★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「日本出張の想いで」

2022-07-13 09:45:06 | ベトナム・ハノイ

 2年半ぶりに「日本出張」したが、その際、思いがけない出会いがあった。

自分の父は大正14年生まれですでに亡くなっているが、その昔「鉄道学校」を卒業し

蒸気機関車の免許を取得し「旧国鉄職員」であったそうだ、その後「親族の起業に誘われ」

最終的には「砂利砂、生コン」会社の役員として勤め上げた経歴がある。

 従って自分が小さなときには「その国鉄時代のリレーション」を使い、家族で鉄道での旅行に行ったものである。

恐らく経済的には厳しい時代だったが、父は家族を旅行に連れて行ってくれた、今残っているのはそんな鉄道旅行の記憶である。

自然と鉄道に興味がわき、「電気機関車で動輪が6つだからこれはEFだ」などと覚えていった。

 時は流れ父もなくなり、自分で家庭を持つようになった。学生時代にはHOゲージなどを少しやったが

お金がかかる趣味なので自然と忘れていった、しかし今でも鉄道の「TOUTUBE]などを時々見ている。

「例えば【スーツ君の動画などはよく見ている】」

 そしてべtナムに移住してからは、べトナムの鉄道状況などを見て、戦後直後の日本のような懐かしい気分になる。

(ベトナムでは鉄道は電化されておらず、ほぼすべてがディーゼル機関車で対応している」

 そんな中、先日久しぶりに「日本出張」し新潟県の小出駅という小さな駅のすぐ近くのビジネスホテルに

泊まった時の事、チェクインを済まし、部屋に入ってふと窓の外を見ると「そこには日本で超有名な四季島号」が

いるではないか? もちろん実車を見るのは初めてである。かの「スーツ君」のYOUTUBEで見て「すごい電車があるんだな?」

と覚えていた、その実車を見ることができた。自分の部屋が「たまたま駅ホームを眺められる部屋だったことも幸いしたようだ」

しばしその姿を鑑賞した。後にフロントで聞くと、東京を出発するこの「四季島」は、最初の停車駅がこの小出駅になるそうだ。

その後は北海道にまで足を延ばし、超デラックスな「列車旅を提供しているようだ」(料金も相当高額だった記憶だ

調べてみると1泊2日で最低金額37万円からで上はもう少し長い日程の150万円ということだった。)

うらやましい限りである。

 長話になったが、たまたま来たこの田舎の駅で「四季島号」に出会えるのは、幸運であった。

「日本出張の良い思い出になった」

新潟県小出駅に停車中の四季島

先頭車両には「豪華な白い革張りのソファーのある展望車」がある。

しばらくの間停車していたが、やがて新潟方面に出発していった。

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ベトナムハノイの「親不孝息子」

2022-07-12 13:42:22 | ベトナム・ハノイ

 自分の母は大正15年、昭和元年生まれの96歳、虎年である。

1つ年上の父は69歳で他界しているので、すでに故郷で27年間一人暮らしだ。

「6年前転んで足の骨を折ってから、施設で暮らしている」自分もベトナムから帰って、時間があれば

会いに行っていたが「コロナ禍」で老人施設の「面会ハードル」は極めて高くなってしまった。

今回の2年半ぶりの日本で、もちろん母に合うことも予定した。しかし施設に着くと

*2週間以内に渡航歴のある人は「施設の建物にさえ入れてはくれなかった」

(もちろん高齢者が入居する施設でコロナが発生したら大変なことになってしまうだろうから、この措置は

理解はできるが、残念極まりなかった。母は強い人だが、さすがにつらいであろう。日本にいる兄家族によって支えられている。父が病気にふして、亡くなったときには自分の家族が対応していた。兄家族は赴任先のアメリカに居て父の死に目には会えなかった。今度は逆の立場である。)

