塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジョルジュ・ウエアがフランスで体験した現実

2025-03-15 20:41:07 | 日記

 最新号のワールド・サッカーダイジェストでは、見開き2ページにわたりジョルジュ・ウエアの特集が組まれています。

 

 彼がASモナコからパリ・サンジェルマンに移籍し、2度目となるリーグ優勝をもたらすも、ACミランへの移籍が水面下で勃発すると、ファンが

 

 「ウエア、お前などいらない」

 

 と侮蔑的な表現でウエアに接したとあります。

 

 当時のパリ・サンジェルマンのレギュラーGKは、記事にもあるようにフランス代表として欧州選手権96に参加したベルナール・ラマでして、またFWのフランス代表パトリス・ロコも、アフリカにルーツがあったはずですよ。

 

 ですからウエアにとって、心情がわかるであろう選手がいたにもかかわらず、この当時から現在にまで至る人種の壁があった、そして今も改善されていないことがわかり、考えさせられますね。

 

 それでもウエアにとって、いつも自分を信じて励ましてくれた存在、アルセーヌ・ヴェンゲルは彼もまた、白人である点が皮肉ではないでしょうか。

 

 フランスがニジェールやコートジボワール、セネガルなど植民地にした影響が、エマニュエル・マクロン体制の現在でも、大きく尾をひいていますし、イングランドも同様です。

 

 英連邦、つまりケニアやカナダなどがそうですが、イングランド本国がこれらからやってきた移民を、どこかで軽蔑する姿はコリン・ファース主演の映画「国王陛下のスピーチ」でも見られる光景です。

 

 今中国、インドネシア両国サッカー協会は、帰化選手を増加させていますが、軋轢が生じないか不安な面もあると思いますね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 選手がメゾンに近づくとき | トップ | 自由の中に見える差別 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事