて事業を始めてしまう中国人。一方、新しい場所で事業を始める場合、採算性、安全性等々、色々なフィージブルスタディを時間をかけて行って、関係者全員の合意をとってから進出を始める日本人。スピード感に差が生じるのは当然ですね。

さて、屏山文物径の続きです。


↑2つ並んで建つ法定古跡の氏宗祠と愈喬二公祠です。先祖代々を祭る祠で香港最大のものだそうです。


↑天井や屋根などに色々な細工が施されていて非常に美しい建物でした。


↑屋根にはシーサーのような焼き物の像が・・・。そういえば以前何かの番組で、エジプト考古学の吉村さんが「シーサーはエジプトのスフィンクスが伝承されていく途中で形が変わっていったもの」と話されていました。本当に不思議ですよね。でもこのシーサを見ると南国らしくてホッとするのは私だけでしょうか?


↑氏宗祠を離れて屏山文物径を更に進んでいきます。このあたりは完全にローカル住民の住処とお店が並んでいる場所です。観光地化されていないところがノスタルジーを感じられて良いですね。この先に覲廷書室があります。


↑覲廷書室の堂に到着しました。この場所は村の子弟が科挙の受験勉強を行うために建てられたものだそうです。こちらも天井や壁、扉に施された装飾が非常に綺麗で、芸術的な作品に仕上がっていました。でもここは勉強のための建物のはず。当時の学生達は当時としてはモダンな建物の中で勉強に集中できたのでしょうね。


↑その隣りにも色々部屋や炊事場などがあるようなのですが、なぜか私が訪れた当日は時間が悪かったのかオープンしていませんでした。残念。

今日はこれにて終了します。明日は近くの山の上にある屏山氏物館を紹介します。

屏山文物径①

2011-07-05 20:21:48 | 香港情報
今週末7/9,10に香港九龍湾国際展覧中心にて、また玉木宏さんがコンサートを開くようですね。のだめで香港でもブレイクした玉木さん、相変わらず大人気のようです。興味ある方は下記チケットサイトもチェックされてみてください。
http://www.hkticketing.com/

さて、今日から暫くは香港新界にある香港で最初に指定された歴史散策道(文物径:ヘリテイジ・トレイル)を紹介します。この写真、実は2年前の写真ですので今はまた少し変化があるかもしれません。申し訳ありませんがご了解下さい。


↑場所はKCR西鉄「天水圍」駅の目の前から始まります。全部回ると約1kmありますので暑くない時期に十分時間をとって来られることをお勧めします。新界五大氏族の1つである氏(一族)が12世紀からこのあたりに住んでいたとのことで、彼らに縁のある建物や遺跡がこの周辺に散在しています。


↑まずはこの古塔「聚星楼」から。700年の歴史を持つ石塔です。当時はこの周辺で最も高い建物だったと思いますが、風水絡みの天文台の役目を果たしていたようです。「そんなに高くないでしょう?」との声が聞こえてきそうですが、実は建築当時は7層あったようですが、今は写真の3層のみが残っているそうです。


↑遊歩道に沿ってのんびり歩いていくと昔ながらの蓮池がありました。この池も古代からのものなんでしょうね。KCRが無かった頃のこの場所にタイムスリップしてみたい気がしました。


↑暫く歩いていくと客家村の上璋圍が見えてきます。この付近には3つの圍(城壁の村)と6つの村落があって、氏によって開かれたとのこと。


↑古井です。どれくらいの深さなんでしょうか?当時は勿論水道なんてありませんから、この場所が生活の中心になっていたことでしょう。当時の住民がここに集まって団欒している姿が浮かんできますね。


↑田園風景の中の空き地に突然ポツンとたたずんでいるのが楊侯古廟。南宋ゆかりの侯王、土地の神などを祀る祠です。今日はここまで。この屏山文物径は香港の古き良き風景がお好きな方にはお勧めの場所ですので、是非足を運ばれてみてください。

園博園⑪

2011-07-04 18:33:18 | 深セン情報
今日も本当に暑い一日でしたが、日本に戻って感じるのは、深センと違って日差しが強く目が痛く感じることが多いことです。深センはやっぱり空気が悪くて遠くまで景色が見える日が少ないように思います。日本も東京近辺は同じなのでしょうが、ここ宇都宮近辺は空気が澄んでいて、太陽がとても眩しく感じます。オゾンが破壊されつつある現在、目を傷めないよう注意したいと思います。

さて、園博園の話題に戻りますが、このシリーズ、ようやく今日で終了です。


↑西区周辺の散策を始めたときには日がかなり傾き始めていて、そろそろ帰宅の時間となってきました。


↑珍しい花に出会いました。風鈴扶桑花という名前の通り、風鈴の様相を呈していて本当に面白いですね。原産地は東アフリカザンジバル島のようですが、何故か英名はJapanese hibiscusとかJapanese lanternとか言うようです。不思議ですね。



↑秋らしい1枚です。何の実でしょうか?


