吃飯了没有?

元中国深セン駐在員のブログ~中国・中国芸能情報・各方面の旅行日記、日本の街歩き情報を配信します。

信義新都心の夜景②

2012-06-15 22:08:35 | 中国華南地区以外の旅行情報
今日は台北101三昧です(笑)。



↑松智路にある台北市政府の前まで出ると台北101が一望できます。


↑この周辺はタクシーやらバスで混雑していましたので赤信号になった瞬間を狙ってもう1枚撮りました。


↑交差点の信号機の上の木も含めてもう1枚。


↑台北市政府を抜けてどんどん近づいて行くとだんだん見上げる高さになってきました!


↑まだライトアップには早い時間でした~!早めに食事して夜景を見に戻ることに。


↑台北101の対面にあるニューヨークニューヨークはまだ明るい時間でしたが相変わらず賑やかでした。。。台北の夜はこれからです。

信義新都心の夜景①

2012-06-14 22:06:29 | 中国華南地区以外の旅行情報
台北之家を離れ、MRTに乗って向かった先は信義新都心でした。MRT板南線で市政府駅まで向かいましたが、ここを訪れた目的は台北の夜景観賞と台北101のフードコートでの夕食でした。


↑市政府駅の前には統一阪急百貨店があり2階に広場があったので上がってみました。その階段の途中から摩天楼に挟まれた台北101の姿が・・・。


↑階段の途中から忠孝東路と基隆路の交差点を1枚。この周辺はやっぱり垢抜けていますね。これもまた台北です。


↑登り切ると広場があって統一阪急百貨店がどーんと建っていました。香港みたいにこの手の広場にカフェやレストランがあれば魅力が増すでしょうが・・・。


↑視線を少し右にずらすとタケノコが見えます。


↑阪急百貨店と誠品書店の間の道路ですが、この周辺もまだまだ土地があって新しいビルが建築中でした。台北も大陸からの投資もあって勢いがありますね。ホワイトカラーのサラリーマンの姿だけでなく遊びに来た市民や観光客で混雑していました。次回台北に行く機会があったら、誠品書店の旗艦店に寄ってみたいですね。

王品

2012-06-13 20:47:28 | 中国華南地区以外の旅行情報
今日は役員会の後飲み会がありましたが、親会社の役員の一人がお身体の調子が悪く、何と予想外の早い時間にお開きとなりました。昨晩は残業でかなり遅い帰宅でしたので、今日は早く寝るためアップは簡単に済ませます。


↑中山北路の台北之家を出た後、MTR中山駅へ向かったのですが、通りの対面に懐かしい店を発見。少し写真が小さくてわかりにくいですが、ステーキハウス「王品」です。赤い看板がおわかりいただけますでしょうか?

このステーキハウスの支店が深セン福田区の深セン中路沿いにもあって、1回だけ足を運んだことがありましたが、大きなステーキで脂が乗っていて骨付きの高級肉のような値段でしたが、食べてみて気持ち悪くなったことを今でも思い出します。同行した友人も胸焼けしたとかで途中で残していましたね。

この台北店の肉は大丈夫でしょうか?今から思うと懐かしい思い出です。ってつまらない話題になってしまいましたが・・・。

最遥遠的距離

2012-06-12 22:36:12 | 中国華南地区以外の旅行情報
昨日は映画館も併設されている台北之家の紹介をしましたので、今日も映画の話題を1つ。以前にもコメントしたことがありますが、不能説的秘密にも主演されていたグイ・ルンメイさん主演の別の映画を台北で購入することが出来、見終わりましたので紹介します。


↑その映画の名前は最遥遠的距離。ベネチア国際映画祭、そして台湾の映画祭でグランプリを取っているこの映画、見終わった感想ですがなかなか面白かったです。

この映画には3名の主人公が登場します。1人目は録音技師の小湯(莫子儀)。失恋の痛手から立ち直れないままの日々を送っていましたが、思い立って別れた彼女と約束した「台湾」の音を録りに台東へ向かいます。海岸の音、防風林の音、先住民のお祭りの音等々、毎週のように台湾の音を録り、テープを別れた彼女の元に送り続けます。その部屋にはもう新しい住人小雲が住んでいるとも知らずに。。。

