LGBT、在日朝鮮人の話も軽々しくは扱えなかった。少し批判するとすぐ「差別主義者」「レイシスト」とレッテルを貼られてしまうからだ。
しかし伊是名夏子という車椅子コラムニストが「大暴れ」していたので「障害者」の話を取り上げないわけにはいくまい。「大暴れ」などと書くと「差別主義者」扱いだろうが。
伊是名夏子は無人駅の来宮駅で降りたいと思ったそうだが、来宮駅は無人駅でJR東日本は対応できないと一度は断ったそうだ。結局来宮駅に駅員が集まり運ぶのだが、車椅子の人をエレベーターがない駅で階段を駅員が運ぶにはそれなりに労力が必要だ。今回も4人掛かりで運んでいる。せめて「事前連絡」するべきなのではないか。電話一本掛けることが差別だろうか。福祉が発達している北欧でも車椅子の人は事前連絡が必要なのだそうだ。
ウィキペディアによれば伊是名夏子は早稲田大学の第一文学部を卒業して、香川大学大学院教育学研究科修了だそうだ。つまり大抵の健常者より頭が良いのである。もちろん学歴と頭の良さは必ずしもイコールではないが。
障害者のブログを引用したい。
~~引用ここから~~
障害者で偉そうなことをいつも言ってるのは、そのほとんどが車椅子に乗った人たちです。
☆☆☆
視覚障害者はキレると怖いが、まずもって、世間に出てこない。
知的障害者の人たちはそもそも上手く喋れない。自分の伝えたいこと自体を、上手く伝えることができない。
聴覚障害者の人たちも表舞台にほとんど出てこない。なぜなら、9歳の壁があって、知力が高くないし、狡猾ではないからだ。
偉そうに権利意識や年金の増額やらバリアフリー施設をもっと建設しろとか、既存の建物をすべてバリアフリー化する予算を調達しろ!
とか言ってるのは、全部車椅子の人たちだ。
本を出版したり公演会を開いたりしているのも、ほぼすべて車椅子の人たちである。
なぜか?
なぜなら、彼らは頭が良いからです。表舞台に立つと金になる。仕事になるのを知ってるからです。
彼らの本だけがバンバン売れます。
他の部位の障害者は頭が良くないから、そもそも本なんて出版できません。文章を原稿用紙1枚とか2枚とか、それ以上書くことができません。
高い知力を持っているのは車椅子の人たちだけです。
で、偉そうなことを言うと金になる。
障害者における高度なSNSマーケティングや炎上マーケティングができるのも、ひとえに知力が高く狡猾だからです。
問題は、彼らは障害者のなかで障害等級は高いものの軽度なことです。一番辛いのは知的障害者です。
仕事が見つからず、空腹から窃盗や食い逃げを繰り返し、刑務所への出入りで人生の半分以上の時間を奪われ60歳以上になって、初めて福祉の人と出会い、福祉ってなんですか?
と、哀しいことを言うのは彼らです。
車椅子に乗った人たちは、生まれたときからガッツリ福祉予算を受け取っている実は、恵まれた人たちです。
社会的弱者であればあるほど、頭が回らず自分の権利を主張することができず、福祉とつながれない。
偉そうに振舞えばアクセス数が馬鹿増えして、ブログに設置した広告がクリックされまくり、金になる。
でも、彼らはそういうことを考えるだけの知力すらもがないんです。偉そうに振舞えば金になることすら理解できないんです。
なぜなら、知的障害者だから。
私は盲ろう者(目と耳両方の障害者)だけど、車椅子に乗った人たちをあまり信頼してません。
そら盲ろう者なので己の利益の追求もするけど、どちらかと言えば、弱者側に立ちたいし、そういう人たちがいることを社会に伝えていくことは
彼らのためになると思っているからです。
偉そうに福祉予算を要求するのは、実は一番福祉サービスを受け取っている車椅子の人たちです。
で、税金の旨味を知っちゃったから味をしめ、結婚したり不倫したり美味い物食べたり、本を出版したり、講演会を開いたりして、更にもっと税金を!もっともっと税金をクレって言ってるんです。
そこまで狡猾に頭が回らない、知恵を出せないのが、残されたほとんどの人たちです。
さらに、仕事もなく、福祉と全く繋がれず、空腹で窃盗罪を繰り返しているのが、知的障害者の人たちです。
一番福祉が必要な人たちにこの国では福祉を提供していないんです。
だから彼らはすべての福祉が見放したから刑務所のなかにいるの。いっぱい。
で、一番日本政府の批判ばっかしている頭のよい(批判すれば金になることを知っている)車椅子の障害者が、一番快適な暮らしをしています。
そのため、このブログでは、知的障害者のことを出来る限り多く取り上げていきたいと思っています。
ガンガン予算を受け取り、おまけに稼ぎまくってる車椅子の人たちのことは、この際どうでもいいです。
彼らは自立してますし、自分で制度を完全に理解し、所得と税金を受け取っているためです。
自分の願望も上手く伝えられない人たちが一番の社会的弱者です。
