塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

群雄割拠のワールドカップ南米予選

2011-10-13 01:22:17 | 日記
 アルゼンチンが予選2試合目でもう黒星を喫するなど、ブラジルへの切符を賭けた
ワールドカップ南米予選は、既に

 「激戦」

 の様相です。

 アルゼンチンが敗れたのはヴェネズエラ。

 数年前でしたら「番狂わせ」として大きく報道されたでしょうが、近年の南米諸国は
停滞か抜けだせないボリビア以外の各国が、非常に


 「拮抗」

 した中で戦いを繰り広げています。

 2000年代中期、最も著しい成長を見せた国がエクアドルで、彼らは2002、06
と2大会連続でワールドカップ出場を果たし、

 「アントニオ・バレンシア」

 というワールドクラスさえ生み出しました。

 今までは

 「野球の国」

 や揶揄されてきたヴェネズエラも、アランゴという「信用手形」に加えて、コパ・アメリカ
を自国開催で行うなど、その存在感はかつて無いほど高まっています。

 今回は「ブラジル」がホスト国ということで、予選には参加していません。

 ですから他国にとっては願っても無い状況ですから、近年ワールドカップから遠ざかって
いるペルー、2010年に続く連続出場を目指すチリにも、充分チャンスがあります。

 それだけ南米各国の競争は熾烈であり、同時にサッカーが国民の生活に根付いている
証明でもありますね。
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バッジョが被写体として輝けた理由

2011-10-13 00:39:34 | 日記
 そしてバッジョにはファン、特に女性を惹きつける色気が備わっていましたね。

 でもその色気は

 「クリスティアン・ヴィエリ」
 「フィリッポ・インザギ」

 のように、多くの女性を浮名を流した結果ではなく、幾度となく降りかかり、彼のキャリ
アの行く手を遮ってきた

 「膝の故障からの復帰」
 「愛妻との充実した生活」

 から手にしたものだったと僕は思います。

 クラブ、代表の広報からすれば、選手の健康状態や練習内容はともかく、女性関係を
代理で喋るなんて嫌に決まっています。

 ですからもし僕が広報ならば

 「選手が皆バッジョのように、女性関係が穏やかならよいのに」

 と念じていたと思います。

 90年代も後半になると、バッジョ以外にも

 「アレッサンドロ・デルピエロ」
 「ルイス・フィーゴ」
 「ロナウド」

 なども誌面を多く飾りましたし、90年代中期でもジュゼッペ・シニョーリやパオロ・
マルディーニなども、人気面ではバッジョに劣りませんでした。

 ただバッジョのような

 「皆がどうしても語りたくなるようなバックグラウンド」

 が若干ではありますが、欠けていた気がします。

 それは先に記した故障の多さと監督たちとの軋轢。

 そして何より彼自身のプレイの特性と、90年代は2000年代前半のサッカーの潮流が、
最後まで

 「かみ合う事が無かった」

 これらの出来事が皮肉ではありますが、被写体として、人間としてのバッジョの魅力を
際立てていたと思うのです。
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オードリーとバッジョ。被写体としての存在感

2011-10-13 00:28:31 | 日記
 暴論を承知で言いますが、僕は

 「オードリー・ヘプバーンは美形ではない。」

 と思います。

 しかし「被写体」として、これほど完成された女優はいなかったとも思います。

 僕が彼女が主演した映画で手許にある作品は

 「シャレード」
 「パリの恋人」

 の2作品のみで、「ローマの休日」「麗しのサブリナ」「ティファニーで朝食を」
そして「マイ・フェア・レディ」の4作品を、随分前にビデオで一回観たのみです。

 ですので僕の言い分は、ある意味いいがかりかもしれませんが、それでもオードリーの
声や表情の多彩さは本当に素敵で、当時の映画史がこぞって彼女を

 「カバー・ガール」

 に起用したことも頷けます。

 ちなみに「パリの恋人」の現題は「ファニー・フェイス」、僕が訳せば愛くるしい顔
としますから、非常に的を得た題だと思います。

 オフ・ショットの写真も、同様に清廉さと知性を兼ね備えていますから、彼女が女優の
道を歩んだのは、必然だったことが改めてわかります。

 近年サッカー界で最も優れた被写体だったのは

 「ロベルト・バッジョ」

 だと思います。

 憂いを込めた表情と瞳、エレガントなプレイと美しいポニーテール。

 ワールドカップ94開幕前、マドンナの

 「私はバッジョのファン」

 というメッセージが大きな反響を呼びましたが、当時の雑誌の多くがバッジョを表紙に
起用しました。

 それだけバッジョは売上を期待できる存在であり、同時に魅力ある被写体だったのだと
思います。
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