2人目は、その元彼女の部屋に越してきた小雲(グイ・ルンメイ)。会社の上司から二股をかけられていますが、それを甘んじて受け入れています。しかしそんな生活に嫌気がさしていた中、以前の住人に届き続けるカセットテープに収められた美しい台湾の音を聞いてしまい、その音に心を惹かれていきます。ある日突然、心がふっ切れて会社を飛び出し送り主の彼とその音探しの旅に・・・。

3人目は精神科医の阿才(賈孝國)です。病院で自分が患者の役になり、患者にトラウマの元を演じさせるというスタイルのセラピーを行っていますが、妻がボーイフレンドを作って家からいなくなってしまい孤独な生活を送っています。

彼も突然仕事に行く気をなくし、3年前の結婚式の招待状を手がかりに大学時代の憧れの人のところに向かう決心をします。住所は台東。

台北という都会に住む3人の孤独な主人公が、台東の旅の中で孤独な心を解放させていきます。それぞれの主人公が自分のルーツ、自分の存在意義に気づき始めるのです。

この映画でちょっと気持ちが悪いのが阿才(賈孝國)の役です。自分自身も精神が正常でない精神科医の役で、ホテルで娼婦と変な会話をしたり、台東の売店で小姐と踊りまくったり、最後に小湯と別れた後で潜水用具を身に付けて海岸沿いの道路をペタン、ペタンと歩き続けたり・・・。映画を見始めたときには眉をひそめてしまいましたが、映画を見終える頃にはこの危うい精神科医の姿が何か視聴者の心にも宿る危うい、そしてけだるい妄想のような余韻を与えてくれました。

グイ・ルンメイさんは言うことなしで素敵でした。台北の生活に憂いの表情を見せていたのが、台東の旅で自分・自分の生活を見つめ直す機会を与えられて生気・笑顔を取り戻していく姿は、彼女以外の女優には演じられない感じがしました。

台北の音楽ショップでたまたま見つけたDVDでしたが、台北芸能ファンの皆様でしたら是非ご覧いただきたい映画です。

この映画の予告編サイトを見つけましたのでここに貼っておきます。興味のある方がご覧になられてみて下さい。

台北之家

2012-06-11 22:14:54 | 中国華南地区以外の旅行情報
CDやDVDを購入してホテルに戻った後、台北最後の晩を台北101周辺で過ごすことに決めていましたが、その前に今回の旅行でまだ行けていなかった按摩店に行くことに。中山北路をブラブラしていると対面に何やら白い建物の入った観光スポットらしきものが・・・。

とりあえずまずは近くにあった楽天なる按摩店で足按摩→背中按摩のフルコースを。1000台湾元だったと思いましたが、疲れた脚と凝った背中を痛気持ちよくほぐしてくれました!按摩の値段は深センよりは高いですが日本よりは格段安くて本当に嬉しいです。しかも、按摩を受けている間中、色々中国語でたわいもない話が出来て中国語の勉強にもなって一石二鳥ですね。

私の按摩の担当になってくれた年配の女性は、私が何でこんなに中国語が話せるのか、何で今台湾にいるのか、これからどこに行くのか、そしていつもの通り何で一人なのかと、一通りの質問責めにあいました。

そうそう、話を戻しますがこの彼女に中山北路で見つけた白い建物が何なのか聞いてみましたが、中に美味しい珈琲店がある、程度しかわかっていないようでした。。。按摩を終えてすぐ足を運んでみました。


↑建物の入り口には「台北之家」なる名前が・・・。台北之家は1926年に建造された2階建ての白い洋館で、以前はアメリカ領事館として使われていた建物だそうです。第二次世界大戦終結後、歴代のアメリカ大使がここを住居とし、台湾の芸術家や作家が大使館に招かれることもあったようで、台湾の歴史や文化を今に伝える重要な建築物の一つとなっているそうです。


↑1997年には3級古跡に指定され、「台湾映画文化協会」に経営と維持が委託されたとのこと。数回の修復を経て現在は、映画館、2軒のカフェレストランとグッズショップが設けられています。この他、展覧会や座談会などが催されているスペースもあるようです。