だから私はそういう人たちの役に立つ記事を書き続けていきます。
~~引用ここまで~~
車椅子の人が健常者と比べてハンデがあるのは事実だ。しかし完全に健常者と同じ扱いをしろと要求しても無理だろう。車椅子の人にはだいぶ暮らしやすい社会になっていると思うのだが、まだ足りない、まだ足りないと繰り返す。
正直伊是名夏子とは私生活では関り合いになりたくないと思った。中学時代軽度の知的障害者の友人が一人いたが、普通に付き合っていた。特別仲が良かったわけではないが、関り合いになりたくないと避けることはしなかった。感じの良い友人だったからだ。
高校は偏差値の高くない普通の私立高校に進学していった。その友人とはそれきりだ。彼に限らず友達付き合いはほとんど絶えてしまったが。連絡を取るのも面倒なのだ。
車椅子の人は声を挙げることができる。知的には健常者と変わらないからだ。米国のルーズヴェルト大統領も車椅子に乗っていたことは有名な話ではないか。
だから社会に要求を繰り返し自分達が暮らしやすい社会に変えてきた。それでもまだ足りないまだ足りないだが。
福祉はとくに知的障害者にこそ手を差し伸べるべきだろう。彼らは声を挙げることができないからだ。声を挙げれば社会に助けを求められることがわからないのだ。
もしそれが
「天は自ら助けるもの助く」
という格言が当てはまるなら嫌だなと感じる。
刑務所に知的障害者がたくさんいて高齢者のように刑務所が「最後の福祉」になっているのは良い社会ではない。
引用したブログ『障害者新聞』はまとめサイト『ハムスター速報』から伝って行ったのだが、なかなか読ませるブログだ。引用した記事以外にも読む価値がある記事がある。障害者であるブログ主が悩みながら書いている文章だから深みが出るのか、たんに物書きとしていくらか才能があったのか。
障害者とくに知的障害者に対する福祉も緊縮財政を止めれば拡充できるのだ。切り捨てることはなくなる。軍事費を減らして福祉に、という必要もないし、福祉予算のうち車椅子の人に使う予算を知的障害者に使え、という必要もなくなる。
こういうことを繰り返すと結局障害者は腫れ物扱いしかされなくなるが、それで良いのだろうか。それが伊是名夏子の「わきまえない障害者」なのだろうか。
しかし伊是名夏子という車椅子コラムニストが「大暴れ」していたので「障害者」の話を取り上げないわけにはいくまい。「大暴れ」などと書くと「差別主義者」扱いだろうが。
伊是名夏子は無人駅の来宮駅で降りたいと思ったそうだが、来宮駅は無人駅でJR東日本は対応できないと一度は断ったそうだ。結局来宮駅に駅員が集まり運ぶのだが、車椅子の人をエレベーターがない駅で階段を駅員が運ぶにはそれなりに労力が必要だ。今回も4人掛かりで運んでいる。せめて「事前連絡」するべきなのではないか。電話一本掛けることが差別だろうか。福祉が発達している北欧でも車椅子の人は事前連絡が必要なのだそうだ。
ウィキペディアによれば伊是名夏子は早稲田大学の第一文学部を卒業して、香川大学大学院教育学研究科修了だそうだ。つまり大抵の健常者より頭が良いのである。もちろん学歴と頭の良さは必ずしもイコールではないが。
障害者のブログを引用したい。
~~引用ここから~~
障害者で偉そうなことをいつも言ってるのは、そのほとんどが車椅子に乗った人たちです。
☆☆☆
視覚障害者はキレると怖いが、まずもって、世間に出てこない。
知的障害者の人たちはそもそも上手く喋れない。自分の伝えたいこと自体を、上手く伝えることができない。
聴覚障害者の人たちも表舞台にほとんど出てこない。なぜなら、9歳の壁があって、知力が高くないし、狡猾ではないからだ。
偉そうに権利意識や年金の増額やらバリアフリー施設をもっと建設しろとか、既存の建物をすべてバリアフリー化する予算を調達しろ!
とか言ってるのは、全部車椅子の人たちだ。
本を出版したり公演会を開いたりしているのも、ほぼすべて車椅子の人たちである。
なぜか?
なぜなら、彼らは頭が良いからです。表舞台に立つと金になる。仕事になるのを知ってるからです。
彼らの本だけがバンバン売れます。
他の部位の障害者は頭が良くないから、そもそも本なんて出版できません。文章を原稿用紙1枚とか2枚とか、それ以上書くことができません。
高い知力を持っているのは車椅子の人たちだけです。
で、偉そうなことを言うと金になる。
障害者における高度なSNSマーケティングや炎上マーケティングができるのも、ひとえに知力が高く狡猾だからです。
問題は、彼らは障害者のなかで障害等級は高いものの軽度なことです。一番辛いのは知的障害者です。
仕事が見つからず、空腹から窃盗や食い逃げを繰り返し、刑務所への出入りで人生の半分以上の時間を奪われ60歳以上になって、初めて福祉の人と出会い、福祉ってなんですか?
