(本頁は大昔の山歩き記録、「上高地・穂高岳・・・その1」の続きです。)
【二日目(7月25日)、涸沢経由で北穂に登攀。】
二日目は前穂高が朝日に輝くと同時に横尾山荘を出発。
今日(7月25日)のコースは横尾谷に沿って涸沢(からさわ)まで行き、
そこから北穂高岳(3106m)に駆け上がることになっている。
横尾山荘のある辺りの高さは1600mくらいだから、その標高差は約1500m。
これは私自身、一日で稼ぐ(登る)高さとしては今までの最高であり、
飛行機以外で3000mの高さを越えることも初めての経験となる。
問題は果たして無事に辿り着くことが出来るかどうか。躊躇していても始まらないので、まずは歩こう。
朝日に光る前穂高(3090m)。
幸か不幸か途中の針葉樹の林には花がほとんど咲いてなかったので、かなり快調なペースで横尾谷を進むことが出来た。
山道は乾ききっており、この先、涸沢まで足を濡らすことが全くなかったが、これは晴天が続いているせいだろうか。
途中見えた屏風岩
本谷橋を過ぎたあたりから、目の前に素晴らしい山が見えるようになってきた。
なんかスイスかチロルにでもやって来たような気分。
南岳(3033m)
南岳はちょっと日本離れした山姿だ。穂高ではなく、「槍ヶ岳とその仲間たち」の一峰。
横尾本谷を望む。左は北穂高岳(3106m)、右は南岳。
真中の弛んだ部分が穂高と槍を分ける大キレットと思われる。
次はまたまた南岳。
「槍ヶ岳とその仲間たち」もちょっと歩くとこんな風に形が変わる。
涸沢の雪渓に差しかかる頃、川の水があまりに美味そうなのでちょっと飲んでしまった。
遅れてやって来た隊長に「美味しかったよ」と報告したら、
「(`◇´)この水は上流の山小屋の下水も入ってるから飲んだらいかん。」と怒られたが、
今更もう遅い。同行者の中に看護師や薬剤師が居り、
極めて強力!!との触れ込みの下痢止めをもらう(それが効いたのかどうかその後、下痢はしなかった)。
涸沢にて。奥の立派な山は奥穂高岳。
涸沢は巨大な擂鉢のようなところで、思ったよりも狭く、ちょっと息苦しい処だなと感じた。
涸沢で写した写真は雪渓がまぶしすぎたせいか、全部失敗していた。
後になってフォトショップで修正を試みたが、上手く出来なかった。
↑は見苦しい写真で恐縮だが、重要なポイントなので使わざるを得なかった。どうか寛容戴きたい。
ところで、当時の登山スタイルって今とだいぶ違う。自身も当時はニッカポッカを穿いていた。
これから登る北穂高岳(3106m)と涸沢小屋
涸沢岳方面を望む。真ん中奥の尖がりは涸沢槍。
失敗写真(修正済み)はここまで。
いよいよ北穂への登りに入るが、ここでアクシデントが有った。
同行者一名が涸沢より上に行った途端に猛烈な高山病の症状が出て、
しんどいということで、一番若い私がその御方のリュックも重ねて背負うことになった。
予期せぬ負荷がかかり、以降の私の足取りは重たいものとなった(涸沢まではとても軽快だったのに)。
それはさておき、北穂高に上る途中から奥穂高方面を望む。
手前斜面の原っぱはもう少したつと黄金色のシナノキンバイに被われる筈。
高度を上げるに従い、梓川対岸の山々も見えるようになってきた。
東側に常念岳の優美なピラミッドが。
もう少しで山頂。これは屏風岩ノ頭か。
陽もだいぶ西に傾き出した頃、やっと北穂の山頂に達した。
今晩(7月25日)のお宿、北穂高小屋はなんと!もろ山頂にあった。
それ以上に、ここで驚いたのは、間近に聳える▲ヶ岳。
その御姿は一昨年、白馬からも拝見していたが、あまりにも遠すぎ、微かな▲にしか見えなかった。
「ん? (´π`; なんじゃ。こりゃ。てえしたことねえな」なんて高を括っていたが、
いざ5キロくらいまで近寄って見れば、「ハハハハーッm(_ _)m。畏れ入りました。」の水戸黄門的土下座世界。
あまりの迫力に・・・ (´π`;)しばらくは声も出なかった。
当然、私の拙い文章力ではこの感動は表現出来ない。
他にも見所は有った。
北穂の岐阜県側、滝谷を望む。
上の方。
下の方。
ここは一級のクライマーだけに許された聖域と聞く。
険しい風景ばかり続いたが、東側には西日の当たった常念岳が。
このお山、松本平から見上げても、北穂から見下ろしても、端正なピラミッドだった。
「三日目」に続く。
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- 白馬岳花紀行2nd(1993/07/15~17) 4.白馬岳山頂
- 白馬岳花紀行2nd(1993/07/15~17) 3.三国境で憧れの花に遭遇
- 白馬岳花紀行2nd(1993/07/15~17) 2.白馬大池~三国境
- 白馬岳花紀行2nd(1993/07/15~17) 1.栂池平~白馬大池
- 上高地・穂高岳花無し紀行(1992/07/24~28) 4.吊尾根~岳沢の下り
- 上高地・穂高岳花無し紀行(1992/07/24~28) 3.恐怖の涸沢岳越え
- 上高地・穂高岳花無し紀行(1992/07/24~28) 2.北穂高岳登攀
- 上高地・穂高岳花無し紀行(1992/07/24~28) 1.憧れの上高地
実はこの頃(1993年)からガーデンウィルスに感染しており、
その翌年1994年のアポイ岳を最後に山にはさっぱり行かなくなり、
園芸ガーデニングに邁進しました。
↓頁参照。
http://www.mouzuika.com/indexkakopage.htm
それから約20年経ち、徐々にまた山に復帰した次第であります。
そうそう、ニッカボッカでした。しばらく保管してありましたが、廃棄処分に(^^;
その時に槍には、行かなかったので、次男が社会人になってから、夏休みに一人で🚗💨帰宅まで、心配でした。
モウズイカさんも、その当時から、山男だったのですね。