三笘薫はアジア杯2023を欠場する様子です。
これが30年前の日本代表ならば、皆大慌てだったはずです。
1993年のアジア最終予選、指揮官ハンス・オフトは
怪我のために出場できない都並敏史をわざと招集する
彼は初戦のサウジアラビア代表戦は、そもそも移籍警告で出場できない
目くらましの形での招集
逆に交代枠1を無駄にする
という形でした。
ハンス・オフトはジーコ以上に
先発選手とそうでない選手をはっきりと分ける
オートマティズムは生まれたが、控えは全く試合に出られない
という塩梅でしたからね。
2001年のFIFAコンフェデれーぞんす・カップ決勝で、フィリップ・トルシエが最後にわがままを爆発させたのも
彼が3-4-1-2の要である
代役は不在
だったことを象徴していました。
しかし、あれから幾星霜、日本代表の面子は海外でもまれ、AFCチャンピオンズ・リーグで優勝するクラブも登場し、凄まじくたくましくなりました。
確かに三笘薫の欠場が痛いですよ。
ただ、それ以上に彼の不在が思ったほど衝撃的でないことも確かではないでしょうか。
対戦相手は喜んでいる模様ですが、果たして森保一日本代表監督は何を思うかはわかりかねます。