↑庭には次回?上映予定の映画の宣伝も・・・・。映画ファンの私にとっては何かワクワクするような空間でした。


↑建物1階には、侯孝賢監督の映画の名前「珈琲時光」が店名になっています。この「珈琲時光」、私はまだ見たことがないので是非とも見てみたいですね。このカフェは大使館の応接室が使われれているようです。


↑私はこの中に入りませんでしたので、中の様子はちらっと外から眺めただけですが、かなりお洒落なカフェでした。中の様子をちょっとだけ紹介したかったので、この写真だけ台北ナビさんからお借りしました~!すみません。


↑そして2階にも孝賢監督の映画でヒットした「紅氣球」という映画と同名の珈琲店があるようです。こちらも別のブログで見てみましたがお洒落な店ですね。

1階には台湾デザイナーのアイテムやCD・書籍がそろうショップ「光點生活」などもあって、映画鑑賞がてらショッピングやお茶してゆっくり時間を過ごすのも楽しそうな場所でした。でも・・・、噂では週末は混雑するそうなので、平日夕方から足を運ぶのがベストかもしれませんね。

音楽ショップにて

2012-06-10 15:37:27 | 中国華南地区以外の旅行情報
天母の散策を終えた後、バス→MTRで中山駅で降り、ホテルに戻る前に向かった先は新光三越でした。前日、ホテルフロントの女性スタッフに周辺に音楽ショップが無いか聞いたら、中山駅の新光三越にあるとの回答だったからです。

フロントには2人のスタッフがいて「どんな歌手が好きなのか?」との質問が。光良、Fish、王力宏、楊丞琳、Hebe等々歌手の名前を出したら、只者ではないと察知したらしく色々話に花が咲きました。

新光三越には2つの音楽ショップがありました。1つは私営の専門ショップで本屋や音楽機器なども販売されていました。しかし、ここは台湾歌手のCDの品揃えは少なく、お目当てのCDはありませんでしたが、何と!私の好きなグイ・ルンメイさんが主演した映画「最遥遠的距離」が売られていて、すかさずゲットしました。この映画は後日紹介したいと思います。

映画DVDを購入した後、違う階のもう1つの音楽ショップへ。こちらは三越が経営しているお店のようで店員さんが年配の女性でした。話はそれますが、台湾や香港ってこういったベテラン店員さんがいるので落ち着けますよね。深センはどこも若い店員さんで良い意味もあることはあるのですが、レストランなどではマナーやサービスが劣ってしまうので首をかしげてしまことが多々ありました。

話を戻しますが、この年配の女性スタッフですが、私が店に入るや否や「どんなCDをお探しですか?歌手は?」と色々質問してきました。私はこんな年配の方に私の好きな歌手のことがわかるはずはないと思ってしまい、「自分で探します」とつれない返事をしてしまいました。

物色を始めてすぐ、私が欲しかったCDが!蔡淳佳さんの精選アルバムです。


↑これがそのCDですが、このアルバムにはこれまで買ったCDに入っていなかった曲が4~5曲入っていて、こちらもすかさずゲット。ホテルに戻ってすぐ備え付けのCDプレーヤーで聞いてみましたが、「有心人有情人」という曲がお気に入りになってしまいました。

この曲、こちらで聞けますので是非お聞きになられてみて下さい。彼女の落ち着いた艶のある声と歌の内容がマッチしていて、彼女はやっぱりこういった情歌が似合う歌手だなあと再認識しました。ところで、この歌、今一つサビの歌詞の意味がわかりかねています。「世間には私が好きな人はたくさんいるのに、私のことを好きになってくれる人は何でこんなに少ないの?」と私は意訳していますが、間違っていますでしょうか?どなたか教えて下さい。

今私が一番ライブで聞いてみたい歌手です。彼女、最近シンガポールで眼鏡店の老板にもなられたようで、夢がかなったとブログでコメントされたりもしています。ユーモア溢れる方のようです。