と、哀しいことを言うのは彼らです。
車椅子に乗った人たちは、生まれたときからガッツリ福祉予算を受け取っている実は、恵まれた人たちです。
社会的弱者であればあるほど、頭が回らず自分の権利を主張することができず、福祉とつながれない。
偉そうに振舞えばアクセス数が馬鹿増えして、ブログに設置した広告がクリックされまくり、金になる。
でも、彼らはそういうことを考えるだけの知力すらもがないんです。偉そうに振舞えば金になることすら理解できないんです。
なぜなら、知的障害者だから。
私は盲ろう者(目と耳両方の障害者)だけど、車椅子に乗った人たちをあまり信頼してません。
そら盲ろう者なので己の利益の追求もするけど、どちらかと言えば、弱者側に立ちたいし、そういう人たちがいることを社会に伝えていくことは
彼らのためになると思っているからです。
偉そうに福祉予算を要求するのは、実は一番福祉サービスを受け取っている車椅子の人たちです。
で、税金の旨味を知っちゃったから味をしめ、結婚したり不倫したり美味い物食べたり、本を出版したり、講演会を開いたりして、更にもっと税金を!もっともっと税金をクレって言ってるんです。
そこまで狡猾に頭が回らない、知恵を出せないのが、残されたほとんどの人たちです。
さらに、仕事もなく、福祉と全く繋がれず、空腹で窃盗罪を繰り返しているのが、知的障害者の人たちです。
一番福祉が必要な人たちにこの国では福祉を提供していないんです。
だから彼らはすべての福祉が見放したから刑務所のなかにいるの。いっぱい。
で、一番日本政府の批判ばっかしている頭のよい(批判すれば金になることを知っている)車椅子の障害者が、一番快適な暮らしをしています。
そのため、このブログでは、知的障害者のことを出来る限り多く取り上げていきたいと思っています。
ガンガン予算を受け取り、おまけに稼ぎまくってる車椅子の人たちのことは、この際どうでもいいです。
彼らは自立してますし、自分で制度を完全に理解し、所得と税金を受け取っているためです。
自分の願望も上手く伝えられない人たちが一番の社会的弱者です。
だから私はそういう人たちの役に立つ記事を書き続けていきます。
~~引用ここまで~~
車椅子の人が健常者と比べてハンデがあるのは事実だ。しかし完全に健常者と同じ扱いをしろと要求しても無理だろう。車椅子の人にはだいぶ暮らしやすい社会になっていると思うのだが、まだ足りない、まだ足りないと繰り返す。
正直伊是名夏子とは私生活では関り合いになりたくないと思った。中学時代軽度の知的障害者の友人が一人いたが、普通に付き合っていた。特別仲が良かったわけではないが、関り合いになりたくないと避けることはしなかった。感じの良い友人だったからだ。
高校は偏差値の高くない普通の私立高校に進学していった。その友人とはそれきりだ。彼に限らず友達付き合いはほとんど絶えてしまったが。連絡を取るのも面倒なのだ。
車椅子の人は声を挙げることができる。知的には健常者と変わらないからだ。米国のルーズヴェルト大統領も車椅子に乗っていたことは有名な話ではないか。
だから社会に要求を繰り返し自分達が暮らしやすい社会に変えてきた。それでもまだ足りないまだ足りないだが。
福祉はとくに知的障害者にこそ手を差し伸べるべきだろう。彼らは声を挙げることができないからだ。声を挙げれば社会に助けを求められることがわからないのだ。
もしそれが
「天は自ら助けるもの助く」
という格言が当てはまるなら嫌だなと感じる。
刑務所に知的障害者がたくさんいて高齢者のように刑務所が「最後の福祉」になっているのは良い社会ではない。
引用したブログ『障害者新聞』はまとめサイト『ハムスター速報』から伝って行ったのだが、なかなか読ませるブログだ。引用した記事以外にも読む価値がある記事がある。障害者であるブログ主が悩みながら書いている文章だから深みが出るのか、たんに物書きとしていくらか才能があったのか。
障害者とくに知的障害者に対する福祉も緊縮財政を止めれば拡充できるのだ。切り捨てることはなくなる。軍事費を減らして福祉に、という必要もないし、福祉予算のうち車椅子の人に使う予算を知的障害者に使え、という必要もなくなる。
こういうことを繰り返すと結局障害者は腫れ物扱いしかされなくなるが、それで良いのだろうか。それが伊是名夏子の「わきまえない障害者」なのだろうか。
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