↑田園宝安という茶屋さんもありましたが、オープンしていませんでしたね。


↑西区最西端までやってきました。この門、嶺南重鎮という名前のようですが、深センに近い仏山市あたりに実在する門なのでしょうか?未確認です。


↑このすぐ側に園博園の西門があります。このすぐ近く(西側)に錦繍中華があります。


↑オレンジ色の実と薄紫の可憐な花が・・・。色合いが本当に美しいです。薄紫の花の方は台湾連翹の一種でしょうか?


↑1周ぐるっと回って元の南門まで戻ってきました。南門の少し西側には恐竜館がありましたが16:00頃に既に閉館していて中を見れませんでした。お子様連れの方には喜ばれる場所ではないでしょうか?ところで・・・。その恐竜館のまん前の芝生広場にて、一人のモデルの周りを10人くらいのカメラを持った男達が囲って撮影会を行っていました。モデルの露出が多く、様子が普通の撮影会という感じではありませんでした。深センにも、おそらくネットを通じてこういう撮影会を行う集団が現れてきたのでしょうね。驚きです。これにて園博園シリーズは終了です。

園博園⑩

2011-07-03 18:10:53 | 深セン情報
昨日渡部陽一さんのテレビ番組があって、その中で中国の携帯電話のサンザイ機(偽物)の話題を取り上げていました。最近は有名メーカーのコピーだけでなく、独自の技術をプラスして売り出されていることが多いとか・・・。番組では中国人市民に「サンザイ機は違法では?」との問いかけをしていましたが、必要なものが必要な場所で売られていることは当たり前で違法性は感じないとの意見が多かったです。

渡部さんの話では湾岸戦争か何かが始まったときに、たくさんの戦場報道クルーが毎晩お世話になったのは中華料理のデリバリーだったとか。そういう場所にも中国人は入り込んでいって、報道陣の食事が必要とわかった時点でデリバリー料理の商売をすぐ始めてしまう・・・、こういうところが中国人の勢い、決断力の良さです。

そういう日本人も中国に住んでいますとコピーDVDやサンザイ携帯電話、iPadなどを所持している人が多いと思います。そういう私もコピーDVDはよく購入していましたが、見たい韓国や台湾のドラマが簡単に安く入手できるので、必要悪のように麻痺していました。これも必要なものをすぐ作ってその場で売るという商売ですね。

さて、園博園の続きです。


↑相伴同行というモニュメントがありました。海の生き物を大事にして共に仲良く生きていこうといった像だと思いますが、どうなんでしょう?


↑この日一番綺麗だなあと感じた1枚です。水がめの上の睡蓮が夕日に輝いている姿に見入ってしまいました。


↑この木、何ている名前の木なんでしょう?うちわのような形が特徴的です。非常に大きな木で南国らしさを演出していました。


↑ねむのき(合歓)も咲いていました。実はねむのきを見たのはこれが初めてでしたが、非常に綺麗な淡いピンク色の花が女性らしさを感じます。松尾芭蕉の歌にも「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」という歌もありますが、この西施とは中国の春秋時代の傾国の美女のことらしいです。芭蕉もねむのきの花を美女にたとえたんですね。


↑公園西区周辺には世界各国の庭園も散在していました。こちらはパキスタン苑でしたが、中では何故かカラオケを練習している一行が・・・。声が反響して歌の練習にはうってつけの場所のようです。


↑パキスタン苑のすぐ近くには日本庭園があるはずでしたが・・・、反日の影響でしょうか?閉鎖されていました。


↑この公園の特徴の1つに、大きな砂場が設けられていることです。お子様連れの家族がたくさんいて、砂遊びに興じていました。他の公園にこのような砂場があるところは珍しく、この砂場目当てに足を運ばれる方も少なくないと思います。


↑砂場近くにはこのような面白い像がたくさん設置されていました。子供の想像力を掻き立てる芸術作品となっているようでした。

園博園⑨

2011-07-02 14:31:48 | 深セン情報
節電対応の休日ずらしの影響で、今日から会社が3連休になりましたので、実家のある神奈川に戻っています。今日は梅雨が明けたかのような夏らしい天気で神奈川も暑いです。明日は久しぶりに海を眺めに行って来ようと思っています。

園博園の話題に戻ります。園博園シリーズもあと数回で終わりです。


↑昨日最後にアップした写真の湖は鳴翠湖という名前のようです。石の歩道がありましたので入ってみました。植木で自然・家園・美好未来との文字が・・・。公園にもスローガンですか・・・。


↑鳥のさえずりが聞こえたのでふと上を見上げると、小鳥が赤い実を食べていました。秋らしい光景です。


↑鳴翠湖全容です。こういった湖の畔にお茶屋さんがあればよいのですが・・・。


↑こんな不思議な花も咲いていました。


↑鳴翠湖を離れ、散策道を西区方向へ歩いて行くと、ヒューストンテキサスの公園が・・・。どこがヒューストンなのでしょうか?ちなみに案内板にはヒューストンは中国語で休斯頓と書かれていました。中国語読みではシウスドゥンとなってしまいますね。


↑鳴翠湖のすぐ近くは、一般の住宅街になっていますげ、この周辺は新興マンション群が立ち並んでいます。ほとんどが高級マンションで驚いてしまいます。貧富の差が大きいことを実感してしまいます。今日はこれにて。