↑こちらは郭静さんのCDです。このCDは私が探していたCDではありませんでしたが。私が蔡淳佳さんの精選アルバムを手にしたら「あなた、彼女の歌が好きなの。本当に良い歌手ですよね。それならこの郭静さんのCDはお勧めですよ。」との意外な答えが・・・。

ベテランスタッフなので若い歌手の音楽は知らないと思いきや、こんなお店で働いているので、音楽好きなのでしょうね。彼女を信じてこのCDも購入してみました。こちらのCDはややポップな曲も多く含まれていましたが、1曲目でアルバムタイトルにもなっている「陪著我的時候想著她」が本当に素敵で気に入りました。

郭静さんは香港出身で両親に連れられて台北に移って来られたようですね。香港、台湾のバラッドはほんとうに好きなので、また新しい歌手を知る機会を得ることが出来ました。

ちなみにこのCD、ちょっとジャケットの写真が好きでは無かったのですが、何と空港のCDショップには同じCDでシンプルな風景をバックにした素敵なジャケットのものが売られていました。ちょっとがっかりしましたが、仕方無しです。

彼女の「陪著我的時候想著她」はこちらで聞けます。良い曲ですので是非お試しを!ちなみにこのMVに出てくる相手の男性は、2011年に台湾で大ブレイクした「結婚って幸せですか」にも出ている王宥勝さんですね。色々繋がっています・・・。

天母散策②

2012-06-09 21:07:36 | 中国華南地区以外の旅行情報

↑お腹が空いてきましたので、昼食を食べる場所を探すことにしました。天母広場に戻ると一角に三玉宮なる廟が・・・。台北は街中の至るところに廟がありますね。

さてこの三玉宮ですが、あるサイトの紹介では、元々は清の乾隆年間(1736-1795)に土地の神様として祭られた福正神の小さな祠が始まりだそうです。その後、日本統治時代に祀られた「天上聖母(媽祖)」が霊験あらたかな神として評判になり、多くの信者が詰めかけました。

戦後は、反日感情も手伝って一時期廃れていたようですが、1947年には地元の有志達により豪華絢爛な廟が建てられ、観音や七仙真祖(7人の神様)も一緒に祀られるようになったそうです。


↑天母東路を写真の奥に向かって行くと新光三越があります。さきほどネットでサーフィンしてわかったのですが、この先には天母藍鳥珈琲店のようなお洒落な珈琲店がありそうですね。もっと先まで足を延ばせば良かったです。

ところで・・・、さきほどの三玉宮に祀られた天上聖母ですが、この名前の最初と最後の一文字をとって天母という地名が付けられたようです。


↑天母広場を見渡すと「小剛」なる東北料理のレストランを発見。天母東路を少し先に歩いたところにも点心料理店を発見しましたが、久々に東北料理を食べたくなりここを選択しました。


↑中に入ると他のお客さんが食べていた美味しそうな料理が目に付いてしまいました!そう、鍋貼餃子です。このパリパリしたハネが美味でした!そしていつも思うのですが、中国へ来るとどうしてこんなに青菜料理が美味しくなるんでしょうね?美味しい料理に舌鼓を打った後、バスに乗って天母を去りました。

天母散策①

2012-06-08 22:13:57 | 中国華南地区以外の旅行情報
今飲み会から帰宅してきました。遅くなりましたが今からアップします。今日から暫く雙連朝市の後に訪れた天母の様子を紹介します。


↑天母へはMRT士林駅まで行って、そこからバスで行きました。何番のバスに乗ったか忘れてしまいましたが、天母行きは結構この士林を経由していたと思います。後からわかったのですが、この後私の乗ったバスはMRTの先の駅「石牌」も経由しましたので、そちらから乗られた方が便利かもしれません。

天母周辺は噂通り雰囲気が異なっていました。最終バス停まで行く前に同乗していた西洋人がたくさん下車した天母新村で私も降りてみました。


↑街をぶらぶら歩いてみましたが、この雰囲気、どこかに似ていると思いませんか?そう、中国深セン蛇口の街並みに大変似ていました。西洋人が集まるのでこういう雰囲気になるのか、雰囲気が良いので西洋人も集まるのか・・・。