仕方なく「お土産を職員に託し、すぐ近くにいるだろう母のことを想いながら施設を後にした」

コロナではこのような「残念な場面が多く報道されている」病気の事より、その結果、親子や夫婦

親族と分断されてしまう大変さのほうが大きいのかもしれない。荼毘にふしてからでないと会えない

ようなことも多く報道されている。本当に残念なことだ。

結局は今回の帰国では母への面会はできなかった。

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ベトナムハノイの「定期的訪越会社」

2022-07-12 13:13:58 | ベトナム・ハノイ

 コロナが下火になり、ここのところ「日本からの訪越者が増えている」

弊社でも「コロナ前に1か月に2週間常駐して頂いたメーカ様」がコロナ後「この訪越を再開して頂いた」

 聞けばこのメーカ様も「技術者不足で」弊社のような会社に頼らざるを得ない状況のようだ。

持ちつ持たれつ、お互いに「協力していきたい」ものだ。

この関係はすでに1年以上「続いていたがコロナで中断し、やっと先月から再開した次第だ」

 今回いらした担当者は「ベトナム初めて」だそうだ、1度しかない週末には何とか

「ハロンベイ観光」にお連れしたいと思う。

仕事も含め、ベトナムに興味を持っていただきたいものだ。

円安で「会社は危機的な状態だ」何位もしなかったらつぶれてしまう。

このようにベトナム会社である弊社に関心を持っていただいている会社と共に

何とかしのげればと思う。

 それにしても「この円安」会社創立以来の「危機をもたらしている」

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ベトナムハノイの「ベトナム食回帰」

2022-07-12 12:24:03 | ベトナム・ハノイ

 日本出張からベトナムに帰りすでに10日だ、この間「日本の環境に慣れてしまったからだ」を

戻している。気候や交通環境は「いやおうなし」に慣れるが「食に関しては意識しないと慣れない」

 「焼き魚に納豆」の食事から「バインミーへの食事も一時体が拒否したが」今は慣れた。

ここのところ3日連続で「オフィス横のバインミーを食べた」

卵焼きとソーセージのバインミー・・・100円(今は円安で140円くらいか?)

 昨日の昼は「ブンリュウクワ」(蟹のブン)だった。夕食は5歳友人宅で「ベトナム家庭料理」を頂いた。

*エビのヌックマム炒め

*よくわからないが「ウリをくりぬいてひき肉を詰めてスープで煮たもの」

その他にも「ザオモンのスープ」「キャベツ炒め」など豪華だった。

 良く日本人には「ベトナムでは普段何を食べてるの?」と聞かれる。

5歳友人おおかげで最近はその普通のベトナムの「豊かな食生活」を送らせてもらっている。

5歳友人宅ではとにかく「5歳友人の色が優先される、麺が大好きなので私たちが御飯でも

彼女には「特別に麵が提供される」 その他に大人用の料理を作るのだ、ご苦労な事である。

 ようやくこれで「食生活もベトナムになじんできたようだ」

エビのヌックマム炒め。私の好きな料理だ「濃厚なヌックマムが御飯に合う」

見かけは少々良くないが「味は絶品だった」5歳友人の母上の妹さんが担当。

妹さんも「料理上手だ」

そしてこれが3日連続で食べた「オフィス横の【バインミー、チュン、ソクセク】(卵焼きとソーセージのバインミー)」

である。ここのバインミーはパンに具を挟んだ後、特別な機械でパンを挟みや気にする。

こうすると表面がカリカリになる。どりらかと言うとフランスパンを安価な物を使っている店がこの方式のような

気がする。パンがおいしい店は「そのまま具を挟んでいるようだ」それでもこの方式も

時々無性に食べたくなる。

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ベトナムハノイの「日本滞在記」

2022-07-09 11:55:17 | ベトナム・ハノイ

 さすがに2年半ぶりの日本で「日本食」に飢えていた。

朝食はほぼ毎日「前日スーパーで買った魚を焼き食した」(ベトナム、とりわけハノイではおいしい魚は食べられない)

ベトナムでは手に入らない種類の魚を食した(カジキの粕漬、マグロの味噌漬け、タラの西京漬け、アジの干物、など

 昼食は外食した。(ハンバーグとステーキ、日本そば、丸亀うどん、かつ丼、等々)

そして夕食はスーパーに行って食べたいお惣菜を購入し食した(切り干し大根の煮物、ひじきの煮物、きんぴらごぼう、等々)

どうしても外せなかったのは「近くの肉屋の揚げたてハムカツ、コロッケ、メンチ」だった。

 行きはベトナム土産で一杯だったスーツケースは帰りは食品で一杯になった。

同時期に帰る「派遣社員の通訳から、お子さんや家族用の荷物を預かり、自分の荷物もたくさん買ったので、結局

スーツケースは2個になってしまった。自分のために買ったものは

(ぬかずけの袋、ふりかけ、缶詰、などである。やはりベトナムでは手に入らないものだ。

もっとあれこれ食べたいものや「買ってきたいものはあったが、時間やその量は限られていた。

しばしの日本滞在、あっという間に過ぎてしまった。日本では又、コロナ患者が増えていると聞いた。

次に行くのはいったいいつになるのだろう?

そして今、いつものようにそんなことを考えながら「ハノイのアパートでブログを書いている。」

 

 

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