★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「幼なじみの中村君」

2024-09-20 16:06:57 | ベトナム・ハノイ

 昨日「ある用事で、幼なじみの中村君」にラインで連絡した。

中村君とは「小学校時代の友達」 彼の家業は「お米屋さん」だった。

 実は中学も高校も同じ学校だったが、小学校以降は「あまり交流は無かった」

 それが自分がベトナムに来てから・・・50年以上の時を経て、(「中村君イメージ通りの堅い雰囲気から」

「地元の市役所勤務、相当の上役になっていた」、)地元のN市から「ベトナム在住の自分に話が聞きたい」とオファーを受け

市役所に赴いたところ、「小学校の同級生中村君」そして、まさか彼が「固い役所に勤めるとは思っていなかった高校の同級生U君」

が出迎えてくれたのだった。 同級生で地元に残った人たちは「こうして堅い公務員に落ち着き、年次的にも

それなりの「役職になっていた」

その後、「中村君から」

久しぶりに彼から「ベトナムに出張する・・・」と連絡を受け、折角なので

ハノイからホーチミンまで会いに行ってきた。そんな形で付き合いが続いていた。

 そんな彼は知らない間に「中学校の同級生」と結婚し、家業だった「お米屋さん」は「ご両親の健康問題もあり、廃業していた」・・・

それからは「また長い時が過ぎていた」

 今回連絡したのは「ベトナムで行おうとしているあるプロジェクトに「県の支援とかが得られないかどうか?」の相談だった。

「いつもながらそれなりの人物とのリレーション」を約束してくれた。 すでに「市の役職も定年し、その後の雇用延長も辞し」

今はご夫婦で「家業のお米屋の後を改装し、喫茶店を開業するとの事」 

忙しい中、「自分の僭越なお願いを引き受けて頂いた」・・・ありがたい事である。

 思い出されるのは「小学校の時、中村君の家に遊びに行き、夕方おなかが空いた頃、中村君のお母さんが

中村君の家の前の「ラーメン屋に連れて行ってくれて、ラーメンを食べさせてくれたことである」

あの時代「そんなことはすごく珍しかった」・・・家に帰って母に話すと「恐縮して、中村君の家に電話をして

お礼を言っていたことを思い出す」・・・中村君の両親も自分の両親ももういない。

 時は流れ「中村君は【堅い市役所勤務を勤め上げ、これから喫茶店をオープンするという」

自分は「遠いベトナムハノイで、犬と暮らしながら未だに自分で始めた仕事をしている」・・・

人生とはつくづく「分からないものである」・・・

ベトナムハノイで、降り始めた「夕立」を見ながら「そんなことを考えた」

 

 

 

 

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ベトナムハノイの「久しぶりの外食」(贅沢?)

2024-09-20 15:39:02 | ベトナム・ハノイ

 先週の土曜日「相棒ミッ」を行きつけの病院に連れて行った。

目的は「のみ、皮膚病」の定期的な「薬」のためだ、ありがたいことに「病院からその都度Zaloで連絡をくれる」

平日は「ミッも一緒に出勤しているため、投薬は土曜日になった」ついでに「延びてしまった毛のカットとシャンプー」

もお願いした。その日は「混んでいるらしく」10時に預けて仕上がりは15時と言うことだった。

「仕方がない」 ミッを預けて家に戻る。「洗濯機を回し、片付けを済ますと11:30」

ここのところ「ミッと暮らし始めてからめっきり外食が減った」・・・そんな中、訪れた好機、そうだ

「久しぶりに日本食を食べに行こう」と言うことで「以前、土日はたくさんの品数の定食がある、おふくろ亭」と言う

レストランに急いだ(なぜかというと、この定食は人気で12時過ぎたころにはもう売り切れになってしまうのだ?)

到着し「例の定食を探したのだが?」 しばらく来ない間に「廃止になってしまったようだ???」

結局は「珍しかった【海苔弁当】」なるものを注文した。

「サラダ」と「味噌汁」以外に「たいそうな重箱に入った海苔弁当」が到着した。

確かに「海苔弁当」(敷き詰められた海苔の上に白身魚のフライにきんぴらごぼう、ちくわの天ぷらの代わりにさつま揚げ)

不思議な感じだ? いつもは「発泡スチロールの容器に入った海苔弁当が、うな重を食べる時と同じ

「重箱に入っている」・・・見た目は豪華だったが、食べれば海苔弁、可もなく不可もなく「頂いた」 年齢のせいか「食べきるのに苦労した」

代金の100,000VNDを支払い店を後にした。何か「期待していた定食の代わりに、不思議な海苔弁当」を食べたので

おなかは一杯だったが「気分はいまいちだった」

 日々、「相棒ミッ」の食事を作り、自分の食事は「有り合わせ」・・・

別に「ミッを置いて外食すればいいのだが?」 彼の「つぶらな瞳」を見ると「それが出来ないのだ」

それでも「精神衛生上、美味しいものが食べたいとき」は「ミッとの時間を調整して外食しようと思った」

今はそんなことで「毎日のモチベーションを保っているような気がする」

家に帰り「ミッのカットを待つ間、そんなことを考えた」

(ちなみに、ミッのカット、シャンプー、投薬2種、含め合計が650,000VND・・・自分の贅沢食事の6倍以上?)

「相棒を持つというのはお金もかかるものなのだ」 ちなみに私の「床屋は」すべてで300,000VNDである。

 

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