↑本当に懐かしい香りのする通りでした。


↑この感じも海上世界から水湾頭へ抜ける通りの途中で目にしそうな風景です。


↑天母円環に到着。環境は静かでとても雰囲気の良い場所ではあったのですが、何か物足りない感じが・・・。レストランがあまり多く無いんですよね。実は私がこの日天母へ向かったのは、深センでよくお世話になった台湾系の珈琲店「天母藍鳥珈琲店」がここ天母にあるに違いないと勝手に思い込んで探しに行ったのです(爆)。しかし、少々お洒落なカフェはありましたが、天母藍鳥珈琲店のようなお店は見つかりませんでした。

もしかしますと三越方面まで足を運んだら似たような珈琲店はあったのかもしれませんが、お腹が空いていたので他の店で昼食を食べることにしました。どこで食べたかは明日紹介します。

雙連朝市にて③

2012-06-07 22:22:32 | 中国華南地区以外の旅行情報

↑文昌宮ですが、学問の神様が祀られていて受験シーズンともなると大混雑するそうです。


↑あるサイトによれば、このお宮さんに参拝するときのお供え物は、通常のお花やフルーツとは違って、受験祈願のときには「葱」と「芹」をお供えするのがポイントだそうです。というのも「葱」は聡明を意味する「聰」と、「芹」は勤勉を意味する「勤」と発音が同じだからだそうです。でもこの日はフルーツが多かったように思います。


↑屋根の一角にたくさんの赤提灯が飾られていました。夜来たら綺麗でしょうね・・・。


↑学問の神様の廟の隣りにこんなマーケットが・・・、こんがり丸焼きの鶏が吊るし売りされていました。この相対するような光景が隣り合わせで存在するところが何とも台北らしいです。


↑日本の絵馬のようなものもたくさん飾られていました。


↑雙連朝市で小豆の入ったサンドイッチを買って食べてみましたがなかなか美味しかったですよ。台北の朝市へは初めて訪れましたがなかなかの活気で驚きました。

これにて雙連朝市シリーズは終了です。この後私は「天母」を訪れたのですが、ここもまた初めての場所でした。天母の様子は明日以降紹介しますが、明日は飲み会があって帰りが遅くなる可能性があり、アップ出来ないかもしれません。ご了解ください。

雙連朝市にて②

2012-06-06 22:01:01 | 中国華南地区以外の旅行情報
今日は飲み会で今ようやくPCに向かっています。ということで、今日のアップは昨日の銅像の写真についての紹介だけとさせていただきます。(今週金曜日も飲み会で、楽しくない飲み会が続くのもどうかと感じてしまいますね。。。)こんな飲み会に5000円使うなら、困っている人に渡したいと常に思っています。。。


↑昨日最後にアップした、文昌宮の前の銅像は「高施傳義士紀念碑」です。高施傳なる人物がどういう人だったかと言いますと、自らの命を顧みずたくさんの市民を交通事故から救ったことで知られているようです。

一時期日本軍に招聘されて南洋諸島で従軍していたようですが、その後鉄道で働くようになり、30数年一日も休むことなく勤勉であったことから国民党員の模範とも考えられていたようです。

その彼の身に大きな不幸が・・・。民国59年10月31日の午後5時頃、一大のバスが鉄道の遮断を始めた踏切にさしかかったときに減速することなく突っ込んでしまい、穴や当たりの鉄柵等に囲まれて身動きがとれなくなってしまったようです。

バスには60数名の乗客が乗っていましたが、そこに鉄道もやってきていて大変な事故が予感されました。この光景を見た高施傳さんがバスの周りの障害物を必死で取り除き始めましたが、そこへ鉄道が突っ込んでしまい高施傳さんはお怪我を負いそのまま他界されてしまわれたそうです。(バスの乗客の皆さんがどうなったのかは不明ですが、おそらく大きな死傷者は出なかったのではないでしょうか?)

いずれにしましても彼のこの献身的な行為に対し、後世に渡り党員の模範となるよう「鉄道遺産」としてこの場に懸念碑を建てることになった由。

私がそういった緊急の場に身を置いたときに果たして高施傳さんのような高貴な行動が取れるかどうか・・・。思わず目を瞑ったままその場に立ちすくんでしまいました。