昨日「ある用事で、幼なじみの中村君」にラインで連絡した。
中村君とは「小学校時代の友達」 彼の家業は「お米屋さん」だった。
実は中学も高校も同じ学校だったが、小学校以降は「あまり交流は無かった」
それが自分がベトナムに来てから・・・50年以上の時を経て、(「中村君イメージ通りの堅い雰囲気から」
「地元の市役所勤務、相当の上役になっていた」、)地元のN市から「ベトナム在住の自分に話が聞きたい」とオファーを受け
市役所に赴いたところ、「小学校の同級生中村君」そして、まさか彼が「固い役所に勤めるとは思っていなかった高校の同級生U君」
が出迎えてくれたのだった。 同級生で地元に残った人たちは「こうして堅い公務員に落ち着き、年次的にも
それなりの「役職になっていた」
その後、「中村君から」
久しぶりに彼から「ベトナムに出張する・・・」と連絡を受け、折角なので
ハノイからホーチミンまで会いに行ってきた。そんな形で付き合いが続いていた。
そんな彼は知らない間に「中学校の同級生」と結婚し、家業だった「お米屋さん」は「ご両親の健康問題もあり、廃業していた」・・・
それからは「また長い時が過ぎていた」
今回連絡したのは「ベトナムで行おうとしているあるプロジェクトに「県の支援とかが得られないかどうか?」の相談だった。
「いつもながらそれなりの人物とのリレーション」を約束してくれた。 すでに「市の役職も定年し、その後の雇用延長も辞し」
今はご夫婦で「家業のお米屋の後を改装し、喫茶店を開業するとの事」
忙しい中、「自分の僭越なお願いを引き受けて頂いた」・・・ありがたい事である。
思い出されるのは「小学校の時、中村君の家に遊びに行き、夕方おなかが空いた頃、中村君のお母さんが
中村君の家の前の「ラーメン屋に連れて行ってくれて、ラーメンを食べさせてくれたことである」
あの時代「そんなことはすごく珍しかった」・・・家に帰って母に話すと「恐縮して、中村君の家に電話をして
お礼を言っていたことを思い出す」・・・中村君の両親も自分の両親ももういない。
時は流れ「中村君は【堅い市役所勤務を勤め上げ、これから喫茶店をオープンするという」
自分は「遠いベトナムハノイで、犬と暮らしながら未だに自分で始めた仕事をしている」・・・
人生とはつくづく「分からないものである」・・・
ベトナムハノイで、降り始めた「夕立」を見ながら「そんなことを考えた」